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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

倚りかかる

2017年03月30日 06時04分44秒 | えいこう語る
▼詩人の茨木のり子さんに「倚りかからず」という詩がある。ウ冠の「寄」ではなく、人偏の「倚」だ。人が身をもたせるの意味を表す、と辞書にあるので〝より”正確のようだ。などとオヤジ・ギャグの出る、今朝の私だ。「さぶい」と言われそうだが、2日前、突然真冬のような雪景色になった。寒気が入っているのか、今朝も寒さが肌身にしみるので、ついこんな書き出しになったのだ。
▼もはや できあいの思想には倚りかかりたくない もはや 出来合いの宗教には倚りかかりたくない もはや できあいの学問には倚りかかりたくない もはや いかなる権威にも倚りかかりたくない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合なことやある 倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ
▼人生を達観した、潔い心構えだ。森友学園問題で紛糾する国会で、朗読したいものだ。
▼手術後間もないので、パソコンに向かうのに椅子に座ると、お尻と腰が痛い。そこで椅子を購入した。北海道が本社の家具販売店「ニトリ」でだ。高級家具ではなく、安価でデザインに優れた商品で、急速に業績を伸ばしている。30期連続の増収増益で、売上高は5000億円を突破したという。最近、銀座に出店し、同じビルには「ユニクロ」も入り、相乗効果を上げているようだ。
▼不況の中で活躍する「ニトリ」。同じ北海道人として、購入はここしかないと決めた。部屋が明るくなるようにと、妻が赤の椅子を選んだ。派手かと思ったが、意外と部屋になじんでいる。長時間座っても座り心地がいい。特に背もたれが背筋にフィットして、疲れを癒してくれる。
▼そこで、この詩を思い出したのだ。この椅子に名前を付けた。「茨木のり子・椅子」だ。椅子に座るとこの詩が浮かんで、背筋も正しくなり、精神も強くなりそうだから。

文化と文明の対立

2017年03月29日 09時30分38秒 | えいこう語る
▼大津地裁で、昨年3月に運転を差し止められた福井県の高浜原発。1年後の大阪高裁で、再稼働容認の判決が出た。この判決に私は腹が立つ。現場の地裁を、高裁が下目に見ているのではないかと感じるからだ。市町村合併を経験して実感するが、市から見れば、村の考えが劣っているのではないかという、感覚に似ているからだ。多少、被害妄想気味のある私だが、では市側が、そんなに上質かということだ。村社会が膨らんだだけの器ではないかと、思うことがあるからだ。森友学園問題で紛糾している国会だって、村議会の内容とさほど変わりがないと思っているからだ。
▼6年を経過した福島原発事故。いまだ炉心部を開けることすらできない。規制委員会の新基準が、相当強化されているのは理解できるが「新基準に基づいて策定しており、不合理とは言えない」という裁判長の言葉に不信感を持つ。「不合理とは言えない」とは、市民の生命の安全性を、確実に保証するものではないという内容だ。これでは、地裁のほうが市民の安全性に責任を持っている。高裁は、地裁よりレベルが低いのではないか。国や電力会社に体裁を保つから『低裁』と言われても仕方ないのではないかと、悪態の一つも付きたくなる、高浜再稼働裁判だ。
▼先日、「観光」と「縄文遺産群の世界登録」という、フォーラムに参加してきた。「北海道・北東北縄文遺産群」の、今年7月の国内登録に向け、道新幹線開業後の観光振興とタイアップしようという内容だ。縄文時代の特徴は「自然との共生」さらに、1万年ほどの期間、戦争がなかったということだ。現在の地球のあり方に、大きな教訓となるものがあるので、それが世界遺産登録への大きなアピールではないかと思う。
▼世界遺産登録で最も必要なことは、地域住民がそれを世界に誇れるものと自覚しているかだ。パネリストも、2020年の五輪。世界中から訪れる人々に、スポーツばかりではなく、日本の良さをアピールすることだという。ロンドン・オリンピックでは、スポーツ観戦後多くの人が、イギリス各地の名所を訪れる企画が功を奏し、世界中に宣伝され、その後リピーターや、新たな観光客獲得につながったという。そのためには、関係者だけでなく、地域住民がその価値を理解し、誇れる存在でなければ、登録にも観光客誘致にもつながらないと、観光ホスピタリティの意義が語られた。
▼そんな内容を聞いて、私はこんなことを考えていた。北海道最初の国宝である中空土偶の故郷は、日本一の昆布の生産地だ。最盛期には寝る間も惜しんで働く。土偶などは「漬物石にもならない」「ただの粘土細工だ」という声も聞こえてくる。そこが登録へ向けての最大関門だと思う。さらに、世界遺産登録となれば「縄文文化と近代文明の対比」が、人類へのメッセージになるだろう。
▼縄文時代は「自然との共生」・「戦争のない世界」。つまり環境保護の精神に貫かれている。片や、我が近代文明。「自然破壊」・「戦争の世紀」。振り返れば、人類の進歩の陰に隠された史上最大の環境破壊だ。原子力発電所から出る核のゴミも、処理できぬ状態だ。核のゴミ処理場と言えば、候補地は、幌延町を中心に広大な北海道が有力候補ではないか。縄文が世界遺産となれば、核のゴミの処分場は、北海道には作れないことになるのではないだろうか。遺産登録前に、核ゴミの処分場ありきで、はるみ知事は最後の大仕事を成し遂げる覚悟ではないだろうか、などと、あらぬ妄想が私の頭を駆け巡った。
▼順調に進んでも、世界遺産登録は2020年頃になるという。日本中が五輪一色になり、ほかのことは思考停止の、年になるに違いない。憲法改正、原発問題。様々な政治課題に、国民は無造作に承認の判を押すことにならないよう、縄文文化の意義をもっと学んでほしいと、土偶が発見されたすぐ近くに住む私は、土偶がこの頃、そのようにぼやいているような気がするのだが。

九条の死文化

2017年03月28日 07時01分33秒 | えいこう語る
▼アベ政権が目指す憲法改正の本丸は「憲法第九条」だ。戦後70年を過ぎて、世界の秩序が混乱する中、一度も変えることのなかった憲法が、現実に対応するかという問いが、政治家ばかりではなく、国民の間にも湧き上がってきたからだ。そこで、我が国の憲法下での大きな問題は、次の三つだ。
1・自衛隊は合憲か違憲か。
2・日米安保条約は合憲か違憲か。
3・日本の防衛の在り方は。
▼この問題を整理しないと、政権の維持は困難で、政権交代も難しいようだ。2009年に政権が自民党から民主党に交代したが、3年という短命に終わった。その大きな理由に、この三つの問題がある。当時の民主党鳩山首相のつまずきは、沖縄の米軍基地移設問題からだ。日米安保の壁は、ベルリンの壁同様、堅固だった。この三つの問題を国民にはっきり示そうと息巻くのがアベ政権だ。それを阻止する勢力も、果たして「九条死守」だけでいいのか。このジレンマが、政権を批判する野党自身にもあり、国民の中にもある。このジレンマが、アベ政権の長期化を容認させ、再び政権交代を容易にしない要因の一つではないか。
▼先日、市民グループが主催した「不思議のクニの憲法」という映画を観た。私は総理をアベとカタカナ表記するが、国もカタカナ表記されていたので、親近感を覚えての鑑賞だ。そこで印象に残ったのが、東大大学院法学部政治学科教授、井上達夫さんの「九条は死文化している」という発言だ。簡単に述べると、九条があるにもかかわらず、軍隊である自衛隊を持つ国だからだという。現憲法下での自衛隊の存在矛盾は、誰もが感じている。だが、その矛盾を放置していたため、我が国は「九条の放棄」をしてしまったという、強烈な指摘だ。
▼東大の井上教授の名は、記憶にあった。昨年12月2日の北海道新聞に「戦力統制規範を条文に」という題のインタービュー記事が、印象深かったからだ。憲法学者の多数派の「原理主義的護憲派」は、自衛隊と日米安保は違憲と主張する。ただ、自衛隊を違憲状態で凍結している原理派は、立憲主義の裏切りだと断言する。これに対し、近年台頭してきたのが「修正主義的護憲派」だ。専守防衛の範囲なら、自衛隊と日米安保は合憲と主張する。だが、自衛隊は世界有数の軍事力なのに容認するという矛盾だ。この派のアベ政権の解釈憲法批判は、理屈が通らないという。
▼井上教授は、安保法制の成立過程からみて、今よりタカ派の政権ができた場合、現憲法では法律を変えるだけで、骨抜きにされるという。文民統制というが、総理が軍隊の最高指揮官だとするのは,九条があるために効力は発揮できない。『九条は、戦力統制規範を憲法に盛り込むことを不可能にすると同時に、日本の今後の安全保障政策について、実質的な議論を妨げている』と指摘する。井上教授の長年の持論は『憲法から九条を削減する』だ。憲法改正そして国民投票という、政治的スケジュールが本格化してきた昨今。井上教授の憲法論は、立憲主義の意義を確認する、新たな憲法解釈の視点のような気がする。
▼今朝の北海道新聞の小さな記事だ。「海上自衛隊が、フィリッピンへ練習機(TC60)を2機貸与。フリッピン軍の警備能力向上を支援し、今年もあと3機貸与する」とある。さらにインターネット情報だ。「防衛省、主力輸送機(C2)開発完了。機動戦闘車やヘリも積める。海外派遣任務が敏速に対応できる」とある。
▼実(げ)に恐ろしきは、自由に曲解解釈できる我が国の憲法。それに目を伏せる、主権在民の私たちなのかもしれない。

君が代がひときわ大きく

2017年03月27日 06時34分50秒 | えいこう語る
▼幕の内弁当を食べながらお酒を飲み、贔屓の力士を応援するのは、大相撲観戦の楽しみの一つだろう。本場所を観戦できない人は、テレビの前におつまみを用意し、ビールを飲みながらの観戦は、本場所観戦に引けを取らぬ楽しみだ。しかし、私のように半世紀以上にわたる大相撲フアンは、モンゴルの力士たちの活躍に、国技である大相撲を乗っ取られた状態は、何ともいえない寂しさだ。さらに、残念なのは、大和魂にみる闘争心や根性が、モンゴル勢からみて少ないように感じられるのが、なおさら悔しいのだ。
▼大相撲観戦では、なぜか民族意識が湧き上がってくる。私など、昭和初期の「関東軍満蒙領有計画」時の、我が軍の強力な勢いを思い出し、逆襲されているのではないかと、思いを巡らしている。普段は平等や公平、正義などを少しは考えているつもりだが、つい自国を応援する気持ちが強く出るのが、大相撲観戦である。日本民族の精神性を考える中で、最も身近な教材として、大相撲は存在するような気がする。
▼民族意識は内面だけで、それが外に出てしまえば問題がある。ヘイト・スピーチだ。テレビでは歓声に紛れているが、モンゴルの力士に対する言葉は、酒のせいかもしれないが相当なものがあるようだ。最強横綱の白鵬が、優勝インタビューで涙したのも、そんなところにあるともいわれている。
▼そんな状況の中で、待望の日本人横綱が誕生した。年齢も30歳を超え、相撲道もわきまえた稀勢の里にかける相撲フアンの期待は、あまりにも大きい。私などは、場所前から稀勢の里の全勝優勝を妻に宣言した。期待通りに全勝まっしぐの快進撃。下位の力士には取りこぼしはせず、もはや大横綱の風格を備えた、土俵が繰り広げられる。そして、まさかの白鵬の休場だ。「天は我が日本勢に味方せり」と、私の民族意識が台頭してくる始末だ。
▼だが、モンゴルの狼、日馬富士が嚙みついて、稀勢の里は負傷する。絶体絶命、休場止む無しと思ったが、最後の力を振り絞って立ち向かった。だが、その相手もモンゴルの手りゅう弾、鶴竜だ。あっという間の2敗。さらに待ち受けるは、これまたモンゴルの巨大怪獣、照ノ富士だ。しかも一敗で、先頭を走っている。
▼千秋楽、戦いの時間は刻々と迫る。今の戦況では、稀勢の里の勝は九分九厘ない。テーピングが痛々しい稀勢の里、情け容赦のない面構への照の富士。テレから私の心に聞こえてくる歓声は「卑怯者!照の富士」「モンゴル帰れ」だ。前日の照ノ富士の相手は、先場所負け越しで大関を陥落し、今場所10勝で大関復帰をかける琴奨菊戦だ。状態は照の富士優勢と誰もが見ていたが、立ち合い大関らしからぬまさかの変わり身に、猪突猛進が身上の琴奨菊、まっしぐらに土俵下に陥落する。
▼「先輩に対し、非礼千万」「相撲道に反する」「モンゴルへ帰れ」のヤジを、照ノ富士は一身に浴びたに違いない。だが「勝負は勝たなければ死も同然」という、モンゴル相撲の精神が頭を持ち上げる。切り替えも早いが、なんといっても年端もいかない照ノ富士だ。千秋楽の一戦、相当なプレッシャーがあったに違いない。会場に入った時から立ち合いまでの時間、会場は稀勢の里一色の応援に包まれる。普段は照ノ富士フアンも、この勝負は稀勢の里に応援したのではないだろうか。
▼勝負は気合で判断できる。会場の雰囲気からして、照ノ富士は平常の7割ほどの気合しか入っていなかったのではないか。「俺が勝っていいのか」という自問自答もしたに違いない。そしてまさかの2連敗だ。もし勝っていれば、照ノ富士は生涯悪役のレッテルを背負わされただろう。
▼結果、稀勢の里は、優勝のみならず、横綱としての心・技・体をも身に着けたことも証明した。かたや、負けた照ノ富士、敗戦の弁で人気を獲得した。負傷している横綱との大一番にやりづらさはなかったとし「自分の問題。来場所頑張るだけ」と、言葉少なに悔しさを表したという。相撲史に残る大一番になるだろうが、土俵のように丸く収まったという点では、私は最近の我が国の出来事で、最も日本人としてほっとした出来事だった。
▼近い将来「稀照時代」がやってくるに違いない。共に心技体、優劣付きがたい横綱を期待したい。最後に「君が代」斉唱が、会場割れんばかりの大きさだった。日本民族の一体感を伝統の相撲にみた、大阪場所千秋楽の名勝負だ。

国家も企業も私も

2017年03月26日 08時08分08秒 | えいこう語る
▼アベ総理の上に籠池大統領がいるような、昨今の我が国の風景だ。幼稚園児に教育勅語を唱えさせる籠池氏に、戦前の軍部に潜んでいる狂気を連想する。上下関係が絶対で礼節のある軍部も、自分たちに都合のいいように、天皇の考えを無視する行動に出る、所謂「統帥権干犯」だ。責任を一身に背負い、潔く腹を切るのが武士道なのだが、周囲を巻き込み道連れを強要し、総理の首まで取りかねない勢いだ。まるで、自爆テロをも辞さない態度は「教育勅語」という入れ墨をして、世間に虚勢を張る籠池氏だ。
▼国会も混迷しているが、我が国の大企業も大きく揺れているようだ。シャープが台湾企業の傘下になったのは、ほとんど関係ない田舎に住む私も、台湾に領土を奪われた気がして敗戦気分を味合っている。今度は、東芝だ。経営不振から、世界に誇る記憶用半導体フラシュメモリー事業を、売却する姿勢のようだ。この部門は安全保障に影響を与えることから、政府も売却先が中国や台湾になった場合「外為法」に基づく、中止や見直しも勧告する検討に入ったという。一企業の買収がグローバル化して、国家の安全保障に係るようになってきた状況での今の国会風景。危機管理能力の弱さに薄ら寒さを覚える。
▼危機管理と言えば、原発事故だ。福島原発事故後に原発が全面停止になっても電力は足りた。事故後、世界が原発の廃止に舵を切り始めているにも関わらず、我が国は再稼働にシフトしている。そんな状況なので、我が国の原子力産業も、国内ではなく海外にその力を移しているようだ。インドに原発のセールスを、総理自ら行ったことも記憶に新しい。そんな国の原子力政策の中に、東芝の企業売却問題の原因があるようだ。
▼我が国の原発3大メーカーは、東芝・日立・三菱だ。東芝は2006年に、米国の原発メーカー、ウェスチングハウス(WH)を5000億円で買収している。このWHは、世界初の原子力潜水艦、ノーチラス号の開発会社だ。福島原発事故後、世界中で規制強化が行われたため、WH所有の原発の費用が6900億円増大したという。その損失に関連し、東芝は英国で参入していた原発新設プロジェクトの株主を手放す。今後は、廃炉やメンテナスに注力する方向だ。
▼日立や三菱についての情報だが、日立は原発燃料を濃縮する新技術を米国で開発する事業から撤退している。福島原発事故後収益を見込めないと判断したからという。さて、宇宙開発ロケットに目立つスリーダイヤマークの三菱は、フランス原子力大手アレバが、核燃料部門を切り離して設立する新会社に、日本原燃(六ケ所村)と一緒に600億円の支援をするという。我が国の原子力トリオはそんな状態だ。
▼東芝に戻るが、会社再生のためWHの破産法適用を申請するようだ。それに対し、みずほや三井住友銀行も、法適用を後押しするという。一方米側は、雇用の懸念で難色を示しているようだ。我が国の原子力基本法第2条第2項には「原子力利用は・・・我が国の安全保障に資することを目的とする」と明記されている。「アメリカン・ファースト」を叫ぶトランプ大統領が、ここに登場してくるのは間違いない。また、問題が混乱しそうな雰囲気だ。
▼トランプ大統領の名が出たので、再度籠池氏の顔が浮かんだ。森友学園と東芝問題で混乱している間に、国民の基本的人権を踏みにじる可能性のある「組織犯罪処罰法」が閣議決定された。戦前の治安維持法を連想する「共謀罪」の内容が盛り込まれているようだ。先日の新聞だが、暴力団員が殺人を起こした事件で、親分の命令がなければなしえない事件だとし、親分に共謀の罪が適用された。
▼このような適用であれば、原発事故を引き起こした原子力ムラと言われる組織、国税をごまかそうとした籠池ファミリーと関連行政部局にも「共謀罪」を、まず最初に適用し、この法律の適性を国民に示してもらいたいものだ。今朝は、二度寝をしてしまい、NHK テレビの俳句と短歌を見逃した。とても残念で、少し考えが拡大してしまったようだ。