還暦を過ぎ職も辞し、社会のしがらみから開放され「学ぶ」とは一体なんだったのかを考える機会が増えてきた。
世の中は、嘘に満ち溢れている。急速に発展した文明社会は、真実をすっかり覆い隠し、心眼を曇らせてしまったのではないだろうか。
「嘘をついてはいけない」これは真理である。しかし、思い返せばたくさんの嘘をついて生きてきた。そうでなければ生き難い世の中だった。
そう納得しながら、自分の嘘を正当化して生きてきた。
最近一つの結論に達した。
「学ぶ」ということは「だまされない」ということではないかと。
そのことに気がついたのは「東日本大震災」からである。
戦後日本の「大嘘」が、はっきり露呈されたからだ。
「安心・安全・クリーンエネルギーの原発」
より快適な生活を夢に見て、甘い言葉と多額の補助金に誘惑され、命を奪われようとしたのだ。いや、今後、たくさんの命が奪われるのかもしれないのだ。
国民は、原子物理学などの難しい学問は、学者に任せておけばいいと思っていたのだ。自ら勉強をしなかったので、すっかりだまされてしまったのである。
原発で使用される「ウランとプルトニウム」。
広島と長崎に落とされた原爆のぐらいの理解しかなかったのである。
大量殺人兵器に変身することすら、忘れてしまっていたのである。ずいぶん過去の出来事であるから。
その大量破壊兵器により、我が国は「戦争放棄」を世界に宣言した。
人類の歴史は戦いの歴史でもある。人類は戦うことにより、国家を維持存続させてきたのである。
だが人類は戦いを好むのだ。「戦争放棄」した後は、世界相手に「経済戦争」に勝ち残ってきたのである。
鳴りこそ潜めているが「憲法第九条」を改正しようとする勢力は、匍匐前進を続けているのだ。
故高木仁三郎さんの本で学んだが、プルトニウムは戦後長い間、暗号名『銅』で呼ばれていた。
軍事転用の危険性を持っていたからだという。

戦後長い間、原発をこの狭い国土に54基も作ってきた。そしていよいよ、ウラン濃縮工場と核燃料再処理工場という、核兵器に直結する施設を持った。
今までの日本ではタブー視されていたが、この頃「核武装発言」をする者が少しではあるが、でてきたのも見逃してはならない。
国際的には、日本は潜在的核武装能力を持った国として、認識されているという。
中部電力浜岡原発停止は、国民の心をとりあえず安心させたが、実は欺いていやしないだろうか。
政府は他の原発の停止はしないと言明し、原子力政策の国策は変えないと主張している。
原発推進派には、憲法改正論者が多くないだろうか。
自国を防衛するためには「憲法第九条」を改正しなければならない。
「九条の改正」は「戦争放棄」を放棄するという意味である。
そして、自衛隊を軍隊にするためには、最強の武器を持たなければならないのだ。
国民自らが学ばなければ、いつまでたっても「だまされる」続けるだろう。
だまされて命を失うのは、いつも私たち国民なのだ。
東日本大震災から学んだものは、原発は大量殺人兵器だということである。
福島県民には申し訳ないが「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ・ハマオカ・トマリ・・・」などと続いてはならないのだ。
私はそう考え、原発には反対する。
世の中は、嘘に満ち溢れている。急速に発展した文明社会は、真実をすっかり覆い隠し、心眼を曇らせてしまったのではないだろうか。
「嘘をついてはいけない」これは真理である。しかし、思い返せばたくさんの嘘をついて生きてきた。そうでなければ生き難い世の中だった。
そう納得しながら、自分の嘘を正当化して生きてきた。
最近一つの結論に達した。
「学ぶ」ということは「だまされない」ということではないかと。
そのことに気がついたのは「東日本大震災」からである。
戦後日本の「大嘘」が、はっきり露呈されたからだ。
「安心・安全・クリーンエネルギーの原発」
より快適な生活を夢に見て、甘い言葉と多額の補助金に誘惑され、命を奪われようとしたのだ。いや、今後、たくさんの命が奪われるのかもしれないのだ。
国民は、原子物理学などの難しい学問は、学者に任せておけばいいと思っていたのだ。自ら勉強をしなかったので、すっかりだまされてしまったのである。
原発で使用される「ウランとプルトニウム」。
広島と長崎に落とされた原爆のぐらいの理解しかなかったのである。
大量殺人兵器に変身することすら、忘れてしまっていたのである。ずいぶん過去の出来事であるから。
その大量破壊兵器により、我が国は「戦争放棄」を世界に宣言した。
人類の歴史は戦いの歴史でもある。人類は戦うことにより、国家を維持存続させてきたのである。
だが人類は戦いを好むのだ。「戦争放棄」した後は、世界相手に「経済戦争」に勝ち残ってきたのである。
鳴りこそ潜めているが「憲法第九条」を改正しようとする勢力は、匍匐前進を続けているのだ。
故高木仁三郎さんの本で学んだが、プルトニウムは戦後長い間、暗号名『銅』で呼ばれていた。
軍事転用の危険性を持っていたからだという。

戦後長い間、原発をこの狭い国土に54基も作ってきた。そしていよいよ、ウラン濃縮工場と核燃料再処理工場という、核兵器に直結する施設を持った。
今までの日本ではタブー視されていたが、この頃「核武装発言」をする者が少しではあるが、でてきたのも見逃してはならない。
国際的には、日本は潜在的核武装能力を持った国として、認識されているという。
中部電力浜岡原発停止は、国民の心をとりあえず安心させたが、実は欺いていやしないだろうか。
政府は他の原発の停止はしないと言明し、原子力政策の国策は変えないと主張している。
原発推進派には、憲法改正論者が多くないだろうか。
自国を防衛するためには「憲法第九条」を改正しなければならない。
「九条の改正」は「戦争放棄」を放棄するという意味である。
そして、自衛隊を軍隊にするためには、最強の武器を持たなければならないのだ。
国民自らが学ばなければ、いつまでたっても「だまされる」続けるだろう。
だまされて命を失うのは、いつも私たち国民なのだ。
東日本大震災から学んだものは、原発は大量殺人兵器だということである。
福島県民には申し訳ないが「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ・ハマオカ・トマリ・・・」などと続いてはならないのだ。
私はそう考え、原発には反対する。