函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

さらば米国民主主義

2024年03月31日 12時01分08秒 | えいこう語る

▼近年、民主主義の劣化や危機が盛んに言われている。戦前は帝国主義で戦争を起こしたので、戦後は憲法を改正し、国家主権から国民主権に、日本は180度の転換をした。

▼民主主義こそ「戦争のない国」をつくる、新たな思想だと、国民はその程度にしか考えていなかった。

▼だが師匠たる米国民主主義は、平和を守るためには「戦争を手段」とする、自国第一主義の国家だった。

▼戦後79年を迎え、ロシアのウクライナ侵攻や、イスラエルのガザ侵攻で、米国民主主義の大きな矛盾が露呈してきた。

▼国連でのガザへの停戦協定に応じないのは、米国だということも。これでは中国やロシアと同等の、自国第一主義の独裁国家だ。

▼その米国を民主主義の師と仰いだ日本は、尊敬が過ぎて【従属】関係になってしまっている。所謂マインド・コンコロールを、自ら進んで実行したという状態だ。

▼その結果、軍事費の増強のみならず、戦闘機の製造・販売、まるで米国の戦争を援助する、国家になろうとしている。

▼米国の民主主義も、日本以上に劣化してきているようだ。次期大統領選に帝国主義を目指そうとする、トランプを当選させようという機運が、上昇してきているからだ。

▼こんな米国に、今後も追従する必要があるのだろうか。「戦争する民主主義米国」から【戦争しない民主主義日本へ】の、転換が必要な時代になってきたのではないか。

▼なぜこのように思ったかと言えば、昨夜(31日)のNHKテレビ「下山事件」を見て、そう考えされられたからだ。

▼国鉄総裁下山は、GHQから10万人の人員整理を言われた。当時の労働組合は共産主義者が多かったからだ。

▼下山は列車にひかれて死んだ。解剖結果は殺人と出た。GHQは共産主義者でソ連のスパイだった、韓国人の仕業としたが、その人物はGHQによる、二重スパイだった。

▼占領政策をスムーズにするための、米国の策略だったようだが、実はGHQは日本列島全体を軍事基地にするため、兵隊や軍事物資を速やかに運ぶため、鉄道の施設拡張を下山に要求していた。

▼下山は軍事に使用されることに反対した。そのためにGHQにより殺害されたというのが、昨日のテレビで初めて理解できた。

▼米国は自国の利益のためなら、人など簡単に殺すという、そんな民主主義国家なのだ。その後にも、自らの大統領(ケネディー)の暗殺という、不可解な事件もあった。

▼「対米従属国家」にしたのは、長期政権を維持していた「自民党」だ。もちろん維持させたのは国民だ。

▼だが今の自民党は、正義や倫理の欠片さえもない。政権与党としては失格だ。主権者である国民は、それを糾弾しなければならない。次の選挙でだ。

▼ここで下山事件に戻るが、GHQは日本列島を極東最大の軍事基地化を目指した。それを可能にするのが、列島を横断する鉄道の施設だ。

▼戦前の中国大陸での戦争では、鉄道の権利の争奪があった。兵士や軍事物資を目的地に大量に運ぶためだった。

▼戦後間もなくのGHQの政策では、日本列島縦断の鉄道施設は、ソ連や中国の侵攻を阻むために、重要な政策だったのではないかと思う。

▼だが下山総裁は、再び戦争になるの阻止するため反対した。そのGHQ の考えを、そのまま日本の戦後の経済発展として受け継いだのが、もしかして「新幹線計画」だったのではないかとふと思った。

▼「東京五輪」「大阪万博」も、もしかして日本を米国の資本主義経済に引っ張り込むための、米国が後ろで仕掛けた、大イベントだったのかもしれない。

▼そして国家的大イベントが、政権維持の資金源調達だということも、知らされたのではないだろうか。

▼戦後70年以上も生きていれば、邪推も多くなる。国家に対する不満も大きくなる。「もしトラ」になれば、もはや米国民主主義からの、決別が必要な時期だと思う。

▼【戦争しない日本民主主義】を、世界に示す時期になってきたのではないかと思う。「戦闘機の開発」などというのは『悪魔の国家』への入り口ではないか。

▼『さらば米国民主主義』。それが2024年の、国家的テーマではないか。まもなく米国に呼び出されての、キシダ総理の米国訪問。

▼米国への軍事費供与などとなれば、キシダ政権と自民党は、靖国「246万余柱」の魂に、焼き尽くされるだろう。靖国の御霊は「戦争」など望んではいないからだ。

▼私は北海道に生まれて、まだ熊の姿は見たこともない。死ぬ前に一度は遭遇したいと願っている。ところが昨夜こんな夢を見た。

▼山道を歩いていると、前方に熊がいた。横道にそれようと思ったが、そこにも熊がいた。そこで引き返そう思ったが、そこにも熊がいた。

▼これは夢に違いないと思い、夢を終了させた。この三匹の熊は、中国・北朝鮮・ロシアの熊に違いないと、私は確信した。

▼だがそう見せかけて三匹の熊は「対米従属」から逃れようとする日本に、米国が放った熊ではないかと、ふと思ったりもした。

自民党は解散を

2024年03月30日 16時45分51秒 | えいこう語る
▼自民党が永く政権を維持できたのは、戦勝国の米国の占領下で、【対米従属】政策を実施してきたからだ。

▼戦後は米国が‟天皇”に代わって、日本の象徴的存在となり、「対米従属」を日本に推し進めた。

▼国防政策などは「米国主導」そのものだ。米国製の「日本国憲法」には「戦争放棄」を謳っている。

▼そこには戦力の保持は、禁止されているにも関わらず、朝鮮戦争が勃発すると米国の要請で、現在の「自衛隊」が設立された。というのが、戦後日本の歴史の大まかな流れだ。

▼「沖縄問題」も日本政府というより、完全に米国主導の体制を維持している。沖縄の日本への返還も、当時の首相佐藤栄作が、その功績を称えられ「ノーベル平和賞」を受賞した。

▼それも米国との密約があったことが、後にに判明した。それでも国民が賞の返還を、要求したということではない。

▼米軍の「核持ち込み禁止」も、守られていないというのが常識だ。とにかく日本は、米国の指示のもとに運営させられているというかたちだ。

▼だが国民も、米国からの完全な独立は望んでいない。国家体制は日米の「二重構造」の曖昧さの中で、戦後今までやってきたからだ。

▼そのような国家体制を構築してきたのが、自民党だ。自民党の長期政権とは、国民の多数が指示してきたからだ。

▼多数の支持を受け、自民党は国家運営をしてきたのだ。だから少しぐらいは不都合なことがあっても、国民は大目に見てきたのだ。

▼だが戦後70年近くにもなると、そろそろ「自主憲法」を持とうという機運が高まってくる。だが国民は、今の憲法のままでいいのではないか、という気持ちが多い。

▼自民党の「憲法改正案」とは、いよいよ「対米従属」をやめるということなのかと思わせるが、アベシンゾウ以降の総理は「対米従属」は維持するということのようだ。

▼そうすると、なぜ「憲法改正」しようとするのか。自衛隊を軍隊に昇格させ、米国に頼らず独自で戦争できる国にしようとするのか。

▼だが日本単独では、戦争には勝てない。今まで通り「日米安保同盟」が必要だ。となれば、米国の戦争に、日本も軍隊として一緒に戦えと『憲法改正』を促されているのだろうか。

▼この辺の説明が全く不透明だ。日本がますます曖昧さを増している。にも関わらず、国民は自民党を支持している。

▼そんな国民の多くの支持が、現国会の自民党の政治資金不正問題を生じさせている、原因ではないかと思う。

▼自民党の裏金問題は、ただの「脱税事件」だ。「政倫審」に呼び出されても「知らぬ存ぜずだ」。キックバックの再開は、モリキロウに違いないと、多くの国民は考えている。

▼モリキロウを国会に呼び出せばいいはずだが、老体だとして、自民党が水面下でモリに尋ねた結果「関与なし」と言ったという。

▼こんな茶番劇を、国民はもはや許してはならない。自民党はでたらめやり放題の与党になのだ。「三権分立」など、もはや我が国には無い。「無秩序国家」だ。

▼こんなでたらめな政党を、国会に存続させる意味がない。次のノーベル文学賞作家に期待するのは「曖昧な日本の私」から『でたらめな日本の私』と言い換えた方がいい。

▼我が国が戦闘機を製造し、海外へ輸出するという。靖国に集まる「246万余柱」が、そんな日本になってしまったことに怒り、魂が国会を襲撃し炎上させるかもしれない。

▼そんな「246万余」が動き出すのを鎮めるため、元海将を靖国の宮司に就任させるのだろうか。

▼来年は令和7年、戦後80年を迎える。もしさらにでたらめな国になったら、靖国神社「246万余」の英霊たちは、黙っていないだろう。

▼『魂の大反乱』が起きるだろう。国家のために、また天皇のために命をささげた兵士たち。二度と戦争をする国にさせたら、魂の塊は怒り心頭に達するに違いない。

▼私たちは、そんなでたらめな自民党を解体させ、靖国神社の英霊たちに報告しなければならない。

▼戦後50年の節目の年だったと思うが、私は靖国神社を参拝した。その時確かに英霊たちの声が聞こえた。

▼【二度と戦争などしてはならない】と。英霊たちの正しい言葉も聴き取れぬ自民党は、解党しかない。

     自民党に靖国の祟り 
             三等下。 

プロパガンダとコマーシャル

2024年03月29日 13時08分43秒 | えいこう語る

▼プロパガンダと言えば「情報戦」や「心理戦」とも訳され、政治宣伝に使用される。戦争状態になれば、それが完璧な力を発揮する。

▼コマーシャル(CM)とは、メディアを通じた商業用の広告だ。これは消費者に対し「良いもの」を提供し、その会社も売り上げを伸ばすというものだ。

▼似たようなものだが、共通するのは「行き過ぎ」に注意だ。大手製薬会社が‟コレステロールを下げる”というサプリメントを販売し、その副作用で死亡者が出ている。

▼サプリメントとは「補助」・「補充」という意味がある。一般的には、通常の食品よりも「健康に良い」・「健康に効果がある」などの表現で、販売される。

▼だが、科学的根拠があるかどうか、必ずしも不十分だと言われる。プロパガンダとCMに言えることは、どちらも過剰な宣伝をしては、ならないということではないか。

▼メディアは情報の「記録・伝達・」保管などの役割をし「媒体」と訳される。例え媒体と言われようが「倫理」は重要だ。

▼CMにもプロパガンダにも「倫理」が大切だと思うが、後者には「倫理」という概念はほとんどない。

▼消費者と企業を直接結ぶCM には「倫理」が、最も必要とされる。だが儲け主義が台頭し、それらは守られないというのが、国民の不安を増している。

▼畢竟「国民のリテラシー」の問題だといわれるが「健康に良い」と宣伝されれば、消費者の心は動くものだ。

▼私が入院していた時、薬を10種類以上も渡され「これがそれぞれ効くところに届くのだろうか」と心配していた、老患者の声も記憶にある。

▼ある大手薬剤会社の社員からは「効果がある薬があれば、医者はいらなくなる」と言ったのも、聞いたことがある。

▼まして米国製のコロナワクチンを、何度も体内に注入する気にはなれない。「憲法」と「日米安保」で、私たちは「対米従属」を余儀なくされた。

▼さらに身体まで『メイドイン・アメリカ』が侵入すれば、「半米国人」となってしまうからだ。そうなれば米国の51番目の州に、住んでいるという気分にもなる。

▼さて話は飛んだが、大谷選手の通訳水原一平が、賭博で大谷選手の口座から、6億円以上の金額を勝手に使ったというのは驚いた。

▼「一平よ!日本人すべての顔に泥を塗った」のかと、呆れてしまう。考えてみれば、大谷選手の途方もない契約金に、悪党が目を付けないわけはない。


▼そんな状態でも、大谷選手は本拠地ドジャーズの打席に立った時、観客はスタンディングオベーションで迎えた。私も観客の心のあたたかさに、胸が熱くなるのを覚えた。

▼だが今日(29日)の北海道新聞だ。なんと3面にわたる、日本の時計メーカ-が大谷選手を起用したCMを掲載した。

▼大谷選手が一平の賭博疑惑にも負けず、頑張っているというのを、自社ブランドの時計の優秀性と兼ねた、常識破りの新聞広告だ。

▼これは完全に時計メーカーの「行き過ぎた」行為だ。新聞を乗っ取る様な行いは「倫理」が欠如した行為ではないかと、朝刊を開いて憤る。

▼もし【憲法改正】の国民投票時に、自民党が、このような誇大広告を載せたら、国民は改正になびくだろう。広告費を莫大に持つ自民なら、そんなCMを打ちそうだ。

▼そうであれば、CMの域を超えた‟プロパガンダ”だ。その莫大な広告費を、自民党は裏金問題で、蓄積していたに違いない。この張本人は五輪委員長も務めた、モリキロウに違いないというのが私の推測だ。

▼製薬会社の誇大広告。時計メエーカーの誇大広告。私の‟妄想”は『憲法改正・国民投票』での、自民党による最大の誇大広告につながる。

▼CMが膨張し、プロパガンダにつながって行くではないかという、田舎おやじの杞憂だ。庭には福寿草が昨年より根を張り、満開に咲いている。

▼北海道は桜の開花の前に、福寿草の満開が春を告げてくれる。

靖国神社の自衛隊化

2024年03月28日 18時10分38秒 | えいこう語る

▼靖国神社とは、国家防衛のために戦った兵士の霊を追悼する場所だ。明治維新から1945年の敗戦までの英霊「246万余柱」が、呼び集められている。

▼一ヶ所にこれだけの魂が集められているというのは、信じられないが、そうだという。国家のため天皇のために亡くなった兵隊たちだ。「誉の戦士」と呼ばれた。

▼だが今の私たちからみて、靖国神社の存在は、国家に強制され、仕方なく死んでいった兵士が、魂まで強制されて、集められているという気がする。戦死者に餓死者が多かったというのも気になる。

▼私も過去に2日間靖国神社を、朝から夕方まで参拝し、英霊たちとの会話を試みたことがある。

▼私の父は生き延びたが、北海道旭川第7師団所属だったので、もしかして沖縄戦での戦死も考えられた。父の同僚たちも靖国に眠っているのかもしれないと思い、胸のポケットには、父の遺影を忍ばせていた。

▼英霊たちの声は『二度と戦争をしてはならない』と私に語り掛けた。靖国を訪れた人のコメント帳にも、8割ぐらいは戦争反対の内容であったのを記憶している。私は「憲法第9条」を読み上げ、英霊に手向けた。

▼靖国神社とは、国家の都合で国民を死なせたことへの、供養のための神社ではないか。むなしい気持ちで亡くなった兵士のための、『怨霊を鎮める』ためにつくられた神社ではないか。

▼という内容で気持ちが昂ぶったが、4月1日から靖国神社の宮司に、防衛大卒で元海将の大塚海男(63歳)が就任するというのには驚いた。

▼就任式には自衛隊音楽隊の♪『海ゆかば』が靖国の境内に流れ、桜の開花も就任式を盛り上げるだろう。

▼「靖国神社」改め『自衛神社』として、自衛隊の直轄神社となりそうだ。それに花を添えるかのように、国は戦闘機の開発と輸出を決めた。

▼さらに経産省は、昨年国産ジェット機の開発から撤退したばかりなのに、1年も経たぬ間に「官民一体」で、再開発に取り組む方針を27日に発表した。

▼戦闘機の開発とジェット旅客機の開発、いずれも三菱重工業だ。ふと靖国神社を思い出す。靖国の境内にも、三菱重工業が開発した『零式艦上戦闘機』が、保存されていた。

▼元海将の新宮司、戦闘機の開発、ジェット旅客機の再開発。靖国を中心に、今年は一波乱在りそうな気がする。

▼靖国神社の朝に「国旗=日の丸」が掲揚され、夕には降納される。その時に♪「海ゆかば」が、流れるとしよう。

▼日本中が静寂さを取り戻す。なんとも荘厳な時間が九段に流れる。隣には日本武道館だ。靖国の式典全てが武道館に集まるに違いない。さらに近くには皇居がある。

▼今晩はどんな夢を見るのか、楽しいようで、恐ろしい気もする、靖国と自衛隊の接近だ。

大相撲の国際化問題

2024年03月27日 21時41分06秒 | えいこう語る

▼60年にも及ぶ大相撲フアンの私は、髷をまだ結えぬ尊富士が初入幕初優勝という、110年ぶりの快挙に涙した。

▼だがこの大記録を立てた若い力士は「記録よりより記憶に残る相撲を目指す」と言い切った。

▼力士は黙して語らず。負けた相手に敬意を示すのが相撲道だと、そんな古い美徳感覚を思い出し、若い力士の立派な発言にも、少し違和感を抱いた。

▼保守的なものに批判的な私だが、国技と言われる大相撲に関しては、相当保守的な考えがある。

▼私の中に住む「二重構造」。そこに特別現れる保守性が、大相撲に関しては著しく台頭する。

▼東工大の中島岳志教授が、北海道新聞(3月26日)に『大相撲と「入日本化」』というテーマで、論評を載せている。

▼2021年に「大相撲の継承発展を考える有識者会議」なるものが、日本相撲協会に提出した提言書に「入日本化」という言葉がある。「にゅうにほんか」と読む。

▼これは対象を外国人力士と想定し「大相撲の歴史と伝統に共感しながら、自己変容を起こす」という内容だ。

▼これは「当時横綱だった白鵬を主に想定し作られたものだ」と指摘するが、この植民地主義的な発想を批判する者もいる。

▼さらにガバナンスを推進するという名目で、一人のしかも外国出身者を、必要にバッシングしているとを問題視し、相撲協会の姿勢に見え隠れする差別性を指摘している。

▼白鵬は私が長い間観戦した力士では、間違いなく戦後最大の実力者だ。だが、勝負や土俵態度に品格さを欠く。所謂謙虚さに欠けた力士だ。国技を侮辱する態度が多く見られた。

▼相撲の強さは認めるが「心・技・体」の‟心”が欠けている。「郷に入れば郷に従え」という言葉があるが、国技である相撲には、その言葉が一番ふさわしいと思っている。

▼さらに「入日本化」は「同化」ではないかと指摘する者もいる。協会にとって都合のいい力士と、そうでない力士を選別する、権力そのものではないかとも指摘される。

▼だが中島教授も「あらゆる伝統は時代と呼応する中で、変化を保持していくものだと主張する。それが‟真の保守”だという。

▼さらに相撲協会は、伝統を守るためになにを変えなければならないのか、真剣に議論しなければならないともいう。

▼だが、相撲協会自体保守の塊のような組織だが、現在まで外国人力士の導入や、まわしの色などの自由化を図り、相当柔軟な姿勢を示してきた。

▼だが日本人としての頑なな精神性や、武士道に近い、日本人の精神の原点を伝承することで、国技とも言われてきた。

▼「保守とは微調整を行うことにより、保守は生き延びてきた」と言われる。変化なきものは消滅するということでもあろう。

▼私は「大相撲界」と「政界」を比較すると、国家の変容ぶりがよく見えると考えている。角界の考え方に、日本の保守系議員の思考や行動が、手に取るように理解できるからだ。

▼少しぐらい不都合なことがあっても、丸い土俵の中で、すべてを納得させるというのが、日本人特有の{和}の精神だ。政界も同様だからだ。

▼相撲界は階級社会だ。横綱もいてふんどし担ぎもいる。そこに平等はない。平等でないことが、強い力士になる条件だ。

▼人種差別があってもいい。それも乗り越えて立派な力士となって行く。やがて横綱という「神」の存在に近づく。

▼神になるというのは試練そのものだ。すべての障害を乗り越えた先に「神」の存在が待っているのだ。

▼相撲は日本の神道が深くかかわった文化的な伝統であり、そこに相撲独特の魅力があるのは言うまでもないと中島は言う。

▼それを改革しようとする外国力士は、単純に排除しなければならない。相撲フアンの私としては、大相撲に関しては「人権無視」にも近い、伝統踏襲主義者になってしまうのだ。

▼だから白鵬は問答無用で『角界追放』が妥当だと思う。それが国技というものの、正当な在り方ではないかと、頑なに信じるからだ。

▼白鵬による「国技」の改革など、横綱籍のはく奪にも等しいと考えている。優勝の時、観衆に「万歳を強要した」。「対戦者に肘鉄をくらわした」。「懸賞金を持ち上げて見せつけた」。

▼ふざけた横綱ではないかと、素直にそう思う。60年以上も大相撲フアンなので、それくらいの表現の自由は、認められると思っている。

▼尊富士・大の里・熱海富士など、若手のはつらつした活躍に、相撲嫌いの妻も、最近相撲フアンになってしまった。そばでは私が解説をしまくっている。

▼解説が良い?ので、妻はますます相撲に興味を感じているようだ。私の解説は、角界と政界を結び付けて、解説するのが特徴だ。

▼白鵬もだめだが、キシダ総理も当然だめだ