▼米国での大学の研究は、軍事用に利用できないものは、国が研究費を補助しないというのが常識のようだ。安保関連法が成立し、日米の軍事同盟がさらに強化されると、日本の大学でも同様な動きが出てきたようだ。防衛省の「安全保障技術研究推進制度」に、本年度は北海道大学などの研究10件が選ばれ、防衛省から研究費が年間3900万円で、3年間支給されるという。
▼北大の担当教授は「抵抗感がなかったわけではないが、研究はあくまでも船の燃費を向上させて、二酸化炭素の削減につなげる環境対策技術だと考えている」と談話を述べている。防衛省では、軍艦や潜水艦などへの技術利用につながるので、と話している。
▼原子力の研究者は、人類の進歩に必要だと研究を進めていたのだろう。だが、原子力のエネルギーは、原子爆弾の製造に向かったのも、ナチスより先に作らなければという学者のプライドからだ。だが、学者の思惑とは別に、戦争は2発の原爆を日本に落とした。
▼だが、原爆投下でその威力が実証されたが,大量の殺人を起こしたことで、研究者は罪の意識を自覚したに違いない。だが、戦後原子力の研究は、エネルギーの平和利用に方向性を変えて、文明の進歩に貢献した。やがて原爆を彷彿する化のような原発事故がチェリノブイリと福島で発生した。にもかかわらず、原子力の研究者の中には、人類の進歩に必要として、さらなる安全な原発の研究開発に向かおうとしている。
▼優秀な研究者は、ノーベル賞をめざしているのだろう。だが、ダイナマイトを発明した創設者ノーベルの意志は「平和利用のため」ということだ。その意志をはきちがえては、ノーベル賞そのものが人類の破滅に寄与することにならないだろうか。戦前、日本でも原爆の開発が行なわれていた。広島と長崎に落とされた時、研究者の中には「私たちの研究が証明された」と喜んだという。人類の発展に寄与するという研究者には、そんな側面も潜んでいるのだ。
▼函館市議会は、安保関連法について「15対14」で賛成の決議をした。戦争遂行に市議会は一歩足を踏み入れたようだ。だが、1984年の函館市議会では「核兵器廃絶平和都市宣言」を採択した。『核戦争の危機が叫ばれている今日、世界で唯一被爆国の国民として、また、平和憲法の精神からも、世界の人々とともに、再びこの地上に被曝の惨禍がくりかえされることのないよう、核兵器の廃絶を強く訴える』と宣言している。強力な軍隊とは、最強の武器を持つことだ。武器の輸出も解禁した。核保有も視野に入ってきたということではないか。
▼市民は函館市議会のこの決議に、まったく関心を示さないようだ。この無関心さや傍観者意識が、知らず知らずの内に、戦争に協力しているのではないかと思うこの頃である。