goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

真実が見えにくくなった日本

2011年05月29日 15時07分58秒 | えいこう語る
男と女、善と悪、朝と夜、表と裏、戦争と平和など、正反対のものが存在するのが世の中だ。
それが平等であればいいのだが、不均等になっているのも、世の中の世の中たるゆえんでもあろう。
要は折り合いをつけ、バランスを保ちながら暮らしていくのが必要だ。
安全と危険、これはなるべく安全でいることを持続させるのが人間の知恵である。
原発は地球に優しいクリーンエネルギーと、安全性をずいぶんアピールさせられてきた。でもいったん事故があれば原爆に変身し、危険の権化と化し、安全に戻るのは気の遠くなる期間がかかる。
こういう代物は地球上に存在させないほうがいい。
ところが、便利と不便という環境があれば、人間は便利なものに飛びつく。不便が持つ真実など、どこかへ追いやってしまうのだ。
戦後、電気による便利な社会を満喫した。そのため、原発という危険の権化に目をつぶり、安全と信じ込んできたのだ。
日本で最初に原発が始動したのは、1963年の茨城県東海村である。
※函館郊外の菜の花畑。


それが現在、日本には54ヶ所で、原発が生み出した核分裂生成量は、広島原発の120万発分だという。(京大原子炉研究所助教授の小出裕章氏の講演資料)
世界で唯一の被爆国である私たちは、便利さと快適さの中で、なんと馬鹿げたことをしでかしたのだろうか。
昨夜、元共同通信記者で現同志大社会学部教授、浅野健一さんの講演会に出席して来た。
「原発事故と大本営発表」という題だった。
各新聞社も取材に来ていたが「マスゴミ」と呼んでいた。
「原発は絶対安全といっていたが、原発ができる6年前に電力会社の事故の補償額が決まり、その超過分を国が支払うことに決めていたというのは、事故が起きるということを想定していたということだ」と話していた。
真実の反対は虚偽である。
マスコミは真実を多く語るのが使命のはずだが、どうやらそうでないようだ。
生き延びるためには嘘もつくのだ。
東日本大震災は、日本が戦前ばかりか戦後も、いかに虚偽に満ち溢れていたのかを証明してくれたようだ。
教授は言う。原発裁判を起こし、犯罪者をはっきりしようと。
私ももちろん賛成である。
勉強した夜はお酒も美味い。