▼東日本大震災からもうすぐ10年になる。その間私は、防災士の免許を取得した。さらに、所属する函館市町会連合会では、大間原発建設反対運動を立ち上げた。
▼私にとって3:11は、身体に染みついた日常だった。さらに10年前の我が家のテレビは、今までより倍の地デジの大きな画面になった。
▼その災害のリアルタイムの迫力は、精神の均衡を失わせ、同時に気力が失せたのを、今でも思い出す。
▼ある高齢者スポーツの、世界チャンピオンの知人は、震災後のハワイでの世界大会に「戦う気力が失われた」と話していたのを記憶している。
▼私たちが主催した原発反対の市民集会で、私は詩の朗読を試みた。詩は3:11の被害を受けた南相馬市の主婦、青田恵子さんの「拝啓、関西電力様」という詩だ。
▼私はその詩を知人を通し、青田さんに連絡を取っていただいた。相馬弁は理解できないところがあるので、函館市民に馴染みの津軽弁に直すことと、題名は「拝啓、東京電力様」にしたいという了解だ。
▼集会には500名ほどの市民が集まった。舞台の照明を落とし、そこに3:11の被災現場が映し出される。同時に消防の手回しのサイレンを鳴らした。
▼サイレン吹鳴は、元函館消防に勤務していたある町会長が引き受けてくれた。若い頃の自分を思い出しての、力強いサイレンが講堂に鳴り響いた。
▼サイレンが終了し、真っ暗な舞台の真ん中に、お寺から拝借した大きな燭台のロウソクに灯がともる。ヘルメットに消防団の“刺し子”と呼ばれる衣装を着た私が登場する。
▼そこで「拝啓、東京電力様」の詩の朗読が始まる。まるで空襲警報を連想するサイレンと焼け跡の映像。ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを想起させる設定だ。
▼原子力政策という国策の推進で、私たちは再びフクシマを自ら招き寄せてしまったのだ。国家に全面信頼を置いたため、戦後の科学技術の進歩による、安全・安心の神話が、一挙に崩壊した瞬間だった。
▼その時から、私は国家に大きな不信を抱いた。さらにアベ政権下での「憲法改正」は、フクシマ以上の、危険な国家への歩みにつながることの恐怖を覚えたからだ。
▼というのが、私の3:11以降に生じた【国家防災】への思いだ。だが今日(28日)の、北海道新聞に掲載された、芥川賞作家、辺見庸の「3:11からの10年」という記事を読み、
私の考えが間違った方向ではないということを、確認した。
▼米空母が参加した「トモダチ作戦」。極めて戦略的な問題を、善意という感情にメディアは置き換えてしまった。「絆」という言葉も、なんとなくいかがわしく感じた。
▼炊き出しの問題でも、列を乱すものがいないという話が美化され、礼儀正しく秩序を重んじる日本人像に、みんなが満足する。
▼よそから来た人が、死者の懐に手を入れて金を取ったという話があっても、そういう話は消えてゆく。死者たちがたくさん流されていく映像は映されない。分かりやすい話ばかりが、紋切り型の表現で伝えられる。
▼私たちが3:11から何を学ぶか、どういう生き方をしていけばいいかという問いかけを、全くしていない。あれほどの災禍を経験しても、社会構造や国家観を根本から考え直すという動きもないという。
▼この国は10年で大きく変わった。特定秘密保護法や安保関連法案など、憲法9条を持つ国とは思えないようなことが起きている。
▼コロナ禍での緊急事態宣言にも、私権を制限されるのに、国民の側から求めている。関東大震災後に【治安維持法】が出来たように、震災と軍国主義、震災と国家権力の台頭みたいなものの周期性には、注意した方がいいと指摘する
。
▼そういえば、3:11の翌年、原子力基本法第2条に第2項が付加された。「我が国の安全保障に資する」という文言だ。
▼国はどさくさにまぎれ、原子力を安全保障の枠組みに入れてしまったのだ。安全保障であれば、日米安保条約の中に入るので、原子力政策は、容易に中止することができない、ということになるからだ。
▼さらに、2011年大震災の直後の3月22日。辺見が北海道新聞に寄稿した文にはこう書いてある。
▼【私はすでにこう予感している。非常事態下で、正当化される怪しげなものを】と。例えば「全体主義」や“個”を押しのけ、例外を認めない狭隘な団結】であると。
▼そこで思い出したのが、私も何度かブログで書いたが、それは2012年の「自民党改憲草案」の中にある。「個」を「人」に変更する条文だ。
▼話は少し外れるが、アベ総理の妻の問題やスガ総理長男の問題。国会と別枠で本人を呼んで追求すれば解決する問題だ。
▼正常な国会を阻むものは、与党ばかりではなく、与党に寄り添っている野党の責任も大だ。与党が崩れ出すとそこに寄り添っていた野党も、崩れ出した、それが3:11後の我が国の政治の10年だったのではないだろうか。
個を踏みつけて道を固める国あり
三等下