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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

電力会社の株主総会

2011年06月29日 12時09分30秒 | えいこう語る
東日本大震災の原発事故後、初の電力会社の株主総会が行われている。
各総会は株主から脱原発提案もあったが、多くの株主が原発推進に賛成したという。
安定株といわれる電力株、電力エネルギーの需要性は今後ますます期待されるとなれば、株主の期待度は、危険ではあるがより安全な技術開発に、期待度を大きくするのだろう。
総会は世間が注目する。たぶん荒れるに違いない。しかし、多くの株主の胸のうちは、電力は経済の要であり、電力なき世界はあり得ないと考えているに違いない。国と電力会社は運命共同体である、毅然とした態度で総会に臨もうと、東電幹部は考えていたのであろう。
私が東電の総会担当者であれば、未来に向けた原子力エネルギーの更なる必要性と安全性を、映像を使い視覚ばかりではなく株主をマインドコントロールする、企画を立てるであろう。
もちろん総会の始まりは、全員起立し被災者に黙祷(懺悔)するところから始まる。祈る株主の心中は如何に。
地震や津波がなかったら、原発は安全だったのにという、想いが頭を巡ったのではないだろうか。もちろん、冒頭の会長挨拶には、そのような言葉を羅列する。
東電側は社長の斬首を壇上に晒し、とりあえず急場をしのいだようだ。
今総会は、国家と東電と株主は一心同体というのを確認しあった。
福島原発の事故後、建設の中断をしていた青森県大間原発。
大間町も青森県も、工事再開を電力会社に求めた。
命の危険を覚悟しての、まるで覚醒剤中毒患者のように見える。
※やけに涼しい顔をして、銚子ビーチに座っている、赤いベンチ。


今朝の北海道新聞朝刊の一面は、トップ記事が「B型肝炎訴訟和解調印」で、菅首相が患者に深々と頭を下げている姿が掲載されている。国会運営が滞っていることへの謝罪もあるなのだろうか。
東電の総会の記事は左隅にある。
私が報道部長なら、トップ記事に東電の総会を持ってくる。
原爆が落とされ戦争が終った。その66年後、また被曝の恐怖に襲われた我が国。
敵国が落としたのではない、自爆したのだ。
株主の多くが原発推進を選択した。これがたぶん、今の日本人の姿なのだろう。
総会後、東電会長が幹部を集めて乾杯する。
「東電は永久に不滅です!・・・日本国万歳!」
今朝もなんだか、目覚めが悪い。


節電

2011年06月28日 11時09分43秒 | えいこう語る
鹿児島県六月田下地区で、老人たちが知恵を出し、節電を楽しんでいる集落がテレビで紹介されていた。
電気をあまり使わなかった昔の生活を思い出し、涼をとるための工夫をしているようだ。
「節電をするためには、夫婦仲がよくなければならない。喧嘩ばかりしていりゃ、部屋が別々でテレビをつけている」などと余裕を見せながら、当たり前のように節電生活をしているのだ。
※このような集落だと、節電はそう苦にもならない。

最近テレビを観ていると、節電のすすめなるものの報道が多くなってきたようだ。
あれも消しこれも消し、という不便さを強制する生活では、長続きはしないだろう。
無理に節電すると、やはり原子力発電は必要だなどという、リバウンドが意外と早く起きそうな気がする。
風通しのいい日本家屋、家の前には小川が流れ錦鯉などが泳いでいる。町並みには日差しをよける木々が立ち並ぶ。少し暑くなれば、小川の水で打ち水をする。川にはスイカが冷えている。こんな涼しい風景が広がる地域は、過疎の地域なのだろう。
人・人・人の過密都市東京。立ち並ぶビル、節電には限界がある。
節電を強要するとヒステリックになり、異様な事件が発生する感じがしてならない。
東京は不便なものや非効率なものを排除し、便利になりすぎた街である。
もはや不便には戻れなれない、そんな体質の街になってしまったような気がする。
遷都論も時々出るが、出るだけで誰もが真剣に考えないようだ。
この便利さの東京から、日本の再生を語っても拉致があかないだろう。
節電をしなければ原発を廃止できないという。だが、電力ダイエットなど都市型人間には無理であろう。
“脱原発をするためには、東京に原発を建設すべき”である。
都民の猛反対があるだろう。デモやストライキがあり、都市機能は麻痺するだろう。
都会に作れない危険なものを、地方に押し付けてはならないということに気がつけば、すべての地域で原子力に頼るのはよそうということになる。
そんな新治療をしなければ、脱原発国家にはならないと言う映画が「東京原発」である。今、テレビで放映されなければならない映画だと思う。
日本は四季の移ろいが美しい。国土全体が世界遺産になるような国を目指すべきだ。
被災された地域の復興も、誰もが思える美しい日本の町並みにし、日本人らしく生きられる町を再現してほしいものである。
中尊寺の世界遺産登録は、東北から日本再生を考える出発としてほしい。
世界遺産の国日本には、誰が考えたって原発は似合わない。


ここ数日の雑感

2011年06月27日 10時26分13秒 | えいこう語る
私の母校である椴法華中学校、先輩たちからふるさとの歴史を学ぶ「ふるさと学習」というカリキュラムがある。その教壇に私が立つことになり、先日最終打ち合わせに、午前9時頃学校へ出向いた。
「校長は今日会議で留守をしています」と教頭先生が、校長室のドアを開けてくれる。
半世紀前に校長室に呼ばれたら、身体が半分になるくらい緊張したに違いない。
担当の先生は女性で、コーヒーを入れてくれた。
校長室の位置は昔と変わったが、学校全体は同じ場所に建っている。窓から見る風景は、昔とちっとも変わらない。
校長室でモーニングコーを飲むという、信じられぬ時間が半世紀後に実現したのだ。
打ち合わせを終え家に帰り、妻にその感動を伝えた。
今年のテーマは「エネルギーと自分と日本」だ。
薪から原子力に移り変わった中で、戦後の地域が持っていた様々なエネルギーを語り、自分とふるさとの関係、そして東日本大震災後、国家とは何かという問いかけをしたいのだと妻に語った。
「あなたはテンションが上がりすぎる。夢あふれる中学生に対し、過激な発言は控えるように」と、我が家の校長先生より訓示があった。

※朝購入したイカとイワシ。イカ1キロ400円。小ぶりで柔らかく刺身に最高。イワシ1キロ300円。
 イワシは即席のアンチョビにする。今晩は白ワインだ。小雨も降っている。静かで最高の定休日になりそうだ。


遠方より来店される、私と同じくらいの年代のご夫婦が見えた。
話題は今回の大震災のことになった。私は中学校で語る内容を話してみた。お二人も、戦後から今に至るまでの自分たちの生活を思い返し、お互い熱く語りあった。そして国家というものは、国民を守る力がないことと、国民が政治に関心を持ち、新たな国家に作り変えなければならないことを確認しあった。
大人同士は十分内容が伝わったが、中学生はどうかと、新たな不安が浮かぶ。
教師とはなかなか悩む存在であるようだ。これにモンスターペアレンツなどが加わったら、大変だなーと、また妻に注意され修正した話す内容が混乱してきた。

中央防災会議が「千年に一度の大津波」を想定と新聞に出ている。
これによりまた自然破壊を促進するような、巨大な公共事業が日本中で行われるのではないかと心配する。経済の建て直しは公共事業しか手はないのかと思う。戦後の自民党政治に逆戻りではないか。
第一大津波が問題ではない。原発事故で放射能を撒き散らしているのが問題なのだ。
防災会議ならば「これからたびたび起るだろう原発事故、国家をまもるため、すべての原発を中止します」それが正しい発表ではないだろうか。
と考えたところで「マスコミと国家にはだまされるな、などと中学校で発言してはだめです」というに違いない、我が家の校長先生の顔がまた浮かんできた。


金曜と土曜

2011年06月26日 15時03分56秒 | えいこう語る
金曜の夕方、函館の五稜郭地区にある美味しい「とんかつ屋」に出かけた。
食べる前に少し運動してお腹をすかせてからと思い、五稜郭公園内を散歩した。
お堀のハマナス。

正門と藤棚。夕暮れの公園も静かでいい。

蓮が咲いていた。鎌倉鶴岡八幡宮の近くにある美術館の蓮の池には、亀がたくさんいたのを思い出した。

武田さんは今で言えば、東大の学長のようで学問の神様的存在だ。あやかろうと撫でるので、光り輝いている。

開館1年目をむかえようとしている五稜郭奉行所。立て看板は建物の中に入れたほうがいい。周囲の風景をぶち壊しにするような大きさかと思ったら、意外と風景
にマッチしていた。

入館料500円は高い。市民料金で100円だったら、行くたびに入って函館の歴史を学ぶのだが、それは無理な相談というものだろうか。
近年、新築された五稜郭タワー。立派だが、城内から見ると違和感がある。奉行所の女性ガイドに「タワーが松明になっていて、場内を照らすように燃えているといいのにね」というと、「危ないことをおっしゃいますね」と言われた。これじゃ料金100円の件は、まちがってもいえない。場内に貸衣装の写真屋がいたが、周囲の景観とはマッチしない。

カルガモ親子が可愛かった。

土曜はとどほっけ村の全町内会運動会。

朝6時半からテント張り、みんなで共同作業。少人数の吹奏楽演奏。
昭和30年代には4,000人いた人口も、今では1,000人。駐在さんも足が速い。先日この村ではめずらしく泥棒が逮捕された。

86歳も競技に参加した。手伝う役場職員と後ろで応援する職員。

午前中ですべて終了し、その後宴会となり夜の10時まで飲んだ。楽しかった二日間でした。


表現の自由

2011年06月24日 11時38分01秒 | えいこう語る
失礼な言い方だが、どう見ても品のない顔をした、芸術作品とも言えぬ「函館の自由の女神像」が、函館で最も景観のよい西部地区に建ち、問題になっている。
市民からの反対の声が上がり、市の勧告により一時撤去されたが、なぜかまた同じ場所に立ち上がり、自由だと叫んでいるのだ。
女神像は無表情なので、女神を建てたカニ販売店の社長が、叫んでいるようだが。
これに対し市都市景観審議会は、景観と調和しない建造物に罰金を科すことができるよう、議会に提案するという。
私見ではあるが、カニ屋の店舗自体、あの場所にふさわしくない。にもかかわらず、市は景観にマッチしている建物としてとし、200万円の補助を与えている。
罰則規定を設ける前に、都市景観とは何かとの、根本的な問題を問わなければならないのではないだろうか。
もし女神像の場所に、岡本太郎氏の「太陽の塔」が建ったとしたら、私としては、キモイと思う。優れた芸術性が、周囲の景観を押しつぶしてしまうからだ。
※村の中にある、バルビゾン派の絵になりそうな、海辺への道?!


「ふるさと創生資金」で市が建てた、イカのモニュメントははどうだろうか。
工作物自体は芸術性があると思うが、1億数千万円もかかっているのである。
金額が市民感覚とはかけ離れ、観るたびに心が痛んでは、景観にマッチしいてるとは思えない。
等と、様々な意見を市民と交わしあいながら、条例を議会にあげることが必要である。
議会も、罰則規定があれば問題は処理されるという単純な発想では、この街から表現の自由を奪い、魅力ある街にはなっていかないのである。
私も2004年から市町村合併を経て、函館市民の一人となった。
函館は多感な青春時代を過ごし、歴史的文化的街並みの景観から、随分影響を受けている街である。
ここは一つ「函館自由の女神・大自由討論会」の開催を期待したい。
賛成と反対派が交互に意見を述べ合うのである。司会はユーモアのある著名人がいい。議員も行政マンからも反対と賛成派が意見を述べ合えば言い。
つまり住民参加型「朝まで生討論」の街づくりである。
原発問題だって、新幹線による在来線の廃止だって、しかめっ面で討論するのではなく、みんな笑顔で討論に参加できるような、街づくりをして欲しいものである。
今年4月には「函館市自治基本条例」も施行され「住民投票」も規定されたのである。
この件は住民投票にふさわしくないなどと決め付けないで、市民が関心持つ問題については、まめに住民投票を行い、市政にたいする住民参加を促進させるべきである。
様々な問題に市民が感心を持てば、行政も市議会もより活発になり、街はよくなるはずである。
「市民による市民の街づくり」
函館市はそれができる下地が、たくさん先人からいただいている街だと思うからである。
函館市民はこの街の市民であることに、誇りに持っている人が多い。
「函館民主主義」と呼ばれるような、特徴のある街づくりを期待したいものである。