▼私は戦後まもなく(昭和23年)北海道亀田郡椴法華村(漁村)に生まれた。2004年に函館市と合併し、村民から市民となった。
▼例えにはならないかもしれないが、小学校の卒業式を終え中高を飛び越え、急に大学生になったような、高揚感と共に責任感のようなものを感じた。
▼そこで「市民」とは何かということを自らに問いかけ、函館市町会連合会に所属し、活動に参加することで、市民としての自覚を身に着けようと考えた。
▼函館市は津軽海峡の対岸に位置する、下北半島大間町の建設を始めた大間原発に対し、国と建設会社に建設凍結を求めて提訴した。
▼全国初の国策であるエネルギー政策に対する‟反乱”だ。やはり市民になってよかったと思った瞬間だ。
▼地方自治体は国に対し、対等に物申す存在であるとの認識を新たにした。その第一公判で国は「地方自治体に人格権はないので、提訴の対象にはならない」との拒否反応を見せた。
▼我が国の憲法は「国民主権」だ。地方自治体は国民の集合体だ。それに人格権がないと判断した、裁判所の憲法解釈の在り方に疑問を持った。
▼市長が変わると、原発に対する市民説明会がなくなった。原発問題に対し現市長は消極的な人物に思える。
▼市町会連合会も市側の動きに合わせるとして、原発問題を取り上げない方向にシフトした。町会の基本方針は「安全・安心なまちづくり」だ。
▼現市長の市政方針は、政府に寄り添った政策をしながら、高齢化や人口減に対処すべく、予算獲得にシフトするという『政府従属』政策に感じる。
▼その一つが大型クルーズ船の入港のための港湾整備だ。旧青函連絡船の若松埠頭(函館駅の隣)の整備を始めた。これは前市長からの政策だ。
▼整備が完了し、9万トンクラスのクルーズ船の入港可能と、発表されたという記憶がある。だが入港した最大級が、ダイヤモンド・プリンセス『11万5906トン』だ。
▼市民の目の届かないところで「深堀」していたのだ。ちなみに米空母は「10万トンクラス」なので、観光化という名の軍港化への流れは、おおよそ見当がつく。
▼函館は我が国初の開港都市だ。ペリー提督も入港し、提督の銅像は函館港を見下ろす場所に立っている。それはいつの日か「米艦隊の入港」を待ち望むように私は感じていた。
▼だが函館市議会も函館市民も、その傾向についてはそんなに関心がないようだ。関心がないと言うより、人口減で財政が厳しくなれば、国に頼るしかないという意識が、市民にも醸成されているせいかもしれない。
▼さて今年に入り、国の‟企み”が表面化した。国が防衛力強化で平時から自衛隊や海上保安庁が利用できるよう整備する『特定利用空港・港湾』に、函館空港と函館港が候補に挙がり、間もなく閣議決定されるという。
▼これは函館市ばかりではなく、全国の空港や港湾が対象となる。指定港湾では輸送艦や護衛艦などの大型船が接岸できるように、海底の深掘りや岸壁の強化、防波堤の伸長などを行うというものだ。
▼指定空港では戦闘機や輸送機が使えるような滑走路延長などを実施するという。これからは大ぴらに函館市の軍事化を行うという国の意思表示だ。
▼自衛隊が軍事訓練するとなれば、日米合同訓練は必至だ。近い将来と言うのではない。明日にでも函館空港と港湾で、大規模日米合同訓練が行われる可能性は大だ。
▼合併して知ったが、函館市は1961年に「安全都市宣言」をし、1984年には「核兵器廃絶平和都市宣言」をしている。さすが市民のあるべき姿だとうれしさを覚えた。
▼だが「集団的自衛権行使容認」の国の方針に対し、2015年の函館市議会は、行使容認を議決した。それには市民として驚いた。函館市議会は『戦争できる国』へと舵を切ったからだ。
▼今回の『特定利用』には、市議会で強烈な反対があったとは聞こえていない。ただ元副市長が庁舎内で、幹部たちに市長のパーティー券を強制販売したということに対し、市長は自分が調べたがそんな事実はなかったので、この件は打ち切りにすると断言した。
▼それに対し異を唱えた議員に、行き過ぎた質問を撤回するよう決議を求めたことで、先日議会が相当混乱し、結果は議員の発言撤回は無効としたようだ。
▼それも大事だが、もっと大事なことがある。函館市が軍港化されれば、敵とみなす国が軍事基地攻撃に出る恐れがある。それに対し国は「敵基地攻撃能力」云々を言い出す始末だ。
▼函館市と青森県には津軽海峡がある。これは大陸からの船舶が太平洋に出るための重要な航路だ。そして重要な軍事地点になる。
▼日本は敗戦を期に、官僚支配が強力化した。函館市も北洋漁業の衰退で、まちづくりを官に依存する体質が出来た。
▼市民が行政や議会に対し、物申すという機会が少ないと感じることが多い。市民の最大組織である市町会連合会も『政治的なことは問題にしない』と明言する。
▼「市民が政治に関心のない」いや「関心を持たせない」まちは、民主主義国家には程遠いといわなければならない。
▼函館市には『市民自治基本条例』が制定され、そこにはまちづくりは『市民が主役』と謳われている。
▼戦前の町会は、国家総動員法の中で、末端の戦争協力組織として位置づけられたため、戦後はGHQにより廃止された。
▼しかし戦後の復興には市民の代表機関である町会の存在は欠かせなかった。自主的に町会は整備されたが、それをまちづくりに利用したのが行政機関だ。
▼戦後の国土復興には、町会を行政の「下請け機関」として確立が欠かせなかった。今でも市の幹部に中には『町会は行政の言うことを聞いていればいい』と発言する人物もいる。
▼「市民」とは何か。その自治体の行政運営に興味を持ち、積極的にまちづくりに関わる人を「市民」と言うのではないか。
▼そして地方が市民権を行使し、独自のまちづくりを国に支援してもらう。これこそが地方創生の基本的な考えではないか。
▼【函館を軍港化を許してはならない』。これが恒久平和を希求する函館市民の、市民たる覚悟ではないか。
▼地元新聞も市民の平和への発揚を、リードする紙面を期待したい。それがメディアの、戦後80年の最大の使命に思うが。