函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

鈍感になっていやしないか

2011年07月31日 12時41分29秒 | えいこう語る
日々の会話で、東日本大震災についての話題は、随分減ってきたようだ。
「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」「人の噂も75日」という言葉があるが、恐ろしいことや厭なことをいつまでも引きずっていては、心身ともに滅入って生活のリズムも壊れてしまう。人間は長い年月生きなければならない、だから忘れるようにしようとする、防衛本能と再生能力の現れなのだろう。
福島産の牛肉から高濃度のセシュームガ検出され、出荷禁止になった。
福島産の牛肉など私たちの地域には出まわってきていないと思っているのか、ほとんど話題に上らない。
果たして牛だけだろうか。豚や鶏、野菜などなぜすべて検査しないのかという疑問すら会話に上らない。
電力会社や保安員による、原発講演会でのやらせ問題についても、そんなことはどこでもやっているだろうという位の反応なのだろうか、話題外である。
北海道について言えば、日本最北の地、稚内の近くに人口2,600の幌延町がある。ここには高レベル放射性廃棄物の処分方法を探る深層研究センターが建設され、2001年に稼動している。研究センターといっているが、福島原発事故以後、放射能廃棄物の処分場になる危険性を孕んできたと新聞は報じている。
広大な大地北海道、十分考えられることである。
一時期幌延問題は道民の最も関心が深かい問題だったが、幌延問題が何であるのかさえ、忘れてしまった人が多いのではないだろうか。
もっとも気がかりなのは、泊原発についての北海道電力会長の発言だ。
「北海道が反対しても、国が推進といえば従わざるをえない」と、笑みを浮かべての発言だ。
いつから北海道電力は日本電力に社名変更したのかと、会長の頭を解剖したくなる。
これらの北海道についての原発問題にも、周囲はほとんど反応しなくなっている。
※友人が写した函館から見える、大間原発。手前が函館空港で飛行機が飛び立っている。
対岸左側に原発のクレーンが見える。


こんな新聞記事も見落とせない。
「チェリノブイリの事故は、広島型原発の200個分の放射性物質を撒き散らしたが、福島原発事故では同型の20個分を撒き散らしているという」実に恐ろしい話である。
にもかかわらず、セシュウムやプルトニウムなどという言葉も、カルシュウムなどと同じく、サプリメントの一種のように感じで、聞いているのではないだろうか。
もう一つ例に挙げればノルウエーのテロ事件である。
一人が70人以上も殺害したというのに、だれも話題にする人はいない。
ノルウエーでは死刑が廃止されているので、禁固30年が適用されるという。
こんな事件を機に、死刑問題について世論を喚起しようという気も見えない。
サリン事件の浅原はどうしている、というような報道も出てこない。
震災の復興に増税の話が出ているが、増税はやむをえないと思っているのか、国民の怒りもさっぱり聞こえてこない。
だんだん鈍感になる国民、これから我が国のシナリオはどんな結論が待っているのか、なんだか恐ろしい気がしてならない。


ちょっぴり休息

2011年07月30日 15時31分59秒 | えいこう語る
昆布漁も最盛期だ。
家でテレビを観ているとすぐ横になり眠くなる。本など1ページ読むか読まないうちに眠気が襲ってくる。身体が疲れているのだ。
休みたいと思うが、疲れているのは私だけではないのだ。
もっと大変な仕事もある。福島原発の最前線で仕事をしている人たちの事を考えてみる。それに比べれば疲れたなんて口に出せはしないなどと思いなおし、毎朝4時前には布団から起き上がるのだ。
ところが昨日、阿弥陀様が私に休息を与えてくれたのだ。
私のお寺の、住職の父上が亡くなったのだ。
父上は、北海道有珠善光寺の18世御住職である。
NHKテレビ「ゆく年くる年」の北海道での除夜の鐘は、この善光寺の鐘である。徳川幕府直轄のお寺で、今は国の重要指定文化財となっている。


縁があってこの御住職の次男が、私の村に就任したのだ。
来た当時は独身だったので、葬儀やお寺参りのときは、父上がとどほっけ村まで来て、次男を一人前にするのに指導したのである。
父上は私の父と同じ、大正11年生まれである。
とどほっけに来る度、若輩の私に向かい「息子がいつもお世話になっています」と言い、手を合わせ「南無阿弥陀仏」と、何遍も唱えてくれるのである。
天下の善光寺の御住職に手を合わせられると、私は三蔵法師に叱られる孫悟空のように小さくなってしまうのだ。
朝起きて眠るまで「南無阿弥陀仏と唱えるんです」と言っていた。今生きている、そのことにも感謝するということなのだろう。


昨日、檀家を代表し総代長と二人で、告別式に出かけてきた。
出発する朝の4時、すでに昆布漁中止の回転灯が回っていた。船頭さんに迷惑をかけなくてよかった。こんなことも「南無阿弥陀仏」かなと思う。
告別式は知恩院と増上寺からも御住職がお参りに来ていた。
亡くなった御住職は、終戦当時は樺太のお寺にいたという。
飲むとロシア語で必ず「カチューシャ」を唄った。
いつも元気はつらつとした奥様は、生粋の日本人であるがブラジル生まれである。
そんな粋な御住職らしく、茅葺の住みなれたお寺から、キャデラックに乗って火葬場へと向かった。


私は大きな声で「南無阿弥陀仏」で見送った。
車の運転は往復7時間だったが、ゆったりした気持ちで1日を終えることが出来た。休息を与えてくれた御住職に感謝です。


地デジ・テロか?

2011年07月27日 13時36分10秒 | えいこう語る
永年親しんだアナログ放送が終了した。
終了の瞬間は見なかったが、普通ならアナログさんご苦労様でしたというべきなのだが、あまりにも地デジの画像が鮮明なので、すでにアナログは遠い過去の存在として忘れ去られていた。
さすがのアナログも「今まで散々世話になっていながら、俺を捨てやがって」と、怒ったのではないかと思う事件が、我がとどほっけ村で起きたのだ。
19、20日と、地デジ放送が故障したのだ。
私の地域は、テレビの移りが悪いので、ずいぶん前から共同アンテナ方式をとっている。
急に地デジ放送が見られなくなったので、アンテナの調整と思い、アナログ放送に切り替えて、テレビを見ていたら、なんと、共同アンテナに取り付けた地デジ用の部品が盗まれたというのだ。
アンテナは私の店の近くにある。おまわりさんが調べに来たり、NHKの人がやってきたりした。
盗まれた部品は特に高価なものではなく、5万円ほどのものだという。
なぜそんなものを盗むのか理解できないという。
※夕暮れ時のようなな朝。


先日ノルウエーで、70人を一人で殺害した、凶悪なテロ事件があった。
ノルウエーでは1970年代に労働力が不足し、大量の移民を受け入れた。
そのことにより、国家が安定を失うのではないかと危機感を持つ極右勢力が、移民排除の行動をしたらしい。
そこでふと考えてみた。
「特別国民に説明なしに、地デジに切り替えるよう強制し、ある日テレビを見られなくする。これって、国家の国民に対するテロではないだろうか。それに反発し、地デジのアンテナの部品を盗み、地デジを攻撃した。そう思いませんか」と、お巡りさんに聞いたら笑っていた。
わが村の盗難事件、私には、国家の横暴に対する些細な国民の抵抗に見えたが、皆さんはいかがでしょうか。


世の中、視点がぼやけていやしないか

2011年07月23日 11時45分13秒 | えいこう語る
ライト兄弟の飛行機が滞空時間59秒を記録したのは、1903年のことである。
※川が海に入っていく、この場所が好きだ。


それから50年もたたないうちに、鉄の塊の飛行機が大勢の人々を乗せ、世界中を飛びまわっているのだ。
それから50年ほど経った現在、地球の人口はその時の2倍だという。
この人口増は何を意味するかといえば、多くの人間が暮らしていくためには、エネルギーが必要であるということである。
この一世紀、人類は「進歩」というテーマに酔いしれ、未来は常に現在より自由で、幸福な社会に違いないと確信して、未来世代へ大きな負の財産を残してきたのである。
人口が2倍に増えたら生活水準が2分の1になるのが当然だという理論は、人間世界には通用しない。人間は「万物の霊長」と思い込んでいて、自然界のあらゆる物を支配することが可能だと思い込んでいたようだ。
化石燃料がこのままでは枯渇するので、代替エネルギーをという視点は正しい。
再生可能でパワーのある原子力エネルギー、安全で環境にやさしいというキャッチフレーズに、異論を唱える国民は少なかった。
人類の滅亡に使われそうな原子力が、人類の存続にとって極めて有益であるという、国挙げての宣伝がおこなわれてきたからである。
悪人が悔い改め、救世主として生まれ変わった、そんな感じではなかっただろうか。
戦後の高度成長経済、人々は「成長と進歩」に酔いしれ、人類を滅ぼしかねない原発の存在を、すっかり忘れてしまっていたのだ。
3:11東日本大震災による福島原発の事故、放射能被害がそう大きくないという政府の「大本営発表」に、もはや国民は不信と危機感を感じるだけである。
国内の人口の現実を直視してみよう。
少子高齢化の対策は何一つ解決していない。
私の住む函館市、平成16年12月の市町村合併時で、人口が30万人になったが、現在は2万人減である。その中の私が住む椴法華地区も半世紀前には4,000人いた人口が1,000人に減った。
日本は今、極端な人口減にある。
電力量は今まで以下でいいはずだが、人口減を勘定に入れず、電力は今までと同じだけ確保しなければならないと、思っていやしないだろうか。
原子力発電に頼らなくても、エネルギーはまかないきれるのではないだろうか。
「環境保護か経済成長か」という選択にせまられる21世紀である。
環境保護そのものは「成長なき経済の重荷を負う」ことになる。しかし、経済成長そのものが人間にとって果たして有益なのかを私たちは、3:11以後の今、じっくり考え直す必要があるのではないかと思う。
「国に破れて山河あり」という言葉がある。
「国栄えて山河なし」という風景は見たくないものである。
21世紀は20世紀に人類が破壊した環境を、元に戻す努力をする世紀である。
地球の存続にとって、危険なものは当然排除しなければならない。
それはじわじわとすべての生命を脅かす、原子力発電所である。
              加藤尚武著「環境倫理学のすすめ」参照。


どう考えてもおかしい

2011年07月22日 12時43分16秒 | えいこう語る
福島産の牛肉が放射能に汚染されているから回収するという。
降ってきた放射能が干草に堆積され、それを食べた牛から高濃度の放射能が発見されたという。ということは、福島産のものは全て出荷禁止にしなければならないのではないだろうか。
原発事故がまったく収集のめどがついていないのだ。もしかして、いやもしかしなくとも、福島は人が住める環境にはなっていないのではないかと考えてしまう。
私の記憶にはないが、2003年4月、東京電力は福島第一原発1号機の、蒸気を再循環使用するために出来た傷6ヶ所を、3ヶ所と偽って報告し、その問題で原発17基すべてが運転停止にまで発展したという。
この責任をとって、社長・会長ら5人の経営幹部の辞任があった。
その内部告発は東京電力の内部からではなく、原子炉などの発電設備の点検作業を請け負った、ゼネラル、エレクトリック・インターナショナル社の、元社員によっておこなわれている。
告発者がアメリカから出した英文の手紙が、通産省に届いたのが2000年7月であったのに、経産省原子力安全保安院や東京電力の記者会見があったのは、2002年8月である。
とにかく、信用ならないのが保安院と東京電力である。
※津軽海峡を北上してきたフェリー。放射能が付着していないかなどと思ってしまう。


昨日の北海道新聞である。
福島原発事故により周辺海域でのコウナゴ、シラス、ウニ、ワカメなど10種以上の水産物から、暫定基準を超える放射性物質が検出されている。さらに海水や海底の土から高濃度のセシュームとストロンチュウム90、そして半減期が2万4千年のプルトニウム239が検出されたという。
天気予報のように、毎日放射能量を発表してみてはどうか。
原発などは絶対建設を認めないと、国民は叫ぶだろう。
そして何より、真実を発表することが、福島県民の生命を守ることにつながらないだろうか。
嘘の上塗りで被爆者を増やしては、節電どころの話ではない。
東京電力という会社は、大量殺人会社になってしまうに違いない。
国民もそんな犯罪の片棒を担ぐような真似をしてはならない。
函館市議会もやっと大間原発建設凍結の決議をした。
今までは市民の原発反対の声に知らぬふりをしていたが、そうも出来ない現状になってきたのだろう。
大間町が作るというなら作ればいい。
作るなら大間町をすっぽり囲む、分厚いコンクリートドームの中で、周辺に迷惑をかけないという前提だ。
それが隣近所の、付き合いというものではないか。