函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館観光について

2017年06月29日 10時13分39秒 | えいこう語る

▼国内での魅力あるマチNO1に選ばれるが,幸福度が低いといわれるのが函館市だ。この事実は、今後の函館のまちづくりに、相当深刻に受けとめなければならない問題だが、この問題をテーマにしたフォーラムなどは開催されていない。人口減少や高齢化が急激に進む函館だが、住んでいて幸せを感じられるマチが、住みよいマチであり、訪れる人たちも幸せを共有できるマチが、魅力あるマチの要素に違いない。

▼先日、市が主催する二つの会議に出席した。市主催の会議の基本テーマは、函館市を魅力ある住みよいマチにしようという目的を持った会議だと私は解釈している。その中で感じた、マチづくりに欠けているといるのではないかという視点だ。

▼函館市では、岩手・秋田・青森・北海道の4道県の「北海道・北東北の縄文遺跡群」を、ユネスコの世界遺産登録にしようとの活動を続けている。その前に、国内の文化庁の推薦が必要なのだが、5度目の挑戦が7月下旬にもあるという。青森県出身の現衆議院議長を筆頭に議員連盟を結成し、今度こそとの意気込みを示している。

▼だが、周辺の住民の理解度が相当薄いのを感じる。というのは、私がその遺跡群がある近くに住んでいるからだ。地元の関心が薄いものが世界遺産に登録されても、世界中から訪れる人たちにどんな印象を与えるかが心配だ。登録が先走りをし、市民意識との格差が広がっては、登録どころの話ではない。万が一なったとしても、住民が世界遺産の認識が薄ければ、登録抹消になるかもしれないと思うからだ。辛口で言わせてもらえば、世界遺産の登録は、控えた方がいいというのが今の状況だ。

▼もう一つは、市の次期高齢化対策の策定に係る会議だ。この策定での重点課題は「団塊世代がすべて75歳をむかえる2025年までの対応」だという。だが国の制度と指針に沿った形で、函館市の独自性を出そうとする雰囲気が感じられない。私自身、高齢化社会の張本人の団塊世代だが、団塊世代がどんな人種で、それに対しどんな対策をとるのかの視点に欠けているようだ。制度が先走りして、実態の把握がおろそかになっている感じがする。

▼高齢者介護の人材不足が、現場の方から指摘があった。「私たち団塊世代は、自己主張の多い、実に厄介な高齢者なのだ。それを、今までの高齢者という概念のままで位置づけても、無理がありますよ」との発言をしたが、今後の計画に生かされるか不安なところだ。

▼縄文世界と現代では、インフラの整備では天国と地獄ほどの差がある。だが、自然と共生し、知恵を出し合い感性を磨く生活は、すべてが与えられている現在と比較にならない、人間としての存在感や充実感にあふれているような気がする。世界遺産に登録する価値はそこにあると思う。ここにも幸せとは何かというヒントが隠されていると思うが、そこのところが理解されないまま、世界遺産というブランドを、獲得しようという思惑だけが先行しているようだ。

▼今後の、高齢者社会への対応は、対象者が団塊世代だというが、この世代の特徴は、戦後民主主義教育を受けた、いわば自己主張の強い存在だ。今までの高齢者という概念にあてはならない世代と言っても過言ではない。与えられたものではなく自主的に周囲の環境を変えていく、能力を持った高齢者という認識を持たなければならない。

▼介護の世話を受ける受動的な感じではなく、人生の末期を迎え、戦後からの社会や人生を振り返る世代だ。その中に「幸せとは何か」という、問いかけをする世代でもある。言い換えれば、団塊の世代による高齢化社会の在り方を追求し、それを高齢化対策事業のメインにしなければならないのではないか。つまり「住み慣れたマチで人生を終えるという幸せ」を、どのように作っていくかを、団塊世代に投げかけるのが、次期高齢者対策策定の基本ではないかと考えるからだ。

▼函館市を訪れる人々が、市民と同じ幸福度を感じられる観光というのも、高齢化社会への、新たな観光の要素ではないかと考える。散歩しているおじさんやおばさんが、近代と縄文についての比較を話してくれる。そんなマチが、世界一幸福度が高いマチなのかもしれない。

▼幸福度世界一の国はブータンと言われる。自然に囲まれた生活は、もしかして、縄文世界の精神性と、共通するものが多くあるような気がする。縄文の世界遺産登録も、ブータンと函館の姉妹都市提携で、市民の理解度や、さらなる魅力あるマチづくりに進むのではないかと考える。

▼こんなことを平気でだらだらと考えるのが、団塊世代の、並外れてしまう特徴でもあるからだ。

都議選の予想

2017年06月27日 08時48分39秒 | えいこう語る

▼北海道の片田舎の海岸で、カレイ釣りをしながら太平洋を眺め、都議選の予想していた。私は水平線を眺めていると、思い出すことがある。ノルマンディー上陸作戦や沖縄戦で、水平線を埋め尽くすように軍艦が並び、空から大雨が降るような一斉砲撃が始まった光景だ。

▼それらの思いは、子供の頃田舎の小さな映画館で観た、ゴジラが海から登場するシーンから始まる。ある日突然、家や人間が虫けらのように扱われるれるといった恐怖感だ。そんな感情は、最近では東日本大震災の大津波来襲に、つながって来るのだ。

▼加計学園問題で、相当不利な状況になった安倍総理、一気に憲法改正へと国民の目をそらす構えだ。本人の延命と引き換えに憲法改正などというのは、悪魔の仕業だ。現憲法下で生きてきた私にとって、憲法改正とは、自分が永年培ってきた価値観が真逆になるということだ。アベさんを総理にしていたため、自分が自分でない人間に変えられてしまうという、上述した恐怖以上に恐ろしいことだからだ。

▼そうなので、首都の都議選は自民党が大敗してほしいと、ひたすら願っているのだ。そうなれば選挙後、内閣改造を行う。新体制は「憲法改正内閣」の顔ぶれを色濃くするだろう。そこで世論調査は内閣支持率が40%を切るだろうが、衆参両議院の憲法改正派が3分の2を占める現国会で、憲法改正の強行採決に持ち込む。「日本を守るか、それとも捨てるか」という国民への問いかけで、捨て身の衆議院解散にでるに違いない。

▼そこでアベ内閣は、大幅に議席を失い退陣を余儀なくされるというのが私の推測だ。だが、アベ総理にはこんな言葉が用意されている。「野党がいくら集まっても、日本を守ることはできませんよ。蓮舫さんで日本を守れますか」という、アベ総理の選挙用の言葉爆弾が炸裂する。蓮舫さんで日本は守れないよなと、国民はうなずく。

▼まずは、都議選の結果が出たら、内閣改造の前に『暫定・アベ内閣打倒野党連合』の顔ぶれを発表することだ。少なくとの蓮舫さんはそのトップの顔ではない。さあ誰をトップにするか。雲一つない青空に、29連勝の藤井4段の顔が浮かんだ。途端に竿先が、激しく揺れた。大物に違いない・・・。

▼水平線を眺めていると、不安で極端なことしか浮かばない私がいる。憲法改正で「日本が逆になり本日」などなったら、大変なことになるというのが私の素直な感想だ。

▼「本日、天気晴朗なれど津軽海峡波高し」などという言葉も、水平線から聞こえてきたような気がしたが。

組織が犯罪を生む時

2017年06月25日 07時18分03秒 | えいこう語る

▼前文科省事務次官の前川氏が、加計学園問題について「文科省職員の匿名の文書内容は、ほぼ事実であり、首相に説明責任を求める」と記者会見した。都議選のスタートと同時に、自民党に揺さぶりをかけ、真実を究明したがらないアベ内閣に鉄槌をくらわす如き行為は、あっぱれと賞賛すべきものだろう。

▼この問題、私たち国民は新聞やテレビ報道でしか、真相を推測することができない。しかし、常識的に考えても、アベ総理と首相官邸、さらに文科省という国の組織が、事実を握りつぶそうとしているのではないかと思っている国民は、多いはずだ。

▼現政権下の文科省が、前川発言は事実でないとすれば、前川氏は嘘をついていることになる。だが、文科省高官が政権転覆にも及ぶ嘘をつくだろうか。「国家対個人」となれば、国家が優位に立つのは間違いない。個人に国家を維持している現政権が負けたとなれば、国の威信が揺らいでしまうからだ。

▼2020年の東京五輪まで政権を保持して、憲法改正を行いたいというアベ総理の崩壊につながる事件など、抹消しなければならないのだ。戦前なら、前川氏は小林多喜二同様の扱いになったに違いない。森友と加計学園問題。時の政権がどのような処理をするのか、立憲主義国家の在りようが問われる、歴史的重大問題だ。

▼最近の釧路地裁の判決だ。一時不停止を振り切り70キロも逃走した当時40歳の男性が、警官に抑えられ窒息死した。その初公判で、すでにその行為を反省し依願退職した警官に対し、懲役10カ月の求刑が言い渡された。逮捕の時抵抗したようだが、窒息死とは、黒人を虐待する、米国の警官同様の行為を連想させられる。

▼「警察をなめるなよ」という、組織の感情が前面に出すぎたのではないだろうか。それにしても、わずか10カ月の求刑とは、個人の命も軽んじられているのではないだろうか。この事件も「国家対個人」といったたぐいの雰囲気が漂う感じがしてならない。

▼私事だが、初めて宿泊する観光地のホテルを探しながら、つい一時停止を怠ったことがある。目的のホテルは、この辺りではないかと思っていたので、速度は相当落としながら走行していた。サイレンが聞こえ追いかけてきたパトカーにも、誰かがスピード違反をしたのかと思ったくらいだ。「前の車、停止してください」にも、自分ではないと思ってしばらく走行していたのだ。

▼素直に状況を話したのだが「違反は違反ですから」の一点張りだ。警官の心の中では「お前のように、規則を守らない者を取り締まるのが我々の役目だ。いちいち手心を加えていたら、事故につながるんだ。いくら弁解したって、規則を破ったお前が悪いんだ」そんな威圧的な雰囲気を十分感じた。つまり、警察という国家組織を背負って、ものを言わせぬ威圧感を十分漂わせているのだ。

▼組織は個人の集団だが、組織が優先され個人はその中に埋もれてしまうのが、一般的だ。つまり、組織に都合の良い人間により組織は維持されるのだ。加計問題など、それを象徴する出来事ではないかと思う。もし安倍政権がこの問題を握りつぶしたとしたら、共謀罪など個人に及ばないというが、もっぱら個人に適用する「狂暴罪」になるに違いない。

▼ここまで書いたら、先日亡くなられた沖縄県の太田知事の顔が浮かんだ。「共謀罪第一号は、沖縄の米軍基地反対運動に適用されるのではないか」。そんなことを心配して亡くなったような気がする。

▼あれから72年が過ぎた。沖縄は戦争がまだ終わっていないのではないか。もしかして、自民党の改憲に一番おびえているのは、沖縄県民かもしれない。

プルトニウムの恐怖

2017年06月21日 14時13分36秒 | えいこう語る

▼「人間は核を制御できるか」という問いかけが、国民の中に起きたのは、福島第一原発事故からだ。事故後6年経った今でも、炉心を開けることすらできないのは、原子炉内で核分裂が起き放射性物質が発生しているからだ。燃料のプルトニウムは、地上最強の猛毒で、半減期が2万4100年と言われている非常に厄介な代物だ。

▼その威力は『長崎原爆』で実証されている。発見当時は、軍事的に使われることを危惧されていたので、学界には明らかにしなかったという。初めは「銅」というコードネームで呼ばれていた。本物の銅は「神に忠実な銅」と呼ばれていたというから、その威力は計り知れないものであったようだ。

▼この事実は、私が原発の基礎知識を学んだ、故高木仁三郎氏の著書「プルトニウムの恐怖」から得た知識だ。軍事目的で開発されたプルトニウムだが、戦後、1953年のアイゼンハワー大統領の国連演説「アトム・フォア・ピース」からその目的は変わり,原発での電力としての役割を得た。原爆を落とされた我が国も、その翌年に原子力予算が認められているというから、我が国もちょっと変わった国なのかもしれない。

▼先日、茨城県の大洗町にある、日本原子力研究開発機構で、被ばく事故が起きた。普通プルトニウムが利用される時は、酸化物の形をとる。その酸化プルトニウムは、1グラムの何百万、何千万分の1で肺ガンになるというのは、動物実験で検証されている
。それを知っている関係者は、当初、最大で2万2千ベクレルを肺に吸い込んだので、死に至るのではないかと発表した。その後肺に、プルトニウムは検出されなかったと発表した

▼私は専門家でないのでよくわからないが、なんだかでたらめそうな発表に思えて仕方がない。原発再稼働の政府が圧力をかけたか、関係者が忖度したかのように思えて仕方がないのだ。アベ政権下でなければそんな邪推などしなのだが、どうも官邸から通産省や文科省、そして開発機構へと、文書はまずいので言葉で伝えられた感じがしてならない。

▼今、NHKスペシャル「メルトダウン」取材班の「メルトダウン連鎖の真相」という著書を読んでいる。その取材班の責任者が『人間は核を制御できるか』という自らの問いに私も共感し、今日の邪推となったのだ。それに、我が国の原子力基本法には、平和目的とあったが、いつの間にか『安全保障に資する』という文言が付け加えられているのも、心に引っかかるからだ。。

▼「原子力発電は制御されていれば安全、安心でクリーンなエネルギーだが、制御できなければ、原子爆弾と同じだ」という言葉を思い出した。今回の事故も、ヒューマン・エラーが起こした事故のようだ。

印象操作がはびこる日本

2017年06月20日 08時47分20秒 | えいこう語る

▼44,9%を、簡略化して表現するときは44%というだろうか、普通なら45%だろう。だが、19日の北海道新聞一面は、共同通信社の世論調査によるアベ内閣の支持率44,
9%を『内閣支持率急落44%』と書いた。最近、道新はアベ総理への適切な批判が目立つ。権力を批判するのが報道の使命だと考えている私には、非常に期待する筆力だ。

▼だが、この見出しに直観的に違和感を持った。アベ総理が日頃批判する「印象操作」と同様なものを感じたからだ。紙面を作るにあたり、相当検討されたと思うが、新聞の一面記事は相当なインパクトがあるので、正確な数字を記載してほしいものだ。マスコミの印象操作は、一般大衆に相当影響をもたらすからだ。

▼報道各社の内閣支持率低下が発表になった。各社一斉というのも、そろそろ、アベ政権打倒に向かっているのだろうかと、少しうれしくなる。しかし、アベ総理推薦の読売新聞は、内閣支持率が49%と、日経新聞と並び一番高い。だが、不支持率が前回から比べて、12ポイントと下がったとしている。この数字は他社と比べて一番大きい。他社の数字は、発表前にわかっていたのだろうが、あえて最高の数字を報道したのは、普段アベ総理支持の読売の、単なる報道のゆるみだったのか、何か印象操作をする前触れなのか推測はつきかねる。

▼その日の夕方、総理は記者会見を行い、支持率低下について謝罪会見をした。だが「印象操作のような野党の議論に対し、つい強い口調で反論してしまった」と述べ、悪いのは野党だというような、相変わらず反省の余地なしの「印象操作」を口にした。会見の直後、アベ総理夫妻が関わったとされる森友学園に、補助金不正取得で地検が捜査に入った。

▼「アベ内閣に矢を射るものは、こんな仕打ちがあるのだ」という、これがまさしく「印象捜査」なのだろう。こんな首相の下で共謀罪など施行させたら、共謀罪が戦前の治安維持法と化してしまうに違いない。地検は100万円を渡したという、総理夫妻のことも同時に操作をしてほしいものだ。

▼この地検の強制捜査、都議選にどう反映するのだろうか。小池都知事がアベ総理の強権政治を手玉に取り、有権者に反乱を起こさせる印象操作をするのか。はたまた、総理がさらに強烈な印象操作を仕掛けてくるのか、首都東京の決戦は、都民だけではなく、我が国の民主主義度が問われる戦いになりそうだ。

▼都議選終了後に内閣改造を行うという。都議選は自民党が総力を挙げ戦うので、その戦いの引き締めの布石が、内閣改造の告知なのだろう。小池知事も豊洲移転の方向にシフトし、選挙対策を万全にしたようだ。果たして野党は、どんな戦いに出るのか。都議選でアベ総理を退陣に追い詰める印象操作ができるのか、天下分け目の戦いが始まったようだ。

▼都議選の開票日は7月2日だ。8日には眞子さまの婚約発表が決まった。『眞子さまフィーバー』の印象操作が行われやしないか、なんだか『印象操作警報』が発表されそうな、今後の我が国の空模様だ。