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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

6月の鰈釣り

2010年06月04日 13時39分02秒 | 椴法華のつり情報
村を囲む山々の新緑は今が盛りだ。
私の村では山桜が咲く頃に、鰈が釣れだすといわれている。
砂浜に木の葉が打ち寄せられている場所に、鰈がいるらしい。
養分が豊富なので、プランクトンがたくさん集まるからだという。
打ち寄せる波をよく見つめると、無数の海老のプランクトンがいた。
鰈という字の、魚偏の右の字は「葉」という字の草冠をとったものだ。
草冠を魚偏にし、鰈の姿が葉っぱの形に似ているので、そんな字になったに違いない。
早朝、村の矢尻川河口近くで竿を投げたが、当たりがぴくともしない。
恐竜「エサンザウルス」が、食べたのだろうか。(朝夕はなぜか恐竜に見える恵山)


喜劇俳優の故由利徹さんの「オシャ・マンベ」というギャグを思い出した。
長万部町は、私の村から車で約1時間半のところだ。
アイヌ語のシャマンベは「鰈」という意味だ。
長万部町は大昔に洪水があり、鰈が山の頂上に流されたという話しがある。
雪解けの残雪がカレイの形に見えるときが鰈の釣れ頃だと、地元ではいわれているようだ。
また一説には「川尻の妄想のいる場所」ともいわれているそうだ。
以前北海道で地震があったとき、長万部町のガソリンスタンドが崩壊した。
原因究明では、元は川であったのを埋め立てたために、地盤が弱かったのが原因だった、というのを記憶している。
竿の先がびくともしないので、様々な妄想にふけってしまった。
トド・ホッケもオシャ・マンベも、地名の由来は、先人たちの想像力の豊かさを感じさせる。
朝の食卓に鰈の煮付けはなかったが、おいしい煮付けもそう遠くの話ではないようだ。
由利徹さんの人懐っこい顔が浮かんだ。
「オシャ・マンベ」・・・次は必ず釣れるぞ、というメーセージに聞こえた。
6月の小雨降る河口での、鰈釣りの一齣である。


粋な魚の煮付

2007年05月24日 16時30分05秒 | 椴法華のつり情報

昨日、朝から久しぶりに新聞へ投稿しようと思い立ち、原稿を書いていた。
出来上ったのが午後3時頃で、天気も良いし少しは脳も使ったので、前日、磯で採取したカレイ釣用の餌の「エラコ」があるので、竿1本持って海岸に出てみた。
僕の釣りは、竿を投げてから家に帰って音楽を聞いたり、ビールを飲んだりして、適当な時間を見計らって、竿を上げに行くというスタイルである。
なんと1投目から、30センチ級の、肉厚の砂ガレイが、渚で羽ばたくではないか。
1時間半で4匹、かなり形のいいサイズだ。鼻息も荒く家に帰る。
妻は、その成果に、お父さんは釣りの天才だと褒め称えてくれる。
一番大きいのは、刺身にした。
こうなれば飲むお酒も日本酒である。そして、魚の煮付は水を使わず、酒だけを入れて煮る。
最後に醤油をたらし味を調えると、魚の本来のうま味が出る。
これには酒が多く使われるので、酒飲みには、つらい料理になるが、自分で釣った魚だから出来る、粋な料理法だ。
もったいないという気持と、極上のうま味が出ると言う、微妙な感情の差異が決め手の男の料理だ。
せいぜい1年に1回の料理法だ。
自分でとった餌で、釣って、料理をする。58年間親しんだ太平洋が、今日と言う日を充実させてくれる。
都会からの移住がマスコミで騒がれているが、気持的には理解できるが、風景になじみ、違和感がなくなるには、相当な時間がかかるものだ。
僕は、10年近く故郷を離れただけで「地元育ちの、よそ者扱い」の感じが、今だにぬぐえないからだ。
移住を受け入れる側も、この心理をどう扱うか、考えてもいないはずだ。
年をとってよその土地で暮らすなんて、そう簡単なものではない。
もしかして、団塊世代をターゲットにした移住計画、煮ても焼いても食えない企画になるかもしれないという、今日の男の料理の落ちにしてもらいたい。・・・?



釣りが楽しみだ。

2007年05月17日 09時31分36秒 | 椴法華のつり情報
山桜が咲いたら、カレイが釣れるといわれている。
誰も海岸で竿を投げている人がいない。暖かい日が続いているので、きっと、普段より大型のカレイがいるはずだ。
去年も第一投目に石カレイがかかった。今日は、魚が必ずいるはずだと思って、釣りに出る事が肝心だ。今日は釣れないかも知れないと思ったら、魚にも通じるらしく、本当に釣れない。・・・釣りは釣れるという信念がものを言う。
昨年は、砂浜で突然竿が倒れたので、引き上げたら、右や左に引っ張りまわされる。
まさか5月に鮭ではないと思ったが、46センチのアブラコだった。
川釣りは6月が解禁だが、昨年からフライを始め、それでも30センチ級の岩魚を何匹も釣り上げた。結構迫力があった。全部リリースだが、秋の終わりに、3匹の岩魚を干して、骨酒にさせてもらった。
海の魚は持ってくるのに、川魚だけが放されるのも変ではないかと、ふと考えてしまった。
冬の早朝、日が昇るころに海岸を散歩して、鰯の生きたのが、一匹だけ砂浜に打ち上げられてきたので、朝食に塩ふりで食べた。
さらにびっくりしたのは、やはり早朝だったけど、蛸の八ちゃんが砂浜にいた。
それは、晩酌時の刺身になった。
久々に、早起きは三文の得という言葉を実感した、去年の前浜の出来事だった。
年が変って初めての釣りは、五月のカレイ釣りからだ。
釣りを始めるには、朝から庭の草刈をし、床屋にいったようにすっきりし、気分爽快にしてから、午後3時半頃、浜に出て行き竿を投げる。
一匹だけ釣らしてくださいと念じて、家に戻り、きれいになった庭を見ながらビールを飲む、実に爽快だ。
4~50分経って、ほろ酔い加減で竿をあげにいくと、ぴちぴちしたカレイが砂浜に踊るはずである。
今年もそう念じて数日後には、初竿が、太平洋めがけて飛んでゆく。