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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

日本語の乱れ

2012年09月20日 15時02分09秒 | インポート
いじめによる自殺事件が起きた時の、教育委員会や学校の対応が変だ。
日本語で話しているつもりだろうが、社会一般の常識の範疇以外の内容に聞こえるので、素直にその真意が伝わってこないのだ。
中学生と先生たちが「いじめ」についての弁論大会を実施したなら、先生たちは絶対優勝できないだろう。
なぜなら、大人は様々な経験から言葉をいたずらに多く用い過ぎ、真実をぼかしてしまうからだ。
※まだあったかい海の色だ。


最近の大人で、言語明瞭意味不明は、なんといっても野田首相がNO1だろう。
2030年には「原発ゼロ宣言」をした翌日、大間原発の建設再開を容認した。原発の稼動期限が40年なのに、大間原発は50年代まで稼動するということになる。
周囲の人にこのことを尋ねたら、足し算と引き算が相当弱い人以外は、この矛盾に気付くだろう。
しかし、我が日本の首相は、顔色一つ変えずその正当性を無理やり主張する。
言い換えれば『憲法9条は守るけど、運用では戦争もありうる』という、そんな考えではないだろうか。
民主党党首選では、この野田首相が圧倒的に優勢だという。
民主党議員の多くが、この日本語の曖昧な首相でいいのだという考えらしい。
日本語の乱れは言葉を多く使いすぎ、意味が曖昧になるということである。
文章だって同じだ。添削が少ないよう簡明でなければならないので、今日はこのぐらいにしたい。


太陽がいっぱい

2012年08月22日 12時59分35秒 | インポート
30度を越える海上での昆布漁、まさしく眼もくらむ重労働だ。
陽が海底に差しみ、小魚の群れが銀色の腹を光らせ、まるでミラーボールのように光り輝く。
昆布の森の中は、ウニが無数に岩にひっついている。
まるで水族館にいるような、心地よさだ。
太陽がいっぱいの太平洋、水面は輝きどこからかニーノ・ローターの「太陽がいっぱい」の名曲が流れてくる。


大型クルーザーにはちょっぴり見劣りするが、我が磯舟は「第3隼丸」。
キャプテンは昆布を海底から次々巻き上げ「あー疲れた、ぶっ倒れそうだ」を連発する。


「太陽がいっぱい」の地中海のシーンを思い出す。
雰囲気だけは充分アラン・ドロンだ。
港へ帰る船の中、昆布の上に寝転び、空を眺め「太陽がいっぱい」の鼻歌を奏でた。


真夏の昆布漁。私はあの映画を回想しながら、極度な疲れの中で昆布漁を楽しんでいる。


受験してきました

2012年02月20日 12時19分40秒 | インポート
受験シーズンまじかである。受験とは無縁になった今でも、このシーズンになるとなんだか胸が締め付けられる感じがする、
私の最初の受験は「15の春」だから、半世紀近く前である。でも、あの緊張感はいまだに忘れていない。
高校は通学できない遠い函館市内だったので、進学というより田舎からの“脱出”という感じで、マックウィンの「大脱走」さながらの、歴史的事件だったのだ。
そんな緊張感を再び味合ったのが、昨日である。
「第2回縄文検定試験」を受験してきたのだ。
今年の受験会場は、昨年、国宝「中空土偶」が出土した、私の村の隣町南茅部にオープンした「函館市縄文文化交流センター」である。
申込書を受け取ったのは1月半前であり、同時に参考書も購入した。
一応勉強し終えたところで、昨年出題された問題に挑戦してみたら、正解が半分ほどだった。
覚えていたつもりが、脳裏に焼きついていないのだ。覚えたつもりで次に進むが、新しく覚えたものが、前に覚えたものを頭から押し出しているのである。
悩みに悩み願書を出したのは、締め切り2日前だ。
縄文大好き人間としては、落ちたら「中空土偶」に顔向けできない。お酒も控え、夜遅くそして早朝も勉強し、ブログも受験前に2日休んだ。
試験前日には、函館市立図書館に行き、受験生でごった返しする中で、受験生としての気合を身体に充電するという、完全な受験生モードに自分を追いやったのだ。
ところが当日、ウニ漁になってしまった。
あきらめようと思ったが、ウニ漁が終了してから、ちょっぴりスピード違反になるが駆けつければ、多少の遅れですむ。
「ウニ漁で間に合わなかった。漁労に携わっていた縄文人の生活を、漁師見習いが受験しようとするのに、少しぐらい遅れたって、いいじゃないか。館長を出せ?」との台詞まで考えて、乗り込んだ。
時間は間に合ったが、なんと受験生はたったの13人。
見回したが、どの顔も私より年下で、まるで教師のような風貌だ。
昔のように、会場の雰囲気に飲み込まれそうだ。
私は、漁から戻り玄関で着替え、車の中でおにぎりを食べて来たので、髭は伸び髪は漁で帽子をかぶっていたので、はね上がっている。
でも、私には同郷の「国宝・中空土偶」が、守ってくれるはずだ。
※受験の帰り道、滝が凍って、樹氷になっていた。色鮮やかだ、ライトアップしたら見事に違いない。


試験が終わり家に帰ってすぐ、退出時に渡された解答用紙を確認した。
“合格間違いなし!”
夕方、お風呂に入った後“笑点”を観て、今朝採取した生ウニを白ワインで。一足先の合格祝い、おおいに喜んだ「63の春」。


沖縄と北海道

2011年11月01日 16時35分36秒 | インポート
開発局が置かれているのは、沖縄と北海道だけだ。
開発が遅れている地域で、国の手当てが必要というそんな感じを受ける。
沖縄は長引く米軍基地問題、北海道は福島第一原発の汚染土壌や廃材の処理場を、炭鉱の跡地に埋設という話もある。
お互い最南端と最北端の離れ島、お金さえ出せば面倒くさいものの処理をしてくれるのではないかとの、国の考えがちらつくように見える。
沖縄戦では、沖縄県民以外の戦死者は北海道民が1万人と最多だ。
つながりはいろいろある南と北だが、なかなか話し合う機会にも恵まれない。
※とどほっけ村日の出美術館「グレイな朝」


今函館の湯の川温泉で「オンパク」というイベントが実施されている。
“温”泉と宿“泊”で、湯の川地区の魅力を知ってもらおうとの企画だ。
近年は湯の川温泉も泉源が減少し、給湯調節などしているようだ。
イベント中は特別低価格料金があり“源泉かけ流し”と銘うった旅館に宿泊してきた。“かけ流し”という言葉は、最近は“もったいない”と聞こえてくる。
しかしこの温目の温泉、なかなか身体に心地よかった。夜2回、朝1回入った。
夜の10時過ぎに、私より年配の方が入っていたので声をかけた。
三笠という旧炭鉱町で玉葱栽培をしている方で、ご夫婦で一週間湯治宿泊しているという。
早速、TPP問題について話を伺う。参加した場合北海道農業は壊滅的になるという。農家の生の声は政治家に届いているのだろうか。
私は、函館のおすすめ場所の情報を提供した。
翌朝の食事の時に、大きなテーブルでそのご夫婦と一緒になり話していたら、30代と思われる男性二人も座った。訊ねると沖縄から来たという。
朝食時に無粋とは思ったが、さっそく米軍基地問題を。
「鳩山元首相の、最低でも県外にという言葉にだまされて、県民の怒りは最高潮に達した。沖縄県民はもう基地撤廃の選択しかない」と、力強く語る。
「県知事はなかなかバランスが取れた方のようだね」という私の質問に、来期は当選しないだろうと断言した。
「交付金に目がくらむのは、米軍基地も原発もおなじだね」という結論に達した。朝から生討論で、温泉と会話で心もホットになり、楽しい宿泊になった。
農家のご夫婦は、私がすすめた「縄文露天風呂と縄文文化交流センターに行く」と、いってくれた。
すでに何十人かのお客様が、私にすすめられ縄文センターに足を運んでいる。
私ももう少し勉強し、縄文のコンシェルジュなろうかと思っている。




国宝「中空土偶」の新居

2011年10月07日 12時05分13秒 | インポート
北海道で初の国宝に指定された、縄文後期の「中空土偶」。その展示館が10月1日、出土した旧南茅部町にオープンした。


初日は1,000人を越える来場者で賑わったという。5日午後3時を過ぎてから、出かけてみた。自宅からは車で20分足らず、函館空港からも車で25分という近さだ。
土偶は頭上からの間接照明に照らされた地下のほの暗い特別室で、笑顔で待っていた。
説明の女性は地元の主婦である。縄文の発掘に携わり縄文に魅せられ展示の説明員になった、顔なじみのNさんである。
最愛の我が子を見つめるような、Nさんの土偶へ注ぐ眼差しが私は大好きだ。
しばし談笑してから、館を拝見させてもらった。
率直な感想である。




展示のしかたが、スマートでオシャレで、知的で上品でもある。原宿か六本木にでもありそうな美術館という感じがする。
多量に出土された中から厳正にセレクトされ、縄文のエスプリを集結したという展示内容だが、視点を変えれば縄文の生活臭や、縄文が放つ生へのエネルギーがあまり感じられないのだ。
私が縄文と対峙して感動を覚えるのは「自然との共生」という持続可能な概念であり、それが私たちが住む文明社会への、強烈な警鐘を打ち鳴らすからである。
縄文は未開で野蛮とのこれまでの概念を、この展示室は見事に払拭している。
近年、東北以北の縄文遺跡群を世界遺産とする声が沸き起こっている。そのためには世界的なレベルでの、洗練された展示館が必要なのだろう。
世界遺産に指定されている地域は、そこに住む人々の理解が肝要である。
多額な税金を投入して、地元に受け入れない行政主導型の施設が、国内には多くあるようだが、この展示館を、地域の人たちが普段着で大勢訪れ、縄文文化の素晴らしさを、自分の地域の誇りとして、一人ひとりが発信できるようになることを願いたいものである。
開放感のあるガラス張りの通路の窓からは、縄文人が家族や仲間のために、今日の食料を調達した豊かな海が、眼下に広がっている。


昨日の土偶が、久しぶりに逢った私に語りかけたのは「原発はもういらないよね」という言葉だった。
これからも縄文露天風呂に入り、土偶とNさんに逢いに行くのを楽しみにしている。
ただバイパスが貫通していないので、施設からUターンしなければならないのと、バス停からの坂道は地元の人でも知らない人が多く、歩くのは難儀するという。
文化財の担当課ばかりでなく、各課の総合的な協力の下で仕事を推し進めてほしいものである。
役所のセクショナリズムの弊害も感じられた、土偶の新居からの報告である。