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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

二十歳の心いつまでも

2011年05月11日 13時09分27秒 | えいこう語る
「三つ子の魂百までも」という言葉があるが、20代の頃に心に決めたことが、60代を過ぎた今、ようやく私にも芽生え始めてきたのを感じた、二つの出来事が昨日あった。
そこで、今日のブログのタイトルは「二十歳の心いつまでも」とした。
私が20代始めの頃、好きなラジオ番組に、落語家の毒蝮三太夫さんと、現在は料理研究家で活躍されている平野レミさんが、東京下町の商店街に出向き、町のオバちゃんたちに声をかけ、その町の魅力を探るというのがあった。
毒蝮と名乗るだけあり、毒舌が売りの三太夫さんと、いつも朗らかで笑い声の素敵なレミさんのコンビは絶妙だった。
「ババア、まだ生きていやがったのかい」口は悪いが、人柄の良さが引き立つ毒蝮さんの軽妙な会話に、インタビューを受ける町内のオバちゃんたちの元気な笑い声が、ラジオから流れていた。
こんな軽妙であったかい会話が将来できたらいいなー、と、20代の私は感銘を受けたものだ。
昨日のことである。
私が会長をしている町内会での出来事だ。
私が車で走っていると、先日病院から復帰したばかりのおじいさんが歩いていた。車を止めて「とうさん、身体大丈夫かい」などとご機嫌を伺う。
「なんもさ、腰のあんばいが悪くて、病院に行くとこさ」という。もう長生きできないと、愚痴をこぼす。
「なに弱音を吐いているのさ、ほら桜だって今年も元気にきれいに咲いたよ、来年だって再来年だって、桜は元気に咲いて我々を楽しませてくれるんじゃないか、生きてりゃ来年も再来年も、きれいな桜を見れるんだよ、元気を出しなよ」というと「そうだね、ありがとうございます」と、手を合わせて頭を下げた。
※サーフサイドの庭の桜。


その夜、近所のおばさんがやってきた。
「明日、すまないけど、うちのとうさんを病院に車で連れて行ってください」というお願いだ。
三日ほど前、元気伺いにその家に顔を出した時、とうさんが歩けなくなったので、病院に連れて行ってと頼まれていたのだ。
一月に二度の通院である。
おばさんは、私が忘れていやしないかと確認に来たのだ。
「大丈夫だよ、家のカレンダーに大きく病院って書いてあるから、この次は25日の水曜だね」というと、おばさんは「ありがとうございます」と、手を合わせ深々と頭を下げた。
私は昨日、二度町内のお年寄りから手を合わされ、なんだかとてもうれしい気分になった。
妻に「銚子あと一本追加して」というと「あなた、隣のおじさんを病院に連れて行くのを、忘れていたでしょう」と鋭い突込みが入った。
あれから40年が過ぎたが、我が家にはまだまだ駆け出しの毒蝮三太夫と、突っ込み鋭い料理上手の平野レミのコンビが残っていたようだ。


だまされてはならない

2011年05月10日 13時26分14秒 | えいこう語る
還暦を過ぎ職も辞し、社会のしがらみから開放され「学ぶ」とは一体なんだったのかを考える機会が増えてきた。
世の中は、嘘に満ち溢れている。急速に発展した文明社会は、真実をすっかり覆い隠し、心眼を曇らせてしまったのではないだろうか。
「嘘をついてはいけない」これは真理である。しかし、思い返せばたくさんの嘘をついて生きてきた。そうでなければ生き難い世の中だった。
そう納得しながら、自分の嘘を正当化して生きてきた。
最近一つの結論に達した。
「学ぶ」ということは「だまされない」ということではないかと。
そのことに気がついたのは「東日本大震災」からである。
戦後日本の「大嘘」が、はっきり露呈されたからだ。
「安心・安全・クリーンエネルギーの原発」
より快適な生活を夢に見て、甘い言葉と多額の補助金に誘惑され、命を奪われようとしたのだ。いや、今後、たくさんの命が奪われるのかもしれないのだ。
国民は、原子物理学などの難しい学問は、学者に任せておけばいいと思っていたのだ。自ら勉強をしなかったので、すっかりだまされてしまったのである。
原発で使用される「ウランとプルトニウム」。
広島と長崎に落とされた原爆のぐらいの理解しかなかったのである。
大量殺人兵器に変身することすら、忘れてしまっていたのである。ずいぶん過去の出来事であるから。
その大量破壊兵器により、我が国は「戦争放棄」を世界に宣言した。
人類の歴史は戦いの歴史でもある。人類は戦うことにより、国家を維持存続させてきたのである。
だが人類は戦いを好むのだ。「戦争放棄」した後は、世界相手に「経済戦争」に勝ち残ってきたのである。
鳴りこそ潜めているが「憲法第九条」を改正しようとする勢力は、匍匐前進を続けているのだ。
故高木仁三郎さんの本で学んだが、プルトニウムは戦後長い間、暗号名『銅』で呼ばれていた。
軍事転用の危険性を持っていたからだという。


戦後長い間、原発をこの狭い国土に54基も作ってきた。そしていよいよ、ウラン濃縮工場と核燃料再処理工場という、核兵器に直結する施設を持った。
今までの日本ではタブー視されていたが、この頃「核武装発言」をする者が少しではあるが、でてきたのも見逃してはならない。
国際的には、日本は潜在的核武装能力を持った国として、認識されているという。
中部電力浜岡原発停止は、国民の心をとりあえず安心させたが、実は欺いていやしないだろうか。
政府は他の原発の停止はしないと言明し、原子力政策の国策は変えないと主張している。
原発推進派には、憲法改正論者が多くないだろうか。
自国を防衛するためには「憲法第九条」を改正しなければならない。
「九条の改正」は「戦争放棄」を放棄するという意味である。
そして、自衛隊を軍隊にするためには、最強の武器を持たなければならないのだ。
国民自らが学ばなければ、いつまでたっても「だまされる」続けるだろう。
だまされて命を失うのは、いつも私たち国民なのだ。
東日本大震災から学んだものは、原発は大量殺人兵器だということである。
福島県民には申し訳ないが「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ・ハマオカ・トマリ・・・」などと続いてはならないのだ。
私はそう考え、原発には反対する。


言い伝え

2011年05月09日 09時55分41秒 | えいこう語る
これはしていけないという「言い伝え」は、両親や祖父母、近所の叔父さん叔母さんや、お爺さんお婆さんから教えてもらった。
「言い伝えは」礼儀作法であり、命を守ることでもあった。
「ご飯粒を残すと、眼がつぶれる」などは、とても含蓄のある言葉だと、幾つになっても、食事の時は必ず脳裏をかすめる言葉である。
お米は命の源である。作ってくれた農家の人の苦労を思い出し、感謝の気持ちを忘れてはならないという意味だろう。
様々なものが究明されていない時代は「言い伝えが」生きることの秩序を保ってきたのだろう。
私は海の村で生活しているが、水平線の向こうに山がくっきり見えると、翌日は天候が悪くなるというのは、見事な事実である。漁をする人は「言い伝え」で、命を守ってきたのだろう。
※庭の浅葱(あさつき)鰹の刺身にたっぷり盛る。三陸沖の鰹が泣いているのではないだろうか。


ユッケ(生肉)を食べた幼い子供が死亡した事件で、強く感じたことがある。
「生肉を食べたらいけない」という「言い伝え」はないかもしれない。
でも様々な「言い伝え」を聞いている親なら「子供には生肉を食べさせてはならない」という応用は、できていたのではないかと思う。
大人と未発達の子供の身体では、大差があるのだ。
子供を大切にするあまり、大人が食べて美味しいものだから子供にもという、平等意識は、愛情とは違うのである。
東京都知事の石原家の話が興味深い。
子供たちが小さい時、ウニなど高級食材を子供たちには食べさせず、父親ばかり食べてたと子供たちが言う。大人になって働くようになったら、自分の力で食べろというものだ。子供に贅沢をさせてはいけないという、石原氏らしい子育てであろう。横暴ともいえる子育て論だが、納得するものもある。
石原家のような独特な「言い伝え?」も、生肉を食べて子供が亡くなるというようなことは、防げるはずである。
さて、様々なことを知っている学者の場合はどうだろうか。
冥王星=プルートーから名付け「冥土の王の元素」といわれるプルトニウム。
人の肺の中に取り込む限度は、長崎原爆と同じプルトニウム239の場合、0,0016マイクロキューリとされている。重量にして『4000万分の1グラム』で、目に見えるものではない。この世の中で最も毒性の強い元素である。
それを発生させる原発。最高の技術を屈指しても、それを管理するのは人間である。『人的ミス』が必ず生じるのである。
そのミスが起きれば、取り返しのつかないことになる。だから『冥土の王』と名付けたのである。
この「言い伝え」を無視し、利権に群がり悪魔に魂を売った学者や政治家や経済人が、我が国には数多いたのである。
反原発を貫いた故高木仁三郎氏が、今世界の人々にこの「言い伝え」を広めようとしている。
『原発は人類を滅ぼす』


嘘をつく者は

2011年05月08日 11時20分45秒 | えいこう語る
満身創痍、四面楚歌内閣の菅総理が「浜岡原発停止」を公言した。
3:11以来、対応のまずさを追い詰められ「ついポロリ」と口に出たとは思いたくない。
市民運動から出発した首相ならではの、強い決意の表れだと高く評価したい。
静岡県御前崎の浜岡原発は、3大プレートが集まっている地形だ。今後大地震が予想され、首都圏に与える被害を考えると、まさしく日本沈没になりかねないのは、国民の誰もが知っている情報である。
しかし、政府が民間企業の経営に介入したということでの反発も大きい。株主の抵抗もあるだろう。働く人の生活も心配だ。立地する御前崎市の固定資産税などの原発関連歳入は、計71億円を越えるという。
自治体が財源を依存する企業城下町体質、企業が倒産するとそのマチも一蓮托生の運命にある。自治体ではない。「他自体」だったのではないかと、いつも思う。
※二本のタラの木も青空に向かって叫ぶ。がんばれ日本!
 夜の食卓の天婦羅になり、私のエネルギーになった。


函館出身の大道芸人、ギリヤーク尼崎さん(80歳)が、被災地気仙沼の瓦礫の前で、犠牲者を追悼する気迫の踊りを披露した。
大きな数珠を振り回し、地面を転がり水をかぶる。魂の叫びを演ずるギリヤークさんの踊りには胸を引き裂かれる。
10年前、村の夏祭りの夜に、踊っていただいた。
ギリヤークさんの踊りは、鬼が踊るといわれる。その中でも「念仏じょんがら」は、人間の業の深さ、悲しみの極限を表現する。
「過疎の村に鬼が踊る」というタイトルを私がつけ、先人が築きあげて来た村が永久に続くことを願い、踊っていただいた。
だがその後間もなく、函館市に吸収合併され、128年の歴史を終えてしまった。
「国も地方も財政難だから、大きな街と合併したほうがよい」という、単純明快な理由である。
なす術もなく「自治権を放棄」してしまったのだ。それ以来、私の心は「他自体」に住んでいる。
私は鳩山さんと菅さんが、共に民主党党首時代にお逢いし、話したことがある。
鳩山さんは私の要望に答え「北海道には原発は要らない」と、公の前で発言をした。しかしその後首相になり、様々な発言は坂を転げ下りるかのような、ひっくり返りようだった。
菅首相はもし浜岡原発を止め、原発エネルギーの転換を図ったなら、歴史に名を残す首相になるに違いない。
でも被災地でのギリヤークさんの鬼は、こう叫んだのが私には聞こえてきた。
「嘘をつく者は、舌を抜いてやるぞ」と。


函館に来たら寄ってね

2011年05月07日 11時40分38秒 | えいこう語る
旅行しようかなと思った時、その土地の旅行雑誌を買い求める。
雑誌をめくったとたんから、旅行は始まる。
この種の雑誌はあまた出版されているが、最近人気なのが「HO=ほ」という雑誌だ。たぶん北海道内にしか発売されていないと思うが、近年その雑誌を持ち歩き旅行する「HO旅人」が増えてきた。
昨日は閉店後、五稜郭公園に夜桜見物に出かけようと思っていたら、来店のお客様から、この雑誌をいただいた。
「函館の迷い方教えます」という意味深のタイトルがいい。
この雑誌の優れているところは、写真だ。写真が多くを語り、活字は三歩下がって添えられているという感じだ。
ページをめくると驚いた。中学時代の同級生が大きく掲載されている。
彼は寿司職人である。函館市内の老舗で修行後、東京に出て有楽町で腕を磨き、函館に戻り小さな店舗を構えた。結婚してから奥さんの実家に移り、そこを改造し店舗にしたと聞いている。
その建物は函館市伝統的建築物に指定されている、和洋折衷の洒落た建物だ。
なんと、この寿司屋の晩酌セットがすごい。
お寿司5貫、お刺身盛り合わせ、小鉢二つ、ビールまたは日本酒付きで、なんと格安の1,000円だ。
何の迷いもなく、夜桜見物の後は、彼の店に決定だ。
函館市内で有名な桜通りを通り抜け、夜桜そっちのけで暖簾をくぐる。


「おっ!しばらくだなー」と、来店の挨拶など抜きである。
「雑誌を見たぞ、さっそく晩酌セット二つ」。
扉が開き一人の美女来店。やはり晩酌セットを注文。



カウンター同志、ちょいと話しかけて、場も和やかになったところに、私と同じ年頃のご夫婦が来店。
「晩酌セット二つ」。カウンターは私たち夫婦も合わせ3組が並び、晩酌セット仲間で話し身がはずんだ。
私もつい、得意の駄洒落を披露する。一同大笑い。
「晩酌セットを始めてから、親父ギャグを言うお客が増えた」と。店主がいう。
回転寿司全盛の昨今、寿司屋の親父さんとの何気ない会話と、“知らぬ同士が小皿たたく”そんな身近な付き合いが、港函館にはまだ残っているのだ。
そんなわけで、ぜひお薦めのお店です。


『ひろ寿司』
函館市大縄町14-14(ちょっと小路にあるので、タクシーを頼んだ方がいい。五稜郭からはワンメーターちょいぐらい)
電話0138-41-1521
定休日:水曜 営業時間:11:30~23:00まで
も一つおまけ情報です。青森県の銘酒『田酒』が置いてありました。
これはいけるー!