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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館は寂しき街

2011年05月17日 12時47分00秒 | えいこう語る
月曜の午後、用事があり函館山山麓の西部地区方面に出かけた。
歴史的建築物が立ち並び、いつもなら観光客で賑わうこの地区。小雨が降ってはいたが、人通りが極端に少ない。
この地区に住んでいた事のある石川啄木なら「函館は寂しき街」そう歌うに違いないなどと、妙にしんみりしてくる。
先日、アジアの観光関係者を函館に招待し、すばらしい街だとお墨付きが出たのが報道されたばかりである。
「福島原発メルトダウン」の報道がされては、今年は海外からのお客様は、望めないのではないかと思ってしまう。
雨の中,車から降りて濡れないように急いでシャッターを押すが、写真には人影が写らないほど、歩いている人が少ない。
こんなに日本経済を疲弊させても、なお原発を推進する政府の姿は理解できない。もはや民が主人公の党ではない、日本悪魔党に違いない。
※旧丸井デパート。子供の頃、このデパートのレストランへ行く時は、普段着ではない服を着て出かけた。
 私とは10歳ほど年上の従姉が「ミス丸井」だったのが自慢であった。


函館開港からわずか150年。黒船はこの街に希望の扉を開けたが、原発はこの街から希望を奪い取っていくような気がする。
函館市は海に浮かんだ函館山と、陸地の間に砂が集まりできた街である。
そのため「川のない街」だった。
日本初の水道は横浜市の明治20年だ。それに続き明治22年、市民念願の水道が完成する。
水道鉄管の直径は30センチだったという。その材料がイギリスから船で運ばれ、函館港についた時の、市民の驚きようは目に見えるようである。
※当時の排水場が、函館山の下に今でもある。


昭和40年代に東京に出稼ぎに出た私の友人、Hから聞いた話を思い出した。
都内の下水道の工事をしていたが、その巨大な水路に「この街はとてつもない発展をするだろう」と思ったという。
水道の完成式が函館公園で行われ、イギリス商会寄贈の噴水塔から水が噴出した瞬間、つめかけた数万人の市民の歓声は、街中に響き渡ったにちがいない。
祝賀行事は三日間行われ、街中は飾り物や山車で賑わい、花火が打ち上げられ、獅子舞が演じられたという。
そんな歴史を函館の街並みは、一瞬のうちに語ってくれるのである。
57歳の若さで旅立った、Hのことも思い出させてくれた、寂しき函館の街から、なんだか追われるごとく自宅への道を急いだ。
途中、大森浜の啄木公園のそばを通り過ぎる。
新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど    啄木
水道敷設から18年後の明治40年5月、啄木は函館に居を構えるが、市の3分の2を焼失した大火に遭遇し、その年の9月には、函館を去り札幌へと向かう。
追伸
チョッピリ声を荒げた場面。
また張りぼての女神が、景観を台無しにしていた。

なぜか坂本龍馬が、記念館の中にいた。出て来い龍馬!蝦夷共和国建設に立ち上がらなきゃ、いかんぜよ!と叫んできた。