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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

喜んでいいのか新幹線

2012年06月30日 11時39分04秒 | えいこう語る
昨日の北海道新聞夕刊一面トップは「道新幹線札幌延伸・認可」である。
同時に北陸は「金沢ー敦賀」九州は「諫早ー長崎」間が、認可された。
「原発再稼動」「消費増税」「新幹線延伸」、政府の矢継ぎ早の攻勢は、まるで政権交代などなかったかのように、自由すぎる民主党を露骨に押し出してきた。
日本的政治は、自由民主党の手法が基本なのだということを、今回の一連の政治劇で、改めて確認ができたようだ。
札幌への開通は24年後というが、政界や財界関係者の手放しでの喜びはなんだかうそ臭い感じがする。
喜んでいる人たちの多くや私なども、たぶん札幌行きではなく、浄土駅までの新幹線に乗車の予定だからだ。
新幹線を通すため、在来線はほとんどがJRから分離になり、過疎化に拍車が掛かる。自治体に鉄道を維持する余裕などないからである。
でも、お金がなくなったら「消費税を上げればいい」。それがこれからの政府の定番政策になるだろう。
欧米から比べればまだまだ率が低い。「欧米並み」それが目標だ。財務官僚だって、初の消費税が導入された時「消費税は麻薬だ」と発言しているからだ。
国民は政府に麻薬漬けにされるに違いない。
※きっと世界でただ一つの、マリリンの一輪挿し。


日本政府の強行策に乗じたのが、沖縄へのオスプレイ配備だ。国民の支持を得ない政府には「お願い」ではなく「通告」でいいだろうとの、米国のでかい態度だ。
こんなデタラメな日本の政治に、拍車をかけているのは「AKB48」の「総選挙ゴッコ」ではないだろうか。
新鮮味がなくなると「総選挙」で、リーダーをチェンジし盛り上げる。
飛びぬけたスターはいない、普通の女の子がトップにのし上がるのだ。まるで今の政治と同じではないか。
恋愛をしてはいけないという規則を破った女の子を、九州に左遷した。
簡単に大臣の首をすげかえるのも、似たような手法ではないだろうか。
今日のブログは「喜んでいいのか新幹線」というテーマだったが、大幅に脱線してしまった。
新幹線は高速だけに事故が心配だというが、開通以来車両自体の不備での人身事故はないという。
でも我が国には「想定外」という、誰もが知ってる言葉がある。
今回の3路線の認可の裏には、それぞれの地域の原発の再稼動が、認可の条件などということはないだろうか。
そうであれば「関心せん新幹線」ということになる。
最後にダジャレで閉めたが、なんだかまともには考えられない、敵なのか見方なのか、良いのか悪いのかさっぱり分らない、なんだか視界不良の社会になってきたような感じがしてならない。
でも、こんな時代が一番危険な状態なのかもしれない


津波予測図

2012年06月29日 11時30分11秒 | えいこう語る
東日本大震災を受けて見直しが始まった、北海道太平洋岸の津波浸水予想図が発表され、国内最大級の「34,6m」の大津波の数字に、ため息が漏れている。
地震の震源は、太平洋プレートがオホーツクプレートを圧迫し,一気に跳ね上がるというものだ。
そのため海岸線が平坦な釧路・根室地方に、巨大な津波が襲うということである。我が村の周辺も10メートルの津波の来襲が予想されている。
村人には「津波の来ない地域だ」という、安堵感がある。50年ほど前のチリ地震津波や、昨年の東日本津波の時も、波は極端に引くが押し寄せる波がほとんどないからだ。
しかし今回の国内最大級という波の高さは、東日本を思い起せば実感が強烈に沸いてきたに違いない。
私の町会にも自主防災組織がある。本部長は会長の私だが、危機感が足りないので、組織は名のみで活動は年1回の村が行う、避難訓練への参加だけである。
※これは以前舟着場だが、今使われていない。早く閉じてしまわなければ、こんなところから津波が進入してくる。


今年の町会連合会の研修は、函館海洋気象台を視察し、そこで我が村の津波高さが10メートルの予想ラインを示され、全滅に近いことを実感してきた。
今までの防災訓練は、役所の計画の中で行ったが、計画立案にも声を出していかなければならないと自覚する。
それに町会倉庫には、防災機材が配備されているが、使用訓練などしたことがない。今朝の新聞をみて、これではだめだと感じた町会長は、私だけではないはずだ。
町会の研修会も、飲み食いだけで遊んでいるのではないかとの声も聞こえるが、研修の成果も発揮しなければと思う。
先日行われた村民運動会、連合町会長の私は、副大会長である。
村の教育委員が準備主体となっているが、今年は防災を意識させる競技を加えてほしいとの私の要望を、聞き入れてくれた。
役所は普段は「市民の自主的な行動を期待しています」などというが、実際には自分たちの手のひらの中で動かしたいのが本音である。
私は自分がわがままな性格なので、人の計画にはまるのは苦手のタイプだ。
防災訓練は相当地味だが、少し派手目の方が楽しい。
防災訓練に派手さは必要ないとの固定観念があるが、しぶしぶ参加するよりは、何かにぎやかな方がいいに決まっている。
「楽しい防災訓練」
そんなことも真剣に考えなければならない、北海道大津波予想図である。


脱原発は可能か

2012年06月28日 11時38分31秒 | えいこう語る
「税と社会保障の一体改革」
繰り返し聞かされると、なぜか社会保障の確保のために、増税やむなしというような響きがしてくる。そこに「不退転の決意」などと並べられると、なんだかそれでいいような気がしてくる。
国民に「政権交代」をアピールし、新しい国家づくりに希望を抱かせた民主党が、真っ二つに割れてしまった。
首相派は敵とみなした自民党や公明党と、手を組み法案を可決した。
だますのは自民党の専売特許だと思っていたが、今や民主党がその座を確保したようだ。
政治家にとって、国民はだまされやすい存在のようだ。
選挙の時は、嘘をつけばつくほど、票が入るからだ。


昨日電力会社が一斉に、株主総会を開いた。
会社側は原発の再稼動に向け、意欲を示す。
政府も電力会社も、国民など時間が経てば物忘れのひどい「ボケ国民」と思っているようだ。
函館市の工藤市長は昨年の就任後から、大間原発建設凍結を華々しく宣言し、国や大間町に出向き活発に活動している。
函館市長が動けば対岸の大間原発の建設は無理だ、と市民は安心しきっていやしないだろうか。
実際市民に尋ねると「大間はできっこないだろう」という声が返ってくる。
ところが、大間原発を建設する電源開発は、株主総会で建設続行を発表をした。
「電気がなければ経済は成り立たなく、ギリシャのようになる。安心で安全な原発を目指そう」という、キャンペーンが、横行しそうな雰囲気である。
「脱原発は不退転の決意だ」
政府や電力会社に、そう言い返す国民でいたいものである。
「脱原発と、政治家の一体改革」
今度の選挙は、そんなスローガンで望みたい。


受け継ごう先人の勇気と郷土愛

2012年06月27日 12時49分34秒 | えいこう語る
このタイトルは、以前村のある大会で、私が作ったテーマだ。
昨日、村の中学校で「ふるさと学習」の、講師を務めた。
函館から太平洋沿いに連なる、旧戸井町・恵山町・椴法華村の歴史を調べ、そこから見えてくる、先人たちのまちづくりを通し“ふるさと”て、いったいなんだろうという根本的な問いかけを試みたのだ。


自分の村の村史の中に書いていないことが、他の町史に記載してあり、思わぬ発見をしたり、今まで不思議に思っていたことの謎が解けたというのもあった。
「ふるさと学習」は、後輩たちに伝えることができるという楽しさもあるが、私にとっては自らも学ぶというチャンスを与えてくれたことに、感謝もするうれしい時間でもある。
今回は新聞社の取材もあったが、新聞記事はいいことしか書かないので、心配はない。
新たな発見は、戸井町に人間国宝の方がいたということである。
大正2年生まれの「芳賀国賀」さんは、日本刀の鍛造で人間国宝になっていた。
国宝といえば、隣の南茅部町の「中空土偶」だけだと思っていたら、身近にすごい人がいるというのは、驚きである。
作品は地元の神社に収めてあるというので、そのうちに拝見する機会もあるだろう。
もし、芳賀さんの作品展示館が戸井町にあったら、訪れる人もおおいに違いない。
恵山町の三好又エ門さんは、なんと高田屋嘉兵衛の支配人だったという。
淡路屋という屋号も、嘉兵衛の故郷からとったものだ。
また、榎本武揚もこの地を訪れている。
ここの町史を編纂した、元校長先生のK氏を訪ねたことがある。
函館市に市町村合併する直前の時であったが、先生の言葉が今でも耳から離れない。
「この町の歴史はすばらしい。歴史に学べば合併など簡単に考えなくてもいい。あまりにも先人たちの業績をおろそかにしている」。
私の授業は、そのあたりを強調できただろうか、相当不安だ。
私の村の中学校の校長先生は、4月に就任した椴法華初の女性の校長先生だ。
「次のふるさと学習は、校長先生と私で“ふるさとを語る”という、トークショー形式にしましょうか」と提案すると「それはいいですね」と即答があった。
女性の校長先生は、なかなかキャパの広い方とお見受けした。


ふるさと学習

2012年06月26日 06時12分25秒 | えいこう語る
私の出身校椴法華中学校に「ふるさと学習」という課外授業があり、年2回私が担当させていただいている。
今日がその日だが、テーマは「“ふるさと”って、いったい何だろう」という、そのものずばりに切り込もうと思っている。
今年の中学生の総人数が36名だという。私の同級生は120名もいた。
私は昭和39年の卒業生だから、今日は48年後に教壇に立っているという名誉を与えられる。校長先生より先輩である。
昨日も今日も、朝4時に起き勉強した。こんなに勉強させてもらう後輩たちに、感謝しなければならないと思っている。
今年は「広域的視点から、自分のふるさと考える」ということで、下海岸3町村と呼ばれた、旧戸井町・恵山町・椴法華村の分厚い史書を前に、先人たちがどのような「ふるさとづくり」をしてきたかに挑戦する。
※右の小島は、戸井町のムイの島。ここを堺に、西はアワビ、東はムイ(オオバンヒザラガイ)が生息する。ムイの島伝説の現場だ。


今、急に思いついたのだが「東京にはふるさとがない」と、智恵子さんは言ったが、今首相官邸前には4万もの人たちが集まり「脱原発」の行動を起こしている。
東京には地方から大勢の人が集まっている。
みんなが「ふるさと」を守ろうとしているということを、後輩たちにぜひ伝えたいと思う。
ふるさとの山に向ひていうことなし
ふるさとの山はありがたきかな        啄木