▼天皇は憲法で、国政に関する権能は有しないとされている。だが「生前退位」という、国政にも影響を与える「お言葉」なるものを発したことで、政府もその対応に追われ、6人による有識者会議を設置した。皇室の規則に皇室典範がある。戦前の典範は「宮務法体系の頂点にある法規範として、政治に係る法の体系である政務法体系の頂点にある大日本帝国憲法と並ぶ、国家の最高法規」だった。だが現憲法でも同じ名称を使っているが、皇室典範はあくまでも憲法の下位法である。本来なら現憲法制定時に、「皇位継承法」とか「皇室法」という別名にしたほうが、混乱を生じなかったっという。横田耕一著「憲法と天皇制」より。だが、名称を変えなかったというのは、敗戦を向かえてもなお、戦前同様の天皇崇拝の精神が、我が国に色濃く残っていたことを示す証左だろう。
▼昭和天皇は大日本帝国憲法下の天皇だったが、退位せずそのまま在位したので、正式に言えば、新憲法下での初代天皇だ。昭和天皇が崩御され、昭仁天皇が即位すると、第125代天皇となると新聞は報じた。マスコミの強い影響もあり、天照大神の天孫降臨の神勅にあったとされる天皇の存在根拠は、連続性を維持されたに違いない。天皇という存在は、我が国を覆い尽くしている空気の中に静かに鎮座する、極めて異例で異質な存在なのだろう。
▼現憲法下では天皇も人間である。「お言葉」一つで、法規を変えることができるのだろうか。しかし、天皇は日本国の象徴であり、国民の総意に基づくとある。政府は昭仁天皇一代に限って退位を認める、特別措置法を軸に検討するらしい。だが、現天皇が望むのは、自分だけに限ってのことではないように感じる。特別措置法という扱いも、天皇に対し失礼ではないかという見方もあるようだ。政府も「公の天皇」と「私の天皇」の区別をしている。天皇の公的生活には「宮廷費」が支出され、私的生活は「内廷費」が支出されている。このように天皇を取り巻く環境は、複雑であり相当デリケートな問題のようだ。
▼「生前退位」問題は、やはり、アベ政権下での憲法改正に端を発しているのではないかと思う。自民党改憲草案には、天皇を国家元首とするとある。現憲法では国家元首は内閣総理大臣だ。大日本帝国憲法では「天皇は国の元首にして統治権を総覧する」とされていた。元首とは戦争の遂行や終結についても、すべての責任を背負わされていたということだろう。なぜ、改憲草案では、天皇を国家元首にしようとしているのか。戦後70年の昨年、「安保関連法」を与党多数の力で成立させた。現憲法下で判断しても、この法律は、間違いなく「戦争推進法」だ。
▼天皇陛下は父昭和天皇から、第二次大戦に至った経緯や、その後の経緯などについても、詳しく説明を受けているだろう。近年の天皇陛下の言動に注目しても、戦争は二度と再び起こしてはならないという強固な意志を、国民は感じているだろう。そして、第125代天皇としての集大成を「お言葉」に託したのではないかと推測する。国の最高の地位である内閣総理大臣が自らを元首と称せず、天皇を元首としようとするその意図は、いかに。
▼この頃、我が国がどんな国になろうとしているのか、先行きが読めなくなってきている。自民党改憲草案の中の「天皇の元首」化で、私の心に染み付いているのは、こんな言葉だ。教育勅語が出された明治時代中期に、日本に滞在していた英国の語学者チェンバレンは、日本において天皇制の意識の形成が、学校を中心として精力的に行われていることを目撃して『天皇崇拝という日本の新しき宗教の、新しい布教の大要塞とも言うべきものは学校である』と看破している。
▼現在の学校はどうであろうか。自民党改憲草案には「日本国民は国歌を尊重しなければならない」とある。思想、信条の自由に縛りをかけやしないだろうか。さらに、まもなく始まる『道徳教育の教科化』だ。今の時代に、まさか?と言うだろうが、世間には、まさかという坂はないというが、アベ総理なら「戻り坂」なんていう、戦前に回帰する坂を、既に建設中かも知れない。
▼68年も生きて、アベ総理の出現で、日本国憲法の大切さを知らされている、この頃の私だ。もしかしてアベ総理は、日本一わかりやすい、憲法解説者なのかも知れない。