▼靖国神社には、国家のために死を余儀なくされた人々が葬られている。この人たちは、本当に靖国神社に祭られているのだろうか。
▼本来なら自分の家の仏壇に戻っているのではないか。そこが一番落ち着くからだ。靖国神社の例大祭には、戦後まもなくは出かけて行った霊たちもいると思うが、今や霊たちもなんで自分は死んだのかも、忘れてしまっているに違いない。戦争からずいぶん経ったからだ
▼国のために死ぬというのは、個人が自立していない時代のことだ。個人が確定していないから国家が前面に出てきたのだ。
▼国家のために死んでいった者たちを英霊と呼ぶ。死ぬのを命令された者たちにとっては、侮辱的な言葉ではないか。
▼まだ生きることのできる命を、国家のために死ねと命令されるのである。これが「運命」とあきらめきれるだろうか。
▼そこに英霊という名称を付け、死ななければならないものに賛美を与えても、浮かばれないに違いない。
▼英霊たちが集まっているという考えは、現実的ではない。英霊たちも天寿を全うしとっくに物故者となっている。
▼靖国の例大祭に集まる英霊たちは、もうすでにいないに違いない。いないものを居るように扱う行為こそ、滑稽ではないか。
▼靖国神社は「戦没者慰霊」のための神社にしてほしい。二度と国のためだといって、自分の命を投げ捨てる人がいないように。
▼戦後80年、靖国の桜に思いを馳せて。
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