goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

国会中継を観て思いついたこと

2018年01月31日 09時03分38秒 | えいこう語る

▼国会初日、妻とテレビを観ていた。「アベさん、疲れた顔してるし、少し呂律が回らないようね」と妻が話していたが、昭恵夫人のインスタグラムでのアベ総理の顔が、それを表明していた。

▼初の憲法改正に挑戦する総理が、こんなに疲れた顔をしているなら、自民党改憲草案(2012年)で『「九条の二」内閣総理大臣を最高司令官とする国防軍を創設する』という条項は、削除したほうがいいのではないかと思う。

▼さらに、「アベ政治は許さない」と書いた紙を持った人と
、にっこり笑って写真に写る昭恵さんもいる。子供の頃「あきれた、あきこちゃん」と呼ばれた同級生がいたが、まさしく「あきれた昭恵ちゃん」というところか。

▼自分の夫だけど、一国の総理だ。国民がなんだかんだと非難するけど、総理の妻が「それはないよ昭恵ちゃん」と言いたくもなる。それを許す総理、やはり「似たもの夫婦」なのだろうか。

▼昭恵さんにお願いしたい。籠池理事長に100万円を渡す場面を投稿したら、日本中が喝采すると思うけど。もっとアイディアを練って、輝かしい未来のための投稿をしてほしいものだ。

▼「フルスペックの集団的自衛権」と総理が発言したので、ドイツかどこかの政治学者で、フルスペックさんという人が提唱した集団自衛権の定義なのかと考えてしまった。

▼「フルスペック=全面的な」という意味だという。総理の憲法解釈は【詭弁】だと野党は批判するが「フルスペックに詭弁だ」と言ってほしいものだ。

▼問題が起きても動じない議員の一人だと思っていた、茂木敏充経済再生担当相。支持者に線香を配布したというので公職選挙法違反「公選違反」の容疑で追及されている。

▼そこでふと浮かんだのが、芸能人が使う業界用語だ。「寿司」のことを「シースー」と反対に呼ぶ類だ。ここは「公選」を「せんこう」と呼んではいかがだろうか。

▼さらに、議員のことを「先生」と呼ぶ。学生時代に「先生」を「せんこう」などとからかっていたことも思い出し「公職選挙法」を国会用語で【せんこう=線香】と呼んではいかがだろうか。

▼その「せんこう違反」で議員辞職したことがあるのは、小野寺防衛相だ。野党の議員も「小野寺さんが経験済みなので、線香は違反なのでしょうかお聞かせ願いませんか」などと質問してはどうなのかとも思う。

▼あまりにも国会中継がつまらないので、こちらもつまらないことばかり考えていた。私の大好きな相撲界も、政界同様先が見えなくなってきたようだ。

▼先を読むのが得意なのは将棋界の「ひふみん」しかいない。ちょっと先ではなく、先の先を読んでもらいたいものだなど、そんなことを考えながら、国会中継を観ている。

▼アベ総理はどんな国にしようと考えているのかと「ひふみん」に尋ねてみたい。「フルペックスでわかってましたよ」という「ひふみん」の顔が、しばれた心をほぐしてくれるに違いない。

▼蛇足だが、もう一つ驚いたことがある。早朝に「今日はウニ採集を行います」という漁業組合からの放送が流れた。だが、まもなく「今日は海模様が悪いためウニ採取は中止とします」という放送だ。

▼冬のウニ漁が始まってから、中止放送が3回もでた。政界も角界も先が読めなくなったと思っていたら、漁師まで風を読めなくなってしまったようだ。

言葉の間違いについて考える

2018年01月30日 15時37分45秒 | えいこう語る

▼ブログを書いていると、日本語を正しく理解していないことに気付く。毎日、辞書を開いたりPCで検索するので、国語の能力は多少上達しているように思う。

▼・・・が、誤字脱字が心配で、正確に書けているかは自信がない。書いる最中にも、すでに間違った文字や言葉を使っているのではないかと思えば、書くのが恐ろしくなる。

▼悩めば前に進まないので、間違っても大筋で意味が伝われば「良」として、ブログを書いている。という前置きで、自分の国語能力を棚に上げて、今日も書き進む。

▼「気付かないダブり表現」という題で、校閲に携わる方の記事が、北海道新聞に載っていた。「炎天下の下」は「炎天下」だ。「一番最初」「後で後悔」「余分なぜい肉」「いまだに未完成」などの重複表現が指摘されている。

▼会話では見逃すが、書くと一目瞭然になる。だが、会話でも見逃せないのが「云々をでんでん」「未曽有をみぞゆう」などという政治家の言葉だ。

▼元総理の宮澤喜一さんが、そばにいた議員が「がいちてき」とくりかえすので、読んでいた書類をのぞいたら「画一的」と書いてあったそうだ。さてその人物は?・・・「でんでん」の若い頃だそうです。

▼たぶんその人物は、国語が相当苦手だったのでしょうね。だから、憲法解釈も正しく読み取れないと、憲法学者の多くが判断するのは、とても納得がいく。ただ、行間を自分流に読むという能力は、誰よりも長けているようだ。

▼間違った言葉を、平気で使っているは、田舎の方が多いようだ。その原因を考えてみたことがある。田舎生活では間違いを指摘すると「お前だってこういったじゃねえか」と、切り返させらるから、注意しないというのが田舎の常識なのだ。

▼間違いを指摘したなら「自分だけ頭がよいと思っていやがる」などとレッテルを張られてしまうからだ。少し前までは「百科事典」「学者」「六法全書」などという、ニックネームの先輩もいた。「広辞苑」などという、粋なニックネームはないが。

▼英語の言葉でも、面白い人がいた。その人は「バイ“ケース バイケース”」と重複して話す癖がある。だが、誰も注意をしない。「ケースバイケース」というのが入っているので、それで良しとされたからだ。

▼田舎の人は、間違った読みをたくさんするので、それが「人情味がある」と言われる所以なのかと考えてもみたが、それは的外れのようだ。

▼「我が国の平和と繁栄が今脅かされているので、国民の生命財産を守るため、9条を改正し、自衛隊を国防軍にします」というのは、表現の自由としては、許される。

▼だが、自分に反対する国民を「こんな人たち」と呼ぶ総理は、「主権在民」という憲法を理解する上での、最も重要な日本語さえ理解できないようだ。そんな総理に、新しい憲法など作らせてはならない。

▼現憲法を米国の「押し付け」というが、それよりアベ総理の「押し付け憲法」の方が、もっといやだと、田舎の人も話していますよ。

国民投票という憲法破壊兵器の配備

2018年01月29日 18時15分13秒 | えいこう語る

▼【安保法制の違憲訴訟を考えよう】という、弁護士たちがが主催する講演会に参加した。アベ総理の政治手法に対する法律の専門家の分析は、平和や人権への危惧を、参加者に強烈に訴えてくる。

▼一般的講演会は、主催者側の主張を一方的に語り、質問時間を少なくするが多い。強烈な反対意見が出ると、収拾がつかなくなるのを恐れるからだ。だが、弁護士主催の講演会は、質問時間をたっぷりとってくれるのがうれしい。

▼参加者のほとんどは現政権に反対し、署名運動やデモ活動に参加している、実践者が多いようだ。質問というより、講師の話に納得し、自分たちの活動の正当性を確認している意見が多い。

▼参加者の中から、それぞれの活動は評価するが「タコつぼ」になってしまい、連帯がなく大きな成果をあげることができていないのではないかという、チクりと胸に刺さる発言をした人もいた。

▼目的は同じだが、横の連携がなく、いざとなったら団結して事に望むということがないのが、函館市を取り巻く道南圏の最大の弱点というのは、私も随分前から実感していた。

▼私も若い頃、道南圏に住むまちおこしの仲間に声をかけ【道南の百人衆】なる団体の結成に参加したことがある。「どうなんの道南は」という、危機感を持った行動だった。

▼発会式には、開催地の首長や、渡島支庁長も出席した。その後、各市町村に出向き、若者や首長、議員も参加しての大討論会となった。

▼函館市での開催では、青森県の若者集団も押し寄せ、当時の市長も参加して、大いに盛り上がった。そこで私が感じたのは【函館市長兄論】というものだ。

▼道南圏で函館市が一番大きな自治体だ。開港都市であり歴史と文化のまちのプライドか、はたまた、長男としてのおごりか、周辺の弟自治体の面倒を見て、リーダーシップをとるという感じには見えなかった。

▼北海道新幹線開業でも、終着駅北斗市との駅名をめぐっての対立は、長男のわがままな顔を、覗かせていたようだ。新幹線効果がすでに薄れているという現状も、そんなところに起因しているような気がする

▼函館市に吸収合併され、今は市民なので、批判は憲法上保持しうる自衛力と同様、最小限度にして、本題に戻すことにする。

▼今年は「憲法改正の年」だ。戦後民主主義が、どの程度の理解力なのかが、国民が試される年だ。国も「国民投票」に向け、様々な作戦を練っているに違いない。

▼まずは、日本青年会議所(JC)が『国民投票論議』?!なるものを、全国で行うようだ。どうやら、アベ政権と、それを支える日本会議が後ろにいる気配だ。札幌の開催は4月だという。

▼2018年度のJC基本理念は【「和」の精神性が導く愛と希望溢れる国日本の創造】だ。開演前に参加者全員が起立し、国旗に向かい「君が代」の斉唱が始まる、そんな予感もする。もしかして、自衛隊音楽隊の生演奏もステージを盛り上げるかもしれない。

▼テレビの評論家たちの中には、アベ総理は『憲法改正』に踏み込めないのではという発言も聞こえている。だが、ここまで来たなら、自からの政治生命をかけて、男アベシンゾウは特攻精神を発揮すると、私はそう感じている。

▼講師の弁護士は『アベ論法はイメージのマジック』だという。「憲法学者の多くは自衛隊は憲法違反だというが、国民は自衛隊を支持している。だから自衛隊が違憲でないようにするのが私たちの責務だ」という。

▼憲法第96条。憲法改正の発議条件である、両議院の3分の2以上の賛成はクリアーできる圏内にある。次の国民投票では、【過半数】で、戦後初の憲法改正が行われる。

▼函館市は昨年、市民が知らない間に、パトリオットが配備された。次は「国民投票」という「憲法破壊兵器」を絶対受け入れないようしなければならない。

▼市民に浸透させる役割が、安全・安心のまちづくりを基本方針とする、函館市町会連合会のあるべき姿ではないかと感じた、安保法制の勉強会だった。

名護市長選にみるアベ政権の実態

2018年01月28日 10時04分06秒 | えいこう語る

▼今年の北海道、寒さが厳しすぎる。灯油タンクのメモリも、見る見るうちに下がってしまう。さらに灯油も高騰し、給油したら驚くほどの金額だ。身も心もシバレテしまう。「沖縄に住みたい」と妻は言う。

▼その沖縄、北海道より厳しい環境下に追い詰められているようだ。名護市長選挙が今日(28日)告示となった。相次ぐ米軍機の墜落事故。飛行中止要請を無視する米軍と、沖縄県民より大統領を信頼するというアベ総理。国家を守ってくれるなら、沖縄の犠牲は止む得ないというところか。

▼その犠牲に報いるため、政府は沖縄サミット以来17年間で、1000億円の振興資金を投入したという。3年前からは、基地移転反対の名護市ではなく、新基地建設の自治会3区に特別補助金(3年目は1億円)を支給するという【名護市分断作戦】に出た。

▼自治会と言えば町内会と同じだ。函館市で例えれば、原発建設を市が反対し、建設現場である私の町会と、隣の町会に1億円くれるというものだ。そうなれば、町会がお金を受け取るのは当たり前だ。くれるというものを拒む必要はないからだ。

▼それでは、函館市民と言えるだろうか。つまり政府は、名護市の中に、別な名護市民を育成しようとしているのだ。その「政府市民」が名護市に対抗する集団になるのだ。

▼3自治会に、特別補助金1億円という「選挙買収資金」を提供し、基地建設の候補の票を増やしているのだ。私でもこんな単純な発想をしてしまう。政府に翻弄される名護市民なら、やりきれない毎日だろう。

▼以前、アフリカのマリ共和国の部族の酋長の娘さんと話したことがある。昔は部族同士の争いもあったが、話し合いで解決していたと、留学生の彼女は言う。

▼そこに米国が地下資源を求めて入り込んだので、部族の争いは治まらなくなった。米国さえ出ていけば、争いは無くなると話していた。

▼それは、米国と一体となる我が国の政府が、米軍を沖縄に居座らせるために、県民を分断させているという状況と同様な手口ではないか。

▼私の単純な頭でも、きれいな空や海、のどかで平和な沖縄を維持するには、米軍の撤退に尽きるのではないかと思う。

▼ということは、日米安全保障条約の解消しかない。その前に憲法を改正し、自衛隊を憲法に明記すれば、日米安保はさらに強固になり、米軍は沖縄に居座り続けるに違いない。

▼我が国の領土の中に、米国が占有する土地があるという現実。それは主権国家とは言えない。占有を、思いやり予算や振興補助金などで確保しては、我が国の政府は、沖縄県民を侮辱し続けているのだ。

▼その補助金は、私されるたちから搾り上げた税金ではないか。その税金が善良な沖縄県民を苦しめているというこを、考えながら、名護市長選を注視していきたい。

▼原発と米軍基地。原発は国内で暴発する。米軍基地があれば敵国から攻撃されるかもしれない。もしかしたらこの二つは、我が国が保有する【自爆テロ装置】なのかもしれない。

108円から教わるアベシンゾウの実態

2018年01月26日 10時35分45秒 | えいこう語る

▼「BOOK・OFF」に行ってきた。100円に消費税が付くと108円だが、100円で知識を得れるなんて、こんな得なことはない。消費税の8円は、知識の“おまけ”が付いていると考えている。

▼まもなく消費税も10%になるようだが、高額な軍備費の無駄遣いや、国有財産の安価な払い下げも許せない。教育費の無料などというのも、憲法改正へ誘導させる“餌”のようで許せない感じだ。

▼3・5・8・10%と、あっという間に引き上げられた消費税。最初に検討された際の大蔵省幹部の「一度上ればきりがない。覚醒剤と同じだ」といった言葉が、脳裏によみがえる。

▼藤沢周平著「暁のひかり」では、職人から賭場の壺振りに成り下がった男が、真っ当な人間に這い上がろうとするが、周囲の環境に流されるという、男の悲哀が漂う短編だ。

▼藤沢作品のすごさは、初めの数行で、読者をその世界にいざなってしまう。江戸の町並みの風景の中に、読者もどこかにたたずんで、その物語を見ているのだ。

▼「小説は人間を徹底的に描くことだ」と、文学の講義で教えられたことがある。藤沢氏が描く人物は、その肌のぬくもりや息づかい、さらに心模様までが、読者に伝わってくるのだ。

▼詳しい内容は省くが、賭場の場面を想像していただきたい。主人公の市蔵は“いかさま”を強いられるのだ。いかさまを教えた男は「渡世人だけに使うな」と言い残しどこか去って行った。

▼その渡世人にいかさまをした。賭場があけて家路につく暗闇に、渡世人一味が待っていて、市蔵を囲むのだ。殺気あふれるシーンが浮かぶ。「赤みを帯びた暁のひかり(表題)が、ゆっくり町を染め、自分を包みはじめているのを市蔵は感じた。」と、後は読者の創造に投げかけて、物語は終わる。

▼わずか41ページの短編に流れる、男と女の生の匂いを感じさせる筆力に、読者は酔いしれる、拍手を惜しまないのだ。ふと、この物語にアベシンゾウを登場させたらと考えてみた。

▼愁いをおびた、粋な男前の主人公には、シンゾウは役不足だ。自分の言うことを聞く手下を従え、賭場と岡場所を仕切る親分というところか。

▼108円のもう一冊、佐久協著「高校生が感動した論語」の中から。孔子が弟子の子貢に尋ねられ、それに対す孔子の言葉だ。

▼【「政治の基本は何ですか」と質問したので「衣糧の充実・軍備の充実・政治家と国民との信頼関係の三つだ」と答えた。すると「その三点の中で、どうしてもやむ得ない場合には、どれを犠牲にしたらよいものでしょうか」ときくから、「まあ、軍備だろう」と答えた。すると「残った二点の中で、どうしてもやむ得ない場合には、どっちを犠牲にしましょうか」ときくから「食糧だ。食糧の充足を欠けば、人民は飢えて死者が出るかも知れないしかし、人間にとって死は遅かれ早かれ免れないものだ。政治家と国民の信頼関係さえあれば、弱くても貧しくても国を維持できるが、信頼関係がなければ、どれほど強く豊かでも国を維持できない」と答えたという。

▼【民無信不立】だ。孔子が我が国の総理に残した言葉ではないか。

▼以上が、108円から学んだ、アベシンゾウの実態の、ほん(本)の一部です。