函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

絶好調シリーズ・妄想劇 『国寂れ地方も侘びし冬の月』

2008年02月29日 17時07分04秒 | えいこう語る
道東のS町の町内会館で、財務省の職員による「財政難と我が国の今後」と題した講演会が開催された。
なぜこんな過疎の町に来たのだろうかと、遊び人のMは不思議に思いながらも暇なので参加した。
参加者はいつもの如く町幹部職員と、町側から頼まれ動員された各種団体の役員20数名の、計50名ほどである。一般参加は遊び人のMだけだった。
財務省のこの講演会は一見難しそうに思うが、パンフレットなども実にわかり易く出来ていて、意外と楽しい。
講演したO職員は、早口だが要領良く話してくれた。
以前このS町で運営していた第三セクターのホテルに妻と宿泊し、とても気に入った。全国各地で講演しても、このホテルの素晴らしさをピーアールしたと持ち上げる。
たぶん今夜はそのホテルに宿泊するのだろう。
講演内容は我が国の財政が、如何に厳しいかを理解させるものだった。
国家財政を家計に例えたら、
1世帯月収=40万円として (平成19年度の財政状況) 
『家計費=33万円・田舎への仕送り(地方交付税)=10万円・ローンの元利払
=15万円』・・・40万円-58万円=マイナス18万円(不足分=借金)
その他にローンの残高が、ななんと!・・4,600万円も残っているという。
世界一の借金国であると弁舌あくまで滑らかである。
2時間に及ぶ熱弁もいよいよ最終章にたどり着く。
「歳出改革を断行しつつも、なお必要とされる社会共通の費用については、制度・執行両面の取組みを通じて、国民全体で広く公平に分かち合う必要がある。
今後、所得・消費・資産等の課税ベースを通じて、どの様な負担を求めることが適当かといった検討も含め、税体系全体の抜本的改革を総合的に討論したい。さらに我が国の消費税率は、主要国の中では最低水準にあります。今後、社会保障制度を初めとする公的サービスを、安定的に支える歳入構造を構築するためには、消費税の役割はますます重要になっています」と、満面笑みで終了した。(会場拍手)。
誰も質問者はいないと見た様だが、聞きたい事がありましたら何でもどうぞと言う。
「財政赤字を解消するためには、何と言っても無駄使いをしないことだ。道路特定財源にしても、国土省の特殊法人が、費用対効果を全く無視し、誰が見ても無駄だと思う税金の使い方をしている。国の台所を預かる財務省は予算執行調査で、使い道の評価や検証をきちんと行っているのか。もう一つ、先の岩国市長選で、庁舎の建設費用を出す出さないで、選挙を戦うなんて、こんな税金の使い方があってはならない。そんな使い方はダメだと、財務省は指導しているのか」と、遊び人のMが質問した。
「1つ目については、予算執行調査の出来るものと出来ないものがある。今国会で道路特定財源を討議しているので、それが決まればそれに則り適正に処理します。
2つ目は、よくその事は承知していませんので、ここで申し上げる事は控えさせていただきたい」・・・完全に官僚答弁に戻っていた。
さて講演も無事終了し、町幹部達が講師お気に入りの地元のホテルへとご招待する。
講師・今日の宿泊費は私共で支払いしますので、お気遣いないように。
町幹部・とんでも御座いません。私共のホテルを全国にピーアールしていただき、さらにこのような辺鄙な所までおいでいただき、貴重なお話を頂戴し恐縮しております。今夜は地元の山と海の幸と温泉で、日頃のお疲れを取っていただければ幸いです。
やがて町幹部は引き上げ、その後講師と付き添いの数人で酒を酌み交す。
講師・昔は接待も派手だったな。今は何処も財政が厳しく今日は上等の方だな。
(町幹部は今では接待費も無く、今日の分は割り勘で自腹を切るのである)
講師の提案で寝る前に露天風呂に入ることになる。
真夜中の露天風呂には誰もいない。夜空には星がきらめき、半欠けの月がとても奇麗だ。
「昔はよかったよな」と講師再びつぶやく。
「真っ裸で入浴だな。これが本当の、ノーパン・ジャブジャブだ」と、子供のように湯に飛び込んだ。                     終わり


政治家の犯罪を国民が判断する機関の設置

2008年02月27日 13時46分53秒 | えいこう語る
我が北海道出身の国会議員鈴木宗男氏が、ワイロ事件で東京地裁の1審判決、懲役2年・追徴金1,000万円の判決を不服とし、東京高裁に控訴していたが、2月26日、高裁は1審判決を支持する判決を出した。
鈴木氏は過去に総理候補とも言われた、故中川一郎氏の秘書から国会議員になった。中川氏は在任中、札幌のホテルで自殺した。その死因をめぐっても、鈴木氏の影がちらついていると、様々な報道がされていた。
しかし小柄ながら鈴木氏は、脱兎の如く道内や国会内を駆け巡り、北海道の予算獲得に奔走した。道庁職員ですら、市町村から上がってくるインフラ整備のためには、鈴木氏のように実際お金を持って来る議員が必要だと話している。
私も鈴木氏の地盤十勝地方で、若者の声を聞いた事があるが、鈴木氏への評価は現実派と理想派ではっきり2分していた。人を威嚇するような大きな声と態度で、お金にまつわる噂は当初から付きまとっていた人物である。
1997年に北海道開発庁長官になった時、私の仲間内では、これは危ないポストについたものだと心配した。羽振りが良く鼻息の荒かった鈴木氏をこのポストに就任させる事で、罠にはめたのではないかとも推測していた。
案の定人の良い鈴木氏は、頼まれて声がけをしてやり、お礼をいただいたとして、起訴された。
議員辞職後も鈴木氏は自らの選挙で43万票をとり再起し、先の参院北海道選挙区では、女性新人候補に62万票も獲得させた。この鈴木氏の影響力を無視できず、かつては鈴木氏を攻撃した民主党さえも、選挙協力を申し入れた。
鈴木氏の人気はいったい何処にあるのだろうか、私は考えてみた。
私は立ち話だが鈴木氏と話した事がある。背が小さいが、鈴木氏から握手を求め、目が笑っている。人なつっこいのである。そして話している間に私が渡した名刺に、私の特徴をすばやく書き込んでいるのである。自分のことを記憶してもらえそうだと思い、相手は好感を持つのである。
最近テレビで、それぞれの分野で活躍する男性のスペシャリストだが、女性言葉を使う人が登場する「おネエMANS」という番組が人気だ。この番組を見ていて気付いたのは、おネエたちは、自分たちが女を演じている事を馬鹿にされても決して怒らず、笑で跳ね飛ばす力を持っている事である。とにかく明るく元気だ。不満だらけの世の中にあって、彼女たち?が元気なので、番組が成り立つのである。
昨夜この番組を見て、鈴木氏を思い出した。
明日は財政再建団体に転落しそうな北海道にあって、どんな悪条件にもめげず、北海道のために働く元気な男は、鈴木氏なのである。道民はその鈴木氏のエネルギーに期待するのである。鈴木氏は原子力発電所の様な人ではないだろうか。
「鈴木氏とかけて 原子力発電所ととく その心は 補助金がもらえて地域も明るくなるが、事故を起しやすい体質である」
政治家の犯罪は様々な人間関係や、既得権、などが絡み複雑で解決が長引く。そのうち何が真実なのか、本人も国民もうやむやになってしまう傾向がある。
そこで政治家の犯罪は、1年以内に決着をつけることにする。
例えば国民から選ばれたれた審議委員100名が、議員の失職か否かの判断をおこなう。過半数が失職と判断すれば、国民の総意だと言うことで、即失職するという制度は如何だろうか。
後の裁判は長引こうが一切かまわない。国会議員は国民の代表である。疑われたら早く身の処し方を決めてやる事が、政治家に緊張感を持たせることだと思う。
財政の厳しい全国各地。鈴木氏のような一生懸命に頑張る政治家が、地元で圧倒的人気を得るわが国の風土というものについて、少し考えてみた次第である。


過疎の村の冬模様

2008年02月26日 13時54分06秒 | えいこう語る
今年に入ってから2月23日までに、村内で10名が亡くなった。
人口約1,300人で、年平均の死亡者は25名前後なので、それから比較すると異常に高い数字である。
今年は寒気が厳しいので、高齢者の体力には負担がかかりすぎているのかもしれない。村で最長寿のおばあちゃんも、2月に106歳で他界した。
平成16年に私の村、椴法華(とどほっけ)は函館市と合併したが、合併前は、村の条例で満100歳を迎えると100万円のお祝い金が出た。そのおばあちゃんが第1号の該当者となった。
他の市町村でも100万円の高額なお祝い金は、なかったと思う。これが村社会の大雑把なところである。その年には2人が該当した。その後財政が厳しくなったといい、あっさりと条例を改正し値下げした。村社会では条例を制定し、改正するのもすばやい。
函館市になった今は、100歳にはお祝い金が10万円と記念品が贈呈される。
函館市は人口が30万人をわずかに割っているが、今年の該当者は43名だという。
話は少しそれたが、村の10人の死亡で、香典代の負担は灯油高よりも厳しいものがある。ほとんどが知り合いなので、お互い様だとはいえ、集中すると家計を圧迫する。これに結婚式の招待が2件ぐらい入ったら、つらいよね、と村の中でのもっぱらの会話である。
昨日も近所の奥さんと話していたら「葬式貧乏」になってしまうという新造語が出て、妙に納得をしてしまった。
急激に進む過疎の高齢化社会に、考えもしなかった、あらたな経済負担が出て来たようである。天国の扉も少し閉めて欲しいものである。
東京で春1番が吹いた日から、こちらも3日間海が荒れ狂った。天気予報では50センチの積雪といっていたが、風が強かったため雪かきは軽く済んで、近所みんなが安堵の顔を見合わせた。
荒れ狂う海を見ると、海岸から10数メートル沖にある消波ブロックに、波が山のように覆い被さっている。北風と波を避けるように20羽程の鴨の群れが、砂浜から2~3メートルのところを、右に左に10メートル位の間を泳いでいた。
鴨の目線で波を上手に避けているのか、身体全体で波の動きを微妙に感じ取っているのかわからないが、この広い海で嵐の中を悠々と泳ぎまわっていた。
最悪な環境でも安全な場所を見つけて、仲間で寄り添って生きてゆく姿を見て、なんだか勇気をもらった様な気がした。
過疎地に住んでいると、自然から学び励まされる事が少なくない。
これからも自然を師とし、友として、会話を楽しんでいきたいものである。


言葉が力を持たない

2008年02月24日 10時32分15秒 | えいこう語る
知人が66歳で亡くなった。
昨年暮れに、医者から手遅れで手術を出来ないと宣言され、帰宅していたが、1月に入院し1ケ月ほどで他界した。
入院してすぐに見舞いに行った。「急に様態が悪くなったので、夜に親戚の人に頼み、車に乗せてもらって病院に来た」という。
私は親戚が来る間、苦しんでいた事を想像し「そんなに具合が悪いのだったら、救急車を利用したほうがよかったのに」と、何気なく言ってしまった。
「救急車を使うと、二度と家には帰れない気がして」と、力なく囁いた。
私は死を待つ人がどんな思いでいるのかを考えず、不用意に発言した事で二の句を失ってしまった。
奥さんと一人息子に、死に行く父がどんな事を話していったのだろうか。充分に自分の思いを伝える事が出来たのだろうか。心の内を言葉で表現出来たのだろうかと、考えてしまう。
以前、癌病棟勤務の看護婦さんから、末期の患者さんとの会話の仕方を聞いた事がある。死を待つ者に対し、元気に笑ってもらおうとのユーモアは、通用しないと言う。
その看護婦さんはサーフィンが好きで、真っ黒に日焼けしていた。患者さんから「あなたスポーツでもやっているの、健康的だね」と尋ねられた時、サーフィンやっているとは言えないと話していた。
青い海で力一杯スポーツをしている人と、余命いくばくもない自分を比較し、力を落としてしまうそうである。
手術をして良くなる患者さんには、冗談を言って笑わせることも、早期の快復につながるが、末期の患者さんとの会話は、とても気を使うものだと話してくれた。
癌で亡くなった文筆業で俳人の江口滋さんは、その著「癌め」で、闘病生活を俳句にしている。
冴返る 「癌です」と医師 こともなげ
百回も 「なぜだ」と自問 春さむし
春めいてゐて どん底の こころかな
妻子帰り 部屋には スイトピーと俺
涅槃西風(にし) 「いい人だった」と いはれても
どんな思いで、死を宣告されてからの3ケ月あまりを過ごしたのか。
私は彼のために、少しの力にもなる言葉も浮かんでこなかった。


軍艦様のお通りだい

2008年02月23日 11時05分58秒 | えいこう語る
私の前浜では、大小のタンカーや、大型フェリーや客船、漁船等が往来している。私も漁船で沖に出た事があるが、大型船が近くを通れば、波が起きて船が揺れる。沖行く船を眺めている時は良いが、実際近くを通ると恐怖を感じる。
軽4輪車で走行していると、大型車が来ると先を譲ってしまう。大型車自体,
軽4輪車を軽視している所がある。実際自分が大型車に乗ると、小さい車を見ると、こっちが優先という気持ちになっている。
今回のイージス艦と漁船の衝突事故も、そんな力関係が作用した事故ではないかと思う。ましてイージス艦は、ハワイ沖でのミサイル追撃訓練で、自艦の性能を遺憾なく発揮し、鼻息荒く、軍艦マーチでも鳴らして、まっしぐらに寄港地目差して帰って来ているのである。
房総沖は船舶の往来の激しい地域である。にもかかわらず、自動操舵のままで走っていたという。危機管理意識が希薄になっている。衝突したって、自分たちより強い船は無いのだという気持ちになっていやしないだろうか。
私は自分が乗船した経験や、日常の車の運転から、推測でものを言っているに過ぎないが、心理的なものは人間そう変わりはない様に思う。
私たちはなるべく物事を善意に解釈する傾向がある。それは甘いということではなく人間本来の特徴である。しかし、自衛隊員は災害の時は、命をかけて救出してくれるが、彼等は自分たちのことは軍人と思ってはいやしないだろうか。
イラク戦争でサマワに派遣された隊長が、もし襲撃を受けたら戦うつもりでいたと話している。
以前自衛隊の戦車部隊にいた私の友人は、一朝有事には躊躇わず戦うと話していた。勿論そのための訓練である。
自衛隊は日本の軍隊であると私は考えている。勿論自衛隊員でもそうであろう。
それでなければあの激しい訓練に、耐えられるものではない。
そうであるから「憲法第九条」の歯止めが必要なのである。
私は人を殺さない。しかし自分が自衛隊員で、もし戦闘状態になったら、私は引き金を引く。
この大きな矛盾を抱えながら、私たちは半世紀も過ごしてきたのである。それの盾になったのは「憲法第九条」である。
イージスの意味は、ゼウスが娘を守るために与えた盾のことだと言う。
地対空ミサイル・パトリオットは愛国者と言う意味だ。
「真のパトリオットとは、憲法第九条をイージスにする事である」
10年程前、津軽海峡を米空母エンタープライズが通過した。本州と北海道の最短距離は約18キロメートルで、下北半島はすぐ近くに見える。その地点で空母の写真を撮った友人は、山のように大きく、凄い早さだったと話していた。
私はその時、下北半島と渡島半島に大きなエンタープライズがぶつかり、半島が欠けやしないかと、飲みながら笑い話にした記憶がある。
津軽海峡も烏賊釣りやマグロ船がたくさん操業している。それに海峡は公海になっていて、世界の船が通過し、軍艦、潜水艦が往来していると言われている。
ハワイ沖や東京湾での潜水艦事故、この度のイージス艦の事故と、大勢の一般市民が犠牲になっている。津軽海峡は、もっとも危険な海域だと思うが、勝浦漁業組合の国への怒りの声明文だけであって、東北や北海道の漁業組合は、よそ事の様に考えてはいないだろうか。
こんな時こそ、日本の漁師が一斉に立ち上がり、操業の安全を訴えなければと、広大な太平洋を目の前にして考えている。
吉清さん親子の、早期の発見をお祈りいたします。