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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ブログを休んだ理由

2015年07月22日 12時28分03秒 | えいこう語る

🔽60数年の人生で、身の毛もよだつほど苦手だった蝮を、生まれて始めて退治したというブログを最後に筆が止まってしま      ったが、蝮の逆襲にあって足を噛まれたということではない。養殖昆布漁が忙しかったからだ。早朝4時半から手伝いに行って帰宅するのは午前10時だ。乾燥場で乾かされた昆布の収納は、午後3時半から1時間半ほどだ。この時期の昆布の成長は、長いもので7メートルもある。それを洗って切って竿にかけ乾燥させる作業だが、相当な重労働だ。作業が始まって二週間以上が  経つが、すでに2キロはダイエットされたようだ。こんなに苦労するのだから、昆布も絶妙な味を出し、日本国中の食卓で活躍してくれると考えれば、おのずと作業にも張りが出てくるというものだ。高齢化の地域にあって、手伝いには80代のおじさんやおばさんも来ている。私など弱音をはいている暇などないのだ。といっている間に、作業開始の午前4時半に近くなったので、一旦書くのを中止したい。ブログヲ書かなければと思い、今朝は午前3時に、起床したからだ。起きたのはいいが、ブログを書くまでに、頭がぼやっとしていたので、書き始めが遅くなったからだ。

🔽やっと、昆布の手伝いから戻ってきた。午前10時少し前だ。昆布のぬめりが身体中についているので、シャワーを浴びる。朝食をとるが、すぐに眠気が襲ってくる。新聞を開くと、東芝の粉飾決算や、安保関連法案の強行採決、それに新国立競技場の建設変更の話題だ。あほらしくて深読みする気にもなれなく、眠ってしまった。いくら眠いとはいえ、午前中の眠りは20分ぐらいで目が覚めてしまう。意識が混濁しているところに一通に手紙が届いた。差出人は東京の「公益財団法人・地方自治研究所」というところだ。内容は、平成の大合併に関する検証作業を行っているので、町会長の私に取材したいというものだ。

🔽私の村は合併する前は、北海道一面積の小さな自治体だった。大きな自治体より、小さいほうが目立つのだ。町会活動に参加したのは30数年前だが、生き生きした町会活動は、自治問題そのものだと考えていた。その自治体が経営困難に陥り、あっさりと経営権を函館市に譲渡してしまったのだ。「地方自治体は民主主義の学校」という言葉がある。地方自治の問題は、民主主義が成熟しているかの問題でもある。

🔽疲れきっている場合いなどではない。戦後からの我が村の自治経営がどんなふうに推移してきたか、自分の目で見、そして体験したことを下に、なぜ合併したかの私なりの総括をしてみたいと思っている。そして出来れば、自治問題の研究員に、アベ政権になって民主主義が壊れていくことが、地方自治にどんな影響を与えるかも訊ねてみたいと思っている。


鼠に睨まれた蛇

2015年07月13日 14時17分25秒 | えいこう語る

🔽「蛇に睨まれたカエル」というのは、逃げ場も失い絶体絶命という状態だ。私は蛇が嫌いだからこの言葉が大嫌いだ。私は子年だ。カエルと同様蛇に狙われる運命だから、なおさらそう感じるのだろう。60数年も生きていると、蛇ぐらいは一度捕まえてみたいと思っている。つまり「鼠に睨まれた蛇」そんな逆転現象を、生涯一度だけでもチャレンジしたいと前々から思っていたのだ。

🔽私の店の土地環境が良いせいか、毎年夏に、店の庭先に”蝮”が出るのだ。夏が出産時期なのか、お腹が膨らみ動作も鈍い。私を威嚇はするが飛びかかってはこない。でも蝮なので、近所の名人を頼む。いとも簡単に首根っこを抑え、捕まえては山の奥に逃がしてくるのだ。確保してくれる人は二人だが、双方とも人間に危害を加えたわけではないといい、逃がしてくれるのがありがたいと思う。

🔽さて今年こそ蛇を確保だと心に決めた。長い竿の先に針金で輪を作り、そこで首を絞め捕獲する計画だ。決戦の日は早くもやってきた。先日、草刈機で庭の草刈っていると、何やらごそりと動くものがいる。出たー!蝮君だ。ぐるりととぐろを巻いて「鼠男さっさと、あっちえ行ってしまえ」という態度で、舌なめずりをする。私は武器を持っている。草刈機だ。草を刈り込むナイロンを回転させ、蝮の首を攻撃した。さすがにグッタリしたが、蝮は戦闘体勢を崩さず、鼠男に向かってフャイテンブポーズをとる。

🔽そこで捕獲道具を取り出して首を閉めようと思ったが、まるで輪の中には入らないのだ。終いにはそばにあった大きな石の下に逃げ込もうとする。そうなれば逃げ切られると思った瞬間、蝮の首が輪の中に入った。針金を閉め首をつかんだが、体を竹ざおに絡ませ、嫌な雰囲気になる。確保はしたが、どこに捨ててきたらいいか、そこまでは考えていなかった。裏山に捨てれば傷が癒えたらリベンジされるかもしれない。海にと思ったが、蛇は泳ぎが得意で回復後にリベンジされるかもしれない。と言って、自家用車に乗せて山奥に捨ててくるなんて、そんな不気味なことはできない。結局名人にお願いし、山奥に逃がしてもらった。

🔽60数年間、蛇に睨まれたらすくんでしまった鼠男が、やっと蛇を睨み返したのだ。その夜祝杯を挙げた。だが、夜中に両足のふくらはぎが突っ張って、悶え苦しんだのだ。蝮の祟りか?。でも蝮を退治した鼠は、なんだか胸を張ってもいいように思えて、とても嬉しかった。


函館市町会連合会と電源開発

2015年07月09日 14時07分22秒 | えいこう語る
  • 大間原発を建設する会社が、電源開発だ。3:11に福島原発が爆発した様を見て、安心・安全なクリーンエネルギーと謳われていた原発が、一旦事故があれば原爆同様の被害が発生することを国民は実感した。そこで安心・安全なまちづくりを活動の基本とする函館市町会連合会が立ち上がり、14万6184筆の反対署名を集め、電源開発本社と経済産業省に提出してきた。その際両者に住民への説明会を要請して来た。その要請に応じ、電源開発側から7月中に市町連幹部と打ち合わせをしたいという電話が入った。現在函館市側は、国と電源開発に対し大間原発の建設差止め裁判を行っている。そこで、市の総務部にすぐ連絡に出かけた。市側では裁判中なので、なるべく直接接触は避けて欲しいという要望があった。
  • 2回目の電話が電源開発側から入り「打ち合わせ(住民説明会?)の前の打ち合わせをしたいので、8日がどうか」という。本社から1名と大間の現場から1名だ。話し合いを断るわけにもいかないし、市町連は三役が対応することにした。三役とは会長・副会長5名・それに総務部長の計7人だ、それに事務局長が速記役として参加する。
  • 会長が開口一番「私たちが市民の最大の組織だが、そこに十分説明したので、函館市民全体に説明したという、アリバイ作りをされては困る」と、先制パンチを食らわした。私が数えるだけで、この言葉を1時間の打ち合わせの中で、3回強調した。会長は普段は穏やかに見えるが、実は、以外としぶとい性格のようだ。会長の奥様は、結婚前ミス00町といわれた美人だ。いざとなれば猛ダッシュをかけるのだろう。それはさておいて、電源開発側から「皆さんを大間原発の現場に招き、そこで説明したい」と申し出があった。これにも会長の発言が頼もしい。「我々は技術者でもなく学者でもないので、建設現場で説明されても、ちんぷんかんぷんだから、行ってもしょうがない」と軽快なジャブを飛ばした。さらに他の幹部は「どうせなら、大間より福島原発を見学したい」と、ボディー攻撃だ。それは結構なダメージを与えたようだ。ボディーを抑え、屈みこんでしまったという状態だ。
  • 実は、電源開発が市町連と話し合う内容を市側は事前に察知していたのだ。「福島原発見学は」実は市長がジョークでそういっていたのを聞いて、私どもの幹部がそのジョークを使っただけなのだ。函館市長のブラックジョークも、さすが団塊世代だと思わせる、切れ味のよさだ。7日に第5回口頭弁論が東京地裁であったが、弁護士任せばかりではなく、たまには法学部出身の市長の本領をのブラックジョークも交えて発揮してもらいたいものだ。
  • さて、電源開発との打ち合わせ終了後、市の総務部へ内容を報告に。市側と共同戦線を張りながら、市民戦を展開する市町連だ。といいながらも、流れとしては市町連を所管する市民部を通してから総務部へというのが本来の流れなのだが、つい市民部を通り過ぎてしまったことを深く反省している。市民部の皆さん今後気をつけます。
  • その後函館市議会を傍聴する。高齢化と役員のなり手がいないことへの、市の関与をM議員が発言。地方創生に中での、町会の強化を質問したものだろう。さらに、大間原発の裁判状況をもっと市民に判りやすく説明して欲しいとの質問もあった。
  • 7日の第五回口頭弁論で、市側の弁護士から、市町連の14万の反対署名の重みを強調した発言があったことは、新聞各社が記事にしている。市議会では、町会加入率が59%に下がったことも懸念されていたが、安心・安全という、新たな取り組みの中で、全国から支持される町会をめざすことも、町会の魅力につながるのではないかと、ふと考えさせられた、早朝4時に昆布漁の手伝いを5時間し、午後から電源開発との話し合い。その後、市の総務部への報告、さらに市議会傍聴。何かと忙しかったが、充実した7月7日の七夕だった。
  • 私の願いは、10月21日に決定した、(仮称)大間原発反対市民総決起集会が成功しますようにと、夜空に向い祈りました。昨夜は夢を見ないで熟睡でした。

核廃棄物処分場

2015年07月05日 14時09分19秒 | えいこう語る
  • 原子力発電所から出る、高レベル核放射性廃棄物(核のゴミ)の処理が問題になっている。なぜ問題になっているかといえば、原子爆弾の原料になるからだ。今のアベ政権の「安保関連法案」を世界中はどう見ているのだろうか。米軍と肩を並べる軍隊を保持し、やがて原爆を保持するだろうと考えているに違いない。世界からそう思われているので、どうしてもこの核のゴミを資源ごみとして再利用しようとしたのが、「文殊の智恵」から名付けた高速増殖炉「もんじゅ」だ。
  • だが運転開始早々事故が発生し、いまだに回復の目処が立っていない。一日の維持費が、6,000万円とも言われている。だが、電気料金徴収には、総括原価方式なる魔法の方程式があり、電気料金に加算されるので、被害者意識のない、まさにイリュージョンだ。そうこうしている内に、福島第一原発事故が起きた。だが4年経った今でも、原子炉の内部も開けられない状態で、汚染水さえコントロール出来ていない。事故があったら、手が付けられないのが原発だ。本来、原子力発電所ではなく「核発電所」と呼ぶのが正しいようだ。
  • 全国から核のゴミを集める、青森県の「六ヶ所村処分場」も、事故により開店休業状態だ。そこで登場したのが、世界初の、フルMOX燃料(ウラニウムとプルトニウムの混合)の核のゴミを一気に燃やそうとする、大間原発だ。驚くのは水力や火力発電は得意だが、原子力は初めてという電源開発という会社だ。背中には「国策」という刺青を彫っているらしい。札束と代紋の凄みをきかし、地元民を手なづけたに違いない。・・・いつものように話がそれてきたので、本題に戻そう。
  • 戦後、高度成長経済をまっしぐらに駆け上った東京は、ゴミ処理が大きな都市問題となった。それを解消しようとしたのが、東京湾埋め立て計画だ。それは土地の有効利用につながった。だが、核のごみは焼却も困難だ。世界の例をとっても、地中深く埋めなければならない。しかし我が国は地震大国だ。地形的に原発建設はふさわしくないのだ。とはいいながら、核のゴミの処理は世界中からの注目をあびている。政府は処理場を作らなければならない。そこで考えたのが、原発立地の際と同じ考え方だ。財政に厳しい地方に引き受けてもらおうとの、単純な考え方だ。多額の補助金さえ積めばいいだけだ。
  • そこで、お金に目がくらんだと思わせなないために、非公開で候補地可能の自治体に声をかけたのだ。39都道府県で実施したが、6月末で約7割の自治体が参加したという。国はほくそ笑んでいるに違いない。ただ心配するのは、我が北海道だ。土地が広いからだ。「沖縄には米軍基地」、「北海道には核のゴミ基地」そんなことにならないかだ。一番懸念される自治体は、幌延町だ。核廃棄物処分所の研究施設があるからだ。次に、赤字鉄道沿線の自治体だ。廃止になると自治体存続の危機に陥るからだ。それにTPP 問題も加わる。北海道農業が危機になると、多くの自治体の財政基盤が弱くなる。さらに、近年環境の変化によるためなのか、漁獲量が減少している。さらに、追い討ちをかけるように、ロシアが、来年からサケ・マスの禁止を打ち出してきた。こんな北海道全体の経済を見れば、核のゴミの処分場受け入れ体制は、北海道が最候補地と見なされているように思う。もしかして我先にと手を上げる自治体がある予感がするのが北海道だ。
  • 新幹線札幌到着駅もすでに候補地を発表したようだ。新幹線の早期札幌乗り入れの見返りに国に提出するものは、泊原発再稼動、廃線鉄路の存続への許可、核のゴミの処分場受け入れだろう。それにどう対処するか、はるみ知事の笑顔の裏の顔を、道民は注視しなければならない。
  • はるみ知事に4期目の椅子を与えた道民。もし、原発再稼動と核のゴミ処分場を置き土産にしたら、熊の檻に入れてやると思ったところで、今日も爽快な朝を迎えた。

憲法問題

2015年07月03日 11時43分33秒 | えいこう語る
  • アベ政権になって、我が国の憲法が政権側から随分批判されている。そんなに欠陥のある憲法なのだろうか。戦争に負け、戦勝国から押し付けられたので、そろそろ自前で憲法を作ろうと、アベ政権は大キャンペーンを展開し始めたようだ。現憲法が自分たちの政権を強固に維持するためには、足枷になるから改正しようというのが本根ではないだろうか。つまり現憲法がアベ政権の目論見にとって、都合の悪い憲法なのだろう。
  • 憲法というのは、政権の都合のいいように解釈されないように、足枷をはめているのだ。その縛りの中で、国民の生命・身体・財産の保全に務めるのが、為政者の役目だからだ。「日本国憲法は、その第一段で国民主権を宣言し、第二段で平和主義を宣言している。まず国民主権を宣言しているのは、それがうまく機能しないことには、平和の確保も人権の保障もありえないからであろう。事実、非民主的な政治は国民の不満をそらすための戦争に訴えがちであり、また非民主的な政治ほど人権抑圧にはしりがちである」。杉原泰雄著「立憲主義の想像のために」より。
  • 「押し付けられた憲法」というが、果たしてそうだろうか。我が国は明治以降、天皇主権の帝国憲法下にあった。藩政が崩壊し国家形成期には、天皇を中心とした国家体制の中に国民は身を委ねていた。だがこの憲法下での国家が、戦争へとひた走ったのだ。この天皇主権が、国民の精神構造そのものを支配していたため、世界最強の殺戮兵器の原爆を落とされる迄、戦いを終えることが出来なかったのだ。
  • 帝国憲法には戦争を引き起こす要因があったので、戦争をしない立憲主義の日本国憲法に変わったのだ。つまり国家(軍部)が戦争を引き起こしたため、「国民主権」の憲法に改正されたのだ。結果的に、これは国家(軍部)による旧憲法へのクーデターではないだろうか。つまり、国家(軍部)がクーデター(戦争)を行ったために勝ち取った、民主憲法なのだ。
  • 現在の平和憲法にクーデターを起こし、憲法改正を強行採決しようというアベ政権。政権の若手将校(議員)たちの勉強会では、反対する新聞を封殺するというまでのテロ発言をしている。実に物騒な世の中になったものだ。何でこのような政権を国民が支持してしまったのだろうと思ったところで、私の睡眠時間は終了した。
  • 昨夜も布団の中で「憲法」と「ノモンハンの夏」を併読したため、私は夢の中で、こんなたわい無い憲法論を自問自答していたのだ。