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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

戦争に協力しないために

2016年07月31日 11時55分01秒 | えいこう語る

 

米国での大学の研究は、軍事用に利用できないものは、国が研究費を補助しないというのが常識のようだ。安保関連法が成立し、日米の軍事同盟がさらに強化されると、日本の大学でも同様な動きが出てきたようだ。防衛省の「安全保障技術研究推進制度」に、本年度は北海道大学などの研究10件が選ばれ、防衛省から研究費が年間3900万円で、3年間支給されるという。

北大の担当教授は「抵抗感がなかったわけではないが、研究はあくまでも船の燃費を向上させて、二酸化炭素の削減につなげる環境対策技術だと考えている」と談話を述べている。防衛省では、軍艦や潜水艦などへの技術利用につながるので、と話している。

原子力の研究者は、人類の進歩に必要だと研究を進めていたのだろう。だが、原子力のエネルギーは、原子爆弾の製造に向かったのも、ナチスより先に作らなければという学者のプライドからだ。だが、学者の思惑とは別に、戦争は2発の原爆を日本に落とした。

だが、原爆投下でその威力が実証されたが,大量の殺人を起こしたことで、研究者は罪の意識を自覚したに違いない。だが、戦後原子力の研究は、エネルギーの平和利用に方向性を変えて、文明の進歩に貢献した。やがて原爆を彷彿する化のような原発事故がチェリノブイリと福島で発生した。にもかかわらず、原子力の研究者の中には、人類の進歩に必要として、さらなる安全な原発の研究開発に向かおうとしている。

優秀な研究者は、ノーベル賞をめざしているのだろう。だが、ダイナマイトを発明した創設者ノーベルの意志は「平和利用のため」ということだ。その意志をはきちがえては、ノーベル賞そのものが人類の破滅に寄与することにならないだろうか。戦前、日本でも原爆の開発が行なわれていた。広島と長崎に落とされた時、研究者の中には「私たちの研究が証明された」と喜んだという。人類の発展に寄与するという研究者には、そんな側面も潜んでいるのだ。

函館市議会は、安保関連法について「15対14」で賛成の決議をした。戦争遂行に市議会は一歩足を踏み入れたようだ。だが、1984年の函館市議会では「核兵器廃絶平和都市宣言」を採択した。『核戦争の危機が叫ばれている今日、世界で唯一被爆国の国民として、また、平和憲法の精神からも、世界の人々とともに、再びこの地上に被曝の惨禍がくりかえされることのないよう、核兵器の廃絶を強く訴える』と宣言している。強力な軍隊とは、最強の武器を持つことだ。武器の輸出も解禁した。核保有も視野に入ってきたということではないか。

市民は函館市議会のこの決議に、まったく関心を示さないようだ。この無関心さや傍観者意識が、知らず知らずの内に、戦争に協力しているのではないかと思うこの頃である。


大切なことを無視する時代なのか

2016年07月30日 09時39分26秒 | えいこう語る

 

私が生まれ育った椴法華村が、近隣の3町村と一緒に函館市に吸収合併されてから11年が過ぎた。「MADE・IN・TODOHOKKE」を自認する私は、役所主導で行なわれる合併に反対の意志を示した。だが、人口減や財政難を前面に出した役所に、住民は「しかたがない合併」を余儀なくされたというのが実態だ。当時の村の人口は1500人程だと記憶しているが、函館市に合併してからは、30万人となった。「村民から市民へ」の変身など、そう容易ではない。多くの住民はいまだに村民から抜け出ていないだろう。

合併時の計画通り、保育園が隣町に統合され、まもなく、消防署も同じ隣町の消防へと移動した。今年椴法華小学校始まって以来の、入学児童ゼロとなった。実際にはゼロではなかったが、保育園が隣町に移ったため、卒園児がそのまま隣町の小学校へ入学るという子供が出たためだ。ここまでは驚かないが、先日、函館市教育委員会から、町会長の私に話があると、連絡が入った。函館市からの要請を受けた審議会が、椴法華中学校を隣町の中学校に統合させるというものだ。函館市内の統合も始まっているので、一般的な考えでは、私の地区は小学校と中学校が統合だと考えていたら、まるで新幹線のような、急発進の学校統合である。この学校統合審議会なるものには、私たち住民の意見は取り入れておらず、あくまでも人口減によるデスクワークでの発表だ。吸収合併など、植民地にされたようなものだと思っていたら、やはりその兆候が顕著になった来たようだ。函館市も、2040年には人口が16万と推計されている。待ったなしの対応には、住民感情など無視というところか。

第一回目の話し合いでは、私は明治からこの地域が発展するための原動力になったのは学校の整備から始まったのだと主張した。「教育とは健全な人間を育成し、健全な地域社会の構築にある」という言葉が、私の教育に対する思いだからだ。

回答は、審議会からの答申を受けただけで、これから検討するとうものだ。だが保育園から隣町で、小学校も隣町となれば、中学校を隣町と統合させれば、我が地域の小学校も、まもなくなくなり廃止され、中学校ばかりではなく小学校も、隣町への統合というレールが引かれたのだろう。ふと思い出したのは、アイヌの歴史だ。北方領土に住んでいたアイヌを、北海道に強制移住させ同化政策を強行した歴史を、博物館で学芸員から講義を受けたことがある。人口減少問題が教育現場でも、思いやりのない施策を実行しようとする、決して教育的な配慮のない、むしろ「いじめ」に近い考えをしていることに驚く、今回の函館市教育委員会の仕打ちだ。

さて今朝の新聞である。JR北海道では、道内の赤字路線の本格的な存続協議を、関連自治体と話し合いを行うという。バス路線への転化などが考えられるが、人口減と財政難の自治体では、相当厳しい問題だろう。JRは民間企業だ。新幹線の札幌延伸で、営業成績の改善を行いたい。だが、その計画の達成には、赤字路線は廃止するしかない。「公共交通」などというのも、死語に近くなるのだろう。瀕死の自治体の生き残りは、国からの補助金便りの政策を受け入れるというしか、選択の余地をないような地域が多くなるだろう。広大な北海道北海道は、日米合同訓練場の受け入れや、対ロシアの米軍基地の設置、さらに、核廃棄物地下処分場などの適所として、国の政策下に置かれるのではないだろうかなどと、朝からブルーな気分になってしまう。

「杞憂」とは、中国の杞の国の人が、天地が崩れて落ちるのを憂いたという故事に基づくとある。将来のことについてあれこれと無用に心配をすることという意味だ。だが、アベ政権下の我が国「安保関連法」を成立させ、憲法改正への道筋を付けた。「杞憂であれば幸いだ」と思いたいが、杞の国の人が思った天地が崩れ落ちるというのは、実は「戦争」が起きるのではないかという、予測だったのではないかとふと思う。

杞憂だらけのアベ政権。8月8日に行なわれるという天皇陛下の「お言葉」で、日本晴のように杞憂が払拭されることを期待したいものである。でも憲法解釈を間違うアベ総理だから、陛下の「お言葉」も理解できないかもしれないけど。


千秋楽間近の都知事選

2016年07月29日 10時26分54秒 | えいこう語る

 

世の中には、自分の存在をアピールし、存在を知らしめる人がいる。東京都知事選などはその例だ。トップを走っている3人の候補は、普段は寡黙だという人はいないようだ。総じてでしゃばりの本領を発揮している。最後には「私が一番」だと主張する。選挙がそうさせるのではなく、もともと自己主張の強い人たちのように思える。先頭を走っているのが小池さんのようだ。男尊女卑が国柄である我が国にあって、女性の時代を声高に主張する小池さんは、日本のジャンヌ・ダルクに見えてくる。都知事になって、自民党都連や強力な役人機構などの権謀術数にはまり、知事の座を失うことになっても、常に都民に向かっての都政を一貫して欲しい。男の花道というのがあるが、女の花道という言葉を、小池さんが作ってほしいものだ。「都民による都民のための政治」とうフレーズは、有権者の心に届くに違いない。

「地方消滅」という、本を出版し、地方に住む者を恐怖に陥れた増田さん。東京一極集中が招く人口急減を解消しなければならないという主張だ。だが次期東京オリンピックは、一極集中に拍車がかかるに違いない。もし地方消滅を防ぐなら、東京オリンピックの、様々な競技の会場を地方に分散し、オリンピック終了後は、遷都構想を実現するようでなければ、均衡ある国土の発展にはならないだろう。行政の実務能力を強調するが、それだけでは、都の行政機構を改革できることにはならない。都の巨大な行政組織のほうが、知事を丸め込むのが得意だからだ。増田さんの手の内はわかりすぎているというところか。

さて、一番人気と持て囃された鳥越さん。ゴール近くなったら息切れ状態のようだ。

世論調査では3番手に後退という。顎が上がり酸欠状態で、もはやラストスパートは期待できない走りのようだ。「3つのゼロ」なるものを主張するが「原発ゼロ」では、都民はボケたのではないかと思っているのではないだろうか。東京はエンドレスの不夜城なのだ。「原発ゼロ」では、夜間消灯という事態になるのではないかとのイメージを持たれないかと、田舎者の私でも心配する。というわけで、私の勝手な予想は、小池さんの勝ちということだ。というのは、私はジャンヌ・ダルクのフアンだからだ

。彼女は国のために戦ったが、既存勢力の魔女裁判にかけられ死刑になった。だが、後にフランスを救った英雄として、彼女の死は祝日にされたからだ。私には、都知事になった小池さんが十字架に貼り付けになっている光景が浮かぶ。「都民のための都民の政治」。最後までその言葉を忘れないで、叫び続けて欲しいものだ。

3人の候補とはまったく存在が違うのが、相撲の呼び出しだ。目立たないものの代表だからだ。随分前から、北海道出身の呼び出しだと知っていた拓郎さん。昨年11月の九州場所から、最高位の「立ち呼び出し」を務めている。熱戦が終わり、どよめきの治まらない土俵に上がり、横綱の名を呼び上げる。ただこれだけの仕事に生涯をかけれる、その仕事への思いを語っている。「私が呼び上げないと横綱も土俵に上がれない」と。このプライドが、決して目立たないが、伝統を保持する縁の下の力持ちなのだろう。プライドは金メダルのように光るより、いぶし銀の光がはるかに価値があるような気がする。

さて、千秋楽も近くなった都知事選。混戦から抜け出るのは誰か。誰であっても「心・技・体」を兼ね備えた大横綱になってほしいものだ。世界の東京には、そんな都知事を期待したいというのが、消滅寸前の地方からのエールなのだ。


人権について考える

2016年07月28日 09時32分37秒 | えいこう語る

 

小説「八つ墓村」の大量殺人事件は、戦前に岡山県のある集落で起きた、30人が惨殺された事件がモデルだという。自殺した容疑者は結核患者で集落で孤立していたという。医学が進んでいない時代の人々の偏見は、人権すら無視してしまうことから、このような犯罪が誘発されたのだろう。戦後日本国憲法が制定され、第11条に「国民が保有する基本的人権は、侵すことが出来ない永久の権利」として与えられるとしている。だが、自民党改憲草案では人権が制限される恐れを感じる。

相模原市の知的障害施設で、元施設職員が重度の障害者に対し「生きていたった意味がない」というような理由で、19人を殺害した事件は、現在社会の闇の深さを、いっそう深くする出来事だ。自分にとって無益なものは、邪魔であるので整理してしまおうという、人権をゴミ扱いにする行為だ。休日で疲れている父親を「粗大ごみ」扱いにし、笑いを取っている社会にその兆候は見られないか。働けないから、障害者や老人を短絡的に施設に入れてしまう傾向に、そのような前兆が見られないか。など、自分の胸に手を当てて考えることが必要な今回の事件だ。

昔の凶悪事件は、無知やそれによる偏見などが理由に上げられたが、今回の容疑者は、教職を取得し子供好きな若者だという。もし教員に採用され、教育現場の考えが自分の考えと乖離していたら、学校内で起きた事件かもしれない。犯行の矛先を体制側に向けないで弱者に向ける幼稚さは、人格の未熟さの現れだろうと言って切り捨てるのは、偏見や差別と同じ状況だ。

麻生財務大臣の発言をここで引き合いに出したい。「高齢者はいつまで生きているつもりなんだ」との発言だ。財務大臣としては、高齢化社会での財源の不足が、常に頭にあったからだろう。麻生氏の頭には「姥捨山構想」なるものが浮かんでいるに違いない。もちろん、彼の大好きな漫画での構想だが。この容疑者と麻生氏の基本的な考えは酷似しているのだ。

我が国の厚生労働省の高齢化政策も、財源不足により人権がおろそかになる可能性がある。高齢化社会に突入し、介護給付費の増大と保険料の上昇により、介護保険制度が始まった2000年は、保険料の全国平均額が「2,911円」だったが、2025年は「8,165円」との試算だ。20年の東京オリンピックで、浮かれている場合ではない我が国だ。要支援1・2は、今まで国でみていたが、市町村に投げてきた。財源不足が原因らしいが、お金がないのは市町村だ。その市町村、町会やボランティア組織を総動員して、対処するという。

函館市では「地域支えあい推進協議体」なるものを組織し、役所や市民団体一丸となる体制をとっている。11人で組織するが、このたび、函館市町会連合会枠で、私もその席に座ることになった。膨大な資料が送られ、コンブ漁で消耗した体力をさらに鞭打つ羽目になっている。実は、私は1期2年、町会連合会の総務部長の職にあり、安心・安全なまちづくりのために、大間原発反対運動を、その主力としてきた。改選期でもう1期を切望したのだが、保健福祉部長に移動させられ、それにより今回の役職が回ってきたのだ。

この協議体の役割は「団塊の世代が75歳以上になる2025年を目途に重度な要介護状態になっても、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう」との内容だ。団塊世代というのは私たちのことだ。この職も、人生の最期に少し勉強しなさいという、阿弥陀如来様からの命令かと思い、しっかり受け止めたいと思っている。

今日は第2回目の会議だが、私は初登場となるので、自己紹介をすることになっている。1分間スピーチの中で、今回の殺人事件と麻生大臣発言、麻生氏のモノマネで、これから厄介者になる団塊世代の一人として、挨拶をしてみたいと思っている。


海の日・山の日

2016年07月27日 09時39分58秒 | えいこう語る

 

ご祝儀相場とは言え、今年のサンマの初値が、1キロ20万円に高騰した。北海道では、メロンやスイカに継ぐ、サンマもブランドの仲間入りと喜んでいられない。1匹35、000円以上と言われるのは、サンマの資源が枯渇しているのではない。200海里の外の公海で、台湾の客船のような大きなサンマ漁船が、母船を引き連れ操業しているからだ。集魚灯に沸き立つように集まった道東沖のサンマ漁の映像など、もはやマボロシの光景だ。さらにロシアといえば、北海道漁業のシンボルだった、サケ・マス漁の、自国海域での日本の操業を打ち切った。この「食料攻め」とも思われる漁業問題、もはや外交問題の領域に達している。

明治時代の北洋海域でのカニの操業は、缶詰にし輸出し外貨を稼いだ。そのために、操業を帝国海軍の軍艦が守っていた。こうなれば我が国の漁業を守るためには、軍事力に期待しなければならないという漁業関係者の心理状態が、徐々に構築されるのではないだろうか。現在ラオスで行なわれている、ASEAN会議でも、南シナ海での中国の横暴な領土政策に、各国は腰砕けに終わったようだ。中国の最近の軍事強化の脅威に、各国の足並みが乱れたという感じだ。「軍事力強化」こそ、外交の要であるという、世界風潮は非常に危険だ。

話は、国際的になってしまったが、前浜の話題に戻りたい。まだ7月だというのに、養殖コンブ漁が終了した。水温が高いため、昆布が腐れ初め、急いで収穫したためだ。例年なら、6~7メートルにも生育する、威風堂々とした昆布に胸を張って仕事ができるのだが、枯葉剤の攻撃を受けたような昆布を見て、労働意欲も減退し、疲労と共に身体も変調をきたしてしまった。そんなわけでブログも書けないで、一日中、昆布作業の合間には、家でごろ寝をしていたのだ。

近年、水温が高いため、流れもの(回遊魚)が、水温の低い沖を通過しているようだ。回遊魚の不振が叫ばれたのは、私の記憶では、昭和30年代だった。その頃、東京オリンピックを控え、本州は公共事業などで活気を呈してきた。回遊魚の不振と相まって、出稼ぎ者が増え、漁業から離れる時代になり、家族で出稼ぎに出かけは、子どもたちは寂しい思いをしたようだ。子供は親戚の家に預けられるという、そんな家庭もあったそうだ。家族は一緒に暮らしたいという気持ちがあり、昭和50年代に入ってから、前浜でも安定収入を目指した、昆布養殖が始まり、家族一緒の明るい家庭に戻ったという。私の前浜で養殖昆布を普及させたのは、当時役場の水産課にいた、私の10歳上の従兄弟だったから、その経緯を聞いて、感動を覚えたものだ。

漁師の基礎給料とも言われる、養殖コンブ漁まで不振となっては、少子高齢化による人口減での地方は、打つ手がなというのが、今の現状だろう。こんな心理状態が、野党ではなく、与党に期待したいというムードが出てくるのだ。九条を改正し、国防軍の創設やむなしという、そんな流れが蔓延しそうな前浜の現状だ。こんな状態で、国民投票が始まると、英国のEU離脱という国民の動きと同様な感じになってしまうのではないかと危惧する。

「海の日」もなんとなく、休日を楽しんでいる。今年から制定された祝日、8月11日の「山の日」は、私の誕生日だ。故郷の海も山も、私にとっては学校で学ぶ以上のものを学ばせてもらったと感謝している。海を大事にしようという三陸海岸の漁師たちが「山は海の恋人」という、粋な標語を作った。海を守り山を守ることが、島国である我が日本民族の使命ではないだろうか。そんな思いがする、海が泣いているのが聞こえる、今日この頃の、前浜の近況だ。

私の村から函館市内に向かうと、戸井地区と呼ばれるところの前浜は津軽海峡だ。向かいには下北半島が手の届くような位置にある。世界初のフルMOX燃料を使用する、大間原発が建設されているのが見える。この地区には、小さな山だが、地元では「かまや富士」と呼ばれる山があり、NHK大河ドラマ「坂の上の雲」の、203高地の舞台になり、戦闘シーンが繰り返された。

私はこの地区を車で通るたびこの言葉を口ずさむ。日露戦争開戦時の、帝国海軍の電報を思い出し、私なりの平和維持のメッセージとしている。「青函(青森と函館)の興廃この大間原発のあり。本日天気晴朗なれど、津軽海峡波高し」。衆参両議院で与党勢力が3分の2の議席を確保した。いよいよ国民投票が現実味を帯びてきた。同盟国の米国も、大統領選が熾烈化している。世界の歴史を振り返ると、扇動する者が出てきて、それに大衆は迎合し悲劇へと突き進む。「国破れて山河あり」。この言葉の意味をあらためて確認する「海の日・山の日」であってほしいものだ。