函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

三宅宏実選手

2012年07月31日 12時49分49秒 | えいこう語る
重量挙げといえば、私たち世代は自衛隊出身の三宅義行選手だ。
日本国と自衛隊の威信をかけて戦った、根性と努力の人だからだ。
その娘三宅宏実さんは、誰が見たって、あのお父さんの子供とわかるくらいよく似ている。
身長147センチ、クラスは48キロ級だ。前回の北京ではメダルを逃し、その後家出をした経験もあるという。
悩みに悩み、父ゆずりの努力と根性、さらに動かしがたい精神力を身につけての銀メダルに、テレビの前で拍手をし、思わず涙した。
あの重いバーベルを頭上に掲げ静止した時、にこりと笑った。
世界一美しい笑顔とは、あの顔をいうのだろう。
※三宅選手の銀メダルを祝福し、とどほっけ村日の出美術館から、一枚の絵を贈りたい。


彼女が生まれた時、日本プロ野球界では、ランディー・バースと落合博満が三冠王を取ったという。
三宅宏実という名には、うかんむりが3個あり、三冠王を意識して名づけたという。
親は子供に期待する。その期待に答えられず、子供は悩んだという。
でも最後まであきらめず、父の銅メダルを越えた。
父は基礎をうえつけ、娘はその基礎を元に、自分一人の力でメダルをとったのだ。
ロンドンオリンピック。最初に涙を流させてもらったのは、三宅選手である。
ありがとう、そしてごくろうさまでした。


思考能力ゼロ

2012年07月28日 13時19分06秒 | えいこう語る
毎日の昆布漁で疲れがたまり、椅子に座っていても眠気が襲ってくる。
待ちに待ったロンドンオリンピック、開会式も満足に観ていない。
夜、何かやろうとしてもすぐ眠くなる。
体重も減ったようだ。後はお腹のポッコリさえ締まってくれれば疲れも気にならない。
とにかく、今は疲れて、思考能力ゼロである。
ゼロというのは、余計なものの入る余地はない。
頭の中は空っぽというのは、何も考えていないので、周囲には多少の迷惑をかけることになるが、頭がすっきりしてなかなかいいものだ。
だからブログの文章も浮かんでこない。でも、空っぽだから昆布漁が終った時
、脳みそが休んでいるので、何か新鮮な考えが浮かびそうで、今から楽しみにしている。
※子供の鯨のような石。


今年は高価なガゴメ昆布が豊漁だ。
夏の海は少年の心を取り戻してくれる。
海でたくさんの昆布を取り、夜疲れて眠る。
そんな単純な毎日が、またなんとも言えなくいい。


00してはならない

2012年07月26日 11時39分28秒 | えいこう語る
ミラノ冬季オリンピックで金メダルを取った荒川静さんが、演技の時使用した曲は「歌劇・トゥーランドット」の「誰も寝てはならない」だ。
聴く者の感情を高めてくれる、力強さがある。
曲の内容はトゥーランドット姫が国民に、ある問題を解けるまでは「誰も寝てはならない」という命令を下したというものだ。
先日、夏休みに入る前の、地元小中学校の生活指導の会議に出た。
その資料にあったのは「00してはならない」の羅列だった。
※校舎は木造からコンクリートに変わったが・・・。


特に驚いたのは、自分の地域の海が、全て遊泳禁止区域になっているということだ。
8年前、函館市に吸収合併されてから、函館教育委員会は市内2箇所しか遊泳の許可を出しておらず、そのためだという。
私たちは海の村で生まれている。私たちが危険度を感じられるのは、自然体験で育まれたものだ。
学校の授業にはない、心身の鍛え方を自然が教えてくれたのだ。
大津市のいじめに見られるように、子供たちが危険度の加減がわからないというのは、自然の中で遊ぶ習慣に欠けているからだと私は思う。
学校側は「安心・安全のため」というが、それは組織論であって、子供たちの健全な精神と肉体の育成にはならない、がんじがらめの規則の羅列としか思えない。
「事故があってからでは遅い、どうかご理解を」という。
私は、今年の夏休みのテーマは「危険なことに挑戦し、危険度を体得しよう」にしたほうがいいのではないかと、辛らつなジョークを飛ばしてきた。町会長としては不適格な発言なのだろう。
学校側も今の教育委員会制度の中では、従わざるを得ない苦渋の判断に見える。でもこんなことでは、子供たちは何時までたっても「危険度の加減」が分らず、いじめが後を絶たないはずである。
私たちが子供の頃思った、夏休みのイメージは「自由」だ。
毎日のように海で泳いだ。真っ黒に日焼けして皮膚がむけた。でもその体験が、風邪を引かない頑丈な身体を作るのだと、信じていた。
でも、自由すぎると勉強がおろそかになり、後で困ることになるというのも実感できた。誰に言われなくとも自分で理解できたのだ。
若い時は規則があっていい。規則は社会の常識であり、生きていくための大事な教養の一つだとも思う。
でも、待ちに待った夏休みである。
海の村の子供たちに「誰も海で泳いではならない」というのは、真の教育から逸脱しているのではないかと思う。
函館市教育長と市長に会う機会があったら、ぜひそのことを問いたいと思う。


言葉の重み

2012年07月24日 13時31分43秒 | えいこう語る
昆布漁も酣(たけなわ)で、大相撲を観ることがなかった。
名古屋場所千秋楽、夕方の乾燥昆布の処理が早く終わり、横綱白鵬VS大関日富馬富士の全勝同士の一戦に見入った。
気合の充実度と動きの速さで、日馬富士の全勝優勝だ。
小柄な大関の力相撲、往年の栃錦や若乃花の土俵を思い出し、大相撲健在なりを充分味合った。
※神聖な朝だ。


優勝インタビューから。
優勝できたことは「母と妻、親方夫妻、後援会の皆さん、それにフアンの皆さんのおかげ」と、周囲への配慮が心を打つ。
先輩たちの優勝インタビューの時の言葉に倣っての思いだろうが、異国の地での苦しい修行に耐え、それを支えてくれた人々があっての自分という自覚を、本人は肌身にしみているのだろう。
次の場所は綱取りだが、それに向かっての心構えを聞かれると「全身全霊でガンバリマス」と答えた。
優勝インタビューでの緊張感、日本語はたどたどしさがあるが、流暢でべらべらまくし立てるのと違い、それがかえって聞く者の心に日本語の美しさが伝わってくるのだ。
「全身全霊」は、かつて日本人の専売特許のような言葉だったが、今やモンゴル出身の相撲取りに、似合う言葉になってしまったのだ。
その言葉を聞いて、野田首相の顔が浮かんできた。
「不退転の決意」とは「全身全霊」をかけて実行するということだろう。
首相は弁舌滑らかだで、その言葉には淀みがない。しかし、国民には単なる美辞麗句の羅列としか伝わらない。
国民の生命や財産の保全に、全身全霊を賭けているという誠意がないからだ。
大関は言う。「支えてくれる人のために全身全霊を尽くし戦う」と。
首相は言う。「不退転の決意で、オリンピックを観戦する」と。
横綱泥鰌錦。所属は財務部屋。神聖な土俵を汚す行為が多く、大相撲フアンからの引退の声、大である。


校名について考える

2012年07月22日 11時21分33秒 | えいこう語る
平成19年、私の出身校「函館北高」が、44年の歴史に幕を閉じた。
戦後ベビーブーム世代の私たちが入学したのは、昭和39年だ。進学する生徒数が多くなり、学校を増やしてほしいとのPTAからの要望があったと聞いている。
時代は変わり、少子化。今年なつかしの校舎も解体することに決まった。
来月の8月25日「最後の思い出を作ろう」というテーマで「北高祭ファイナル」というイベントが行われる。
1万を超える卒業生が、仲間を募りパーフォーマンスをするそうだ。
※私が憧れていた、北高の「マリリンちゃん」はやってくるのだろうか。


もちろん私も1ブース確保し、戦後民主主義世代の一員として、時代を振り返えようと思う。テーマは「脱原発」だ。
函館市立北高等学校というのが正式名称なのだが、実は先輩格の函館市立東高校に吸収合併され、公募により「市立函館高校」と改名したのだ。
函館には様々な高校がある。「函館高校」などと、市内全校を包囲した名前に私は馴染めない。廃校になったのだから「函館北高」という名前は、自分の心の中にしまいこんでいればいいと思っているからだ。
先日、東高校出身の先輩と話したが、東高という名がなくなったのは淋しいといっていた。東高校は五稜郭公園のお堀の側にある。学舎としてはすこぶる環境がよい。
私も東高校の名前を残してほしかったと思っている。その伝統の中に私たちも入れてもらったほうが、よかったと思うからだ。
私の中学の2年先輩までは、東高への学区だった。北高が設立された時、東高から先生たちが何人か赴任されてきたのを思い出す。
東が本家で、北が分家という感じだ。
私たちが在校していた時は、学校は高台に位置し、当時はグランドから函館港が見えたものだ。今は住宅密集地となり、その景色はない。
言い尽くせぬ思いがたくさんある。
入学した昭和39年、忘れもしない東京オリンピックだ。
次ぎ次ぎ上がる日の丸に、私は初めて国家というものの存在を意識した。
最終日の男子マラソン、ゴール寸前で円谷選手がヒートリー選手に追い抜かれ、銅メダルとなった。
「ヒートリーのバカヤロー」と、学校のテレビに向かって叫んでいた。
あと数日で、ロンドンオリンピックが開催される。
ヒートリー選手は英国人だ。ファイナル祭には,そんなことも話題になるに違いない。
学校前の道路が舗装されていなかった時代がよかったのか、今がいい時代なのか、そんなことなども話してみたい。
「函館北高」最後の日が近づいてきた。