函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

心の時代

2014年10月29日 10時50分04秒 | えいこう語る

▼日曜早朝のNHK教育テレビに「心の時代」という番組がある。昆布漁の時期は、気分が落ち着かず見ていないが、漁が終了すれば、その番組と、続く俳句と短歌の番組は心待ちにしている。前回の日曜は「東洋思想の根底にあるもの」というテーマで思想家の境野勝悟氏が語った。

▼ 「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」道元和禅師の歌を解説している。東洋の思想は滅ということだという。滅とは退くという意味だ。雑念を捨て、忘れればいいだけともいう。自分というものを主張せず、退くことにより、何か大切なものが見えてくるということなのだろう。そこを楽しむのが東洋の思想だというのだろうか。

▼「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。ご存知日本国憲法第九条だ。

▼ 武力による行使を一切滅して、退くことにより恒久平和を希求したのだ。米国に押し付けられた憲法だという改憲論者の主張があるが、むしろ東洋的思想の流れを汲む考えではないだろうか。

▼ 自衛隊を国防軍にし、積極的平和主義とは、欧米列強の植民地主義に酷似し、退くというよりは前進する中で、大切なものを見失ってしまうということだ。アベ総理は、戦後民主主義が日本の道徳を腐敗させたと考えているようだが、自身が、戦後民主主義の根底にある意義を理解していないのではないか。

▼ 韓国の客船の沈没事故で、乗客を救助せず自分の身分を偽ってまでも脱出した船長に、死刑が求刑された。経済優先の韓国社会にあり、道徳の興廃極まれりという感じだ。

▼ 戦中と戦後の高度経済成長社会は、退くことは非国民とする傾向があった。戦争を続けることと経済の限りなき欲望は、倫理観の欠如した共通した姿だ。アベノミクスと積極的平和主義。この二つも、退くことを知らないことでは、東洋的思想の範疇ではないようだ。

▼アベ総理は、道徳教育を教科にしようとするが、進むことのために道徳教育を教科にしてはならない。退くことを知る道徳教育こそが、東洋人の最もすぐれた思想なのではないか。国民より、むしろ韓国の船長と同様な我が国の政治家に、道徳を強化してほしいものだ。

▼ 「冬雪さえて すずしかりけり」。昨日は函館に初雪が降った。東洋思想の根底にあるものを少し考えてみた、すずし過ぎる朝だ。


読書の秋へおすすめの一冊

2014年10月28日 10時52分32秒 | えいこう語る

▼昆布漁が終了したのは10月10日だ。今年は昆布の生育もよかったが、採取場所にも恵まれ大漁気分を何度も味合った。船頭さんの腕にもよるが、何といってもいい場所を見つけることが肝心だ。12月からはウニとナマコ漁が始まるが、それまでは暫時休養だ。

▼ 今年の紅葉は見事だ。今までは海を眺める生活だったが、山を見る生活にシフトした。まるで紅葉美術館に住んでいるような毎日だ。こんな秋はワインを飲みながら読書でもしたいという様な気分にもなる。そんな気分を察したのか、ブログ仲間の広島県のF氏から、その名も「ヒロシマ」という、上梓されたばかりの本が届いた。

▼ 私は広島も長崎も訪れたことがない。でも戦争や天皇制について学ぶと、世界で唯一原爆投下された両県は、それらの本質に迫るには、大きな存在だ。さらに、福島第一原発事故で、広島と長崎は、私たち函館市民にはより身近なものとなってきた。津軽海峡を挟んで対岸に見える下北半島の大間町に、ウラニウムとプルトニウムを燃料とする、世界初の原発が建設中だからだ。

▼ 今、函館市町会連合会では、市民による原発建設凍結の大署名の準備中だ。この本は、被爆地ヒロシマからの、大応援として届けられたと、感謝に耐えない。この本は、読んでいて胸が苦しくなる。原爆投下前から投下後までの、人々の息遣いやうめき声までまで聞こえてくるからだ。

▼ だが終章での文章が心に残る。「米国民にとって皇帝のような存在であったルーズベルト大統領に比べると、子供のころから意気地なしで、大学も出ていない、落ちぶれた小間物商人のような人物と揶揄されたトルーマンは、大統領になってからはまるでその反動でもあるかにように、対外的に強硬な政策をとり続けた。原子爆弾の投下を承認したのも、このようなトルーマンの人格が大きくかかわっていたという人もいる」と書いてあるが、これはあくまでもうがった見方だとも記している。

▼ 我がアベ総理はどうだろうか。当時、東大生の平沢氏(現自民党衆議院議員)を家庭教師に付けたということは、東大をめざしていたに違いない。だが入れなかった。祖父や父の七光りで、思いがけず総理大臣の椅子に座ることができたが、自分の能力では座を維持することができず、病気になり辞任した。だが、世の中の風は再度自分に吹いてきた。第二次アベ内閣はその反動で強硬政策に出た。トルーマン大統領とアベ総理、どこか似通っていないだろうか。これもまた、私のうがった見方だけど。

▼ 東京裁判は戦勝国側の一方的裁判で、原爆投下・東京大空襲・沖縄戦での虐殺はどうなるのかと、問う国民も多い。だが、この本は戦争そのものが全ての元凶だという。さらにヒロシマ・ナガサキで終了したはずが、フクシマで再び放射性物質流出の悲劇が続いた。

▼ 原発の最終目的は、原爆の保持だろう。トルーマンとアベ総理が似ているとすれば、アベ総理の積極的平和主義の最終目的は、核の保有に違いない。これは、うがった見方ではないように思う。

▼まずはこの「ヒロシマ・叔父は15歳だった」」という本をおすすめしたい。出版社は幻冬社ルネッサンス。著者は広島生まれで医師でもある、金山俊則さんだ。アベ総理政権下の秋に、ぜひ読んでほしい一冊だ。


北海道知事選

2014年10月26日 12時12分28秒 | えいこう語る

▼ 富山県出身の高橋はるみ知事が道政を仕切ってから、早12年になる。旧通産省時代に道庁に出向してきた縁で,北海道選出で通産省の先輩でもある、町村信孝衆議院議員に誘われ出馬したと聞いている。対抗する民主党候補を退け、3期目は道内市町村すべてで、圧勝振りを見せた。名横綱を輩出した北海道だが、相撲界と同じく道政界も、横綱を張っていた民主党は、今や幕下に転落したという感じだ。

▼ という、はるみ横綱だが、4期目を目指すというのはいただけない。市町村長や知事は3期が限度だ。なぜ限度かというと、4期やれば体制が固まり、長期になる可能性が大だからだ。そうなれば、組織が壊死しているのさえ実感できなくなり「痴呆爺体=痴呆自治体」状態になるからだ。

▼ 今朝のトップ・ニュースは「知事選出馬、フリーキャスター佐藤のりゆき」だ。元テレビ局の人気アナウンサーだったので知名度は高い。しかし、でっかい北海道の知事としての行政統治能力が心配だ。道庁という組織は、ダムのような堅牢さだ。以前、行政能力もあり、まちづくりの評価も高かったニセコ町長の逢坂さん。知事有力候補とされた時の道庁内部の声は「ニセコの芋」と、見下げていたからだ。

▼ 笑顔の素敵なはるみ知事には、困った問題がある。泊原発の再稼動だ。新幹線の札幌延伸も5年短縮という、政府からのビック・プレゼントもあって、通産省出身ということで、再稼動間違いなしという懸念だ。4期目で最後だとすると、沖縄米軍基地の引き受けや、幌延町の高レベル廃棄物の地下処分場もついでにやっちゃおうという魂胆に違いない。離道する時、はるみ節がうなる。♪さようなら さようなら 好きになった人♪・・・?!。

▼ 今日も長くなりそうなので、結論を急ぐ。衆議員を落選中の逢坂さんを知事候補にし、当選の暁には、副知事に、発想の自由なのりゆきさんだ。逢坂さんは、日本で初の「自治基本条例」を策定し、まちづくりの行政手腕はある。国会も経験しているので、もはや「ニセコの芋」ではない。いまや全国レベルの「北海道米」だ。「富山近辺のこしひかり」をはるかに凌ぐ。

▼ つまり12年前の候補時よりは品質も改良され、はるみちゃんに勝てる候補に成長しているのだ。でも、この勝負を仕掛ける民主党は、さっきも言ったけど、幕下に転落している。しかし、北海道の近未来を考えたら、こんな戦いこそ、道民が望むものではないかと思う。

▼どうやら来年の北海道知事選選「原発・新幹線・安保」が争点になりそうな気がするというのは、田舎のおじさんの・・・田舎的心だ。


新幹線・安保・原発

2014年10月25日 13時59分41秒 | えいこう語る

▼ アベ総理が、積極的平和主義なる“新しい国旗”を作り、世界中にその旗を承認してもらおうと、積極的な外遊を重ねている。しかし、それは国旗の余白に、万民が望む平和主義に積極的を重ねただけの字を書き込んだだけだ。日本は「平和のためにはじっと手をこまねいているだけではなく、戦いも辞さず」という覚悟を世界に知らしむるためだ。何を隠そう、国連の常任理事国入りを支持してもらおうとの魂胆だ。

▼ アベ総理をプロ野球の投手と例えれば、連日連投絶好調で、現在のところは負けなしといった状態だ。しかし、マー君のように肩を壊し、戦線離脱がやってくるのではというのが大方の予想だ。それに加え、チームの、主力選手の故障が目立ってきた。小渕・松島の両選手に加え、さらに数人が故障予備軍に登録されている。

▼ アベ党手に対抗するチームが望まれるが、それぞれプロのプライドばかりが先に立ち、一丸となる対抗チームはできそうもない。観戦のしがいもないというのが、観客の本音だ。

▼ 我が国の話はこのくらいにし、北海道の見逃すことのできない新聞記事にもどる。まずは北海道新幹線。先日函館に陸揚げされたが、マスコミの過熱振りは(ハンパない)と、若者言葉で表現した方がいいといったはしゃぎぶりだ。両親にお願いしていたクリスマスプレゼントが、一足先に届いたという、そんな感じだ。

▼ 冷静に考えれば、家計が苦しいのに北海道も無理をしているなという思いをしている道民も、少なくないに違いない。そんな辛気臭い考えを払拭するように、函館市も新幹線開業に向け、アベ総理にも劣らぬ積極的なキャンペーンを首都圏で展開している。

▼ 宇都宮市議会議長が函館市を訪れ「宇都宮市民は新幹線が開業したら、北海道に行きたいという市民が88%いるので、ぜひ宇都宮に停車してほしい」という要請に来たという。北海道新幹線効果を盛り上げる要請には感じるが、裏を返せば、新幹線の延伸に意外と期待度のさめた道民の意識を、外部から盛り上げるというような感じにも取れる。

▼ 新幹線効果をアピールすることで、何か別な目的を成就させようとする政府が、裏で仕掛けているのではないかとさえ疑いを持ちたくもなる。函館に要請に来るより、国土交通省に行くべき話しではないかと思うからだ。

▼ さらに、札幌までの延伸を5年早くすることで、北海道経済への大きな期待を抱かせているが、開業予定は2035年だ。2040年の函館市の人口予測は、今から10万人減少し17万人だという。意気消沈している市民の心を、新幹線気分だけで盛り上げようとする、必死さが透けて見えているような気がしてならない。

▼ さらに、小樽から札幌までに新幹線路線は、高架道路が予定されているが、建設費がかさむため地下走行も検討というのが、今朝の北海道新聞のトップだ。なんだか北海道がかなり優遇されているようにしか思えない。そこまで邪推することもないのではと思われるので、この辺でストップする。

▼ だが、もっと見逃せない記事は、日米共同北海道軍事訓練だ。白老港にコンテナ船で、分解された米軍ヘリが運ばれてきた。たった1日で港で組み立てられ、演習場に飛び立っていったという。沖縄県に代わる北海道米軍基地への足慣らしか。積極的平和主義は、新幹線と同時に北海道にやってくるのかもしれない。

▼ 先日函館市内で行われた「工藤函館市長と語る会」で、参加者が期待していた大間原発を、市長は一言も語らなかった理由が、前述したこととは無関係ではないように思えてならない。そんなこんなを総合すると「新幹線・安保・原発」は、北海道の未来にとって、凶と出るか吉と出るかの、キーワードになりそうだ。

▼と思うのは、情報も少なく視野の狭い田舎者のおじさんの、ただの妄想かもしれないけど。


道徳について若干考える

2014年10月23日 10時48分54秒 | えいこう語る

道徳とは「人のふみ行うべき道」。教育の中での道徳意識といえば、人間の行為・行動について正邪善悪を知り、また正善を志向し邪悪をしりぞける精神。良心と同じ意味に解されるが、良心は自己の行為や心情に関するものであり、道徳意識は自他を含めた社会全体にも関するので、良心と同じではない。(広辞苑)

▼ 記憶は定かではないが「道徳」という科目が、私たちの小学校時代にあったような気がする。二宮金次郎を教えられたような記憶があるが、♪兄弟なかよく孝行尽くし日本の二宮金次郎♪という歌も覚えているが、まったくその歌の通りだと思っていた。

▼ 私の名前は英孝だ。父が英三なので、まさしく親に孝行せよとの名前だということは自覚していた。両親が亡くなってから考えるに、親孝行などしたことがなかったことに後悔しいている。だから自分の名前に自信がないのだ。高校時代「えいこう」と呼ばれてから、名前の重荷が軽くなったような気がして、その呼び名に親しみを感じてきた。

▼ 道徳について考えようとしたら、私は親がつけた名前に対し、自分の不誠実さを反省してしまった。道徳とは正善を志向し邪悪をしりぞける精神であって、教育現場で、個人の心まで、国家色に染めるものではないと思う。自分の判断で正悪の判断をできる精神を養う、そんな程度のものだと思う。

▼ 1999年「国旗・国歌法」が制定された。政府は押し付けるものではないとしたが、教育現場での押し付けは、教師の自殺までに及んでいる。「国旗・国歌」によるイジメだ。しかし「国旗・国歌」自体はイジメなどしないが、それを利用する国家なる存在が、良心まで規制するから、イジメが生じるのだ。

▼ 道徳を教科にしようという動きが出てきた。「誠実」「正義」などを子供の頃から、叩き込むという目論見らしい。

でもそれを教えようとする国家(文部科学省)に、はたして「誠実や正義」などを正しく教える資格があるだろうか。文科省にしても、原子力政策を推進し、その結果福島第一原発事故を起した科学技術省が、文部省とくっついただけだ。原発政策そのものに「誠実や正義」などという言葉は無縁だからだ。

▼ 道徳教育を考えていて、真っ先に浮かぶのがアベ総理だ。総理でありながら日本国憲法前文すら理解していないのだ。つまり「誠実と正義」という意味も、間違って理解しているように思える言動が多すぎる。

▼ また長くなりそうなので、結論を急ごう。国民に道徳を押し付けるのなら、誠実さも正義感もない、国会議員に道徳教育を強制した方が、少なくとも今より立派な国家になるはずだ。

▼今朝は今年最高の寒さだ。日本という国も、この頃随分“しばれるね”。