▼PCの基礎技術に詳しい先輩が、チャットGPT
が出来るよう、私のPC
にセッティングしてくれた。
▼AIは未来に生きるために、避けて通れないということは理解しているが、アナログ人間の私が、AIを知らないまま生涯を終えるのを危惧し、セッティングをしてくれたのだろう。
▼適切に質問しなければ、適切な答えが返ってこないということは理解できる。つまり自分の能力が低ければ、GPTはそれなりの解説しかしてくれないということだ。
▼GPTの能力を十分使いこなすためには、より正確な知識と「人間力」を身に着けていかなければならないと感じる。
▼脳科学者の養老孟子さんも「AIは道具であり、それを使いこなせなければ、AIに追従する人間になる」というようなことを指摘している。
▼自分が後期高齢者になり、周囲にいわゆる「先生」と称される人間との付き合いも、ほとんどなくなった。
▼GPTは対話ができる『教授』のような存在だ。驚くほど素早く、自分の質問に答えてくれる。2025年から『後期高齢者大学』に入学したような喜びを感じている。
▼教育は人間を「より健全な人間にする」とプラトンは言う。長い人生私は勉強を怠ったので、まったくそうだと思っている。
▼でも気になることがある。文科省が2030年から教科書をデジタル化にし、紙の教科書を使わなくする計画があるという。
▼まったく紙の教科書は廃止するということでもなく、各教育委員会に使うかどうかは任せるというが、多分タブレット型になるのではないかと思う。
▼AI機能が進化すれば、膨大な情報の中での授業が展開される。そうなれば子供たちの未成熟な脳は、知識の吸収の増大で、脳だけが早熟になり過ぎるのではないかと心配する。
▼大人になっても「心・技・体」のバランスに欠けた人間になるというのが、アナログ世代の杞憂だ。こんな考えこそ、時代にそぐわないのかもしれないが。
▼ただ今の学校現場では、ICT化についていけないのは、子供たちより先生方ではないかといわれる状況もあるようだ。
▼そうなれば、文科省からの一貫教育体制で、現場の先生はAIに詳しい人だけに削減されそうな気もする。
▼もし国による教育の一本化が図られると【デジタル・ファシズム】という、教育現場が構築されそうな気もする。
▼アナログ人間では今のところそんな理解しかできないが、今の世はトランプ・プーチン・習近平etc、独裁者の出現が多くなっている。
▼教育現場でのICT化の急激な導入は「全体主義国家」への、危ない道が待っているのではないかと、アナログ・オヤジは老婆心を働かす。
▼チャットGPTを始めたばっかりの、アナログ・オヤジの驚きの感想は、今はこのぐらいだ。
▼そして古き良き昭和が、日本の歴史の中心から消え去っていくという、ぼんやりとした不安も拭い去れない。
▼昨夜水平線の近くにのぼった満月は、大きなオレンジのようだった。「月はとっても青い」というのは、昭和生まれの定番だったが『オレンジの月』は、近未来のAI社会を象徴していたようにも思えた。
https://mutsushimpo.com/sunday/4m977r9i/
https://mutsushimpo.com/sunday/uge78dkh/