Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

我が代表堂々と退場す……

2010-07-13 | 夏季五輪

PK戦はパラグアイ3人、日本が遠藤、長谷部、全て決めて駒野がスポットに向かう。解説の金田氏が“駒野負けるなよぉ….” といった。その言葉は当然駒野には聞こえないが、不安を増大させられた視聴者は少なくなかったと思う。 そして駒野の蹴ったボールは GK Villar に弾かれた、と思ったらゴールポストを叩いた。



あぁぁっと天を仰ぐ。 しかしGK川島は今大会、いや England 戦からものすごく当たっている。このPK戦でも最初の2人は決められたがコースは読んでいた。
この守護神川島が何とかしてくれると本当にそう想った。しかし相手は百戦錬磨の南米代表パラグアイ。 4人目 Lucass Barios が決めて、本田が実にクールにPKを決めた後の途中出場の Oscar Cardozo に左角に決められ、我らが Blue Samurai の今大会の挑戦を終えた。  あぁぁ、終わってしまったなぁ…..

4年前完敗したブラジル戦の直後もそう思った。しかしその後に感じたものは全く違っていた。 デンマーク戦の数時間前に Group F から1次リーグ勝ち抜けを決めたのはパラグアイとスロヴァキア。E組の日本はどう頑張っても2位通過が最高と思っていたので決勝トーナメント1回戦は恐らくF組1位で勝ち上がるであろうイタリアとの対戦と思っていた。しかしイタリアは1次リーグで姿を消し対戦相手は南米代表のパラグアイとなった。

パラグアイのワールドカップに対する思いは日本と類似する部分があると思っていた。ワールドカップは今大会を含めて4大会連続で出場を果たしているが、1930年、1950年、1958年大会には出場経験はあったが南米大陸からの出場枠が3カ国か4カ国であった1978年大会まではブラジル、アルゼンチン、ウルグアイに独占されていた出場枠だったが1978年大会からウルグアイの力が落ちて来た事と3強に次ぐペルー、チリの力が落ちて来て事そして南米大陸からのワールドカップ出場枠が拡がった事からワールドカップ出場のチャンスが大きく拡がって来た。
そして今は南米大陸ではブラジル、アルゼンチンに続く位置づけと言っても過言ではないと思う。 
出場枠が広がったことによってワールドカップ出場機会が増えそれが強化につながったのは日本と同じか?

そして決勝トーナメント1回戦を前に、パラグアイはデンマークやカメルーンよりは力があるとも思っていた。
そして6月24日。日本のスタメンは1次リーグ3試合と同じメンバー。 中4日の1次リーグ3試合とは異なり中3日おいてのパラグアイ戦。 蓄積された疲労が気になる。 
試合中の選手交替のタイミングが大事だと思った。
一方のパラグアイは累積警告で出場停止の MF Victor Caceres を含め New Zealand 戦から選手を5人替えて来た。だがよく見ればその前のスロヴァキア戦でスタメン起用された選手が9人おり、従来のメンバーから出場停止の Caceres の替りに Ortigoza が起用され FW Valdez に替って New Zealand 戦途中出場のBenitez がスタメン起用された。 要するに引き分けても良い New Zealand 戦は守備を固めて主力を温存し決勝トーナメントに臨んできたと思われた。 

選手入場に続き国歌が演奏される。この大会でもっと君が代が聞きたいと思った。日本のキックオフで始まった試合は開始40秒大久保がシュートに持ち込む。
パラグアイ相手では先に失点すると守備を固められると追い付くのは厳しいので先制ゴールをと願う。 しかしすぐに落ち着きを取り戻したパラグアイがボール支配率を高めて行き15分の時点ではその割合はパラグアイ60日本は40だった。
そして19分50秒日本列島に最初の震撼が走った。Riveros のスルーパスを受けた Barrios が阿部をかわして闘莉王と縺れながら至近距離からシュートを放つが川島がファインセーブ。
Lucas Barrios は Bundelsiga の Dortmund 所属。元々はアルゼンチン国籍で南米予選は出場しておらず大会前に帰化が認められ代表入りした選手。 
その直後、今度は攻撃に転じた日本が大久保が右から切れ込んだところをパラグアイDFに囲まれ CB Da Silva の足に当たったこぼれ球を拾った松井がミドルを放つがクロスバーを直撃。 両チームに連続して決定機が見られた。 
パラグアイは右サイドバックのベテラン Bonnet の上がりが良く、また日本はマイボールとなっても本田へのサポートが少なくパラグアイゴールに迫れない。 29分にはCKからこぼれ球を拾った Sanda Cruz に中央から本田がマークに入る前に撃たれるがポストの右に外れて行ったがこれは松井から本田へのパスをカットされてカウンターからCKを奪われたもの。パラグアイはこれまでと異なりトップには Sanda Cruz ではなく Barrios が入り、右に Sanda Cruz そして Benitez が左に張る。
すると日本も25分あたりから遠藤が前線へのサポートの為に比較的高い位置を取るようになった。これによって相手陣内でプレーする時間が長くなった。 35分Alcaraz が本田を倒してFKを得る。日本のFKのチャンスを解っているのかブブゼラの音が増大する。そのFKは遠藤が逆サイドに走り込んだ闘莉王を目指して入れるがその前に Sanda Cruz にヘッドでクリアーされた。 39分には見事なカウンターを見せる。 右サイド松井がパス交換から抜け出し Morel がマークに入るが中に入れると Ortigoza の前で本田がダイレクトで放った強烈なミドルは惜しくもポストの左に外れた。41分にはまたも本田が Da Silva に倒され右サイドで得たFKも遠藤が中に入れるがヘッドでクリアーされた。遠藤が高い位置に上がった事で日本がパラグアイゴールまでまでボールを運べる様になりそこでFKを得る等チャンスは増えて来た。 
しかし前半終了近くになるとパラグアイも Santa Cruz を最前線に上げ Barrios と2トップにしプレッシャーを。 だが前半は無得点のまま終了のホイッスルが吹かれた。 控室に戻る前に円陣を組みパラグアイイレブンが印象的だった。



後半は両チームとも選手交替は無くパラグイアのキックオフで始まった。 
日本は48分19秒に松井の切り返しからチャンスを掴むが主導権を握っていたのはパラグアイ。日本はマイボールになってもボールを失ったりパスを読まれるシーンが目立ち出す。全選手が4連戦目になる日本は少し疲れが残っているのかパラグアイ選手達の方の一歩が早い。そしてやはりデンマーク、カメルーンより力が上だと言う事を再認識させられる。ボランチの長谷部、阿部の守備力が無ければとっくに失点していただろう。
49分には今大会初出場の Ortigoza のドリブル突破を許し、55分にはカウンターからVera からボールを受けた逆サイドの Benitez がシュートを放つが中澤がブロックでCKに逃れる。58分には スローインから Bentize が入れたクロスに Santa Cruz のヘッドが日本ゴールを襲うがGK川島がキャッチ。
59分には攻勢だったパラグアイが Benitez を下げて Dortmund の Valdez を入れる。 この Valdez と帰化人選手 Barrios は今年から加入する香川と共に黄色のユニフォームを着て同じピッチでプレーするのか…と思った。 
62分久々パラグアイ陣内に攻め込んだ日本はCKを得る。遠藤が入れると闘莉王が Santa Cruz と競りながらヘッドを放つがポストの右に。その直後今度はパラグアイがCKを得る。 Morel が蹴ったCKに Barrios がフリーでヘッドを放つがその前に長谷部を倒したのをベルギー人のFrank De Bleeckere 主審に見られておりホイッスルが鳴った。
64分今度は日本ベンチが動く。 疲労が目立ち始めボールを取られる様になった松井を下げて岡崎が投入され2列目右に入る。パラグアイも前線を Barrios , Valdez のドルトムントコンビの2トップに。 70分右サイドで遠藤からボールを受けた本田がスルーを出し岡崎が走り込みクロスを入れるがCKに逃れられる。この時間帯から日本が前線にボールを持ちこめるようになった。 
75分アンカーのポジションにいた今大会初出場の Ortigoza に替って Serie A Atalanta 所属の Barretto を入れて2列目を厚くする。残り時間が少なくなるにつれて交替選手の選択が難しくなるとも思ったが80分に日本ベンチは阿部を下げて中村憲剛を投入する。これで岡崎を1トップに上げ2列目には左から憲剛、大久保、本田 を配置する事に。そして遠藤をボランチに戻し長谷部と組む事に。これはワールドカップ予選で何度も見られた布陣。ここは1点を取りにいくのか….と思うも後半もこのまま終わり延長戦に突入する事となった。 



日本のキックオフで始まった延長戦。かつての様にVゴール方式ではないが先に点を取った方が勝者になると思われた。開始早々憲剛がドリブルシュートを見せれば93分Sanda Cruz から受けた Cardozo がシュートを撃つ。94分には左のクロスから Barrios のヘッドがGK川島の正面に。その直後には Morel が左サイドを突破し入れたクロスに Valdez が撃つがここは川島がセーブ。 
97分には日本がFKを得る。 今度は本田がボールをセットする。 ここでパラグアイゴールネットを揺らしてくれればと思うが、サインプレーを使ったのかゴール前に走り込んだ憲剛にわずかに合わなかった。 惜しいチャンスだった。日本は交代枠がまだ1人残っている。 交替させるとしたら誰を入れるのだろう。 森本?俊輔?しかし106分に大久保に替って投入されたのは玉田だった。 

延長前半はパラグアイが押すシーンが多かったが後半は日本の方がよく相手ゴールを脅かしていたと思う。 111分には Alcaraz の岡崎へのチャージが反則に取られ FK を得る。その右からのFKに逆サイドに走り込んだ闘莉王が飛び込むがポストの左に外れる。闘莉王、中に折り返そうと思ったか。中盤でもパラグアイ選手に競り勝つシーンが出て来たが、両軍リスクを負ってまで攻撃に転じる意図は感じられなかった。それは見ていてるこちらも同じ。 出来れば相手ゴール前で反則を貰ってFKを得てそこから…と願っていた。そして時間が経つにつれて負けるにしてもPK戦で負けるののかその前に攻めて行って裏を取られるのか…と自分の中で葛藤が大きくなった。
112分、遠藤が Vera へのスライディングタックルにイエローが出される。 これで遠藤は累積2枚目。 次の試合は遠藤と長友抜きで戦わねばならないが、その替りに俊輔と内田がスタメンか?と勝手に胸算用していた。 
116分左サイドを突破した長友が玉田に繋ぎ、一旦は Alcaraz にクリアーされるが岡崎が拾って中に戻す。しかし走り込んだ憲剛に僅かに合わなかった。先程のFKと同様本当に惜しいチャンスだった。
そして119分、反撃に転じ、本田が後ろからチャージを受けFK を得る。よし最後のチャンス。全員が上がって….と思ったが119分58秒に Frank De Bleeckre主審は試合終了のホイッスルを吹いてしまった。日本ボールなのに、まだ時間が残っていたのに…. この判定はちょっと恨めしく思った….

PK戦はクジ引きの様なもの。だれもがそういうが、敗れてしまってはやはり…..



試合後多くの“専門家”が“攻撃力の欠乏”を指摘するが、今日本が世界の列強を相手にした時はこういう戦い以外は出来ないと思う。それは日本だけでは無いアジアの全ての国がそうだろう。 
世界の8強に残れれば本当に日本の存在を世界に憶えて貰える良い機会だと思った。 例え“次のスペイン戦”でボロ負けしてもスペインとワールドカップで戦える事がどれだけ夢だったか、と思うと勿体ない試合だったかもしれない。 
しかし反対に既にベスト16まで3度進出しているパラグアイが相手では岡田監督ではないが“そんなに簡単には行かないよ。”と教えられているのかもしれない。 
次のワールドカップに向けて今大会の経験を土台に更なる前進を望む。 

次のビッグイベントは来年1月の Asian Cup だけど、どこまで本気になってくれるかな…

少なくともテレビ中継はしてくれよ………


「日本対パラグアイ戦は今大会で最も退屈な試合」 ????

2010-07-13 | 夏季五輪

6月11日に開幕したFIFA World Cup 2010 もあっという間に過ぎてスペインの優勝で幕を閉じた。我らが日本代表は帰国後、岡田監督をはじめ代表選手が各メディアに引っ張り凧だ。
前回と異なり予想以上の成績を残してくれたので(私は1次リーグ突破の可能性も充分あると思っていたけど。)監督、選手達の出演を見るのも楽しみだ。フランス大会以来、日本が大会から消えてから改めて従来のワールドカップを迎える様な気がしていたけど、今回はベスト16進出の余韻に浸りながら準々決勝の好取組を堪能する事が出来た。 
ただ8強の中に日本が居れば世界にもっともっと日本の存在感を見せられるのになぁ….と少し残念に思った。
そして朝鮮日報の下記の記事を見つけた時ベスト8に進出し韓国の戦績を上回れなかった事をものすごく残念に思った。

「日本対パラグアイ戦は今大会で最も退屈な試合」

サッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦日本-パラグアイ戦について海外の各メディアが「今大会で最も退屈な試合だった」と酷評した。 英テレグラフ紙は「マラソンのようなサッカーだった。両チームは敗北を恐れ、思い切ったプレーを行う勇気がなかった」と批判した。
英ミラー紙は「日本のホラー映画『リング』に出てくる、見たら死ぬというビデオテープをほうふつさせるほどだった」と皮肉った。米スポーツ専門局ESPNは「印象的なシーンがこれといってなかった試合だった」と評した。 
ネットでは、守備にとらわれ、最後まで見る気がしないほど退屈だったといった指摘が相次いだ。

記事はこの後ドイツ対イングランド戦で誤審を下したウルグアイのホルヘ・ラリオンダ主審とアルゼンチン対メキシコ戦で誤審を下したイタリアのロベルト・ロゼッティ主審が残りの試合から外されることになった事と 国際サッカー連盟(FIFA)のゼップ・ブラッター会長がこの2試合に就いて6月30日、「審判の誤審について、イングランドとメキシコのサッカー協会に謝罪したい。レフェリーの明らかなミスを遺憾に思う」と語った事を報道し、「ヨハネスブルクにあるFIFAの現地本部でW杯のトロフィーの複製と衣類などが盗まれた」と FIFA が明らかにした事にも触れていた。 日本の一般紙はいつも韓国、というよりも在日勢力の反撃に気兼ねしてかこの様な記事は掲載しない。産経新聞くらいは何かしてくれてもよさそうなんだけど。 そこで私が英国紙にこの試合の事をどう報道されていたかを調べてみた。



Blue Samurai show England how to play with pride in the shirt
( Daily Telegraph )

日本はまだ世界の Football エリートとはギャップがある。とりわけ Bleu Samurai と偉大なブラジルのイエローマシン達とはまだ歴史的にも技術的にも大きな隔たりがあるだろう。しかし昨日このビッグステージを冷静に後にする事ととなったこの数週間今や突っ走り、シュートを放ち歓喜をした Keisuek Honda 様な選手や他の何人かのベテラン選手達の印象的であった機知やタッチを披露したチームとの間には明確なギャップなどはっきりさせ始める事等出来ないだろう。
我々の想像では何の賞与も予想出来なかった。France や England が絶望の元で合った一方で日本は football の最高の舞台でプライドの質を輝かせる時にいかにどこまで残れるかの最後の汗をいかに戦いの為に準備するかをまさに見せる事が出来た。厳密にいえばパラグアイの方が良いチームで彼らは歴史的な準々決勝進出の資格があった。
しかしその南米代表国とPKの方向を誤っただけで敗れたその対ア戦相手とは線を引く事は出来ないだろう。パラグアイは最初の試合でその後細かく砕け散ってしまった前 World Champion のイタリアにひるまなかったが自分達の能力が football の rising sun ( である日本 ) に対し通じ続けるかの安易な仮定はなかった。 
近未来に、しかしそこのあるであろうはっきりとした名人の妙技ではなく、すぐに忘れられないであろう彼ら自身がまさに解決し、熱望するレベルであった。パラグアイ日本の攻撃の幅によって恐らく驚くべき事でない不思議な賞を勝ち取った。 
駒野のPKがクロスバーを叩いても岡田武史監督は瞼を動かさなかった。その選手はフィールドから去る時は他の選手達によってしっかりと支えられ、そしてそれが彼であると言う事は常に知るであろうと言う競技のスポーツ劇場には残酷性が無いと言う理解があり、しかし任意であるがそれは彼らの最も素晴らしい瞬間からチームが出て行く理由でもあった。
パラグアイはしかし自分達の中で多くの激動があった。多くのファンが激論を交わすのはアルゼンチン生まれの選手が多すぎると言う事だが Gerard Martino 監督はそのポリシーをある活力を持って擁護した。
“それは単純な問題では無い。私はナショナリズムの当然の結果としてよりも football の趣として見ている。 その議論は通常は選手が充分に良いかどうかに集約されている。そして私の中では何も問題は無い。アルゼンチン生まれの選手達はパラグアイ人として代表に召集され彼らの血筋は経済的な理由から後にした家族の祖国にある。そして彼らの感情は football に必要な技術と同様にパラグアイ人である。”
パラグアイは遂にここで南米代表国が見せた様な平静さを見せた。彼らは歴史的なミッションを完結し少なくともアルゼンチンやブラジルに少し近付けた偉大な大会の準々決勝に進出する事が出来た。この十字軍は彼らのエースストライカーであった Salvadoe Cabanas が今年1月の午前5時に Mexico City のナイトクラブで頭を撃ち抜かれても殆ど勇気の下がったスタートを切らなかった。 弾丸はまだメキシコの Club America のスター選手の後頭部に留まったままで今でも危険な状態をさまよっている。 Blue Samurai 達が最後にかつてなかったワールドカップでの輝きを成し遂げた様に彼も頑張っている。 
それは偉大な、舞台の中心に置かれる程度でもない試合であったが、それはまさに誠実でまさにもしチャレンジ精神と真剣な競技のハートを持っているならどれだけやれるかを示した試合であった。 そのメッセージは誰もが受け取りたいものであったが恐らく我々は息をのむべきものでもなかった。

Okada takes the blame after Japanese courage is undone by timid tactics Paraguay 0 Japan 0 (aet; Paraguay win 5-3 on penalties) 
クロスバーから数ミリメートルの差が日本を史上初の準々決勝に進出するか帰国するかを分けてしまった。 しかし岡田武史監督は昨日のパラグアイ戦の敗戦を真剣に受け止め“ もしこの結果が自分達の価値の定義を下すものであれば、我々がやって来た事は不十分であったのだろう。日本は勝つ事が出来なかった。技術委員会に提出する。”と宣言しむしろ不気味に付け加えた。
24時間前には確かに Fabio Capello が大会からの告別の辞を述べたが岡田は England の代表監督と異なりむしろ不明瞭に“私は恐らく何かをやり残したとは思わない。”と PK 戦の敗戦後最初に日本のジャーナリスト達が知った事を述べた。 

World Cup 2010: Paraguay make Japan pay the penalty for negativity

“恐怖と緊張があった。誰もがこういう決着は不公平だと解っている。しかし勝利を収め、緊張から解き放たれ多くの事が心の中を去来する。それが涙の理由だ。 これは我々の過去最高の結果だ。我々はパーティを行っている。全てのパラグアイ人と祝福をする。楽しませてくれ。選手達は偉大な事を成し遂げた。これは成功だ。我々は準々決勝に進出した。我々は世界のベスト8である事を知った。”
Knock out Stage に入って6試合を過ぎて21ゴールが生まれたそしてそれはこの試合前までで充分であった。緊張が試合を支配し、パラグアイは適切にプレーし、脅威を与えない football に終始し日本はカウンター狙いであったが共に成し遂げられなかった。
“それはおそらく誰も見たくはない試合だっただろうがそれに就いて責められるチームは無い。日本はいつもの様にプレーした。彼らは深く守りカウンターを狙っていた。彼らは難しい相手であった。” 
それは充分に真実であった。しかしパラグアイは自信に欠けていた。そして恐らく状況を打破するリスクにトライする望みも。
しかし日本はこのワールドカップに多くを貢献した。 岡田武史監督は選手達のパファーマンスを誇りに思うと語り、後悔は何もないと言った。
“選手達は素晴らしかった。 日本とアジアを代表していた。なぜ我々は得点出来なかったかは一言では言い表せない。これは私の責任で、なぜなら監督としてもっと勝ちにこだわるべきであったと思うからだ。我々がやって来た事は不充分であった。 岡田監督が監督を続けるのかと尋ねられると、”更に4年も続けられるとは思わない。恐らくやらない。“と答えた。
パラグアイいは土曜日にスペインと対戦するが、注目すべきは南米5カ国のうち4カ国がベスト8に残っている事で“今や南米勢はピークでベスト4独占も有り得る。”とコメントした。

残念ながら南米大陸代表国は前回に続いてベスト4にはどこも残れなかった....



Paraguay 0 Japan 0; Paraguay win 5-3 on pens: match report ( Telegraph )  at Loftus Versfeld Stadium, Pretoria,
on Tuesday June 29 2010
.

パラグアイの選手達はピッチ上で溢れかえっており日本選手達は項垂れている大変なシーンがある。そこにはPKをただ一人失敗した駒野友一の必然的な涙があった。そして勝利チームの監督である Gerardo Martino の涙も見られた。驚いたことのこのアルゼンチン人監督はベンチに座り込みすすり泣いていた。彼のメガネは傾き曇っていたそしてチームスタッフの1人と抱き合っていた。確かにそれは安堵とプライドであったが競技場の中の数人は2時間前から泣きそうになっていた。それは退屈の涙だ。
Martino のニックネームは Tata だ。しかしこれは tatty ( 襤褸雑巾、みすぼらしさ ) だ。みすぼらしい、締まりの無い途中出場の Oscar Cardozo のPKによって終止符が打たれるまでにはただ勝利が求められた試合は神経質に終始した。それが当然だと言う弁解はあるが両チームともに両チームともにお互いを握りしめる事は懸命な事であった。そして日本代表の岡田監督が延長後半終了のホイッスルが鳴った瞬間に地団駄を踏んだが、誰かの後知恵が入ったかのように試合はPK戦へ直行すべきであった。敗北の危機感は勝利の要望よりも大きかった。 
このワールドカップで注目を引いた日本攻撃陣の情熱は殆ど見られなかった。彼らは深く守り、自分達の得点の可能性やエネルギーを期待する事は激しく裏切られた。その一方でパラグアイは前に出るか引くか躊躇した。チャンスは大変貴重なものですぐに浪費された。
率直に言って両チームも守備陣、特に4人のCBは強固だった。しかし試合終盤に僅かにチャンスを演出したのは2人の選手だった。Claudio Morel の単純なFKは不可解に大きく外れ、玉田圭二がゴール前に切れ込んだが彼のマイナスのセンタリングに岡崎慎司が走り込んだが通り越してしまった。試合のあった火曜日の夜はPK戦はクジ引きの様なものであったが自分達が勝利チームのサポーターだったと思いながら競技場を後にした観客はいなかっただろう。

Telegraph, Gardian と云った英国紙に目を通して見た。確かに延長戦にはいってもスコアーレスが続き大会初のPK戦までもつれ込んだ試合は日本、パラグアイ国民以外は見所の少ない試合だったと思われるが、英国紙でも両国の健闘を称える記事が目に着く。残念ながら老舗中の老舗紙 Times は電子版が有料になってしまったので見なかったが。“退屈な試合”と一言で片づけるヘッドラインは皆無だっただろう。

Third time lucky for Roque ( Sydney Morning Herald ) June 30, 2010 

Santa Cruz にとっては既に3度目のワールドカップとなるがその Manchester City のストライカーは南米代表のパラグアイに史上最高の戦績をもたらした。 それはファンタスティックな勝利だ。多くのパラグアイ人にとって。なぜなら我々はワールドカップで史上もっとも良い成績まで進出出来たからだ。
Santa Curz は既に32歳になる2014年ワールドカップブラジル大会には出場しない事を明言しているが土曜日にはヨハネスブルグでまだ試合がある事にも言及した。(インタビューの時点ではまだ対戦相手が決まっていなかったが)
“この試合は厳しい試合となるだろう。我々はより先に進む為に可能な限りハードに戦わねばならないだろう。我々の最終目的は常に勝つ事である。”
これまでワールドカップはパラグアイにとって欧州の列強の壁は厚かった。1986年アルゼンチン大会では England に 0-3 で敗れ1998年大会では開催国フランスにワールドカップ史上最初の Golden Goal で敗れ、2002年日韓大会ではドイツに終了2分前の失点で敗れ大会を後にしていた。
パラグアイの勝利で南米4カ国が準々決勝に進出する事となった。
Santa Cruz は20歳の時に Bundesliga の強豪 Bayern München ではレギュラー選手としてプレーし。2002年のワールドカップでは引分けに終わった南アフリカ戦ではゴールを決めた。 2001年のシーズンには Valencia を破り UEFA Champions League のタイトルを勝ち取ったが決勝戦では出場機会は無かった。 
2007年まで Bundesliga にいたが以降は Premier League の Blackburn に移籍し昨シーズンからは Manchester City でプレーしている。そして怪我の影響もあり出場試合は19に限られ3ゴールを挙げた。



1999年Copa America に招待された日本代表は1分2敗で大会を後にした。この時ホスト国だったパラグアイに 0-4 で完敗を喫したがこの試合で2ゴールを挙げたのが若き日の Santa Cruz だった。この大会世界的に有名だったGK チラベルは大統領と揉めて出場を辞退したと記憶している。そしてパラグアイと言えばかつて横浜フリューゲルスでプレーしたエドゥーの母国。 少なくともパラグアイ国民には“日本サッカー”の存在を知らしめることが出来たと思う。 パラグアイの地元紙ではどう報道されたのだろう。

PARAGUAY - JAPÓN 0-0 (5-3) ¡Pare de sufrir! ¡Paraguay está en cuartos de final! ( Diario ABC Color )  

ここでは試合の様子が詳細に報道されいていた。

Paraguay se une a la historia ( La Nacion ) 

ここでも同様に日本戦の試合の詳細が。
そして目に着いたのは下記の行だった。

日本戦がワールドカップ初出場となった Nestor Ortigoza はこう語った “試合前に祖国の国歌を聞くと母親や古い友人そしてパラグアイに住んでいる親戚たちを思い出した。多くの事が思い出された。パラグアイの歴史を作れて嬉しい。試合にはいった感触は良かったが初めはボールが落ち着かなかった。しかし15分もすると慣れて来た。 

” 15 MILLION DOLLARS
この日の勝利で Albirroja 達の勝利で FIFA からパラグアイ協会へは US$15,000,000 が支給され。次のスペイン戦に勝つと更にUS$5,000,000 追加される。 そして準決勝に進出すれば更に US$4,000,000 が上積みされる。グループリーグ3試合では総額 US$8,000,000 が支給された。優勝チームには US$3,100 万、準優勝チームには US$2,500 万支給されるらしい。 GK Villar Viveros は33歳の誕生日を迎え最高の誕生日プレゼントを自らにもたらした。

そして同日の同紙には下記の見出しが。

Japón firma con Paraguay acuerdo de cooperación financiera por U$S 53 millones

日本はパラグアイへUS$5,300万 ( 約47億7千万円)の経済援助のサインをした。これは郊外の道路を整備する為の経済援助であるとパラグアイ外務省は発表した。 この基金は 総額 US$1億7,000万 ( 153億円 ) のNational Rural Roads Program の2回目の事業であるとも発表された。第1回目の郊外地区の道路整備を早期に完結させるとともに東地区の幹線道路を進める為の事業である。 Hector Lacognate パラグアイ外務大臣と Watanabe Kazuo日本大使の間で覚書が交わされた。

日本とパラグアイの間には多くの人が気付かない関係があると思った。少なくとも韓国紙にはこういう記事は紹介されない。 

そしてあっという間にまた4年が経つんだろうなぁ…..