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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館市長戦

2015年03月31日 15時26分30秒 | えいこう語る

▼大間原発建設凍結で、国と電力会社を訴えた工藤函館市長。議会や経済界や市民の支持も得て、無競争と思われたが対抗馬が現れた。我が国での原発訴訟は、地裁や高裁では原告勝訴の例はあるが、最高裁は全て原告敗訴だ。函館市の場合のように、自治体が国を提訴というのは我が国では初めてだ。自治体には人格権が認められないというのが司法の常識だそうだ。函館市の裁判も「原告不適格」という結果になるのではないかと、市民も心配している。

▼ 訴訟費用は、函館市の提訴を支援するという市民や全国の方から、5千万円にも及ぶカンパが送られてきたという。訴訟費用は市の財政からの支出はいらないようだ。そんな市長の勇気が市民の信頼を得て、無競争の勢いだった。だが国に反発すると、沖縄県のように振興補助を減額されるという懸念があるのではないかと、市民も心配している。市側はそんなことは無いというが、沖縄への政府の高圧的態度を見る限り、そんなあまいものではないだろうと、市民は思っている。

▼ 国策に一自治体が反旗を翻し、国から何の圧力も掛からなければ、市と国側はどこかで野合しているのではないかと、邪推されよう。また、裁判上では勝ち目の薄い訴訟を起こし、対抗馬を出させない権謀術数に長けた政治手腕ではないかとも、巷間ささやかれている。

▼ 元経済産業省官僚の古賀茂明さんが、アベ政権を批判しただけで、あの圧力だ。過去に岩国基地に沖縄の米軍戦闘機を移設する際も、反対した市長に対し、新庁舎の予算をストップさせ、移設賛成の市長が当選するや否や、予算をつけたなどということもある。函館市だけが許されるわけではないと思うのが、常識的な見方だろう。

▼ 対抗馬は、そんな心配を争点にするという。予算をスムーズに獲得できるようにするため、大間原発建設には反対するが、国とのコミュニケーションが取れない事態は避けるべきだと述べ、建設差し止めの手法が争点になりそうだと新聞は報道する。

▼ だが、訴訟を取り下げるというなら、市民は承服しないだろう。実際、国からのどんな圧力が掛かっているか、いないかは市民は知らない。それらの情報も公開し選挙に突入して欲しいものだ。対抗馬の候補は、当選すると訴訟はとりさげて、政府と良好な関係を築きたいという。それでは市民が、納得はしまい。

▼ここは、公開討論会を傍聴し、両者の腹の中を探ってみたいと思う。横綱白鵬ばかりが優勝すれば、相撲には興味がなくなる。相手を攻撃するような討論会ではなく、新幹線到着後の、質の高い誇りある歴史と文化のまちづくりを語って欲しいものだ。


選挙演説

2015年03月30日 13時16分02秒 | えいこう語る

▼英語で「グローリー」は栄光という意味だ。この語源はラテン語の「グロリオール=自慢する・ホラを吹く」から来ている。ところが「グロリオール」には「選挙演説」という意味もあるというから、語源の発想はなかなかおもしろい。というようなことを、1995年3月23日の北海道新聞のコラム「卓上四季」が書いている。

▼ その日は、ちょうど北海道知事選の告示日だった。コラムはこう続いている。演説をする息子に母親はこう言う。「お前が真実を語れば、ごまかしだらけの生活に安住してきた市民の反発を招くから、真実を語れば人に悪く思われる。しかし嘘をつけば神様に悪く思われる。だからお前は演説をしないほうがいい」。息子はこう言い返した。「私は無意味なことを語ることにする。それは真実でも嘘でもないからだ」と。

▼ さて、このコラムから20年後の知事選が幕をあけた。私たち有権者は、真実を語る候補者を見極める心を有しているのか、歯の浮くような嘘にだまされるか、それとも知人に頼まれて、無意味なことを語る候補者に投票するか。選挙権を得てから随分多くの投票に参加して来たが、この三通りの間を揺れてきたような気がする。

▼ でも、戦後70年になり、どうやら選ぶ基準がはっきりしてきた。『戦争する国に賛成しようとする候補者』『原発推進に賛成する候補者』には、投票しないという決意が固まった。こんなにはっきり決意が出来たということは、戦後日本の、最も重要な選挙になったともいえそうだ。

▼だが、周囲がさほど関心が無いような感じがする。こんな雰囲気がもっとも危険だ。市民生活は政治と直結する。市民を政治に関心を持たせることは、主権在民を意識させることにもつながる。そんなことも、町会連合会の新たな活動のような気もしているけど。


函館沖の事故

2015年03月29日 13時07分36秒 | えいこう語る

▼ 私の前浜では、沖止めが続いている。沖止めとは風や波のため、地元の漁業組合が、出漁を停止することをいう。その日、函館沖で熊本県の作業船が、台船と呼ばれる動力の無い大型作業船をロープで曳航する際、強風と高波により転覆したのだ。乗り組員4名のうち一人は助かったが、一人は海岸に打ち上げられ死亡し、残り二人が行方不明だ。漁業でない船は、船長の判断で航海するのだろうから、慎重に慎重をきさなければならないだろう。

▼ 私の周辺地域では、毎年のように海難事故が発生している。事故の多くは急激に気候が変化する冬場に多い。気象状況が不安定なのに、出漁し事故にあうのが多いようだ。「あの時引き換えしていればよかったのに」などという言葉を聞くと、個人漁業者の悲哀の様なものを感じてならない。近年海の環境が変わったためか、漁の不振が続く。あせりというのも事故の大きな要因だ。

▼ 船も車と同様に、コンピューターによる装備で、随分進化してきた。便利になった反面、機械頼りで、人間が自然の中で暮らす本能が退化しているのかもしれない。自然はデリケートで、私たちの心を豊かにしてくれる。しかし、自然は暴れん坊だ。理由も無く突然凶暴にもなる。そして何もなかったかのように穏やかになる。そんな自然の声を聞く心を失わないようにしなければならない。

▼ 地球は変動期を迎え、大きな地殻変動が私たちに恐怖を与える時代に突入したようだ。地震・津波・噴火の危険も増しているが、我が国会では「わが軍」と発言した総理も出てきた。平和国家というレッテルも、総理自ら剥がそうとしているようだ。

▼ 自然をコントロールすることは難しいが、国の平和は、国民の意思で守り続けることが出来る。しかし、なぜか世の中に吹く風が、憲法改正を是とする方向に流れてきたようだ。先日、報道ステーションで、司会の古館さんの制止を無視し「I can not ABE」をテレビで言い切った、元経済産業省官僚の古賀茂明さんは、電通の人から聞いたとこう話した。

▼ 「自民党にはお金がうなっている。それをぶん取りに行くため、優秀な奴を送り込むのだ」と。次期東京オリンピックも、電通に総丸投げのようだ。オリンピックのメッセージは、スポーツを通じての平和祭典というイメージがあるが「国威発揚」というのも大きな要素だ。

▼ 「国威発揚」をどのようなプランで電通は仕上げるのだろうか。うなっているお金をどう巻き上げるかなどという、そんな邪心でオリンピックを観戦したくないものだ。

▼船の事故がオリンピックの話になってしまった。単なる私の性癖だと思うが、平和が壊れようとする空気を読む本能が、少しは残っているという証左だと思いたいが。


古賀茂明テレビ・ジャック

2015年03月28日 10時56分10秒 | えいこう語る

▼27日の報道ステーションのゲストは、元産業経済省職員の古賀茂明さんだ。古賀さんはいわゆる官僚だったが、国家や組織内に反する発言が多かったので、窓際に追いやられ早期退職をした方だ。冷静沈着で穏やかな物言いは、元NHK 職員の池上彰さんとともに、この頃、私たちにも政治や経済の根本的な問題を、詳しく解説してくれる一人だ。

▼ 番組途中、司会の古館さんの質問をさえぎり、自分がテレビ局側から出演を拒否されたといい始めた。「そうではなく、また事ある時には出演を依頼するつもりだ」と古館さんがあわてて制する。古賀さんは用意してきたフリップを出し、アベ総理批判を始めたのだ。

▼ CMを入れ遮る手もあったが、カメラは回り続ける。「原発輸出大国」から「自然エネルギー大国」・「武器輸出大国」から「平和大国」・「ギャンブル大国」から「文化大国」を訴えた。まさしく、古賀さんの「テレビ・ジャック」だ。古館さんは「古賀さんやめてください」と必死で制しようとするが、昨日の古賀さんは一切応じない。古舘批判まで行う始末だ。

▼ CM中に、古賀さんは退場かと思ったが、最後まで席についていた。番組終了間際、古館さんは「私の質問に古賀さんは答えず、不適切な発言をした」というのが精一杯のような感じだった。古賀さんは淡々とした雰囲気で、番組は終了した。

▼ テレビを観ていた、私の直感でこのように書いたが、この通り発言したわけではない。私が受け止めたのはこんな感じの内容だからだ。古賀さんの発言は、テレビという公平を旨とする場を私物化したといえば言えるが、報道の公平さや使命が均衡を失いがちな今日にあって、国が正しい方向に進んで欲しいという古賀さんの、殿様に直訴する侍の意地を見せたような瞬間だった。

▼ この番組は大勢が観ていただろう。私が願うのは、この直訴をマスメディアが、どう取り扱うかだ。憲法第21条が制限されそうな今日にあって、21条の意味を、徹底的にメディアで検証してもらいたいものだ。自衛隊を「わが軍」と発言したアベ総理の、21条の解釈とともに。

▼ 昨日の報道ステーションは、テレビに食い込まれそうな感じがした。これが評論家と評する人の、極めて正当な役割というような番組だった。この報道が大きな問題として取り扱われないような日本であれば、報道に携わる者の魂は、フリーズ状態だと思うのだが。

▼私も古賀さんの勇気に驚きすぎ、朝起きても頭の中が整理できないでいる。今、友達から電話があり「昨日の報道ステーションのディレクターが、局から処分を受けた」という。NHKも変だが民放も変だ。


本屋がレストランへ

2015年03月27日 17時03分27秒 | えいこう語る

▼ 開港都市で、北洋漁業の基地であった函館は、函館山の麓から賑わって来た。遊郭もその近辺にあったが、三方が海に囲まれている地形から、大火の多い土地柄だった。大火のたびに遊郭の場所も移転し、やがて函館駅前付近に遊郭は移設される。駅周辺の繁華街を通称「大門」というのはその名残だ。

▼ 私の職場は、その繁華街の近くにあり、まだ独身の身軽な時代だった。会社が終わり外に出ると、イカの町らしく集魚灯のようなネオンが私を誘う。夜毎その誘惑に負け一網打尽にされてしまったというのが、40年ほど前の、青春時代の甘美な思い出である。

▼ その繁華街の一等地にあったのが、森文化堂という函館最大の書店だ。酒に溺れる日々だが、若い時分は知性も磨かなければという気持ちも、少しは働いていたようだ。

森文化堂により本を購入し、本を持ち歩きながら飲み歩いたという記憶もある。だが、大抵は週刊誌の立ち読みをし、店での会話のネタの収集をしていたのが、多かったのかもしれない。

▼ 高校時代、私は他の書店で購入するより、森文化堂で本を購入すると、頭がよくなると思っていたほどの、信頼性のある書店だった。のちに社長とお話できる機会があり、私の森文化堂への感謝の思いを伝えることが出来たのは、何よりだった。社長が一番信頼していた番頭さんが、我が椴法華村出身者だったと聞かされたのは驚いた。

▼ 閉店してから10年ほど経つが、貸し店舗状態のままでは、函館の知性がすっぽり抜けた商業地というイメージを抱き、付近を通ると寂寥感に襲われたものだ。だが借り手がようやくついたようだ。同じ大門で料亭をしていた「入川」という、うなぎが看板の料理屋が、うなぎと定食のレストランを開店させるようだ。寂れた繁華街に、元気なうなぎが泳ぐ水槽に少しは活気付くかもしれない。来年開業する北海道新幹線。「新幹線とうなぎ」なんだか似ているようなので、ともに函館市を元気付けてもらいたいものだ。

▼ と思いながらも、実はうなぎ店は小路裏に店を構え、表通りには書店というのが、私が思う大門の姿だ。うなぎをつまみながら酒を飲み本を読む。「酒は涙かため息か」という歌も函館の歌だ。石川啄木だって住んでいたし、丹下左膳も月光仮面の作者も函館と関係が深い。大門は書店が似合うまちなのだ。

▼喫茶店が多かったのも大門の特徴だった。友に逢い、友と語るまちが大門だった。もっと書きたいけど、今日はこのくらいで終了し、後はお酒を飲みながら、ゆっくり大門のよさを思い出してみようと思う。