▼「日本人は将来、2014年を記憶に残っていない年として振り返るだろう。この年、我々日本人は、何一つとして決定的なものを選択しなかったからだ。」今朝の北海道新聞に掲載された、社会学者の大澤真幸氏の、何とも刺激的な文章だ。氏は私より10歳下の1958年生まれだ。年下に「あなた方先輩は、この1年眠っていたのか」と叱責され、思わずたじろいだというような感じだ。
▼ この様な問いの背景には、年末の衆議員選挙の結果がある。極端に低い投票率、アベノミクス等の政策が積極的に支持されているわけでもないのに、野党が与党より魅力的な選択ではなかったためと解説する。
▼ 2014年を振り返って、日本政府が新たに選択したものといえば「集団的自衛権の行使容認」ぐらいのものだ。日米同盟を受け入れるほかない選択肢として集団自衛権がある。国会で十分議論されることなく閣議決定したことも、他に選択肢がなかったからだという。
▼ しかし、これとていつか破局を迎えるのではないかというくらいの予感を抱いているが「これしかない」ものではなく、もし可能ならば、決定的に異なるシステムを選ぶことを欲しているのではないか。不可能なこと(と見えること)を要求し、不可能が可能だと示して欲しいという、無意識の願望が、現在の日本人にあるのではないかと指摘する。
▼ この指摘は、函館市民の大間原発に対する感覚に似ているような気がする。エネルギー政策は国策であり、大間原発は現在建設中だ。事故が起きたら破滅だが、函館市が国を相手取って訴訟を起している。市長を支持していれば、それでいいのではないかという、市民が多いように感じる。他に選択肢がないというのが、今の我が国に蔓延する、どこか吹っ切れない国民感情のような気がする。
▼ 昨日25日は、東京地裁で大間原発訴訟の第3回口頭弁論がおこなわれた。自治体からの提訴は原告不適格とし、門前払いの様相だったが「今のところは判断保留とし、実質審理に入るつもりだ」と裁判長が述べた。これに対し市の幹部は「中身の部分で審議に入れそうなので、一歩も二歩も前進だ」と話している。だが、弁護団の河合弁護士は「最終的な判決で原告適格が認められない可能性もある」と厳しい談話を残している。
▼ 我が国の原発裁判、行政訴訟では高速増殖炉もんじゅが、唯一高裁で勝訴し、民事訴訟では滋賀原発第2号機が、地裁で勝訴したが、いずれも最高裁で敗訴だ。さらに、大飯原発再稼動反対は、地裁で勝訴したが現在係争中だ。そんな、司法の国側よりの姿勢を、河合弁護士は指摘したのだろう。
▼ 函館市の投票率は、全国の市の中でも下位だ。言い換えれば、函館市長の支持率はアベ総理の支持率に似ているようだ。一生懸命努力しているので、他に選択肢がないのでという感じのような気がする。では一体、函館市が反対する大間原発の市民の関心度はどのくらいなのだろうか。函館市町会連合会は市民各団体にも呼びかけ、12月15日から「大間原発建設反対市民大署名運動」を開始した。その結果が3月には集計される。
▼ 27万市民の関心率がどの程度か、数字が公表されて始めて、市民として、今何をしなければならないのかの、問題提起としたい。函館市町会連合会がめざすものは、まちづくりへの市民参加だ。2011年4月「函館市自治基本条例」が施行されたが、市民の認知度は低い。市民の憲法といわれるこの条例を、熟知することが市民の責務ではないかと考える。なぜなら、この前文に「一人一人がまちづくりの主体であることを自覚し、市民自治によるまちづくりを進める」と明記しているからだ。
▼ 市町連の新たな役割は,この条例を広く市民に浸透させることではないかと思う。大間原発が市民参加への大きな足がかりであると思えば、市町連の存在も意義深いものになるのではないだろうか。
▼ 前述した大澤氏は、最後にこんなメッセージを発している。「来年は戦後70年だ。従来の日米関係を放棄しうるという前提で行動してみよう。その瞬間、日本人は真に自由になるはずだ」と。
▼不可能を可能にするという発想が望まれ、2015年が歴史に名をとどめる、そんな年にしなければならない。私たち函館市民の戦後70年も、そんな意気込みを持たなければならないようだ。