函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

したごころの国

2012年12月29日 14時23分32秒 | えいこう語る
心の底で考えていること、つまり本心を下心という。
外国人の日本人評は、建て前と本音がありすぎるので、もっとストレートに会話をしてほしいといわれる。
率直に意見を述べれば、相手が傷つくこともある。相手をおもんばかるのが日本人の特性だ。
奥床しいという言葉があるが、深い心づかいがあってこそ、相手に尊敬されるのだ。でも、深い心づかいとは心の底で考えていることで、奥床しさは下心と共通しているのかもしれない。
しかし、奥床しさと下心では一般的には品性が違うような気がする。
下心は助平心と、友達のような気がするからだ。
※私の店の裏山。子供の頃、この穴は熊の住処といわれていた。なんだか白熊がいそうな気配だ。


今回の選挙で自民党が圧勝したのは、国民の下心が出たせいかもしれない。
世界一の借金国にしたのは自民党だ。これではだめだと「政権交代」というお灸を据えたが、3年我慢しても一向に埒が明かない。
原発だって今すぐには止めることはできないだろう。憲法改正だって簡単にはいかない。どうせ長続きはしない新内閣だから、昔のように打出の小槌をふってもらい、ぱっと経済を明るくしてもらおうという、国民の下心が顕著に表面化した結果ではなかろうか。
麻生大明神は、その下心を見透かし“ミゾユウの赤字国債”をばらまく。
この下心のつけは、いずれ国民が背負うことになる。それでも昔のよかった頃をちょっとだけでも再現してほしいという気分が、自民党圧勝の五里霧中のような要因に違いない。
我が北海道では、泊原発周辺の16市町村が、北電と「安全確認協定」を結んだ。仲介役は原発推進派のはるみ知事だ。
定期検査への市町村職員の同席や風評被害の補償、情報提供といった自治体側の要望項目を、北電側に飲み込ませた。
原子力などというのは素人がとやかくいえる代物ではない。この協定は電力会社に騙されるのを容認したと同じだ。
16の首長は「国土強靭化」と「新幹線」を期待する、下心が見えている。
はるみ知事は笑顔をふりまき、そこをくすぐったのだろう。この下心は助平心となんら代わりはないように思う。
原発といえば先輩格の下心半島を思い出す。いや下北半島だ。
大間町長は、なりふりかまわず、原発の補助金が命と公言する。
命をかけても町民を守るというが、世界初のフルMOXでは、命と引き換えだ。
これは表面化した下心である。
昭和32年、むつ製鉄の企業誘致をするため、当時、県下一人の革新市長だったむつ市長が、思想信条を捨ててまで自民党へ鞍替えした。しかし、企業は進出をやめ、市長は疲労もたたり死亡した。
昭和43年、十勝沖地震で大畑線が壊れ、国鉄は廃止を宣言した。
大畑町長と町民700名が自民党に入党し、その危機を救ったという。
下心を隠し、安全協定を結ぶという首長たちと比べれば、潔い下北半島の人々である。
下北の地域を守るという潔さは、幕末、会津藩が下北半島に移封され、極寒と不毛の地で耐え忍んできた、その不撓不屈の精神が脈々と引き継がれているのかもしれない。
下心に関していえば、下北が外国的で、北海道が日本的なのかもしれない。
なんだかよくわからないが「したごころの国」について考えてみた、小沢昭一的おじさんの心なのだ。


確実な徴税システムの確立

2012年12月28日 12時56分56秒 | えいこう語る
エネルギー確保は国策なので、大規模な原発事故の補償は政府が行うことになっている。
とはいっても、福島原発事故の東京電力が支払う補償費を、政府が東電に支払っているというのは納得がいかない。政府が支払うお金は国民の税金だからだ。深く考えなくても、東電の保障費は国民が支払っているということになる。
今回の原発事故で、初めてわかったのが電気料金の総原価方式だ。
電力会社の電力施設の建設や周辺自治体への補助金、さらに社員の給料など、すべての費用は電気料金に含まれ、徴収されているという。
ということは、電力会社というのは、国民が出資して設立した会社だということだ。
それなら不要な原発は、国民の総意で廃止してもいいと思うが、廃炉の費用まで国民が負担するという仕組みになっているのだ。
この「国民総徴収システム」ともいうべき電気料金は、原子力の知識のない国民が、原子力ムラのプロたちの、格好の餌食にされていたのである。
さらにいえば、原発政策を進めてきた政治家にも多額の資金が流れていたに違いない。
原子力政策というのは、国民が汗水流して働き、自らは爪に灯をともしながら、原子力ムラの人たちを裕福にさせ続けるという、奴隷制度にも似た酷策なのだ。
今朝の新聞には、北海道のはるみ知事が原発停止中でも、核燃料税を徴収できるよう検討中だとある。
福島原発事故の風評被害で、稼動中止をやむなくされている北海道電力に、さらに課税するというのは、はるみ知事も酷ではないかと思う。
だがこのからくりは簡単だ。
3基すべてが休止している泊原発、料金値上げはやむ得ない。それに核燃料税を課せば、料金値上げはまだ続く。
音を上げるのは、電気料金を値上げする道民である。
原子力規制委員会や政府が安心・安全をアピールすれば道民も納得し、しかたなく原発再稼動を容認するという流れになる。それがはるみ知事の目論見に違いない。
※まるで熊のような大きな鹿の足跡が民家先まで迫ってきた。まさかトナカイではないよね。


国交省の年間予算の2倍規模にあたる、10兆円の緊急経済対策。
国土強靭化と名前を変えた自民得意技の公共事業だ。やがてこの借金も国民払いだ。
北海道の国会議員もほとんど自民党に入れ替わった。泊原発再稼動が決まれば、北海道新幹線札幌延伸にも弾みが付きそうだ。
「原子力ムラ」から「公共事業ムラ」に、どちらのムラも自民党がつくったムラだ。
今度の自民党政権は、この二つのムラを両立させるに違いない。
源泉徴収という確実な税の徴収システムを思い出してほしい。
原発推進と国土強靭政策、この二つは税の徴収を高めるための政策のように見えてこないだろうか。
「国の借金は国民に支払わせろ内閣」そんな感じがしてくる。
永田町には、また老獪なムジナが古巣に戻って来たようだ。


小沢昭一的こころ

2012年12月27日 13時39分31秒 | えいこう語る
ほおかぶりをすると、こそ泥と夜這いの役が似合いそうな、名優小沢昭一さんが亡くなった。
夕方、車を走らせていると、ラジオから聞こえてくるのが、なんとも親しみのある近所のおじさんのような感じがする、小沢さんの声だ。
一生懸命働くが、ちょっぴり今の世に疲れている、昭和のお父さんの心を軽妙洒脱に描き出す放送を聴いて、普通人間はこんなことを考えているんだなと、つくづくその目線に感心させられる。
その普通の語りが、人のあたたかみを感じさせるのは、小沢さんの人柄そのものなのだろう。
裸電球の下の丸テーブルで、家族がつつましく暮らした昭和、その時代の最後の語り部であった小沢さんに、心から哀悼の意を表したい。
昨日の夕方、函館市内のスーパーに買い物にでかけた。
レジの外で、買い物を詰めるダンボール箱を用意し妻を待っていたが、妻は後ろに並んでいる主婦と話して笑っている。
車に乗ってから、妻がその主婦との会話を話した。
※自民党はどうやら大間原発を容認しそうだ。函館市が真っ白になった。


初対面だったが、年齢が近そうだったので、声をかけたそうだ。
妻=いつもここのレジは込みますね。
主婦=私は車を運転できないので、夫に乗せてもらい、夫は車の中で待っているけど、必ず、遅いとか、なにやっているんだとかというの。私だって年金暮らしだから1円でも安く買いたいので、あちこち見て回っているのに、かならず怒るんです。男の人ってなぜ理解がないのだろうか。
妻=私の主人もそうなの。無駄買いしているんではないか、いつまで待たせるんだと、うるさくいうんですから。世の男性はみんな同じなんですね。
とか何とか、夫の悪口をいった後レジを済ませると、相手は「良いお年を」といって分かれたという。
「見ず知らずの人に、愚痴をこぼしてみたくなる、今年の年の瀬のこころだ」という、小沢さんの声が聞こえてきたような会話だ。
東日本大震災後の復旧も間々ならず、経済がさらに落ち込む中での消費税引き上げ。政権交代させてみたが、まったく機能不全の民主党。それにお仕置きと思った暮れの選挙は、お灸を据え過ぎた感じになり自民党の圧勝だ。
自分たちが選んでしまったので、どうにもできない結果だ。組閣の顔ぶれを見れば「改憲や国防軍」が、現実味を帯びた内閣にしてしまった感じだ。
国が不安定になれば、あらぬ方向に進む可能性があるというのは、昭和という時代は経験済みなのだ。
二度と再び、軍靴の足音を聞くようなことはあってはならないというのが「小沢昭一的、昭和のお父さんのこころなのだ」。
小沢さんはどんなにふざけていても、8月15日は背広を着て亡くなった友達を偲んでいたと、親交が深かった黒柳徹子さんがいっていた。
昭和の心を持ち続けた日本人がまた一人、背中をちょっと丸めて、ハーモニカを吹きながら、友がたくさんいる所へと旅立って行った。
故山本直純さんの音楽と共に、あの世でも小沢節は炸裂するのだろう。
昨日の私の近辺にあった小沢昭一的こころは、お母さんが側にいなければ、とかくさみしがる、昭和のお父さんのこころなのだ。
何気なく笑って聞いていたが、日本人の素直な心を表現した番組であったと、つくずく思う。                         合掌


クリスマス・プレゼント

2012年12月26日 08時28分16秒 | えいこう語る
自民党圧勝以来、「国土強靭化」などという、タイムマシーンで昔に戻されたようで気持ちに、すっかり滅入っていた。
25日は、今年3度目のウニとナマコの出漁だった。
気嵐が立ちのぼり、身を切るような寒さの中での出漁は、自分自身に気合を入れなければならない。
普段テレビ出演では騒々しいが、浜口父の「気合だl気合だ!」を口ずさみながらが沖に出る。太平洋に漂うと、滅入っていた気持ちも完全にどっかに吹き飛んだ感じだ。
1時間のウニ漁が終了し港に戻る。1時間は短いのではないかと思うが、真冬の北の海でウニ漁は、1時間がちょうどいい。2時間は限界だ。
少し休憩があり、続いてナマコ漁の出漁だ。
その間に世間話や、漁の情報交換などをする。それもなかなか楽しい時間だ。
50代の漁師が、今日は熱くて汗かいてしまったという。
今流行のヒートテックを着込んだらしい。保温性の下着だが千円を下回る値段で、テレビで宣伝している。私もほしいと思っている。
そこで私のダジャレが出る。
その日はムラサキウニのみの採取だった。ムラサキというが見た目は真っ黒だ。
「ヒートテックを着ると、ムラサキウニが大漁するのを知ってるかい」
「ほんとうか」
「ヒートッテックはウニ・クロだから」
おじさん漁師たちは理解できなかったが、若い船頭さんが笑った。
次はナマコ漁だ。北海道のナマコは中華料理の高級食材だ。
北京オリンピック時は1キロ5,500円の高値だったが、尖閣問題が影響してか、今年は3,100円だ。
極右と中国に称される安倍さんでは、もっと値段が下がるかもしれない。
自民圧勝は海の中まで影響するなと、一人つぶやく。
タコが岩陰にいた。「たこ焼きだ」と叫ぶと、若船頭はすぐ捕獲する。
後日「たこ焼き」になって、若船頭に届けるからだ。
ナマコは保護色なので、見分けがつきにくい。だから2時間の長丁場だ。
若船頭が、10センチもある大アワビを一個捕獲した。
この海域にはアワビが生息しないといわれるが、海岸を散歩していると1年に一個ぐらいは小さな殻を見つけることができる。きらきら光るアワビの貝殻を発見すると、幸運が舞い込んでくる感じがする。
昔、漁業組合長だった私の曽祖父が放流事業をしたが育たなかったと聞いている。生まれて初めてみる椴法華産の大アワビだ。
来年はよい年になる、確信が湧いて来る。
今年の私たち夫婦のクリスマスプレゼントは、北の海から届いた。それもこんな豪華な「海の幸の詰合わせ」だ。


観光都市でもあるが水産都市でもある函館市。
2013年には、市民一丸となって「大間原発解体」を目指さなければならない。
海からのクリスマスプレゼントには「安心・安全なまちづくり」は、函館市町会連合会の役割だということのメッセージも添えられていた。


市町村合併8年目の総括

2012年12月24日 12時02分12秒 | えいこう語る
函館市と市町村合併してから、12月1日で9年目に入った。
住民の声は、合併しても何も良くならない、役場など転勤で顔の知らない職員が増えて、行きづらくなったという。
私は町会長なので、役場にはよく顔を出すが、私でも他所の町の役所にいるのではないかと感じることがあるから、一般の住民はどんなに違和感を持っているのか想像がつく。
隣町同士の合併なら一体感を持つのも早いだろうが、私の村と一緒に函館市と合併したのは3つの自治体だった。
旧4町村同志でもほとんど交流がなかったのに、それが自治体規模と文化度も違う函館市との合併は、殿様の側室になったというような感じだ。
初めは一体感を強調していたが、今は大勢いる側室のその他大勢に属している、そんな感じだ。
こうなれば殿の気を引くことを考えなければ、さびしいままの一生になる。
我が地域は、町内会が7つに分かれている。高齢化と過疎化で町会の活動も停滞化している。そこで7つの町会を合併し1つにして、パワーアップを図ろうと動き出したのだ。
1年半の会合を経て、ようやく新編成(案)が出来上がった。
「住民による住民のための新コミュニティーづくり」だ。
この「住民参加」は函館市長の目にも留まり、自ら行動する地域には、予算を配分したいとの声もいただいた。
※あまり寒いので春を思い出してみた。


戦後の国の復興には中央集権が必要だったが、それが一極集中を生み、過疎化の原因にもなった。やがて「地方の時代」が提唱され、均衡ある国土の発展への流れができた。
だが開発型の経済振興は、国家の財政難につながる。
地方分権から地域主権とタイトルも代わったのは、地方自治体の行財政改革をしなければ、国家の安定はないとの考えからだろう。
これは私が生まれて感じてきた、この国を流れだ。
私は国家という単位は大きすぎるので、函館市を国家とみなしている。
合併後の函館市の政策はやはり中央集権だ。予算は人口の多い地域に配分するのが、費用対効果が大きいからだ。地域の予算は当然低くなる。
合併後、路線バスの便数が減らされ、消防署も隣町に移動する。財政難は効率化を求めるからだ。
だが、小さくても目一杯の声を出さなければ、地域は衰退の坂を転げ落ちるしかない。
合併してマイナーなことばかりがいわれるが、私は最も良かったことがある。
それは行政と住民の間にそびえていた、巨大で堅牢な障壁が消滅したことだ。
つまり、合併してよかったと思うのは、議会が消滅したことだ。
議会制民主主義はいつの間にか議会制権威主義になり、行政と市民はそこで萎縮していたからだ。
人口1000人というコミュニティーは、直接民主主義が似合っている。
この障壁が消滅してから、行政マンと住民の関係が親密になったのを感じる。
住民自らの考えと行動で、新しいコミュニティーづくりができるというこの喜びは、市町村合併の最大の成果かもしれない。