函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

「その日その時」・1

2009年10月31日 13時52分13秒 | えいこう語る
20数年前からのスクラップブックがある。
このまま部屋の片隅に眠らせているのは、スクラップブックには失礼かと思う。
「その日その時」自分は何を考えていたのかを、再確認してみたいとそんな気に駆られた。
秋が静に深まっていく田舎暮らしの日々が、そんな思いにさせている。

平成13年5月13日
「自然林伐採についての請願書」
椴法華村民は、海を生活の糧とし、家族を養い、村を繁栄させてきました。
海は生命を守る母であり、人生を語り合える父でもあり、未来永劫においても海は私たちにとって命の源であります。
しかしとりわけ戦後から私たちは、自分たちの生活の利便性や快適性に目を奪われ、自然に対しなんら共生や感謝の心もなく、破壊行為を続けてきました。
20世紀は環境破壊の世紀とも言われていますが、椴法華村町内会連合会も「新しい村づくり」の一環に、「環境保全」を取り上げて活動しています。
東北地方にある港町では「森は海の恋人」という、人々の琴線に触れるテーマで、漁民が森林を育てている現状も、感動を持って理解しています。また北海道えりも町の漁民の植林活動から、海の豊かさの源は、背後に控える森林の賜物であるということも実証されています。・・・・・・・

これは私が町内会長をしていた時、大雨が降るたび海が茶色に染まるという状態が続き、その原因が森林伐採と林道の取り付けによるものではないかとの結論に達し、北海道道有林管理センターに出向き、請願書を置いてきた時の文章である。
後日役所の人から聞いた話だが、センターの職員がこの文章を読むと胸が詰まる思いがすると、語っていたという。
政権交代がなされ「脱官僚」の旗印が目立つが、役人にも真剣に国民のことを考え、仕事をしている方も多いと思う。
そんな善良な役人が仕事をしやすい環境を、つくってほしいものである。
官僚すべてが「悪」という報道には、いささか違和感を持つ一人である。
 
寒気が入り込んでいるが、今朝庭につつじが咲いていた。
 「狂い咲き」という言葉も、妖しいけど、ちょっぴり美しいものだ。



秋も深まる

2009年10月30日 11時53分09秒 | えいこう語る


昨日の朝はめっきり冷え込んだ。
居間の窓に一番近いもみじが赤く色づいた。枝ぶりや葉の形が一番いいモミジなのだが、例年ほとんど紅葉しないまま葉が落ちてしまう。
それが薄っすらと色づいたのだ。なんだかいいことがありそうな予感がする。
夕方函館に向かった。
この季節は、行きは山道を走り、帰りは海岸道路を戻ってくる。
紅葉は10日ぐらい前が、最高潮だった。しかし早朝急激に冷え込んだせいか、最後の血の一滴を絞り出したように、赤が鮮やかに山を彩っていた。
今季最後の紅葉の舞台を、見事な演出で観せてもらった。
大自然の粋な演出に、カンシャ・カンゲキ・雨・雪!?だった。
村を出発する時、突然の雨、隣町の恵山町では路肩に薄っすらと雪が積っていたのだ。
岩魚を焼いて、熱燗を注ぐ。そろそろ『骨酒』の季節かと、相変わらず季節感は日本酒を中心に考えてしまう、いつもの私でした。
それにしても、前日の『キノコ汁の集い』。
お昼から飲み始め、河岸をかえて飲み納めが真夜中の零時とは、われながら厭きれ返るしだいである。
健康診断の結果も、肝臓の指数が正常だとは、これも秋れかえる!?


キノコ汁の集い

2009年10月29日 14時34分31秒 | えいこう語る
『たまには昔話でもしましょうや』
と言うタイトルで、昨日町内会館を使用し、近所の年配者に呼びかけ、秋の味覚『キノコ汁』を囲んで、昔話に花を咲かせた。
この企画は昨年から出ていたが、なんだかんだと延び延びになり、一年がかりで実行されたものだ。
私の飲み仲間で山形出身のSさんは、川魚釣りとキノコ採りの名人だ。奥さんは私の村の出身で、料理の名人だ。二人の名人が腕によりをかけて、テーブルには結婚式のようなご馳走がたくさん並んだ。
おしゃべり迷人!の私が、村史から抜粋した出来事を明治から順に話しを始めた。
ところが昭和16年辺りから、皆さんの目が輝き始めた。
昭和20年7月15日。我が村は米軍機の機銃掃射を浴びた。
燈台・小学校・役場・郵便局が被害を受け、4名の死者が出た。その件になると、次ぎ次に自分の体験を話し始めたのだ。
「あの日は日曜日だった。・・・」と、まるで昨日の出来事のように話し始める。
機雷が船に当たらず、砂浜に打ち上げられた時、波打ち際で海水や砂が飛び散る様子などは、ものすごい迫力だった。
普段寡黙なお父さんも、みんながびっくりするような、ワンマンショーを始めた。そのうち若い頃の恋愛話にも花が咲き、町内会館は久しぶりに笑い声で溢れかえった。
函館市と市町村合併し5年になり、町内会活動も以前より活発でなくなり、会館の使用度もめっきり減った。
今日はみんなが集まり、一番喜んでいるのは実は町内会館ではないのか言うと、みんながそうだねとうなずいた。
会場に流れたBGMは、志村建世さんから贈っていただいた、懐かしい文部省唱歌のCDである。みんなが昔話に花が咲いたのも、その効果が絶大のようであった。

朝、風の吹く方角に向かって立つカモメたち。



花をいける

2009年10月26日 10時14分15秒 | えいこう語る
男のくせに・・・花をいけるのが好きである。
男のくせに、と言われてきた時代の生まれだから、自分でもそう思っている。
庭や野山の花や木を、勝手に並び換えているだけである。
写真は庭の石楠花が伸びたので枝を切り落としたのと、庭に咲き乱れていた菊を並べたものである。


生け花を習ったことのある妻は笑っている。
来月長野に行くので、石楠花は信州の山並で、その麓の民家に咲く菊、水盤全体は野尻湖をイメージしたものだ?
読書の秋なので、今、向田邦子の作品を読んでいる。
『花をいけるということは、やさしそうにみえて、とても残酷なことだ。花を切り、捕らわれびとにして、命を縮め、葬ることなのだから。花器は、花たちの美しいお棺である。花をいけることは、花たちの美しい葬式でもある。この世でこれ以上の美しい葬式はないであろう。』こんなことが書かれていた。
朝起きて、私のいけたのを見たら、信州のイメージが、映画「おくりびと」の、山形の風景に見えてきた。


交尾

2009年10月25日 13時09分13秒 | えいこう語る
今日は秋晴れの好い天気なので「交尾」という、ちょっと意味深な題でもいいかなと思う。
この頃の就寝前の読書は、専ら向田邦子さんの短編小説である。
質力の見事さは私が言うまでもないが、向田さんは女性としても、とても魅力溢れる素敵な人のようだ。作品を書きながら、読者をまんまと罠にはめ、ひそかに喜んでいるように見える。ウィットに富むいたずら好きの可愛い女性のような気がする。
「三角波」という作品。
ある女性と結婚する男性とその男性の部下との、女心と男心の物語である。
結婚式が近づくが、部下の男性の言動から、女性はもしかしたら部下の男性が、自分を愛しているのではないかと思い込む。
初夜のホテルにも、仕事の打ち合わせのように思わせる、電話が部下からかかってくる。夫も妻も気分もそぞろになってしまう。
結論は、部下はその女性を愛していたのではなく、部下は上司である夫を愛していたという、どんでん返しの物語である。
その物語のなかで、女性が勤める会社のトイレの小窓から外を眺めると、電線に番と思われる二匹の鳩が飛んで止まったが、もう一匹の鳩が飛んできて、メス鳩と交尾をするという場面がある。なぜ隣にいた鳩は攻撃しないのだろうという、きわめて巧妙な伏線場面である。
そこでふと思い出したのだ。
今年の夏のことである。村の中に私の親戚が経営している酒店がある。
ビールを買いに行くとそこの長男が、店の裏で飲もうと私を誘った。
裏は堤防があって、前は広大な太平洋だ。
堤防はちょうどバーのカウンターのような高さだ。ここで飲むの最高なんだという。・・・『バー・太平洋』なかなか雄大である。
カモメ数羽飛んで来て、水面に向かい上下に飛び始めた。何と、カモメの交尾が始まったのだ。
60年も海の村に住んでいて、カモメの交尾を見るのは始めてである。
二人とも真顔になってカモメの特別ショーに見入っていた。
{ごくりと喉が鳴ったのは、ビールが喉元を通り過ぎた音だったのか、生唾を飲み込んだ音だったか・・・}
なんて、私も向田邦子の世界に引きずり込まれてしまったようだ。
向田さんは、つくづく短編の名手で、素敵な女性だと思う。