Mr.コンティのRising JAPAN

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アルゼンチン対ブラジル 2強対決!!

2005-06-29 | Football 北米 南米 
2002年6月13日、リオでサンパウロテで花火と大歓声があがったらしい。前回のワールド杯、アルゼンチンがスウェーデンと引き分け目出度く1次リーグでの敗退が決まった瞬間であった。同様の事はその4年前ブラジルが決勝戦でフランスに 0-3 で敗れた直後に ブエノスアイレス や ロサリオ でも起こったのでは?と容易に想像できる。世界中どこでも隣国同士は仲は悪いのが常だ。領土権や文化圏を巡っての紛争は絶えない。だがこの両国は少し赴きが異なる。政治、経済的な対立も戦争も両国間には無縁であった。しかしサッカーに関してはどちらも譲らない。ワールド杯の出場権を巡って両国が直接競い合うと言う事は無かったが、問題はどちらも”我々こそが南米大陸で最も優れたサッカー大国”と譲らない事だ。だがアルゼンチンは少し分が悪い。大西洋に面していることから欧州からの移民が多く、他の南米諸国の様に土着のインディオや白人に連れてこられた黒人が少ない。だから南米諸国からは”自分達を欧州民族の末裔と自慢している”と嫌われる。サッカーの歴史で見ればこの大陸に最初に伝道されたのはアルゼンチンで1867年に英国系のスポーツクラブがブエノスアイレスに設立されたのが発祥だ。1930年ウルグアイで開催された第一回のワールド杯では決勝でウルグアイに敗れて準優勝に終わったが2年前のアムステルダム五輪の決勝でも再試合の末ウルグアイに 2-1 で敗れている。だがワールド杯よりも歴史の古いコパ=アメリカを重要視していたアルゼンチンは翌34年にアマチュアチームをイタリアに派遣して以降は3度の棄権(1938,1950,1954 )と予選落ち1回(1970)を経て1974年西ドイツ大会までの3回出場した本大会ではベスト8が2度だけの戦績でペレの登場により3度優勝したブラジルとの差がはっきりと付いてしまった。だがアルゼンチン人に言わせれば神様ペレも黒人の多いブラジルを揶揄した”マカッコ(サル) "の一人で彼の生涯通算1000ゴール以上の偉業も”草サッカーやビーチサッカーの得点も含んでだう?”と笑いの対象に。しかし1978年、地元開催のワールド杯。当時軍事政権と共産組織との争いが絶えなかったアルゼンチンでもワールド杯期間中は悲願の初優勝を勝ち取るために手を組み一時休戦に。その甲斐があってか?延長でオランダを3-1と破りライバル、ウルグアイ、ブラジルと同様ワールド杯優勝国の称号を得た。その大会、ジーコらがいたセレソンは無敗で3位に終わりブラジル国民は悲しみに暮れた。そしてアルゼンチンにはあのスーパースター、ディエゴ=アルマンド=マラドーナが現れる。ブラジル人からすれば”クスリ漬けの太った醜い小男”も彼の活躍で再びアルゼンチンは世界王者に戴冠される。そしてセレソンが再び王者の美酒に酔ったのは3度目の優勝を果たして24年の歳月を待たねばならなかった。その間にライバル、アルゼンチンは2度世界王者に。その間、ブラジルは忸怩たる思い出マラドーナのドリブルを観ていた事であろう。そして8年後、王国ブラジルが5度目の優勝に酔いしれた横浜の夜を覚えている日本人そしてブラジル人は多いことであろう。今夜対決する南米の2強のいずれかが来年48年振りにワールドカップを大西洋横断させる可能性のある国だろう。

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2 コメント

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Unknown (物知りコンチィさん、ファン)
2005-07-01 04:12:13
コンチィさんに質問です。歴代のゴール数のランクを御願いいたします。
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ブラジル優勝 (間借り人)
2005-06-30 12:13:06
こんにちは。トラバ有難うございました。

両国の歴史の一端を勉強させていただき感謝です。

また、遊びに来ます。
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