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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

美容師見習

2009年09月30日 13時06分00秒 | えいこう語る
60歳を過ぎ職を辞した現在、記憶力の衰えは自他共に認めるが、体力はそう急激には減少しない。
自由な身は、今までとまるで異質な分野に挑戦してみたくなる。
まず第一に漁師見習で、ウニ漁と昆布漁に挑戦した。
特別重労働でもないが、体力は使う。楽しみながら頑張り、どうやら漁師の仲間として認められたようだ。
漁師見習は、大海が相手だ、気風のよい男?を磨くには最適であり、そしてダイエット効果があるので、お気に入りの仕事である。
妻の飲食店も手伝うことになり、接客見習いも本格的に始めた。お客様との会話も、妻に注意されながらも、何とか慣れてきた。退職後は人と接触することが少なくなり、寡黙になりがちだが、もともとおしゃべりの私にとっては、適任の仕事のようだ。
50歳を過ぎた頃から、私の頭に白いものが出始めた。
妻が70歳ぐらいになったら白髪もいいが、まだ若いのでと、妻に染めてもらっていた。また、私の髪の毛は天然パーマといわれるもので、その髪の癖をよく知っている妻に、散髪もお願いしていた。散髪は、もう30年近く妻が担当している。
先日妻が、自分の髪の毛を染めていた。妻はこの頃50肩で鍼灸所に通っている。
ついに、あなた手伝って、腕が上がらなくなった、と言う。
今まで、何度か、私が染めてやるかと言ったが、妻は下手に染められたら大変といって、私の親切を?拒否し続けてきたのだ。
今まで、私の美漁師担当をしてもらったことへの恩返しと、丁寧に染めあげた。
結果は「お父さん、なかなか上手じゃない」と、言うことで、これからは、お任せしますということに相成ってしまった。
還暦後の私の見習い業には「美容師見習」と言う肩書きが、また一つ増えてしまった。


銚子海岸午前10時

2009年09月29日 14時07分59秒 | えいこう語る
開店準備をしていた。
テーブルを拭きながら窓の外を見ると、地元の保育園児たちが保母さんに引率され、ぞろぞろと海岸道路を歩いてきた。
保育園から銚子海岸までは、1キロはある。子供たちは店の前の赤いベンチを見つけ、われ先にと腰をかける。
大人はゆったりと2人が座れるベンチに、子供たちは5人ほど腰をかけ笑っている。
まるで電線に居並ぶスズメの様だ。代わる代わる腰をかけ、先生まで座っている。
海岸風景にマッチするように赤色にしたベンチは、そこに座ると正面が私の店が見えるので、お客様が店に入ってくるかもしれないという営業作戦である。今日は可愛いスズメさんたちが、ピーチク・パーチクと騒ぎたてながら、その「罠」にひっかかった。
外に看板や幟を出していたら、1台の車が止まった。
建築業界に勤めていた、高校時代の同級生E君だ。
還暦を過ぎたので退職したはずだが、背広を着込んでいる。聞くと、まだ現役だという。会社から出来る限り、働いてほしいといわれたそうだ。
でもこの不景気、仕事が少ないので、会社に出て給料をもらうのが、肩身の狭い思いがするとも言っていた。
E君は人情味があり、親分肌で、面倒見がよい。この業界でも中心的人物として活躍しているようだ。今のような不景気では、公共事業の発注も減少するが、彼のようなベテランで顔の広い人物は、会社にとっては不可欠な人物なのだろう。
自民党派の彼は、民主党が早く政権を落ち着かせ、景気を回復してほしいと願っているという。心からそう思っているのだろう。
「お互い第二の人生、健康第一で長生きしよう」と、私が言う。
「それに、働きすぎて、現役のままで、お前が亡くなったと言われない様にしないとね」と、一言、余計なことを発してしまった。
実は、10年ほど前の正月、函館市内で飲んでいたら、彼が部下を引き連れ店に入ってきた。
「お!久しぶり」と、お互い握手を交わす。彼は相当ご満悦のようすだ。
「ところで“かわぐちえいこう”だけど、あいついい奴だったが、早く死んだものだな~」と言った。・・・・それって、俺のことじゃない???
正月から、なかなか縁起のいい話である!?・・・その場は笑って退散した。
そのことを一瞬思い出したのである。
「お前現役で死ぬなよ」と言った私の言葉に、彼は「そうだよな、俺もそうならないようにしなくっちゃ、えいこう、お互いにがんばろうや」と言って、笑顔でトンネルの中に消えていった。
彼は心臓の手術をしている。私も3度の手術をしている戦友である。
年一度のクラス会では、盃を交わすのを楽しみにしてる、一人でもある。


いつまでも素敵な女性

2009年09月27日 12時32分08秒 | えいこう語る

酒の席で、50代後半の女性がこんなことをつぶやいた。
彼女は40代前半で夫と死別し、3人の子供を育てたしっかり者だ。
「私だって、浮いた噂の一つや二つ、たてられてもみたいと思ったことがあるわ」・・・・・。な・な・なんと!?・・・こんな時、妙に返答に困って話が続かなくなるものだ。
昨夜、函館市内の居酒屋で、サークル仲間のちょっとした打ち上げ式があった。
そこで思い切り、70歳に手が届こうとしているが、何時もお洒落で理知的で、私が密に尊敬する未亡人、S女史に尋ねてみた。
答えはこうだ。
「そりゃ、愛する夫が亡くなった時は、悲しみに明け暮れたわ。でも数年たってからは、自分は新たな人生を生きていかなければならないと思うのよ。恋愛だってしなければ、生きていく張り合いがないでしょう」
S女史の浮いた噂は、一度も聞いたことがない。
でも私が推測するに、彼女は心の中で恋愛するのが上手なようだ。


秋晴れの気持ちい~海だ

2009年09月26日 12時01分22秒 | えいこう語る
さわやかな初秋の風が海岸に吹いている。
雲一つない青空、店の窓から見える北の海は、風があるので水平線近くには白波が少し立っている。その手前の海面は、夏の海の色とはちがう、鮮やかな群青色だ。海岸に近づくにつれ、海の色は緑色を帯びてくる。
渚近くで波が大きく盛り上がると、太陽の光で、緑の鮮やかな波が、横一直線に白いしぶきを上げて、一気に砂浜で砕ける。
群青色と緑と白の色なす、小さな漁村の海岸風景は、今日も、い~気持ちにさせてくれる。
お昼は、昨夜この海岸で釣った「渡り蟹のパスタ」に挑戦する。
ビールを一杯といきたいところだが、夜は函館に出かけるので我慢することにする。帰りはいつもの通り、助手席でビールが飲めるからだ。


蚊に刺された

2009年09月25日 15時00分40秒 | えいこう語る
妻が作る、レア・チーズケーキに、地元で採れるナツハゼの実(地元ではコマシゲと呼ばれる)で作ったジャムを添えて、店で出している。
山葡萄の半分ぐらいのこの実は、地元では昔から大根おろしに混ぜて、酢の物にして食していた。大根おろしが紫色に染まり見た目もきれいで、仏前の御霊供膳の一品としてもよく使われていた。
それを妻がジャムにしたのが、チーズケーキにマッチして好評だ。
お客様にこのジャムはと尋ねると、ほとんどがブルーベリーと答える。
ブルーベリーには目によいとされる、アントシアニンという成分が多く含まれているが、コマシゲはその10倍近くアントシアニンが含まれているらしい。それに軽井沢では最も高級なジャムらしい。
そんな情報もお客様との会話の、重要なポイントになる。
函館を訪れた観光客には「このジャムを食べると、今夜の函館の夜景がとても美しく見えますよ」
「そうなの、楽しみだわ」という様に!
軽井沢の高級感で、我がトドホッケ村のジャムも、レベルが一段と美味しさを増すということになる。
木の実の収穫は今の季節だ。紅葉もとてもきれいな木なので、我が家の庭には数本植えてある。
「今までは私が収穫していたけど、これからは店で使うので、あなたの仕事よ」と、妻の命令で、今朝、第一回目の収穫をした。
実の付いている枝ごと折って採ってくる。そうすると木が大きくならず、実も翌年もたくさん付くという。
採っていると、耳元で、ブーンという、蚊の近づく音がした。手で振り払うと蚊は逃げていった。
蚊の馬鹿め!蚊も鳴かずば刺せたのに!と、我が敏速な対応に、優越感を抱いていた。
ところが家に帰ったら、頬にかゆみを覚えた。蚊に刺されたのだ。
蚊の奴、刺してから、逃げるときに羽を羽ばたかせ音を出したのだ。
悔しいが、私だって漁師見習。潮風で磨かれた顔はそんな柔じゃない。
あえて薬は付けず3時間ほどしたら、腫れもひけてしまった。
コマシゲのジャムの話しに、こんな話もつけ加え、接客見習いをがんばろうと思っている。