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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ブログの書き込みができなくなった

2013年05月31日 06時12分13秒 | えいこう語る
今年の3月に、ISDN回線から光に変わった。
パソコンに田舎者があるとしたら、とどほっけ村民からニューヨーカーになったような気分だ。
グライダーから戦闘機に変わったような感じといってもよい。
ところが、長い間田舎者だったので、生活の変化に馴染めないようだ。
不具合が時々起きる。
ついに1週間前、大間原発決議文をUPしたところで、ブログの書き込みの欄が消えてしまったのだ。
実はパソコンのことを田舎者扱いにしているが、私が田舎者なのだ。
パソコンのことがからっきし理解できていない。
いまさら年齢のせいにもできない。昔から機械音痴なのだ。
詳しい仲間に電話で聞いても、パソコンのことになると外国人と話しているようで、まるで理解ができない。
※村の八幡神社の狛犬。これなら熊も逃げるに違いない。今年は熊の被害が多いようだ。


今朝4時半に起きた。
銚子ビーチに来たが波が高く、すでに7人のサーファーが海に入っている。
砂浜を散歩してから、パソコンの前に向かう。
記憶にある画面を思い出しながら、何度となく解決に向かって挑戦してみた。
早朝の気分の良さが幸いしたのか、30分ほどで懐かしい画面が表示されたのだ。
今年の冬はシバレがきつく、春先のオープン時にトイレの水道が出なかった。
業者に頼むと1万円以上するといわれて、自分で挑戦してみた。
水浸しになったが、修理は成功した。
それからもう一つ、思い出せないが、私には不可能と思われたものも可能にした。
妻には「お父さんて天才みたい」とほめられた。
妻は修理代がかからないことを、天才というようだ。
今度はパソコンを修理した。
3度も成功したので、天才のほかに「バカボンのお父さんのようだ」といわれるに違いない。
今、午前6時。妻はまだ夢の途中のようだ。


大間原発無期限凍結決議

2013年05月25日 12時18分03秒 | えいこう語る
昨日、函館市町会連合会の定期総会が開催された。
187町内会の会長さんたちは、背広にネクタイ、背筋を伸ばし凛とした態度で総会に臨む。若干の緊張感が会場に流れている。
私の役割は総合司会だ。
今回の会議はもめそうだという情報がある。執行部も打ち合わせに余念がない。
さらに今総会では「大間原発無期限凍結の決議」の採択もある。
その決議文を読み上げるのも私の役割だ。
私も若干の緊張を覚える。
打ち合わせの中で、私が会長にあるお願いをした。
決議文が採択された後、私に発言の時間を下さいというものだ。
「福島県相馬市の青田恵子さんという主婦が書いた詩を私が朗読し、福島県民の魂の叫びを聞いていただき、今日の決議文をより実効性のあるものにしたい」というものだ。
今までの総会では、考えられぬことだ。
さすがに会長も「総会終了後の懇親会の席上で」と言ったが「会議がもめて時間がなかったらそうしたいが、宴会に入ると誰も聞いていないので、ぜひ総会の中で」と懇願した。
今回の議長は、昨年、私の町会の河川敷工事で、周囲が伐採されたので、役場にお願いし植林をした。そこで苗木を提供してくれたのがT会長だ。


Tさんは元営林署の職員で、現在、緑の運動の会長を務めている方だ。
昨年の植樹祭の最後のあいさつで、私が「この地区には縄文人が住んでいた。縄文人は自然を大切にして森を守って暮らしていた。その森がこの海を豊かにし、私たちは生活ができた。今日の植林は縄文の人たちも喜んでいるに違いない。さらに今日手伝ってくれたみなさんへも感謝し、縄文語でお礼を言います。・・・縄文ありがとうございました」・・・周囲の山々に笑い声が響き渡ったのだ。
T会長、この「縄文ありがとうございました」を、自分も使わせていただいていいですかと言われた。
そんな人柄のいいT会長、決議文が採択されると「次に決議文作成に協力いただいた“川口縄文理事”に発言を許します」と言ったのだ。
私は“常任理事”なのだが、壇上で緊張があったのかそう言ってしまったのだ。会場からは笑い声は起こらないが、私は笑いをこらえるのに閉口した。
青田さんの詩は福島弁だが、関係者から許可を得て、函館市民が理解しやすい、津軽弁に直した。この詩は標準語では、迫力が伝わらない詩だ。
・ ・・原発は一度になんもかんも奪ってしまった
原発さえなかったら、と、壁にチョークで遺書をのごして
ベゴ飼いは首吊って死んだ
一次帰宅者は水仙の花さぐ自宅の庭で
自分さ火つげでしんだ・・・
会場は水を打ったように静まり返った。
今でも多くの福島や周辺の人々が、故郷を追われている。その人たちの声なき声が会場を埋め尽くしたかのように。
私は不思議なことに、心が落ち着いていた。声を荒げることもなく淡々と朗読ができた。
終了後、大きな拍手が沸き起こった。
今日の決議文が、この詩により格調の高いものになったという声も聞いた。
福島県の一主婦の一編の詩が、函館市民の心を動かした一幕である。


たかが包装紙

2013年05月23日 15時12分34秒 | えいこう語る
先日、東京に遊びに行った方から、お土産をいただいた。
浅草のお菓子だが、その包装紙に目を見張ってしまう。
破って捨ててしまうというような代物ではない。


浅草は、ここは外国ではないかと驚くほど、世界中からの観光客が訪れている。
このようなすぐれた包装紙が世界中に出回り、日本観光のブームに火をつけるのだろう。
江戸時代に、日本の器などが海外に出回った時、浮世絵が包装紙代わりに使われ、それがヨーロッパの絵画に影響を及ぼしたのはご存じのとおりだ。
たかがお菓子の包みに、これだけの精神を注ぎこむ。そんなこだわりが素晴らしいと思う。
以前東京で活躍していたというデザイナーと話したことがある。
函館の企業にデザインを依頼されると、この程度の発想でよいとする考えが多いという。函館的だともいう。
開国から積極的に異文化を取り組んできた割には、進取の精神が希薄だというということなのだろう。
下町浅草。江戸情緒があり日本人の人情味などというもの、観光の重要な要素だ。
しかし、その小さな地区が世界に向かって堂々と胸を張っている。
片や日本近代史の生きた博物館といわれる、歴史と文化の街は函館市。
国際的な要素は、浅草よりはるかに優れているはずだ。
だが、1年を通して見える様々なイベントは、世界に向かって発信しているとは感じられない。
この違いはどこから来るのだろうか。
“あかぬけなさ”の違いなのだろうか、などと考えてしまう。
函館は、もしかしたらあかぬけない街なのだろうか。
一枚の包装紙。それが語りかける東京浅草物語は、田舎者の私を浅草界隈に充分にいざなってくれる。
この包装紙を眺めながら、今夜はちょいと浅草界隈で“もつの煮込み”などで、一杯やりたい気分にもなる。
こんな時、都会の持つ感性の輝きを、うらやましく思う田舎者の私だ。


死の商人

2013年05月21日 11時34分07秒 | えいこう語る
トルコに原発を売り込んできたと思ったら、今度はインドに売り込みを開始したという。
我が国の原子力発電所建設の技術は世界最高水準だというが、事故処理の取扱説明書のない商品は、事故があったらクレームと賠償はとてつもなく大きいものにはならないだろうか。
でも、日本には特別の取扱説明書がある。
「総原価方式」というものだ。すべての不足分は電気料金に乗せればいいというものだ。これなら購入者も納得するだろう。
日本市場がだめなら海外へというのは、大企業のグローバル経済の論理だ。
その大企業のトップセールスマンに、アベちゃんはなろうとしているようだ。
その見返りは、政権与党を安定に維持できるほどの政治献金だろうか。
「アベノミクス」や「農業の所得倍増計画」。これらのキャッチコピーを企画させているのは、大手広告会社ではないかと疑いたくもなる。
マスコミを使い、相当入念に広告をしているからだ。
次々話題を提供するアベちゃんだが、やはり原発の海外への売り込みは危険だと思う。
世界中に福島のような場所を作りかねないからだ。
※店の庭の一角。


第三次世界大戦は核戦争といわれていたが、核の抑止力は効果があるようで、いくらなんでも核爆弾を使用する国はいないようだ。
もしかして、世界の環境を悪化させ人類滅亡に追い込むのは、日本が輸出する原発事故によるものかもしれない。
そうなると、アベちゃんは「死の商人」となるのだ。
そんなことにはまったく無頓着で、今度は北朝鮮の拉致問題を解決する気配を見せて、国民の高い支持を維持している。
隠密裏に行動したつもりが、北朝鮮の報道で何か大切な土産が入っているらしい、二つのカバンを持っている姿が移された飯島さんは、なんだか滑稽に見えた。
飯島さんが帰るや否や、ロケットが数発飛んだ。
交渉が成立したお祝いの花火のようにも思えるが、訪問者が帰った後に塩をまく、そんな感じにも見えた。
顔を見れば、人柄の悪くないアベちゃんだが、年金、介護、消費税等々、苦しんでいる国民の声なき声を聞けないようであれば、総理とはいえない。
ただの大企業の「使いっ走しりセールスマン」だ。
アベちゃんには、たまにはほめたいと思うのだけれど、なんだかほめれない総理に見えてしょうがない。


アベノミクス再確認

2013年05月18日 13時06分25秒 | えいこう語る
TPP参加で、生産者の不安は計り知れないものがある。
私たち消費者も、農薬の規制が緩んだものや遺伝子組み換えの産物が輸入されると思うと、穏やかではない。人体への影響が心配されるからだ。
そんなことをよそに、アベちゃんは一人はしゃいでいる。
池田勇人総理に習い「農業の所得倍増計画」を口にした。10年で農業所得を倍にすると、いとも軽い発言だ。
じゃ、漁業者はどうするのだろうかと、漁師見習いの私は、福島の漁師と同様に怒り狂ってしまう。
※穏やかな朝の海だが、理由は判明しないが魚がとれなくなった。


さらに「自分はトップセールスマンとなり、世界にインフラ事業の出前をする」とまで言う。
福島原発は事故発生中だ。
海外にアベちゃん自ら原発の出前に行くというのは、従軍慰安婦問題で世界に恥をかいても反省しない、徹ちゃんと同じレベルだ。
この頃の日本、何が正しいのかあいまいになりすぎるきらいがある。
憲法9条の改正派が、96条は改正してはだめだという。9条を変えたいならだれが考えたって、96条のハードルを下げる改正しなければならないはずだが、こっちはだめでこっちはいいという。
矛盾に聞こえるが、矛盾ではないという。テレビを見ているうちに、ふと矛盾ではないようにも思えてくる。
あくまでも個人的考えだが、アベちゃんは総理としてはあまり優秀ではないように見える。教養も充分にありそうな顔ではない。
アベノミクスもどうやら、後は野となれ山となれで、自分は憲法第九条だけを改正した総理として、歴史に名を残したいと思っている様な気がする。
小泉さんの元秘書、飯島さんを北朝鮮に派遣したのも、九条改正の弾みをつける魂胆のような気がしてきた。
※昨日の函館の桜ケ丘通り。


耳を最大限に傾けて、アベちゃんの発言に気をつけなければならないようだ。
この頃のアベちゃんの自分だけが大満足している絶好調発言を聞いていると『アベのミソもクソも』という感じがしてきた。
こんな表現をしているようじゃ、私も橋下市長以下の品のなさといわれるかもしれないけど。