函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

生前退位の有識者会議

2016年09月26日 11時22分10秒 | えいこう語る

 

天皇は憲法で、国政に関する権能は有しないとされている。だが「生前退位」という、国政にも影響を与える「お言葉」なるものを発したことで、政府もその対応に追われ、6人による有識者会議を設置した。皇室の規則に皇室典範がある。戦前の典範は「宮務法体系の頂点にある法規範として、政治に係る法の体系である政務法体系の頂点にある大日本帝国憲法と並ぶ、国家の最高法規」だった。だが現憲法でも同じ名称を使っているが、皇室典範はあくまでも憲法の下位法である。本来なら現憲法制定時に、「皇位継承法」とか「皇室法」という別名にしたほうが、混乱を生じなかったっという。横田耕一著「憲法と天皇制」より。だが、名称を変えなかったというのは、敗戦を向かえてもなお、戦前同様の天皇崇拝の精神が、我が国に色濃く残っていたことを示す証左だろう。

昭和天皇は大日本帝国憲法下の天皇だったが、退位せずそのまま在位したので、正式に言えば、新憲法下での初代天皇だ。昭和天皇が崩御され、昭仁天皇が即位すると、第125代天皇となると新聞は報じた。マスコミの強い影響もあり、天照大神の天孫降臨の神勅にあったとされる天皇の存在根拠は、連続性を維持されたに違いない。天皇という存在は、我が国を覆い尽くしている空気の中に静かに鎮座する、極めて異例で異質な存在なのだろう。

現憲法下では天皇も人間である。「お言葉」一つで、法規を変えることができるのだろうか。しかし、天皇は日本国の象徴であり、国民の総意に基づくとある。政府は昭仁天皇一代に限って退位を認める、特別措置法を軸に検討するらしい。だが、現天皇が望むのは、自分だけに限ってのことではないように感じる。特別措置法という扱いも、天皇に対し失礼ではないかという見方もあるようだ。政府も「公の天皇」と「私の天皇」の区別をしている。天皇の公的生活には「宮廷費」が支出され、私的生活は「内廷費」が支出されている。このように天皇を取り巻く環境は、複雑であり相当デリケートな問題のようだ。

「生前退位」問題は、やはり、アベ政権下での憲法改正に端を発しているのではないかと思う。自民党改憲草案には、天皇を国家元首とするとある。現憲法では国家元首は内閣総理大臣だ。大日本帝国憲法では「天皇は国の元首にして統治権を総覧する」とされていた。元首とは戦争の遂行や終結についても、すべての責任を背負わされていたということだろう。なぜ、改憲草案では、天皇を国家元首にしようとしているのか。戦後70年の昨年、「安保関連法」を与党多数の力で成立させた。現憲法下で判断しても、この法律は、間違いなく「戦争推進法」だ。

天皇陛下は父昭和天皇から、第二次大戦に至った経緯や、その後の経緯などについても、詳しく説明を受けているだろう。近年の天皇陛下の言動に注目しても、戦争は二度と再び起こしてはならないという強固な意志を、国民は感じているだろう。そして、第125代天皇としての集大成を「お言葉」に託したのではないかと推測する。国の最高の地位である内閣総理大臣が自らを元首と称せず、天皇を元首としようとするその意図は、いかに。

この頃、我が国がどんな国になろうとしているのか、先行きが読めなくなってきている。自民党改憲草案の中の「天皇の元首」化で、私の心に染み付いているのは、こんな言葉だ。教育勅語が出された明治時代中期に、日本に滞在していた英国の語学者チェンバレンは、日本において天皇制の意識の形成が、学校を中心として精力的に行われていることを目撃して『天皇崇拝という日本の新しき宗教の、新しい布教の大要塞とも言うべきものは学校である』と看破している。

現在の学校はどうであろうか。自民党改憲草案には「日本国民は国歌を尊重しなければならない」とある。思想、信条の自由に縛りをかけやしないだろうか。さらに、まもなく始まる『道徳教育の教科化』だ。今の時代に、まさか?と言うだろうが、世間には、まさかという坂はないというが、アベ総理なら「戻り坂」なんていう、戦前に回帰する坂を、既に建設中かも知れない。

68年も生きて、アベ総理の出現で、日本国憲法の大切さを知らされている、この頃の私だ。もしかしてアベ総理は、日本一わかりやすい、憲法解説者なのかも知れない。


函館市議会は健全か

2016年09月22日 13時51分47秒 | えいこう語る

 

20日、函館市議会に港湾空港部からの説明があり、若松埠頭(元連絡船の発 着場)に12万トン級の大型クルーズ船の着岸可能な施設を、国に優先して求める考えを明らかにした。26日の函館港地方港湾審議会で説明した後、港湾計画に盛り込むとしている。最近大型客船が次々来函し、観光面での経済効果が出ているのは実証済みだ。観光振興の視点から見たら、両手を上げての賛成というところだろう。

メリットばかりが宣伝されるが、その反対に懸念される問題もある。1997年9月に日米感で合意された新ガイドライン(正式名は日米防衛のための指針)だ。我が国の平和及び安全に影響を及ぼす「周辺事態」の際し、自衛隊が海外で米軍を支援するための軍事行動を具体的の規定している。その中に函館港の活用も明記されている。日本政府の解説だ。「日米安全保障条約その関連取決めに基づき、日本は、必要に応じ、新たな施設区域の提供を適時かつ適切に行うと共に、米軍による自衛隊施設及び民間空港・港湾の一部使用を確保する」というものだ。

1994年6月12日付「ロサンゼルス・タイムズ」には、北朝鮮の「核疑惑」問題が高まっていることを指摘し「戦争勃発から数日以内に、ワシントンは日本政府に対し、アメリカからの数百機の輸送機や数千トンの死活的に重要な補給物資を着陸させるため、札幌、新潟、成田のような民間空港の定期便の発着を停止させるよう、日本に要請しなければならない」と解説している。もうひとつは1997年8月29日付「朝日新聞」報道だ。有事の時の使用可能性がある港湾は北海道は『苫小牧・函館』空港は『千歳』を挙げている。

軍事秘密は秘密保護法の適用を受けるので、開示は無理だろうが、新聞大手が記事にするにはそれなりの確証があってのことだろう。函館港の大型クルーズ船の接岸は、観光客誘致のみ喧伝されているが、国連で北朝鮮制裁問題を日本がリーダーシップを取ると豪語しているアベ総理なら、函館港が米軍に使用しやすい軍事提供港湾としての、整備を急いでいるのかも知れない。そんなふうに推測するのは、ただの私の老婆心だろうか。

だが、その老婆心を20日の市議会での採決が、さらに私を不安にさせてる。前回の市議会で、安保関連法に反対する議員の請求を、15対14で否決した。さらに今議会では、南スーダンに派兵する自衛隊のPKOについて『駆けつけ警護」を容認する議決を賛成多数で、可決したという。函館市は『海外での武力行使を認める都市として、全国に宣言したことになる。函館市は1961年『安全宣言』をし、1984年には『核兵器廃絶平和宣言』をしている。

市議会は、先人たちが二度と戦争せず、安全・安心なまちづくりを宣言したのを忘れていやしないだろうか。1945年の原爆投下地域に、函館も入っていたと聞いている。広島・長崎・函館などということは、夢でも見たくないことだ。でも、函館市議会は、そんな恐ろしい夢を私に見せそうである。『駆けつけ警護容認の決議」その経過を、市民報告会を開いてもらいたいものだ。『情報共有』こそ、安全・安心のまちづくりの第一歩だと思うからだ。

26日に開催される、函館港地方港湾審議会、観光一辺倒では問題の本質を見失うことになりかねない。最近の豊洲移転問題でも、各委員会や審議会の在り方が問題になっている。『御用市民』言われぬように、市民として自分の意見をはっきり主張してもらいたいものだ。それが民主主義の大原則『主権在民』ではないかと、私はかねがね思っているからだ。ちなみに戦艦大和は6万4000トンで、空母ロナルドレーガンは、10万1429トンだという。

 

豊洲問題の謎に迫る

2016年09月20日 17時41分45秒 | えいこう語る

 

豊洲移転問題の、大きな謎が解けそうだ。地下を盛土にする設計を、空間にしてしまったのは、どうやら石原元知事のようだ。設計変更の書類に、知事の公印が押されているのが発見されたからだ。週に1度か2度しか登庁しない知事の印鑑を、勝手に使用した者がいたとなれば、さらに謎は深まるだろうが、そんな度胸のある役人はいないだろう。高名な作家である石原氏なら「俺は押した記憶はない」と、誰かが知事室に忍び込んで、公印を使用したに違いないとシナリオを書きかえるのも容易だろうが、もはや絶体絶命というところだろう。

石原さんは「俺は建築の専門家でもないから、設計など知らない」と言っていたが、それもまんざら嘘ではないだろう。書類の改竄は、地下空間に反対した比留間市場長を移動させ、後任の岡田市場長との交代時に行われたに違いない。岡田さんはテレビの取材に「今の時点ではなにも言えません」と発言している。なにか重要なことを知っているから、今は発言できないということだろう。この交代劇のトリックは、小説家石原さんのいとも簡単な筋書きだろう。

知事は早速、新任の岡田市場長を知事室に呼び立てる。「盛土だったが、コンクリートの箱を埋め込むことで、工事費が安く工期も早く済む。議会には了解を得ているので、文章を直して欲しい」と言ったに違いない。新任の岡田市場長「はい」としか言いようがなかったに違いない。岡田さんだって都の幹部だ。すべてを飲み込むには時間がかからなかったに違いない。自分の部所の主だった幹部を呼び出し、知事からの命令について検討する。

「比留間さんは、知事の命令に従わなかったので更迭された。知事は単独で行動しているのではない。後ろに自民党都連の内田幹事長がいる」と部下が言う。永年の幹部は、誰もが知っている都庁の常識だ。岡田市場長は、しばらく沈黙していたが、知事のいうとおりに文章を直して、知事室に届けることを指示した。私が、勝手に推測するのはこの程度だ。

その後石原さんは、人気がある内に(いや悪事がばれないうちに)知事辞職のシナリオを考えた。同じ作家仲間で、石原さんが影でチビ太?と呼んでいる有頂天男の副知事、猪瀬さんの登場だ。こんな時もあるだろうと想定して、飼い慣らしていた男だ。次期猪瀬さんの知事時代に、自分が手がけたオリンピックが東京に決定されるだろう。そこで、都民はオリンピック一色になり、後ろを振り返えることなく、自分の存在も忘れてしまうだろうと計算した。だが、いつこの改竄事件が発覚するかも知れない。その時の処置をどうするかだ。そこでチビ太に石原さんはこう囁く。

「君、選挙には、絶対ということはない。いざという時のため、資金は用意しておかなければならない。僕が紹介するから、徳洲会のトップに会いなさい。彼なら物分かりがいい。資金は、情勢をみて使わなければそれにこしたことはない」と。・・・選挙に初心なチビ太は、言われるがままに行動する。結果は、みなさんが知っての通りだ。汗を垂らしながら、議会でカバンにお金を詰める、何とも恥さらしな知事がいた。さて次の候補を誰にするか。こんな時選挙候補の決定権を持つボスは、自民党都連幹事長の内田さんだ。顔が売れて脇が甘い、舛添さんに白羽の矢が立てられた。次期オリンピックに自分が東京都知事、そう思うとためらうことなく引き受けたのだ。

舛添さんの金銭感覚は、有名だったらしい。そこで内田幹事長は都の幹部職員を呼び、舛添知事囲い込み作戦を支持する。石原都政同様の経費の使い方で、新知事の動きをコントロールする、いつものやり方だ。だが、その予想を遥かに凌ぐ舛添さんの金銭感覚に、都の幹部も呆れたに違いない。江戸時代の悪代官のような私利私欲をむき出しにした、こんなこともというような行為が続く。これには、さすがの黒幕の内田さんも呆れたに違いない。俺より上手がいたと。問題が発覚すると、挨拶もなく、都庁を去ってしまった。ここで税金の使い道が一気に問題となり、石原氏が書いたシナリオが崩れてきて、まさかの石原さんの登場となった。

急に脚光を浴びた石原さん、冷静さを欠いたようだというより、高齢が故に自慢の慎太郎節も冴えがなかった。「俺は建築には素人だ。下から上がってきたから取り次いただけだ」と、部下の責任にしようとしたのだ。これからの石原さんの行動はどう推測されるだろうか。高齢と、さらに心的テキストレスによる睡眠障害で、長期入院ということだろうか。だが、入院中精力的に小説を書き続けるに違いない。タイトルは「太陽の季節を走り続けた男・我が人生に悔いは無し。日本男児、石原慎太郎」という長いものだ。

私の勝手な推測に拍車をかけ、一日を楽しませてくれる石原さんだ。


モグラたたき作戦

2016年09月19日 12時52分56秒 | えいこう語る

▼豊洲問題は、世界最高水準の文明都市、東京都だけの問題ではなく、戦後、我が国の高度経済成長政策の過程で「政・官・産」の三位一体体制があまりにも親密化し、さらなる経済成長を目標として、そこから生まれる税金を、我がものように使用できる仕組みが出来上がった結果ではないだろうか。特に財政の潤沢な東京都では、都市計画の大型プロジェクトは産(大手ゼネコン)が企画立案し、それを知事と同時に都議会最大会派へもプレゼンする。それを職員が実行するというシステムが磐石になってきたのが現状なのだろう。そこにオリンピックという、無制限に儲けるプロジェクトが始動する。だが、三位一体の脇が甘くなって露呈したのが、豊洲問題ではないかと、この頃そのように、勝手に推測するところに至っている。

興味が豊洲に注がれている間に、民進党の党首選が始まった。野党第一答の党首選だというのに、豊洲問題のほうに、圧倒的に興味が惹きつけられてしまった。小池知事の人気に乗じての蓮舫さんの登場なのだろうが、蓮舫さん、小さなは箱車の中で一人で喜んで走り回る、ハムスターにしか見えてこないというのが、私の印象だ。そんな最中、アベ内閣の支持率は55,7%に上昇した。そのアベ総理、12月にもプーチン大統領を地元山口県に招待し、北方領土返還を匂わしている。それを受けてか、鶴保沖縄北方担当相が、北方4島の視察に根室を訪れている。前担当相は4島の中の島名を読めなかった。今度の鶴保さん、最近スピード違反で捕まっている。担当相が変わるたびの視察で、まったく返還の希望すらもなければ、地元は視察に来なくてもいいと思っているはずだ。

豊洲問題や沖縄基地問題、日本を揺るがす問題が山積しているのに、アベ総理は国連総会出席のため、ニューヨークに向かっている。羽田での談話が勇ましい。「今こそ国際社会が一致結束して北朝鮮に毅然と対応していかなければならない。新たな国連(制裁)決議の採択に向けて、リーダーシップを取っていく考えだ」と、絶好調だ。この自信ありげな態度が内閣支持率につながっているのだろうか。北朝鮮の制裁に世界のリーダーシップを取るなど宣言したら、北朝鮮は、すべてのミサイルを日本に向けるだろう。アベ総理は拉致問題など眼中にないと、世界に発信するようなものではないか。その強硬姿勢を背に、稲田防衛相も米国のカーター国防長官に、安保関連法での日米共同作戦行動の実行を約束した。次期南スーダン派兵に向け、青森の第9師団は、実弾訓練などの実践即応訓練をしているという。

我が国は、最高法規という憲法が放棄した戦争を、憲法を改正しないままに、戦争をする「安保関連法」を成立させた。多くの憲法学者がそれを違法と唱える。だが、周辺からの軍事脅威を煽り、声高に自衛権は正当と主張する。自衛権は国際法上認められているが,海外での武力行使は禁止されてきたのが我が国の常識だ。この常識を崩し、PKO活動で、米軍との一体行動をとると、アマゾネス・トモミ防衛相は動き出した。我が国が戦後初めて、戦争に加担する可能性が目の前に迫ってきたのだ。先の戦争でも、世界初の原子爆弾を2発も落とされても、なお戦いの意志を示していたのが軍隊だ。勝つまで戦うのが軍隊の宿命なのだ。アベ総理は自衛隊を「国防軍」にすると明言している。それでも国民の支持率が下がらないのが、最近の日本の、最大の不思議ではないかと思う。

自民党改憲草案の第13条だ。現憲法では「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に違反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」とあるが、改憲草案では「・・・・公益及びの秩序に反しない限り・・・・」とある。公益や公というのは、国の利益や国と解釈していいだろう。だが、私たちが普段慣れ親しんでいる公共とは、どんな意味なのだろうか。簡単に削除できるものなだろうか。

戦争への匂いが我が国に漂い始めたのは、、小泉元総理の時代から顕著になってきたような気がする。米国のテロとの戦いに異常に反応し、後方支援という戦争に巻き込まれる行動に出た。さらに、アベ総理も我が国の憲法学者をも無視する、憲法解釈だ。この頃、日本の政治・経済・教育などさまざまな領域で、哲学の不在が続いているような気がする。イラク戦争に参加した英国では、その検証が行われ、間違いだという結果が報告されている。我が国では、それがまったくなされないので、アベ総理のような哲学不在の総理の出現につながったような気がする。

自民党改憲草案で、削除する公共という概念、それに変わる公益という意味が持つ国民への影響はなにか。公共とは、国と国民が作り出す「統一概念」というように理解する。だが、アベ総理は「国民主権」という憲法の大原則を「国家主権」に変更しようとする考えがちらつく。改憲草案の前文には「自助・共助」も謳われているというから「国家主権」だった時代の「滅私奉公」という言葉もちらついてくる。

「公共哲学」という学問の分野があるという。公共という概念に哲学を持ち込むというものだろう。かつて米国では、なかなか実を得ない環境問題に、倫理学を持ち込み「環境倫理学」という分野を確立した。公共という言葉が削除される改憲草案。今まで国民が親しんでいた公共という言葉に、あらためて哲学を持ち込んで考える時代がやってきたような気がする。

アベ総理は日本にとどまらず。海外に飛んで、メッセージを発する。それを我々国民が言い過ぎではないかと叩いても、またどこかに出没してメッセージを発する。国民をそちらに気を引かせ、国内では、野党の体たらくと国民の高い支持を後ろ盾に、着々と長期政権への道をまっしぐらに走っているようだ。なんだか私もアベ総理には、

モグラ叩きをさせられているように、気分を分散されているのかも知れない。

私がブログを書いているのは庭のそばの部屋だ。誰かが窓ガラスを叩いたので、顔を向けたら野鳥のヤマガラが、すぐ側でガラスをくちばしで叩いていたのだ。ブログが長たらしくなって来たので、いい加減に終わったらという合図のようだ。素直に従うことにしよう。ヤマガラが飛び去った向こうには、日本晴の鮮やかな秋空が広がっていた。


入札の主役が変わった

2016年09月18日 13時14分15秒 | えいこう語る

 

首位を狙う日本ハムの試合より、白鵬のいない大相撲より、興味があるのが豊洲移転問題だ。単に東京都の問題ではなく、日本の「政・官・産」の三つ巴体質の暗部に迫る問題だからだ。まずは、建設工事からだ。当初予定価格は628億円だったが、2013年の入札で、予定額と大幅なずれを生じたため、入札不調となった。その後、都が入札に参加した大手ゼネコンから、実勢価格などのヒアリングをおこなったという。この行為、相手の手の内を聞き出し、それに沿った予定価格を算出するというもので、業者側に有利になるのではないかと思うのだが、仕事を円滑に進めるためには、不調となった場合、業者からに聞き取りは通常のことだという。

もし、入札に参加する業者が結託し、価格を釣り上げ調整したら、その意向に沿った入札が行われるだろう。聞き取りをおこなった時点で、入札の主役が業者に変ってしまったというのが、実態ではないか。ヒヤリング後には6割増しとなる、1035億円で、大手ゼネコンの3社のJVが、予定価格の99・7~99・9%で落札している。開いた口が塞がらないという感じだが、役所的には正常な入札ということになるのだろう。随分前から東京都の大型事業の落札額は、100%に近いと言われていたが、それをチェックする議会が、業者との関係が親密化していて、担当職員に睨みを効かせていたのかもしれない。議員の圧倒的多数を誇る自民党、そのどンと言われた内田元幹事長の、八方睨みが都庁内の隅々に、眼力を発揮していたような気がする。

6割増しの理由は、東日本大震災の復興需要の増加や、次期五輪やパラリンピック開催の決定後で、資材費や労務単価が高騰していたというのが理由だ。業者が言ったことに対し、そのまま鵜呑みにしているのは、東京都が地方交付税不交付団体で、懐具合が豊かだということだろう。大企業が集まり人口も多く、常に都市開発がおこなわれている。それがさらに経済を活性化させ、財政を潤すことにつながる。我が国で一番輝いているのは東京都だ。輝かせているのは、未来都市を創造しプレゼンする大手ゼネコンの力によるものだ。そんな暗黙の了解が「政・官・産」の、三つ巴体質になってしまったに違いない。計画当初に設置された、有識者による「専門家会議」も、8年ぶりに再設置され、誰が設計の改竄を指示したか、その他に都が設置した「市場問題プロジェクト」の座長も同席し、総事業費が5884億円に膨らんだ経緯も調査するという。

昨年完成した函館市のアリーナ建設も、東日本大震災の復興で、資材の高騰や労働力不足などで、建設費を途中で増額した。金額は忘れてしまったが、大手ゼネコンのマネ?をしたのかも知れない。とにもかくにも、東京都が変われば、日本が変わるような気がする。「ドクターK=小池知事」が、リオから早く帰って、伏魔殿に鋭いメスを入れてほしいと思うのは、私だけではないようだ。