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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

柔道日本の心意気

2008年04月30日 12時22分35秒 | えいこう語る
昭和39年の東京オリンピック。
日本選手がオランダのヘーシンク選手に抑えられ破れた時、畳の上で手を上げたヘーシンク選手の姿は、いまだに脳裏から消え去らない。
負傷した足を引き摺り、エジプト選手を破った山下選手。天井を見上げ男泣きした姿も忘れない。
フランス選手に審判の誤審ではないかとの判定で敗れた、篠原選手の口惜しさも決して忘れない。
私たちは、柔道は相撲と同様、国技であるとの思いが強い。
「柔よく剛を制す」。体の小さい日本人が、外国の大きな選手を豪快に投げ飛ばす。それだけに他のスポーツより、日本人の心が揺さぶられるスポーツでもある。
昨日全日本柔道選手権がおこなわれ、100キロ超級の五輪代表に、21歳で国士館大生の石井慧選手が選ばれた。
準決勝に残った4強は、井上康生・鈴木桂治・棟田康幸、石井慧の、世界最強のメンバーである。テレビで観戦する方も、思わず力が入り、技が出るたびに「よし!」と声が出てしまう。
決勝は、鈴木対石井の争いになった。
石井は大内狩りで技ありを取って優勢になったが、後半守りに転じた。年齢が若いせいか、勝ちにこだわり過ぎたきらいが見えた。
柔道も技の判定の基準が、微妙に変化を見せている。やはり金メダルを狙うには、切れ味のよい一本勝ちが要求されるだろう。そのことを考えると、石井選手の試合運びは、期待を裏切られた感じがした。この試合で石井選手の柔道は「心・技・体」の、「心」の未熟性が僅かに見えたような気がした。
しかし翌朝の新聞には「代表に決めてもらう柔道ではなかった」と、語ったと言う。
もちろん金メダルをとって欲しい。しかし、私が柔道に期待するのは、強さの中にも礼節を重んじることであり、何よりも「潔さの精神」が柔道の最大の魅力だからである。
大相撲の朝青龍の強さは、間違いなく金メダルであるが、私があの横綱に距離感を感じるのは、相手に対する「思いやり」が欠けているからである。
柔道も相撲も国際化の波の中で漂っているようだ。
隣国のオリンピックには、日本の選手の「潔さ」に、世界中から拍手が湧き起こるような戦いをして欲しいものである。
私は個人的には棟田選手が大好きである。勝っても負けても四方に向かい、きちんとお辞儀をする。真の武道家の精神を、そこに見ることが出来るからだ。


表現の自由という不自由さ

2008年04月29日 11時32分34秒 | えいこう語る
憲法21条は表現の自由を保障している。
民主主義社会は言論の自由がなければ成り立たず、その意味から表現の自由は、精神的自由の大きな柱になっている。しかし、プライバシーが他人に知られてしまうと、その救済を図ることは極めて困難であるから、その保護も必要である。・・・「憲法の解説」というある高校の教科書に書いてあった。
Kさんという32歳の女性が、先日テレビに出演し、24歳の時、仕事の帰りに道を聞かれた男たちに車に引きずり込まれ、レイプされた事を告白した。
当初、そのことを聞いた母親は「誰にも人に言えない事があるから、決して話してはならない」と、諭したという。
なぜ伏せておかないといけないの?どうして?と自問自答した。
周囲の人に打ち明けると、優しい人は踏み込まないように引いていった。伏せる理由は自分にはないと思ったという。犯人はわからず、時効になった。
性暴力の被害者が、表現の自由を制限された事に対し、人間の尊厳を守るため自ら表現する事により、精神の自由を勝ち取ろうとする心の強さに、彼女の開かれた将来を見る。
Kさんのことで、私の周りに起きた或る出来事を思い出した。
Sさんという20代の男性。自分の意見を発表する場面になったが、その時突然「同性愛者」であることを告白した。グループに早く溶け込もうと思ったプレシャーから出たのかもしれないが、私も多少動揺を隠せなかった。周囲は年配の方が多かったので、そのことには触れずその場は終了した。
後で仲間と話し合った。普段「同性愛」や「性同一性問題」について、或る程度の理解はしているつもりでいたが、身近でそのような発言をされたことに、素直に戸惑いを持ったと語った。Sさんは数ヵ月後、グループを辞めてしまった。
親戚や知人の多い地域社会は、自由に表現しにくい環境にある。やがてその環境が大勢の前で自己主張するのを、自然に阻害してしまう傾向がある。
何事もオープンに会話される環境にあると、相互の理解力が増してくると思う。例え自分が納得できない問題でも、相手の意見を聞くことにより、よりよい選択が出来てくるはずである。
しかし、大勢の人に聞いてもらいたい問題でも、その場の顔ぶれをみて、この話は適当か適当でないかとの判断は必要である。所謂、場を壊すことになりかねないからだ。
どうぞ「忌憚のない意見を」というが、そういう時に限って発言は憚れたりする。要は勇気の問題だというが、自由の発言が「KY=空気読めない」と言われたりする。
「表現の自由」と、前述した話はすこし違うのではないかと思うが、こんな感覚で周囲の環境は「表現の自由」をやんわり束縛している。つまり多くの人は、普段どおりでいいのであって、変化を望まないことに「表現の自由と言う不自由さ」を感じてしまうのである。


4月26日(土曜)我が家の夜の食卓から

2008年04月27日 10時25分38秒 | えいこう語る
一週間前から花が付き始めた、私の村の国道沿いにある「こぶし」の大木が、今年は例年の3分の1程度しか花が咲いていない。温暖化のせいだろうか。
それとも木自体に何か変調があるのか心配になる。
枯れ木に大きな白い花がたくさんつく様は、自然が村人に春の訪れを祝う、マジックショーのようだと思う。
「ゆさゆさと白をふやしてこの辛夷 おのれの中の春をよろこぶ」
咲き誇るこぶしの大木を眺めると、決まってこの句を思い出す。
以前新聞に掲載されていた、元学校の先生をしておられた方の、心に焼きついた句である。
こぶしの木から少し離れたところの桜が咲き始めた。こちらは、花の付きもいいようで安心している。どちらも通学路にある。たくさん咲いて子供たちの心を豊かにして欲しいものだ。
宅急便が朝早く届く。
3月に20数年ぶりで函館を訪れ、40年前の青春時代の思い出を語り合った、東京の友人からである。
私が「鯵」が大好きなのだが、こちらでは活きいいものが手に入らない、と話したのを覚えていて、千葉県安浦から直送させたものである。
明けてびっくり玉手箱!捕りたての鯵の開きと、しま鯵の活け〆が入っていた。
開きは北海道の潮風に干し、しま鯵は5枚におろし刺身にし、半分は鮨を握った。
粗は潮汁にし、頭は塩焼きにした。庭から紫つつじを折ってきて、食卓に飾った。準備万端整った。もちろん灘の生一本も。
友人の心遣いのお陰で、北海道の漁村の食卓に、千葉県の海の幸が賑わい、ちょっとした旅行気分を味合う事が出来た。
ふと房総沖でイージス艦と衝突し、海に沈んだ漁師の親子の事を思い出した。
この親子は上野公園のホームレスの人たちに、トラックで魚を届けていたという。
私たちは未来に向かい前を向き歩いている。その明日は明るいものだと信じているが、前ばかり向いていると、大事なものを忘れてしまうことがある。
たまには後ろも振り向きながら、また歩みを止めて、周りを見つめることも必要ではないだろうか。
「鯵」をいただいた友人は、私より8歳ほど年上である。ジョークもうまく、若い時から人生論を熱く語ってくれた。
「鯵」だけに「味わいのある人生を送りなさい」という、メッセージだったのだろうか。


千の風になって

2008年04月26日 12時39分24秒 | えいこう語る
芥川賞作家で、長野冬季オリンピックのイメージ監督を務めた新井満さんが、函館近郊の大沼に別荘住いしている。
湖面に大小無数の島が点在する大沼は、秀峰・駒ケ岳を背景に、国定公園として人気をあつめている。
その駒ケ岳から吹き降ろし、湖面を渡る爽やかな風に心を動かせ、作者不詳の英語で書かれた詩を翻訳したのが、新井さんの「千の風になって」である。
私がその詩を知ったのは、朝日新聞のコラム「天声人語」である。
米国の歴史の中で、白人に土地を奪われ強制移住させられた、少数民族の悲劇をもとに、新井さんのこの詩は構成されていた。
私はその詩を知った時「平成の大合併」で、住民の多くが望まない中、村が吸収合併されたことに対し、やり切れぬ悲しみの中にいた。
「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません 千の風になって 大きな空を 吹きわたっています」
地名さえも奪われた吸収合併と、生まれた土地を奪われたなナバホ民族の境遇
が合い重なり、私は涙した。
佐竹美穂さんの筆で描かれたたこの詩の絵本から、私が画用紙に写し描き、紙芝居として私の出身の中学生に鑑賞してもらった。朗読は主婦二人が協力してくれた。
その事が北海道新聞のコラム「卓上四季」に掲載された。私がそのコラムニストに新井さんが、大沼にいると伝えると、さらに新聞は新井さんを紙上で取り上げた。
「千の風になって」が、NHK紅白歌合戦で日本中の話題をさらうと、大沼の人たちはこの詩で、大沼のマチづくりの起爆剤にしようと立ち上がった。
その中心人物がWさんとHさんである。
お二人は以前共にマチづくりについて、私と熱く語り合った仲間であった。
その大沼公園内に、モニュメントが作成され、除幕式がおこなわれたのが今朝の新聞に載っていた。
「千の風になって 名曲誕生の地 大沼国定公園」と掘られた黒御影石が、地元産の安山岩が敷き詰められた地面に埋め込まれた。
新井さんは「大抵のモニュメントは自己主張が強く、風景を壊してしまうが控えめな形に感心した」とコメントを述べた。
私はこのモニュメントの存在自体が、マチづくりを考える上での貴重なメッセージになるのではないかと思う。
「すばらしい風景は、素晴らしい心を形づくる」というのが、私のかわらぬ思いであるからだ。
マチづくりも多額の補助金で立派な建物を建て、人を呼び込む時代は終わりにしてもらいたい。
道州制や地方分権が叫ばれているが、真の地方の時代とは「心の時代」を、マチづくりの基本に据えて欲しいものである。
千の風が、多くの人の心にふりそそぎ、心と心を通い合わせながら、つながりを広げていく、そんな存在になって欲しいものだと願う。


親の遺言

2008年04月25日 11時48分28秒 | えいこう語る
昨日函館中央図書館に出かけた。
図書館は五稜郭公園のお堀端にあり、お堀の外側は桜の大木に囲まれ花見の名所である。
花の咲きは、女性の年頃で言えば15・16歳というところだろうか。熟れる寸前の「乙女桜」に、心を奪われる。
図書館の中から眺めると、日本画のようなみごとな世界が広がる。このような美しい風景の中で、大勢の学生達が勉強している姿を見ると、日本の将来もそうなげくものでもないと思ったりもする。
桜の美しさに見とれながら、私の村のある漁師のことを思い出した。
漁師のKさんは60代前半である。若い頃は出稼ぎで本州方面に出かけていたが、今は漁業を専業とし、村でも働き者として名が通っている。
先日友人宅でKさんと一緒に飲んだ。Kさんと飲むのはその時が2度目であった。
私はかねてからKさんに聞いてみたい事があったので、それを尋ねた。
Kさんは自分が檀家になっているお寺の山門を、自力で築き上げた人である。
それは見事なものである。大工修行をしたわけではないが、出稼ぎの中で建築の基礎を学んだからだという。
山門を作る動機は、亡くなった父親がお寺に尽くす事によって、自分や家庭が守られるから、檀家の誰にも負けないように、お寺のために心を配るようにとの遺言を守っただけだという。
柱に自分の名前を記したらいいのではないかと言うと、住職にも言われたが、自慢するようで恥ずかしいから断ったという。
潮焼けした顔に細い目が優しかった。
海の村で生まれ、海で一家を養う。Kさんはたくましさと優しさを、海から学んだに違いない。
Kさんはまた飲もうと言ってくれた。私はとてもうれしかった。
なぜならKさんは奥さんが酒店をやっているので、美味しいお酒を持ってきてくれるからだ。
私はKさんに比べると、まだまだで人格に卑しいものが残っているが、Kさんと飲むことにより、Kさんの人徳を学ぼうと心に決めた。
桜は人の心を酔わせるというが、私はKさんの人柄に酔ってしまったようだ。