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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

佐藤孝行さん逝去

2011年05月22日 14時18分31秒 | えいこう語る
私たちの選挙区の国会議員だった、元自民党代議士佐藤孝行さんが、83歳で旅たった。
佐藤さんといえば戦後日本政治史に燦然と名を刻んだ、ロッキード事件の有罪者の一人である。
中曽根元首相の一の子分と言われ、浅黒い顔に眼光は鋭く、昔の政治家特有の恫喝の似合う政治家だった。つまり「睨み」の効く、悪代官役がぴったりの人物だった。
私は、そんな自民党らしい政治家は大嫌いだが、妙に佐藤さんには魅かれるものがあった。
私の村に来ての国会報告会、私語がうるさい漁師のおばさんたちに「かあさんがた、すこす、すじかにしてちょうだい」と言い放つ、独特のズーズー弁が、人物を引き立てていた。
ある町の公共事業、自分が推薦した業者が参加できなかった時、そこの町長を職員全員の前で恫喝したなどの話も聞いている。
佐藤さんはそんな「横車押之助」役がよく似合うだけの実力もあった。しかし、市町村議会には佐藤さんのそんなスタイルだけを真似た、恫喝という虎の衣を着たベテラン議員がいたのは、佐藤さんの負の部分の影響であろう。
佐藤さんが亡くなった翌日、函館市町内会連合会の総会があった。
懇親会の席上、私のテーブルの会長さんたちは、私より大先輩ばかりである。
佐藤さんの話題になった。自分は港湾関係の仕事に従事していたが、先生のおかげでたくさんの仕事をさせてもらった。先生は悪い面もあったが、政治家としては力があった。今の代議士にこのような人物はいないなどの話で、佐藤さんを偲び酒を酌み交わした。
※村の山の中にひっそりと咲いていた、しだれ桜の大木。
  道南が生んだ大物政治家、佐藤孝行さんの人生と重なって見えた。


私は若い頃、函館市内の会社に勤めていた。そのビルに佐藤さんの事務所があり、一度だけ選挙を手伝ったことがある。お礼に奥さんが、わざわざ私のアパートを尋ねてくれたことがあり、親しみを感じたのだ
自民党嫌いの私だが、国政報告会が村である時は楽しみにしていた。ざっくばらんで何を聞いても、丁寧に話してくれた。
おかげで自民党らしい政治とは、どんなものかを理解することが出来た。
橋本政権で念願の初入閣を果たしたとき、私も素直に喜んだ。でもロッキード事件が国民の心に染み付いていたため、不評を買いわずか12日で椅子を譲り渡した。
議員を辞した後、御子息を立候補させたが佐藤さんの影響力もすでに及ばなかった。
私が佐藤さんに「小渕政権の後は誰が首相にふさわしいですか」と尋ねたとき「たいした者はいないのさ、どんぐりの背比べだよ」と佐藤節が炸裂した。
自民党の末期を見据えていたのだろうか、その後の自民党の凋落振りは、坂を転げるようだった。
漁師の安全を願い港湾の整備に尽力をされた、自民党らしさを最後まで守り通した佐藤さんのご冥福を、心からお祈りいたします。