函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館観光を考える

2010年10月31日 11時12分06秒 | えいこう語る
昨年、函館市は開港150年を迎え、様々なイベントが開催されたようだ。
されたようだと書いたのは、私も市民でありながら、それらのイベントにほとんど参加しなかったからだ。
開催費用1億数千万とも言われたが、当初、予想されていた大物タレントのキャンセルや、費用の工面を町内会までおろしてきた経緯、一番の問題は、開港150年に対する行政側のテーマや意気込みが、市民に伝わってこなかったというのが、興味がそがれた原因である。
全国調査で「魅力ある街」NO1に選ばれたりしているが、何かこの街の統一感のなさを最近感じ始めている。
街全体は魅力にあふれているが、以前流行したCMのように「ポリシーもアイデンティティーもない」というような感じがするからだ。
観光だけを取り上げても、同じようなイベントを、ちょっとだけ組み合わせを変え、数多くおこなっているような気がする。
行事をたくさんおこなえば、観光客の数が増えるのだろうが、イカでもタコでもイワシでも、とにかく人数のうちというのはいただけない。
※黄昏の函館はロマンチックだ。


などと考えていたら「道南ブランド」ロゴでPR、という記事が新聞に掲載された。
『食を軸に道南18市町が観光振興に取り組む「はこだて観光」。シンボルロゴも誕生し、まちなかで目にする機会が増えてきた。道南が一体となって進める「道南ブランド」づくりは、着々と広がりつつある』
そのシンボルロゴは市内の大学生がデザインしたものだ。
道南を四角に見立て、それに山、海、平野の豊かな産物の力をあらわした、三つの丸をつけたと解説している。
解説を読むまでいくら考えても、何をあらわしているのかイメージがわいてこないのである。
ロゴマークというのは、伝えたいたくさんのことを削り取って、そのエッセンスを簡略に表現したものだろう。
素敵な女性との別れ際に、また逢いたいと思わせる、短く粋な言葉のようなものではないか。
多くを語りすぎると、伝えたいことが薄れてしまうのである。
デザインした学生には申し訳ないが、私が言いたいのは、このデザインを採用した函館市の観光振興のあり方である。
観光客の減少を食い止めようとするあまり企画だけが先行し、肝心なものを見落としてはいないかということだ。
函館市民は、函館の街を心から愛し、誇りに思っているのである。
その誇りを奮い立たせてこそ「真の函館観光」が、成立するはずである。
平成16年12月1日。函館市は、戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町の旧4町村を吸収合併し、中核都市の指定を受けた。
その後、旧南茅部町で出土した縄文時代の中空土偶が、北海道初の国宝に指定され、7億円とも言われるその展示館も建設中である。
今年復元された五稜郭奉行所とともに、函館観光の目玉となっていくはずである。
中核都市から「中空都市」などと揶揄されないような、魅力ある函館観光づくりを期待したいものである。


鮭の釣れない日が続く

2010年10月30日 11時48分03秒 | えいこう語る
先日函館市内でこんな怪獣を見た。


イカの街函館で、突如誕生した「イカール星人」だという。
何かよくわからないが、函館の街で暴れまくっているようだ。
函館の企業の宣伝にもでていて、観光客にも人気だという。
とにかく、いまや函館観光のトップ・セールスマンとして活躍しているらしい。
でも、私は嫌いだ。
「イカ踊り」という、今では「函館市民の踊り」として定着した踊りも、私は嫌いだ。
歴史と文化そしてロマンあふれる街には、単純すぎると思うからだ。
話は急に浜に移るが、海岸では背びれを見せ群れなしているのだが、いっこうに鮭が釣れない。
「イカール星人」が泳ぎまくり、鮭を追い散らしているに違いない。そう思わざるをえないほど、釣れない。
隣で竿を投げていた、80歳過ぎのおじさんが釣ったオスの鮭である。


近寄って「ずいぶん大きな鮭ですね」というと、おじさんは大物なので興奮気味である。
「でっけ、もんだじゃ」=(大きなものだ)
「でっけ、もんだじゃ」・・・おお!「でっけ、もんだじゃ」を連発する。
「5キロ近くありますね」と話しかけても「でっけ、もんだじゃ」しか、返ってこなかった。
久しぶりで釣った大物、80歳代の老体には、かなりの抵抗があったのだろう。
「でっけ、もんだな」と、私も一つ付け加えた。
とにかく毎朝、釣りに出かけている。
いくら机の上で、釣り方がどうのこうのとか「イカール星人」が泳ぎまくっているせいだと言っても、竿を投げないことには、絶対釣れないのだ。
成果はまだ一匹である。このままでは引き下がれない。
鮭の気持ちになって考えてみた。
夜中、急激に冷え込んだ日。その翌朝、鮭の大群が河口めざし、突撃する手はずだ。
そこが勝負だ。
決戦は、寒さが厳しい早朝に違いない。
まだまだ鮭との心理作戦が続きそうな、周囲の山々の紅葉が朝日に輝く、早朝の海岸風景である。


鯖の美味い季節だ

2010年10月29日 13時08分38秒 | えいこう語る
最近の日の出は5時半だろうか。
なんだか今朝は、鮭が釣れそうな予感がして、5時前に海岸に出かけた。
真っ暗闇の中にすでに10数人の釣り人がいる。
日の出が始まると釣れ始める。
一匹・二匹と釣り上げられるが、私の竿には反応がない。
波が砂浜近くで崩れる時、鮭の群れが海中で泳いでいるのが見える。
それでも食いつかない。
波が折った時、一匹の鮭が打ち寄せられてきた。
走って近づくと、死んだ鮭だった。
カモメが近づいて、豪華な朝食が始まった。
3時間ほど頑張ったが、私も空腹を感じてきたので、竿をしまった。
車に竿をしまい込んでいると、いつもの移動販売の魚屋さんがやってきたので、
真鯖を10匹購入した。


目までが青い活きのいい鯖だ。
さっそく3枚下ろしにし、しめ鯖用と焼き鯖用にした。
頭や骨、内臓などは海辺に持って行き捨ててきた。
バケツを持って浜辺に下りていくと、餌にありつけると思い、どこからともなくカモメが集ってくる。


カモメたちも新鮮な魚にありつけ、満足しているに違いない。
最近宴会が続き、今晩は休肝日にしようと思っていたが、しめ鯖の握り鮨が眼にちらつけば、別の日にしなければならないだろう。
鯖の目は青く輝き、見上げる山々は赤く色付き、酒宴の舞台は整った。
夜の食卓には、脂のたっぷりのったしめ鯖の握り鮨、それと潮風のスパイスたっぷり浴びた焼き鯖。そして日本酒。
これで縄文露天風呂に浸かり、ニュウヨウク客に「パラダイス」は何処かと尋ねられたら、もちろん「とどほっけ村」と答える。


望 郷

2010年10月27日 13時39分48秒 | えいこう語る
大学を卒業し、一人ベルギーに旅立ったK君が、故郷函館に一時帰国した。
横浜港で見送ってから、40年にもなる。
もともと彫の深い顔をしていたが、日本での生活より2倍程の長いヨーロッパ生活で、全身が外国人というオーラに包まれている。
以前は5年に一度の帰国だったが、ここ数年は、毎年顔を見せている。
先日も高校時代の友人が集まり、彼を歓迎したが、私たちより昔の思い出は鮮明だ。
一人異国の地で日本の友人たちを思い出し、自らを励まして暮らしてきたのだろう。
※彼のふるさとの近くの山と川。


彼は空手道場の経営に携わっている。技術ばかりではなく、日本の精神を外国人に教えながら、日本を常に意識した生活を送ってきた。
国家や民族の意識が薄れてきた日本人より、日本の伝統や精神を色濃く継承しているのだ。
体育系の学生だった頃と同じ「押忍(おす)の精神」をいまだに持ち続けている男である。
ここ数年の連続帰国は、還暦を過ぎてから望郷の念が強くなったのではないかと、仲間内でささやかれている。
彼は一度離婚を経験している。二人の子供は結婚しそれぞれ別の国で暮らしている。
彼は2年ほど前同居している女性を連れてきたが、お互い離婚経験者同士なので、入籍はしないといっていたが、双方の家族は仲良く付き合っているという。
この度、私が彼の望郷の念を強く感じたのは、彼が昔の秘密話を口にしだしたからだ。
自分の内にしまい込んでいたものを吐露する時は、少し心が弱くなり、何かの決断が迫っているような気がする。私の経験からして、間違いない?
彼には90歳を過ぎた母親がいて、最近骨折したという。帰国すると母と枕を並べて眠るそうだ。
私が彼の身になって考えると、ヨーロッパの地に眠るより、故郷の土に返りたいと思うはずだ。
団塊世代は、故郷や日本が大好きなのだ。
見ず知らずの地で、孤軍奮闘した彼に「お前里心ついたのか」などと、いくら昔の悪友でも、そんな失礼はできない。
次回函館に来た時、特別余興を見せようと思う。
「ベルギーの山も今宵限り、故郷を捨て、縄張りを捨て、かわいい子供たちとも別れ別れになる門出だ。・・・お前もやっぱり故郷のおふくろが恋しいんだろう・・・」
というような台詞で、国定忠治を披露し、彼の望郷の念の反応をうかがってみようと思う。
悪友というのはいくつになっても、いたずら好きは直らないのである。


町内会『グチコン』開催

2010年10月27日 11時20分09秒 | えいこう語る
講演会などでの終了後、参加者の発言を求められても、大勢の前ではなかなか発言はしづらい。
とくに役所側が企画するものや、また役所の上層部を呼び話し合う場合、上段に役所で下段に市民という構図になりやすい。
函館市には移動市長室というのがあり、各地域に市長が出向いて、市民の声を聞くというのがある。
上座には市長と大幹部が雁首をそろえ、周囲には地区の市議会議員などが取り囲む。市民はまるで生徒のような感じで、発言は決してしやすいと言う状態にはない。
それらの会議スタイルは、市民からの辛らつな意見は避けようとする魂胆にも見えるが、市民の率直な声を聞くというのは、民主主義の基本であろう。
私が会長を務めるわずか90戸の町内会で、函館市椴法華地区の支所長をお呼びし『グチコン』なる集会を開催した。
※北海道新聞10月27日の朝刊


少子高齢化による限界集落もささやかれている現状で、年配者の愚痴を聞いてもらおうという懇談会である。
お上に対し意見なら言いづらいが、グチならお年寄りの専売特許だからだ。
支所長には趣旨を理解していただき、参加者と同席に入っていただいた。
支所長も、今日は挨拶など抜きにして皆さんと懇談したいと、市民目線でのスタートとなった。
参加者の一人で、首都圏で生まれ退職後、奥様の故郷椴法華に住まいしている方がいる。
私たち地元住民ではなかなか気づかぬ視点から、地域交通の不便さと解消の仕方を述べたのだ。
町内に在住し11年になるが、ムラ社会ゆえの『よそ者』という感じは、本人も、住民にも目に見えないかたちであるはずだ。
昨日のグチコンでは、みんなの賛同を集め主役になったようだ。
私は型にはまった考えが嫌いだ。同じ行動は良しとしない。(飽きっぽいとも言われるが)少しでも変化がなければ後退だと思うからだ。
人には横柄に見えることもあるはずだ。事実、私の妻からも注意がある。
でも何かを企画した時、型にとらわれると成果が薄れることが多いというのは、数限りなく経験済みである。
面白いとは英語でinterestingである。興味を持つという意味もある。
私も含めて高齢町内会である。
笑い声が絶えない町内会にしたいと思っている。