函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

今の日本を単純に考えれば

2017年11月29日 14時00分03秒 | えいこう語る

▼今日にも引退会見があるという日馬富士。朝青龍に続きモンゴル横綱が暴力事件で首になるというのは、単純にモンゴル人を横綱にしてはいけないということだろう。40回優勝の白鵬の取り口も、思い出してみれば「張り手」で相手をひるませるという、横綱としてあまりにもみっともない相撲だからだ。

▼理事長の顔を踏みつけるような行き過ぎた発言や、万歳三唱などはもっての他の行為だ。今上天皇の最後の天覧試合に、白鵬が音頭を取り、万歳が行われる夢を見そうで、早く、引退させる算段をした方が、角界というより我が国の国益に適うような気がする。

▼森友学園問題の籠池理事長の土地値引き交渉。それに応じる近畿財務局職員の「可能な限りゼロに近い金額に努力します」という会話は、バックに昭恵夫人がいるというのを実証している。

▼さらに「理財局長も財務局長も、妻が森友名誉校長だったとは知らなかった」と述べるアベ総理には、妻が名誉校長に就任する前に、なぜ阻止できなかったのか、それを野党は総理に質問しなければならない。

▼【森友学園→教育勅語→総理夫人の名誉校長→強引な値引き】。これが、森友学園問題の単純な流れだ。
【加計学園→総理の親友→ゴルフ仲間】これが国有地払い下げの、単純な仕組みだ。

▼つまり、森友と家計問題は、アベ総理夫妻がその原因を作った「税金詐欺問題」なのだ。野党の質問は、ここに集中しなければ、アベ総理を退陣にはできない。

▼角界と政界のこの問題。マスコミも必要以上に騒ぎ立て、分母と分子の数字だけを膨らませ、複雑に見せているが、1000分1000は、1という単純な問題なのだ。

▼先日、財務省の函館事務所の「我が国の財政」というテーマの講演会が、我が村であった。我が村からの一般参加は、私とある会社の社長さんの二人だ。

▼他の参加者に尋ねると、隣町の老人クラブの一団だという。「なぜ年寄りの俺たちに、日本経済の話など」と、不満気だった。この参加者の顔ぶれでは、今問題が山積している財務省に忖度して、質問が出ないレベルを動員したのかと、勘ぐってしまう。

▼下衆の勘繰りはこのぐらいにして、講演内容だ。「今回の衆議院選挙で、消費税の2%アップを、教育費の無料化に充当させることを憲法に明記すると、国民に呼びかけたアベ内閣を支持してくれた。ということは、皆さんが無償化を容認したと考えている」と繰り返したのだ。財務省が、地方の隅々までそう言わせるということは、絶対実施する決意なのかと、私は単純に考えていた。

▼だが、憲法には無償化を明記せず、憲法第27条に3項を付け加え「国は教育環境の整備に努めなければならない」とするらしい。「無償化は改憲の口実だったのか」との声がわき起っている。

▼今日は単純に考えるので、その方向で進むが、アベ総理の長期政権の秘訣は「嘘も方便」という手法を会得したからなのか。

▼「嘘も方便」とは、嘘をつくのは悪いことだが、時と場合によっては必要なこともある、という意味だ。しかし「方便」とは、仏教語で、仏が衆生を教え導くための、便宜的な方法という意味があるそうだ。

▼そういえば、我々は仏教のことをほとんど知らないので、住職の話は、すべて間違いのないものだと思っている。他にも、原子力の知識など全くない国民に「安全・安心なクリーンエネルギー」と国が宣伝したため、福島原発事故という、生存の危機に遭遇させられた大惨事もある。

▼ある科学者が「一方だけが知っているのは騙されやすい」と言った。いや、こんな単純な言葉ではなく、もっと学問的だったと思っているが、単純な私は、そう記憶している。

▼騙しの中に「霊感商法」などというのもある。よく知らないと不安になって、騙されやすいというのだ。もしかして「騙されない国民」にするため、アベ総理は高等教育までの無償化を図ろうとしたのではないかと、ふと思ったりもするが・・・ほんの、ふとだけど。

▼財務省の講演に戻るが「今日の参加者は高齢者が多いので、財務省から詐欺にあわない注意事項を教えます」と、30分も話した。「実は2%上げても財源がたりません。それは皆さんが選挙で支持したのだから、仕方がないでしょう」という、講演内容だったのかもしれない。

▼私の単純な頭では、今日の新聞を見て「財源が足りなければ無償化を憲法に書き込むのは無理だな」と、思ってしまう。だが、財源不足は初めから承知で、選挙期間だけ本当のことを言わなかったということなのだろう。

▼つまり国民は、アベ総理の「後の祭り」に参加させられてしまったようだ。そういえば、国の借金が1000兆億円を超えているのに、なんだかこの大判振る舞いは、変だなと感じていた国民は多かったと思うが。

▼財務省は、東大でも優秀な人間が,入省しているといわれている。国有財産の評価や消費税率の計算を、間違うだろうか。私の単純な考えだが、たぶん「間違ったふり」をして、国民を欺き、財務大臣や総理を喜ばせているのではないだろうか。

▼今気が付いたのだが、単純すぎる考えをしていたら、随分文章が長くなってしまった。そこで気が付いたのだが、アベ総理の国会答弁は、単純なことを言っているのだが、それを言葉を変えて、同じようなことを長たらしく答弁し話しているだけだ。

▼自分では雄弁と思っているようだが、実は内容が薄く、雄弁ではなく、多弁なのだ。多弁を弄し、野党を煙に巻いて、憲法改正をおこなおうとしているのだ。

▼という私も多弁になってしまったので、おしまいにする。アベ総理の国会討論から、私が得た単純な格言は「人の振り見て我が振り直せ」のようだ。

読解力に不安が出てきた日本

2017年11月28日 08時49分34秒 | えいこう語る

▼テレビでドラマを観ていて「あなた、そんなストーリーではないでしょう」と、よく妻に叱られる。ドラマなどフィクションだと思うので、真剣に観ていないからだと思うが、その分勝手に解釈し、自分でドラマの筋書きを間違えてしまうということが、間々ある。

▼昨日(27日)衆議院予算委員会でのアベ総理の答弁だ。「どうせ野党は、森友や家計問題を繰り返し質問をしてくる。こちらも繰り返し、同じ返答を繰り返せばよい。そのうち、野党はいつも同じ質問しかしないと、その進歩のなさに国民から呆れられるだろう」。そんな不誠実な気持ちで、答弁に立っている感じがした。

▼野党の質問に、時々薄ら笑いを浮かべる姿は「日馬富士も貴ノ岩も土俵に戻し、みんなで楽しく仲良くやりましょうや。それでは皆さん、万歳のご唱和を」という、白鵬の言動に似ている。二人の共通性は、国民を舐め切っているという不遜さだ。

▼白鵬の日本語の読解力は、外国人だから多めに見るとしても、我が国の総理の読解力(特に憲法)が低いというのは、国民にも影響しているようだ。国民の政治レベルが総理を選ぶからだ。

▼国立情報学研究所の調査で「中高生の読解力に不安」という結果が出た。「読解力が不十分だと、社会生活を送る上でも大きな影響が出る」と懸念している。この新聞記事は、もしかして、アベ総理を批判をしているのではないかと、私は読み取った。

▼我が国の多くの憲法学者に、憲法解釈が間違っていると指摘される総理だ。「総理の読解力不足は、国民が安全・安心な暮らしを送る上で、大きな影響が出る」ということ言っているのではないかと考えているのが、私の読解力だ。新聞社も、そう思わせるために、意図して記事にしたような気もする。

▼と思いきや、旭川の高校生2年吉田圭祐君が、第55回有島武郎青少年文芸賞に、詩では初めての最優秀賞を受賞した。題は【オー・コントラディクティオ=ラテン語で「矛盾」「自己矛盾」】という意味だそうだ。選考委員長見延典子氏の講評だ。

▼「批判精神は文学には不可欠な要素である。社会や政治への批判は自問となって跳ね返る」。だが「情感に乏しく読後に曖昧なものが残る」という批評や「言葉の前で立ち止まらせる仕掛けや、若者らしい挑戦する姿も好ましい」という批評もあったが、力量は他の作品の圧倒しているという。

▼【国家検定済み】という詩から、二編。

「後悔と航海」
数え切れない後悔をしましょう
果てしない航路を往くことで
新しい大陸を美しい山を
発見でき得るのです

(改)過ぎ去る事象一切に対し
思いを巡らすのは無駄です
今の時代に海路を辿り
世界一周を目論むように

「武闘と舞踏」
美しい舞には
それを支える肉体があります
そしてそれを動作させる
確固たる意志で成り立ちます

(改)高い跳躍は逞しい肢(てあし)から
美と力とは比例です

▼吉田君のような世の中を読む心を、アベ総理は読解力不足だとし「検閲」するのだろう。2018年から小学校で「道徳」が教科化され、通信簿に評価が記載されるらしい。その評価の指導を文部省が教師に行っているということに、昨日の予算委員会で疑問視する質問がされていた。

▼ヒットラーは民主的憲法(ワイマール憲法下)で第一党になり、「全権委任法」を制定し、一党独裁体制を確立した。アベ総理が成立を目指す「緊急事態法」は、ナチスの「全権委任法」と類似していると指摘する声がある。

▼「全権委任法」成立後ヒットラーが行った政策は、言論・出版の自由を無視し、労働組合を禁止し、教育を支配した。なんだか、我が国の今の政治体制に酷似していやしないだろうか。

▼子供の読解力不足も懸念されるが、私たち大人の読解力も高めなければ「いつか来た道」に迷い込んでしまう恐れがある。そんな危険がいっぱいな、今の我が国ではないだろうか。

▼高校生の的確な政治批判が「詩」となって現れたことを喜ぶと共に、妻に叱られる自分の読解力のいたらなさを反省している。だが、今日も読んでいただいてる方々の読解力を惑わせるような、自分の文章の読解力も乏しい私です。

国民を愚弄する『前人未踏』の白鵬

2017年11月27日 09時47分51秒 | えいこう語る

▼「前人未踏」と「前人未到」は、一字違うが意味は同じだ。未踏は「いまだかつて誰も足を踏み入れていないこと」だが、未到は「まだ誰もやっていないこと」という意味だ。

▼白鵬の40回優勝というのは、まさに「未到」の快挙だ。しかし、優勝インタビューで「日馬富士も貴ノ岩も再び土俵に上げたいとし、膿を出し切る」と異例の発言をした。これは、日本相撲協会史上「未踏」の、理事長の顔を踏み付けた越権行為だ。

▼さらにこの横綱、観客を総動員させ「万歳」を叫び、日馬富士問題をもみ消しにしようとの、得意の「張りて作戦」に出た。この張り手、国民を味方につけ、貴乃花親方の戦闘意識に注文を付けたのだ。

▼私は、優勝インタービューで、白鵬ならこのようなことを言い出すに違いないと踏んでいた。しかし、まさかの万歳には、私も白鵬の得意技「張り手とかち上げ」を同時に喰らった感じだった。

▼会場の雰囲気を利用する手法は、ヒットラーの如くだ。まさしくこの横綱は、日本相撲協会も、多くの相撲フアン(国民全員と言ってもよい)を愚弄する振る舞いだ。私なら、もし土俵の下で観戦していても、万歳には参加しない。

▼参加したとしても、一人立ち上がり、NHKのマイクに入るほどの大きな声で【白鵬・漫才!】と叫ぶ。なぜかというと、私は60年にも及ぶ大相撲の大フアンだからだ。

▼相撲観戦により、少なくとも『日本人の礼節』のようなもの、例えば、武士道精神・潔さ・根性・思いやり・阿吽の呼吸、等々。学校での「道徳教育」以上のものを、大相撲で習得させてもらったからだ。

▼さらに、内閣総理大臣杯の授与には、アベ総理の代理、ヒットラー礼賛男「アソウ・ミゾユウ財務大臣」が土俵に上がる。アソウ大臣が杯を渡した時の、言葉を解読すればこうだ。「ゼンジンミトウ・ミゾウユウの活躍、カンゲキした。日馬富士問題も加計学園問題も、これで千秋楽にしたい」。

▼総理大臣杯授与は、国営放送を通じた「日本相撲協会もアベ内閣もあらゆる国難を排除し、連戦連勝の快進撃を続けている」という、大本営発表とも読み取れた。「国技」とは「国欺」と似ていると感じた、九州場所が終了しての、私の得意技「憶測解説」である。

▼さらに、もう一つ発言を許してもらえれば、日馬富士問題は、今後【白鵬問題】として、メディアで、解剖・分析をしていただければ、我が国の礼節を考える上での、教科書的存在になると思うが、いかがでしょうか。

▼いやのものなら、触れなければよいのだが、アベ総理も白鵬も、なんだか気になってしまうのが人間の性というものらしい。カトちゃんの「ちょっとだけよ」というのが、人間らしい人間なのかもしれない。「ちょっとだけよ」が「もっともっと」となるのも、悲しい人間の性のようにも思えるけど

白鵬優勝の一番を解説

2017年11月26日 09時23分51秒 | えいこう語る

▼日馬富士暴行事件で、揺れに揺れる九州場所14日目。「白鵬対遠藤」の勝負は、モンゴル人横綱白鵬に、前人未到の40回の優勝をあっさりと差し上げてしまった、あっけない結果となった。

▼立ち合い、白鵬の得意技、左張り手が出る。遠藤少し顔を左に動かした瞬間、白鵬の右肩の強烈なかち上げが待っていた。このワン・ツーの「モンゴル・ラリアート」に、なすすべもなく、半ば失神状態で土俵を割った遠藤だ。

▼「ごっちゃんです」と、山のような懸賞金をごっそりいただく白鵬。金庫から、つかみ放題のお金を奪い取っていく、石川五右衛門の如き貫禄溢れる風貌だ。「よっ!大横綱」というよりは「よっ!大統領」が似合いそうな白鵬だ。

▼花道を引き揚げる後姿からは「40回もの優勝だ。これで日馬富士問題も、モンゴル部屋有利に働くだろう。日本相撲協会も俺には逆らえないだろう」というような、背中からの囁きが聞こえてきた。さらに「俺は(心・技・体)をはるかに超越した(土俵の神様)になったのだ」という声も。

▼負けた遠藤の談話だ。横綱の左の張りては、今場所は「ゲンコツ」で来るぐらいは覚悟していた。張り手は我慢したが、次の瞬間、ハンマーで強打されたような衝撃が走り、気が付いたら土俵に出ていた。世界ミドル級チャンピオン、村田諒太選手のパンチを食らったような感じだ。

▼「張り手に勝ちあげ」。これは白鵬だけに許された、伝家の宝刀だ。「日本相撲協会」という看板は、白鵬に持ち去られ、新たに【倭国モンゴル相撲協会】の看板が架け替えられた・・・というところで、私が相撲解説を行っている夢から覚めたのだ。

▼57歳で亡くなった、北の湖が大好きだった友人が、テレビで相撲を一緒に観ていて「お前は今度生まれた相撲解説者になったらいい?!」と、言ってたのを思い出したので、昨夜の夢になったのだ。

天下りを容認する環境

2017年11月25日 09時04分05秒 | えいこう語る

▼先日、私が所属する下部組織の会議で、「天下りを容認するか」という討議を行った。実は、上部組織の事務局長に、役所からの天下りを受け入れる案が起きたので、下部組織からの代表で上部組織に参加している私は、下部組織の意見を聞くため提案したからだ。結果、「天下り容認」で、意思統一がなされた。

▼私が所属する上部組織は、役所からの補助金をいただいている。その関係で、数年前まで、関係部署からの天下りが、恒常化していたのだ。天下り問題が社会問題になった経緯もあるので、組織の自主性を重んじるため、天下りはよそうということになり、民間人を登用し、5年ほど経過した。

▼だが、再び天下りを受け入れようとする機運が持ち上がってきた。探りを入れてみたが、組織の上級幹部に、役所からの何らかの働きかけがあったようだ。上級幹部は、いわゆる「忖度」して、上部会議に、役所との連携を密にしなければならないので【人柄も良く事務能力に優れているなら、ならそれもありだね】という発言をしてきた。

▼様々な意見が出たが、絶対反対派は私一人のようだ。役所だからと言って「差別し排除」するのかという意見が私に浴びせられた。他の人たちも「差別と排除」という言葉に心を動かせられたのか、心の中では「天下りはいけない」という気持ちを残しながらも「人物がよければいいじゃないか」という、組織維持論が前面に出た流れとなったのだ。

▼それでも任用の決定は、上級幹部のみで選考という慣習を、上部組織全体で選考するというところに落ち着いた。だが、役所からの応募しかいませんでしたという、流れになるかもしれない。加計学園の設置を、文科省が基準を下げて、それに学園側が合わせることで認可させるという、一見合法的にみえる手法もあるからだ。

▼日馬富士問題で、貴乃花親方が警察に届けた。だが、組織を無視し混乱させたというすり替え論法で、12月の地方巡業から、巡業部長である貴乃花親方を排除するという。

▼加計学園問題でも、当時、文科省事務次官であった前川氏が、組織を批判したことで排除された。北朝鮮問題も、ミサイル攻撃されると声高に叫んで、憲法9条を排除する流れが出てきた。なんだか、世の中が逆さまになっていくような気がしてならない。

▼世の中が安泰でいるためには、異端児扱いにし、排除するという「村八分」という手法が、我が国には古くからあるというのも十分承知している。さらに「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の教えを、組織の都合の良いように解釈する、日本人特有の考えもあるのも承知だ。

▼ふと、我が同盟国アメリカの「自由の女神」を思い出した。その顔が、9:11後に、ブッシュ大統領の「テロへの報復決議」に反対した、民主党下院議員、バーバラ・リーさんに変わった。

▼採決は【賛成420・反対1】だ。しかも、出身地はブッシュ大統領と同郷のテキサス州だという。民主主義とは、多数決が原理だが、少数の意見を尊重することで、その存在が輝く。

▼だが、一人ぼっちというのは、結構疎外感が漂う。心がバラバラ・リーさんになりそうな感じがする「天下りを容認する環境の中の」心細い私だ。