函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

秘密保護法と核廃棄物

2013年11月30日 12時24分57秒 | えいこう語る
ぼよよ~んとした、時々すっとぼけた目を泳がし答弁する、特定秘密保護法案担当相の森雅子大臣。
特定秘密の内容などよく理解していないままでも、法案は衆議院を通過した。数の論理が先攻するから、むしろ男性の大臣より女性のほうが適役なのかもしれない。
こんなことを言えば女性軽視ととられかねないが、田中直樹元防衛大臣の事を思い出したからだ。
彼は審議途中答弁に窮し、息苦しくなって無断で議場を抜け出しコーヒーを飲んでいたからだ。その後、野党にいじめにいじめられ、大臣の席を失った。
森大臣は女性だから、子供もいる少子化担当大臣でもあったから、いじめられなかったのだ。いじめに値しない人物だったとも言える。
しかし、裏を返せばアベ総理は、最も重要な法案を可決させるため、女性の大臣を起用したのではないかと、邪推してしまう。
その邪推を裏付けるかのように、首相補佐官に経産省の山田真貴子さんを起用した。軟弱野党への更なる懐柔策“アベのミックス”戦略の一環かと疑ってしまう。
そこで、森大臣下で成立する秘密保護法案が、私の周辺では何が起きそうかと考えてみた。
※我が椴法華不沈空母の、鴎飛行隊だ。


突然「処分所もないのに原発を進めるのは無責任だ」と叫ぶ、純ちゃんの声が聞こえてきた。
純ちゃん、先日フィンランドの核廃棄物地下埋設施設「オンカロ」を見学してきた。地下400メートルもの場所に、10万年も貯蔵するという施設だ。
直観力の優れた純ちゃん「これだ」と,閃いた。
早速記者会見で「脱原発」の狼煙を上げた。それに多くの国民が拍手を送る。
最終処分場は、果たしてどこか・・・???。
「北海道幌延町」だ!幌延の核廃棄物地下埋設研究所だ。
地域振興のためと地元が色気を出したので、多額の金をばら撒いてきたのだ。
国民の税金をつかったならば、費用対効果を国民に報告しなければならない。
人口が少ない広大な離島。かつては沖縄と北海道を、低開発地域から救うため開発局を置いた経緯がある。
いよいよ、実行の時が来たのだ。
国民や幌延町民に内緒で、あくまで研究施設として、そこに核廃棄物を埋めてしまおう。それが国民のためであり、何より自民党のためでもあるのだ。
「特定秘密保護法案の第一号は{ホロノベ}だ」と、純ちゃんがアベちゃんに囁いた。・・・夢は最高潮に達したところで、加齢のため尿意を催し覚醒してしまうのだ。
フィンランドの「オンカロ」は「隠す場所」という意味だ。
「ホロノベ」とは、アイヌ語で「秘密の場所」とでも言うのだろうか?
枕元にある「科学の原理と人間の原理」という、故高木仁三郎氏の本を開いてみる。
「原子力というのは、核の安定を崩すことによってエネルギーを取り出す技術だ。核の安定を崩さない限り原子力は成り立たない。私はここに一切の原子力の問題があると思う。だから人間の生きる原理とは相容れない」。とあった。


天下りについて考える

2013年11月29日 13時06分57秒 | えいこう語る
役人が退職後に民間企業に就職するのを、天下りという。
天から下ると言うのは、神が降りてくるので受けるところは、ありがたく扱えという意味なのだろう。実に不遜な考え方だ。
国民の血税で暮らさせていただいているという、謙虚さが無い。
謙虚さがないのは、自らが天で,国民は下々(しもじも)という思い上がりがあるからだ。
その下々も、長い間「お役人様許してくだせえ」という意識が強かったからだ。
その意識が強固になったのは、明治以降の戦争によってだ。
国家のためには、下々は命をも提供させられたのだ。
その上下関係を、再び復活させようとするのがアベ政権だ。
※山も白クマのように白くなった。


特定秘密保護法案が衆議院で強行採決され、参議院で討論されている。この法案の自民党の最高責任者は、我が北海道選出の町村信孝だ。
「反対派が審議に応じないのなら、我々でどんどん成立させていこう」と、なんとも下々蔑視の発言をしている。あの手の人間は、もっとも女性に好かれないタイプだ。単に私が思うだけなのだが。
ここまでくれば、野党など屁でもないし、国民など無視していいと与党が考えているのは、想像に難くない。
この上から目線が、天下りを生む根源なのだ。
民間企業などさじ加減で息の根を止められることができる。それを痛いほど自覚している民間企業は、天下りを受け入れ存命をはかるのだ。逆に民間が利用していると思っている人もいるが、企業にとって天下りなど迷惑で、摘発のリスクを負ってまでも受け入れたいとは、思ってもいないはずだ。
さて私が所属している或る組織、永年、天下りの指定席があった。
それをばっさり切って、民間採用にした。
役所との交渉事も多い組織で、天下りによる事務処理方程式で機能してきた。
その方程式を会得していない人物では、事務処理がスムーズにいかない。当然、元の天下り体制がいいのでは思う。
だが、それは、JRの線路のように脱線はしないが、組織の新たな発展には程遠くなる。
先日、S町の議会議長と話す機会があった。
彼は20数年議員を勤めているが、役所上がりの首長は、失敗も無いかわり進歩もないと話していた。
永年役所の方程式の中での思考が、そのまま踏襲されるからだという。役所用語で「抜本的な改革」というけど、掛け声だけで中身が伴わないのが現状だ。
事務経験堪能な天下りで、組織の安定を図るのがいいという御仁もいるが、それは自分のポジションの安泰を願ってのことだ。
組織にしがみつきたいという、精神の老化現象だ。
民間への天下りの経験者から聞いたことがあるが、役人の民間企業への天下りは良くないと話していた。
なぜなら、役所思考は民間では通用しないと理解したからだと話していた。このような真摯な反省が、残りの人生をより成熟させたものにするのかもしれない。
国民の考えが弱体化し、役人の決定が世の中を席捲してくると、戦争が近づくといったのは、二コロ・マキアヴェッリだっただろうか?


「おもてなし」と「おもいやり」

2013年11月28日 11時25分55秒 | えいこう語る
オリンピック招致の時、滝川クリステルが「おもてなし」と色っぽくささやき、IOC委員の心を奪ったのは記憶に新しい。
ところが、アベちゃんは「福島原発事故の汚染水が、コントロールされている」と嘘をついた。
「おもて無し」だから「裏だけ」で、アベちゃんの発言は嘘ではないかと、揶揄されもした。
さて、そのアベちゃん、今まで政治の裏方に、ひっそりしていた「戦争をする国」への準備案件を、次々成立させてきた。
修正案などと、屁のツッパリにもならぬ小手先の抵抗を示す野党も、すでに法案への賛意を見せ、大政翼賛会の様相を呈してきた。
「表の無い国」裏社会は、悪がはびこる。だから秘密保護法案を可決し、自分たちの権益を守る。
賛成多数の強行採決。挙手する姿は「ハイル!アベ」と、聞こえてきた。
※特定秘密保護法案には、我が霊峰恵山も、頭から湯気を上げ怒っている。


この頃「おもてなし」より「おもいやり」の世の中が、より健全なのではないかと思うことがある。
太郎ちゃんが、天皇陛下に手紙を渡した。いわゆる「直訴」というものだ。
右翼系の議員やそれに近い人は、戦前の「不敬罪」に当たるという見解を示す。
リベラル派側からも、それに同調する意見が出ているようだ。
東大の姜尚中教授もその一人だ。私は正確な論客人だと、好感を持っていた。
「太郎ちゃんは、ひと言で言えば、トンチンカンです」と。
ジャーナリストの大谷昭宏は「太郎ちゃんの行動は,天皇への無礼と同時に、国民に対しての裏切りでもあります」だと。
新右翼、元一水会代表鈴木邦夫を私が知ったのは、随分前の朝生テレビだ。
「天皇制を批判する者がいても、それはかまわない」と言っていた。懐の広い右翼もいるものだと思っていた。
その発言だ。「太郎ちゃんについて、不敬だとか議員を辞めろなどと報じている週刊誌は、皇后や雅子妃に対しバッシング報道している。どっちが不敬ですか」と。
さらに「主権回復の日、式典に無理やり天皇陛下に出席してもらい、突然“天皇陛下万歳”と叫ぶほうが失礼です。不敬です」と話し、太郎ちゃんに対し、おもいやりの精神を遺憾なく発揮している。
さて、リベラルが右翼に、右翼がリベラルに、この逆転現象をどう解釈するからだ。
思想にも境目がなくなってきたのだ。
難しいことは解らないが、純ちゃんを例に考えてみた。
原発推進派の元総理純ちゃん、突然「脱原発」の広告塔になった。これは国民に対する、おもいやりの精神だ。
しかし、原発再稼動派の自民党、これはお金を武器にしたおもてなし派だ。
だが、自民党には将来の総理と期待される、息子進次郎がいる。
この純ちゃんの言動が、おもいやり派とおもてなし派の緩衝材となり、本質を見る目を曖昧にさせる。これが一番危険なのだ。
「限りなく曖昧な日本」。
この世情に乗じて、アベちゃんの「行け行けどんどん作戦」が、成功するのではないかと考える。
その成功を支えているのは、何と言っても、アベちゃんへの国民の高い支持率だ。
「おもてなし」も「おもいやり」もない国、こんなことを考えると、今夜も悪夢にうなされそうな気がする。

積極的平和主義

2013年11月27日 13時02分10秒 | えいこう語る
この世の地獄の戦争が終わった直後の、昭和22年5月2日「戦争をしない国」を世界に宣言した、日本国憲法が施行された。
にもかかわらず、昨日、戦前の「治安維持法」と指摘される「特定秘密保護法案」が衆議院で強行採決された。
また地獄への道を歩み始めると、世界に宣言したようなものだ。
これなら、以前我が国から侵略された国は、一斉に防御行動をとるはずだ。
我が国の憲法、中学生程度の国語の理解力があれば、十分理解できるはずだ。しかし、我が国の首相とその閣僚は、そうではないらしい。
政治家の国語力が低下した国は、もはや国家とは呼べない。
それなのに「国家が国民の安全を保障する」なんていわれたって、
まともな国民なら、信用などしない。
※最近は海に潜ってしまいたい、ブルーな毎日だ。


それじゃだめだと、アベ総理「積極的平和主義」なる言葉を打ち出した。
この言葉を正確に解釈するなら「消極的平和主義」または「積極的軍国主義」だ。
考えることと行動することが一致しないことを、世間では「ちぐはぐ」という。
「アベちぐはぐ内閣」いや「アベコベ内閣」ではないか。
アベちゃんは、オポチュニストだ。つまり、日和見主義者なのだ。
心理学的?には、その場しのぎの嘘をつく習性がある。
私の田舎では「日暮れ嘘」という。朝についた嘘が、日暮れにはばれるという程度のものだ。
フロイト流に解釈すると?間違いに間違いを重ねるうちに、仕舞いにはその間違いが正しいのではないかと、国民を錯覚させる「幻の術」をどこかで会得してきたようだ。
突然現れたのは、黒装束に黒頭巾に身を固め、言論の自由を主張する者に、次々手裏剣を投げて走り去る「忍者、ハッタリ君」だ。
思わず“曲者”と声をかける。
振り向いたら「忍者・シンゾー君」だった。
“曲者”と叫んだ自分の声で、私は夢から覚めた。隣に寝ていた妻も、自分のことを呼ばれたと思い、がばっと、飛び上がった。
忍者ハッタリ・シンゾー君。
シンゾースマイルをふりまき、積極的平和主義者と称しているが、実はなかなかの「曲者」のようだ。
その内“夢”にも秘密保護法案を適用してくるかもしれない。


時代小説「大江戸の知事たち」

2013年11月26日 12時03分18秒 | えいこう語る
石原知事と猪瀬副知事、このコンビになった時「大男総身に知恵はまわりかね、小男の身にまわる知恵は知れたもの」と、評したことがある。
大言壮語の大親分石原は、ドンキホーテー並みの手腕を発揮し、誰が何を言おうと突っ走った。その人柄と滑稽さに拍手を送るフアンも多かった。
本業が作家だから、筋書きは面白く、ジョークの効いたなんとも憎めぬキャラクターを持った、顔の利いた大親分だった。
その跡目相続したのが、大政ならぬ小政の猪瀬親分だ。だが、役としては森の石松程度が、次郎長の席に座ったということだろう。
天下分け目の戦い、次郎長の口利きで、助っ人に徳田の大親分を紹介されたのが、うっかり者石松の最期だった。
戦は圧勝し、石松は次郎長親分と肩を並べたと錯覚する。
次郎長がなしえなかった、オリンピックまで手に入れ、まるで世界を縄張りにしたような勢いだった。
ところが猪瀬親分、徳田大親分に十分な“お・も・て・な・し”を受けていたのだ。“栗捨てる”という絶世の深川美人芸者がそばにいたのも、石松、有頂天になったのは無理もない。
※海岸を散歩していて、ふと思い出す。「私は貝になりたい」という映画を。


記者会見も、しどろもどろだ。本業作家もしばらく本を書いていなかったのか、まるで筋書きがでたらめだ。
同じでたらめでも、次郎長親分の比ではない。
外人のような大きな記者団に囲まれ、目が泳いでいる。泳ぐのは目ではなく、今の荒波を泳ぎきらねばならぬのだ。
いっそのこと、背丈の貧乏さを武器に、記者団の股をくぐり抜け、逃走でもしたらうけるのにと、思ったりもする。
酒と旅と釣りを愛した、小説家の故開高健は「小さな説しか思い浮かばないから小説家という」と、謙虚さを見せた。
次期「大江戸の知事」に期待したいのは、その謙虚さだ。
というところで,小さな説ばかり述べる時代小説家になった私は、夢から覚醒したのだった。
今日は、隣の老夫婦のご主人の納骨の日だ。
昨夜から降り続いた氷雨も、上がった。
生前予約されていた葬儀委員長は、札幌行きのため、やむなく葬儀屋の社長に代役をお願いし、挨拶の文面も渡しておいた。
今後は、一人残されたおっかさんの見回りの回数も多くなる、小江戸町まわり役の私だ。