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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館市は人口減に対応できるか

2017年10月31日 20時25分26秒 | えいこう語る

▼日本創生会議の「消滅都市」の予測によると、函館市の2040年の人口は、今の27万人から16万人に減少するという。消滅可能とされるトップ50には、函館を中心とする道南圏の自治体で「奥尻・木古内・松前・福島・上ノ国」の名が記載されている。

▼2004年に函館市に吸収合併された、戸井町・恵山町・南茅部町と我が椴法華村などは、合併していなかったら、当然消滅地域に指定されていたに違いない。だが、人口が急激に減少する函館市に、ついていって良かったのか良くなかったのか、解散選挙が終了して、自民にふっつき過ぎた公明党や、希望の党に身を売った民進党のような、複雑な気持ちだ。

▼開港都市函館は、古い街並みが保存され、街全体が訪れる人に日本の近代史を語りかけている。それが観光都市函館の魅力の一つだ。近年、大型クルーザーを誘致するための湾内の整備、空港の民営化による海外路線の新設、駅前や五稜郭の中心部の開発が進んでいる。

▼駅前の商業施設「キラリス」は、さほど特徴もなく、テナントも埋まらないようだ。五稜郭の「シエスタ」は、若者や中年層が集まり、今のところは成功に見える。だが、よその都市にある流行の店舗が集まったような感じもする。

▼できれば、私が20代の頃、よく出かけた銀座の「SONYビル」のような、ちょっぴり未来を予想させてくれる、情報発信基地のような役割を担ってほしいものだと思っている。半世紀も前の古い考えだが、若者の感性は、いつの時代にも現状に甘んじないという、進化を感じさせる要素が、必要ではないかと思う。

▼函館市の考えは、古い街並みに頼っていても、いずれは維持ができなくなるので、今から新たな街づくりを準備しなければならないという考えのようだ。古い街並みが観光客をひきつけている、函館山山麓の西部地区の、壊れかけている建物や空き家の土地を活用し、セレブ層をターゲットにした「ビバリーヒルズ構想」なるものも打ち出している。

▼近い将来、大型豪華客船寄港地として、世界に開かれる「新開港都市」を目指しているのだろうか。私は12万トン級の大型客船が入ってくる港は、米軍の空母も入って来れる深さになるので、横須賀や佐世保のような、軍港観光都市にならないかと、ちょっぴり心配する。

▼若い頃、私が住んでいた東京のアパートの周辺は、ほとんど新しい建物が立ち、かつて住んでいた面影などなく、記憶が完全に消去されてしまった感じだ。ノスタルジーに浸り、来し方を回想する雰囲気など全くない。

▼だが、函館は人影のない建物や、古い看板などに当時の街並みや、知人の顔までが蘇る、極めて「懐かしさのある街」なのだ。私など、高校時代に函館に住んでいたので、まさしくその時代に違和感なくタイムスリップでき、当時の知人の顔まですぐ浮かんでくる、心やすまる街なのだ。

▼殺伐した世の中にあって、北の港街函館が、自分が自分らしい時代に戻れる風景が至る所にあれば、人間性回帰の素晴らしい旅を楽しむことができるに違いない。そんな観光地が、函館観光に求められる、新たな観光のスタイルではないだろうか。

▼私は、函館市内を散策するたびに、未熟だけど、未来に希望を持っていた頃の自分に戻れる街並みが、あちこちに残っているというのが、とても気に入っている。それが、私の「誇りの持てる函館」という街なのだ。

▼海外の文化を受け入れた「和洋折衷の街」。そして、古きものと新しきものが共存できる「温故知新の街」。そんなヒューマニティー溢れる、新たな観光都市の実現が、人口減少にちょっぴり歯止めをかける、要因の一つではないかと考えるこの頃だ。

紅葉はなぜ燃えるのか

2017年10月30日 10時01分15秒 | えいこう語る

▼早朝、居間のカーテンを開けると、我が家の庭の、紅葉美術館がオープンする。今年は、何年振りの素晴らしい展示だったが、太平洋沖を通過した台風22号が、どうやら、今年の展示の閉館を告げたようだ。まだ風は強いが、色鮮やかな落ち葉が枝から離れ、それが、西陣の絨毯のように、庭一面に敷き散りばめられている。

▼「うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」という、良寛さん歌が浮かんでくるが、同時に、♪秋の夕日に照る山もみじ・・・♪という、唱歌「紅葉」の歌詞も浮かんでくる。だが、この2番の歌詞もなかなかの味合いだ。

▼ 渓(たに)の流れに 散り浮くもみじ 
  波にゆられて 離れて寄って 
  赤や黄色の色さまざまに 水の上にも織る錦

▼周囲の山々の紅葉も、どこも見事だったが、その中で最も推薦するのが、隣町、南茅部地区の、川が流れる谷間の川汲温泉周辺だ。この海に面した町は、日本一の真昆布の産地で、縄文遺跡の宝庫でもある。縄文人もこの周辺の温泉で、身体をやすめたに違いない。

▼この温泉の女性経営者の頑固ぶりが有名だ。私の友人が、紅葉を写真撮影していたら「誰の許可を受けて撮っているのか」と、怒鳴られたそうだ。武勇伝はたくさん聞いているが、自然を守ろうという、彼女の情熱のようにも思える。その情熱が、あたたかい温泉と、見事な紅葉の源になっているのかと思う。もしかして、彼女が縄文人の子孫なのかもしれないと思いながらも、その付近で車を止めず、私は通り過ぎた。

▼尋常小学校唱歌「紅葉」は、1911年(明治44年)に作られた。その時代は、今よりもっと自然が豊かだったから、紅葉も美しかったに違いない。だから、このような素晴らしい歌詞が生まれてきたのだろう。だとしたら、自然との共生を大切にした縄文時代の紅葉は、どれほど感動を与えたのだろうか。

▼縄文に火焔土器というのがある。炎を連想されるその装飾は、縄文人の感性の高さを証明している。「芸術は爆発だ」という、岡本太郎氏の言葉に、深く共鳴する。火焔土器は、新潟県信濃川中流域で多く出土される。信濃川周辺の縄文時代の紅葉は、想像を絶する美しさだったに違いない。

▼そう推測すると、火焔土器とは、土器を作る時の炎ももちろん神秘的だが、長野川周辺の燃え盛る紅葉が、作品に強力に影響を与えたのは、想像に難くない。火焔土器作成の源は、かまどで燃え盛る火より、もしかしたら、山全体が燃え上がるエネルギーの方が、影響力が強かったような気がする。

▼そんな夢想を、隣町の縄文文化交流センターに住まいしている、国宝『中空土偶』に語り掛けてみたいと思っている。その後は、私が大好きな、乳白色の硫黄温泉「縄文露天風呂」に入り、身も心も縄文人になりたいと思っている。

▼この温泉も、川が流れる谷間にあり、紅葉が見事だ。先日も入浴したおり、乳白色の温泉に、赤と黄色に彩られた、桜の葉が一枚浮いていた。

秋の日の漁村にヴィオロンのためいき

2017年10月29日 09時13分34秒 | えいこう語る

▼朝夕に寒気が入ったおかげで、今年の紅葉は見事だ。我が村は「日の出美術館」と「紅葉美術館」が無料で鑑賞でき、心が洗われる毎日だ。

▼昨日(28日)の午前中、小中学校合同地域公開授業が地元の小学校で開催された。私は函館市の社会教育委員を拝命しているので、来年度から小学校で実施される「道徳教育の教科化」の状況を確認するため、見学させていただいた。

▼道徳教育の教科化の目的は「イジメ防止」にあるようだが、検定教科書を使用することで、昨今の「憲法改正」が叫ばれる国政の状況から推察して、軍国主義につながるのではないかという懸念を持つ人も多いようだ。

▼北海道教育大学が2015年に行った調査で、小学校教員で、教科化に賛成は18,8%で、反対・どちらかといえば反対が78%という結果のようだ。教員の不安が大きく表れた数字だ。文科省としては実施にあたり、教員の指導強化が必要ということになりはしないか。

▼道徳教育の課題として、東北大教育学研究科水原克敏教授は「グローバルな価値多元社会」の到来で、この問題をどう処理すべきなのか、これが見えないと、そう簡単には学校文化を、価値多元社会に変革するのは危険であると指摘する。

▼この指摘が、教員のぼんやりとした不安を生み、道徳教科化反対の78%という数字に表れているのだろう。2008年の学習指導要綱では、新しい時代を担うべき日本国民としての資質を形成するために、国際的リテラシー(情報を評価・識別する能力)とコミュニケーション能力を有し、道徳的資質も高く「生きる力」に満ちた人間像が構想される。このようなレベルに上げなければ、日本は生き残れないだろうという判断なら、旧態依然とした学校文化を変えなければならないというのが、水原教授の考えだ。

▼アベ総理の言う「戦後レジームの解体」とは、国民教育の中にも、その意思が反映されてくるのだろう。自民党の憲法改正草案には「現行憲法第13条の、公共の福祉に反しない限りが【公益及び公の秩序に反しない限り】となっている。さらに「日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない」とも書き込まれている。

▼教育には、強制力・誘導・扇動的なものが含まれている。国家権力の支配下に教員の良心の自由が奪われた時、少年や少女がどれほど不幸に陥ったかを、歴史は証明している。そんな時代に流されていきそうな気配を感じる、解散選挙後の我が国だ。

▼私が学んだ昭和30年代の校舎は、木造で兵舎のような風格を持っていた。学窓から眺める風景は、昔とほとんど変わりがない。教室の外の、夥しい「落葉」は、冬への前奏のように思えた。

▼授業終了後、体育館で、ピアノとバイオリンの演奏会があった。
演奏家の巧みな解説と素敵な音楽で、生徒たちも私たち大人も、瞬く間に音楽の持つ力に魅了されてしまった。これが教育の持つパワーなのかと感心された。

▼体育館も私たちの時代と同じ位置に立っている。ふと、上田敏訳のヴェルレーヌの「落葉」の詩が浮かんだ。
秋の日の ヴィオロンのためいき
ひたぶるに 身にしみてうら悲し
・・・涙ぐむ 過ぎし日のおもいでや

▼1955年(昭和30年)。この体育館の舞台で、NHKラジオのど自慢で立っていた小学校1年生の私の姿が浮かんだ。5年生、初めて我が校に鼓笛隊が結成され、いろんな楽器に触れた時のうれしさが蘇った。みんなが等しく貧乏だったが「希望」に満ち溢れていた。この体育館にいる中で、誰よりも年齢が多いのを自覚しながら、「教育」とは何かということを回想する自分がいた。

▼昭和20年7月、この母校も米軍の機銃掃射の的にされた。学校は休みだったので、犠牲者は出なかったが、村では4人が死亡した。『歴史は繰り返す』という言葉がある。単純な言葉だが、今になっては、最も生徒に伝えなければならない言葉のように感じた、秋の日の授業参観だった。

イジメは国会から生まれる

2017年10月27日 07時54分01秒 | えいこう語る

▼学校でのイジメが32万件と、過去最多を示した。文科省は、ふざけ合いなども積極的にイジメと認知し、対応するように周知した結果としているのだが、ふざけあって遊ぶのが子どもなので、子どもにふさわしくない教育に向かうような気がして心配だ。

▼この記事を読んで真っ先に浮かんだのが、野生動物の子供たちの遊びだ。ほとんどかじりあって遊んでいる。怪我しない程度に軽く噛んで、遊びの中から生きていくことの術を学んでいるのだろう。私たちが子供の頃言われた「よく学べよく遊べ」という言葉は、学習の基本ではないのかと今でも思っている。

▼だが、私たちの子供時代は「よく遊べよく学べ」だった。一年中、外で暗くなるまで遊んだ記憶しかない。幼馴染の言葉だ。「俺たちの時代は、野放し教育」だったと。「父は海で、母は畑で働いて、子供の面倒などみられなかった。暗くなって腹が減ったら、家(巣)に戻ってきた。そんな毎日が楽しかった」と。

▼今はというと、テレビにスマホに携帯だ。外で遊んでいる子供など見たことがない。これは、子供が住む健全な地域環境ではないと、世のおじさん、おばさんは嘆くのだ。国は一体何をやっているのかというと、わけのわからない解散選挙で、600億円以上もの無駄づかいをしたあげく、結果、なおさらわけのわからない国になってしまった。

▼こんな選挙結果になったのは、誰のせいだと、互いにイジメあっている始末だ。野党が勝手に分裂したため、漁夫の利を得たのが自民党だ。こんなおいしい戦いはなかったと喜び、野党の足並みがそろわないうちに、憲法改正への大博打を仕掛けようという魂胆だ。

▼国語が不得意な、自民のアソウさん。「衆院選勝利は北朝鮮のおかげ」と、ミゾユウの言葉が飛び出す始末だ。北朝鮮の脅威を煽っただけで、簡単に勝利したということがなのか。私の周囲でも、ある保守系の市議やおじさんたちが「あんな北朝鮮ぶっ殺してやれ」という、ミサイルのような物騒な言葉が飛び交う。

▼「これって、北朝鮮に対するイジじゃないの」と、子供たちは思わないだろうか。戦後72年。超高齢化社会に向かう我が日本。「韓国併合」などという歴史を忘れてしまった「認知症の国民」が増えてきたのだろうかと心配もする。

▼イジメの源は、もしかして、我が国の国会にあるのではないかと、ふと考えてみた、周囲の山々の紅葉が見事な、我が故郷のさわやかな朝だ。

選挙後の課題「保守」とは何か

2017年10月26日 08時51分57秒 | えいこう語る

▼東京工業大学、政治・歴史学専攻の中島岳志教授が、「保守とは何か」を見極めることが、今回の衆議院解散選挙後の重要な課題であるとする、北海道新聞25日夕刊の記事が興味深い。

▼「アベ一強独裁」に鉄槌をくらわすという、今回の選挙と思ったが、野党分裂、与党大勝利という結果に、いささか呆れ気味で、厭世感漂う世の中になってきたようだ。その混迷さの一原因を、18歳から29歳の若者の「保守認識」にあるという指摘だ。

▼若者は、一度も変えてこない憲法を改正しようという自民党の主張を「革新的」と考え、共産党の護憲思想は、むしろ「保守的」とみなしているようだ。保守思想家の西部邁氏の言葉を引用すると「アベ総理は真の保守ではない」と断言する。米国という国家は、歴史的経験値の蓄積を欠いているため、本質的な保守思想が共有されていないのに、その「米国にべったり」のアベ総理は、自分は保守と公言するが、最初から保守ではないと断定している。

▼多くの庶民が共有してきた経験値や良識、伝統、慣習を大切にし、時代の変化に応じて徐々に変えていく。「革命」のような極端な社会改造には、理性へのおごりが含まれているとみなし、慎重に遠ざける。保守とは、歴史の英知に基づく永遠の『微調整』に他ならないと、指摘する。

▼自民党の改憲草案は「戦争しない国から戦争のできる国へ」の、大改革だ。これは理性へのおごりで、この考えは「革新」そのものだ。アベ総理の憲法解釈が間違っていると、多くの憲法学者が指摘するが「保守」という解釈も十分理解していないようだ。

▼今回の大勝利で、憲法改正が国会のまな板に乗ることになれば、アベ総理は靖国神社参拝も、解禁するに違いない。靖国参拝の議員の多くは、靖国の英霊たちは、国家のために命をかけてくれたので、今の我が国の繁栄の基礎を築いてくれたという解釈だ。だが、靖国には国家に死を強制された若者の無念さが「戦争反対」を国民に訴え続けていると解釈するのが、正しいのではないか。

▼とにもかくにも、理解力の乏しい総理ではないか。その総理が、「信頼する人物」と称するトランプ大統領が訪日する。日米同盟の親分は、どんな振る舞いを見せるのか注目したい。世界のトップ・プロゴルファーの松山選手も駆り出されて、ゴルフをするという。ラウンドには、アベ総理の盟友、加計幸太郎氏も一緒というなら、NHKで全ラウンドを放送してほしい。

▼今回のローカル・ルールは「トランプ大統領のみ、地位協定により、OBを適用しない」とするという「忖度」に違いない。ラウンド中の粋な会話はこうだ。アベ総理:「このボールに核を埋め込み、北朝鮮に向けて飛ばしまいましょう」。トランプ大統領:「それはいいアイディアだ。北の若大将の家に、ホールインワンしてもらえないか、松山君」。松山選手:「私は飛びすぎて、ロシアに飛んだら困りますから」。加計理事長:「松山君、加計問題にも一発打って、すべてチャラにしてもらえないかな」。・・・ゴルフ場に笑いが響く。

▼次のティーグランドに立った時「オナーは誰か」と聞いたら、キャディーさんが「アメリカン・ファースト」と答えたので、大笑いになった。そのキャディーさんの顔を見たら「みどりのタヌキ」だったりして。

▼保守も革新もごちゃ混ぜになってしまった日本にいて「故郷・ファースト」の自分も、やはり保守系列の人間ではないかと疑っている私だ。