▼北海道民とは何者かと問われれば、私も胸張って、道民だと主張できる確かな自覚がないことに気付く。
▼そのことを考えれば、自分の中での北海道の歴史は、江戸末期ぐらいからの認識しかない。つまり私の中の北海道は歴史が浅いのだ。
▼道民の多くが自覚する北海道の認識は、北前船の往来以降の歴史から始まっているように思う。それまでは「蝦夷が島」であり‟辺境”という、野生の大地という認識でしかなかったような気がする。
▼「野生の大地」の歴史が究明されていないのが、道民としての自覚が曖昧のように思う。さらに未開の大地の‟開拓”から始まったと意識が強いように思う。
▼それまではアイヌ民族が住む大地だったのだが、明治政府の北方開拓政策により、先住民族の人権を無視した法律を作成し、和人による開拓を推し進める。
▼そういえばウクライナというのは、ロシアの‟辺境”という意味だ。ロシアの侵攻は、ウクライナは元はロシア領だという、そんな歴史的な意識の中で勃発した、領土奪回戦争のようだ。
▼ウクライナ侵攻と北海道開拓は、どこか共通項があるのではないかという思いに駆られる。「侵攻」と「開拓」が同じ意味に感じられるからだ。
▼北海道開拓のシンボルである「百年記念塔」が、老朽化と維持費増大のため解体された。この塔の解体について、道内で大きな動きは見られなった。
▼この塔の意義が、道民の合意の下に建設されたという意識が薄いのもある。先人の血と汗がにじむ北海道開拓により、今の北海道の発展があるというぐらいの、道民の認識だからだ。
▼この開拓のシンボルの解体について、賛意を示したのがアイヌ民族で、反対したのは先人たちの北海道開発の業績を称え続けていく、使命があるという意識を持った人たちだ。
▼さて開拓のシンボルが解体され、同時期に新しく建設されたのが、アイヌ民族を紹介する「ウポポイ=民族共生象徴空間」だ。
▼8月2日の北海道新聞に、ポーランド州立大教授、ケネス・ルオフが、「百年記念塔とウポポイ」『異なる近代の物語を前に』と題し、解説している。
▼ここで百年記念塔を訪れたオーストラリアの旅行者の、書き込みを紹介している。『この記念塔は北海道における文明の確立を祝うものだと書かれているが、これはまさに塔の提供する物語が、なぜ問題になっているのかを示す手掛かりになる』と。
▼塔は想定したより多額の維持費がかかるので、道庁は取り壊しを決めた。これに対し北海道の開拓者とその子孫に対し、礼を欠くという人もいた。
▼ルオフは『アイヌ民族はほとんどの土地を追われ、主に狩猟と採集にかかわる伝統的な生活を維持できなくなり、彼らは同化を強いられ、アイヌの流儀はツアー観光客の見世物として利用されることもあった』という。
▼さらにウポポイを訪れた時に感じたのは「ウポポイの展示などについて、日本近代史の勝利の物語が、多くの面で思慮深く訂正されていると受け取った」との感想を述べている。このような指摘に耳を傾けたい。
▼私も昨年ウポポイを見学した。あまりにも美しい展示様式に‟浄化作用”という感情が先行した。
▼ルオフの解説に同調しながら、百年記念塔に靖国神社を重ねてみた。この二つに共通しているのは、先人たちの偉業に対し礼を持つ心を忘れてはならないということだ。
▼だがこの意識の裏には‟夥しい犠牲”が隠されている。古めかしい言葉でいえば‟祟り”を恐れ、それを封じ込めるための塔であり、神社ではないか。
▼今年靖国神社の宮司に、自衛隊トップの退職者が就任したという。この問題は【憲法改正】と相まって、非常に問題視しなければならない事象だ。
▼【近代化の過程がどれほどの損害をもたらしたにせよ、近代性を放棄しようとする人はいないのではないか。環境を維持するために現在のライフスタイルを修正することが必要だとしても、我々は近代以前のやり方に戻ろうとはしないのではないか。そこの折り合いをどうつけるか、北海道に暮らす人たちが、共に考えてもいい時期がそろそろ来ているのではないか】とルオフは指摘する。
▼百年記念塔・ウポポイ・靖国神社を私は連想したが、さらに縄文世界遺産もそれに付け加えたい。
▼この世界遺産は「共生」がテーマだ。「SDGs」な世界は待ったなしだが、ルオフが最後に指摘した言葉が気にかかる。
▼わずか半世紀前には、快適な夏があった北海道が猛暑に見舞われている。『共に考え、共に生きる』。そこに確かな北海道の未来が待っているような気がする。
▼そのことを考えれば、自分の中での北海道の歴史は、江戸末期ぐらいからの認識しかない。つまり私の中の北海道は歴史が浅いのだ。
▼道民の多くが自覚する北海道の認識は、北前船の往来以降の歴史から始まっているように思う。それまでは「蝦夷が島」であり‟辺境”という、野生の大地という認識でしかなかったような気がする。
▼「野生の大地」の歴史が究明されていないのが、道民としての自覚が曖昧のように思う。さらに未開の大地の‟開拓”から始まったと意識が強いように思う。
▼それまではアイヌ民族が住む大地だったのだが、明治政府の北方開拓政策により、先住民族の人権を無視した法律を作成し、和人による開拓を推し進める。
▼そういえばウクライナというのは、ロシアの‟辺境”という意味だ。ロシアの侵攻は、ウクライナは元はロシア領だという、そんな歴史的な意識の中で勃発した、領土奪回戦争のようだ。
▼ウクライナ侵攻と北海道開拓は、どこか共通項があるのではないかという思いに駆られる。「侵攻」と「開拓」が同じ意味に感じられるからだ。
▼北海道開拓のシンボルである「百年記念塔」が、老朽化と維持費増大のため解体された。この塔の解体について、道内で大きな動きは見られなった。
▼この塔の意義が、道民の合意の下に建設されたという意識が薄いのもある。先人の血と汗がにじむ北海道開拓により、今の北海道の発展があるというぐらいの、道民の認識だからだ。
▼この開拓のシンボルの解体について、賛意を示したのがアイヌ民族で、反対したのは先人たちの北海道開発の業績を称え続けていく、使命があるという意識を持った人たちだ。
▼さて開拓のシンボルが解体され、同時期に新しく建設されたのが、アイヌ民族を紹介する「ウポポイ=民族共生象徴空間」だ。
▼8月2日の北海道新聞に、ポーランド州立大教授、ケネス・ルオフが、「百年記念塔とウポポイ」『異なる近代の物語を前に』と題し、解説している。
▼ここで百年記念塔を訪れたオーストラリアの旅行者の、書き込みを紹介している。『この記念塔は北海道における文明の確立を祝うものだと書かれているが、これはまさに塔の提供する物語が、なぜ問題になっているのかを示す手掛かりになる』と。
▼塔は想定したより多額の維持費がかかるので、道庁は取り壊しを決めた。これに対し北海道の開拓者とその子孫に対し、礼を欠くという人もいた。
▼ルオフは『アイヌ民族はほとんどの土地を追われ、主に狩猟と採集にかかわる伝統的な生活を維持できなくなり、彼らは同化を強いられ、アイヌの流儀はツアー観光客の見世物として利用されることもあった』という。
▼さらにウポポイを訪れた時に感じたのは「ウポポイの展示などについて、日本近代史の勝利の物語が、多くの面で思慮深く訂正されていると受け取った」との感想を述べている。このような指摘に耳を傾けたい。
▼私も昨年ウポポイを見学した。あまりにも美しい展示様式に‟浄化作用”という感情が先行した。
▼ルオフの解説に同調しながら、百年記念塔に靖国神社を重ねてみた。この二つに共通しているのは、先人たちの偉業に対し礼を持つ心を忘れてはならないということだ。
▼だがこの意識の裏には‟夥しい犠牲”が隠されている。古めかしい言葉でいえば‟祟り”を恐れ、それを封じ込めるための塔であり、神社ではないか。
▼今年靖国神社の宮司に、自衛隊トップの退職者が就任したという。この問題は【憲法改正】と相まって、非常に問題視しなければならない事象だ。
▼【近代化の過程がどれほどの損害をもたらしたにせよ、近代性を放棄しようとする人はいないのではないか。環境を維持するために現在のライフスタイルを修正することが必要だとしても、我々は近代以前のやり方に戻ろうとはしないのではないか。そこの折り合いをどうつけるか、北海道に暮らす人たちが、共に考えてもいい時期がそろそろ来ているのではないか】とルオフは指摘する。
▼百年記念塔・ウポポイ・靖国神社を私は連想したが、さらに縄文世界遺産もそれに付け加えたい。
▼この世界遺産は「共生」がテーマだ。「SDGs」な世界は待ったなしだが、ルオフが最後に指摘した言葉が気にかかる。
▼わずか半世紀前には、快適な夏があった北海道が猛暑に見舞われている。『共に考え、共に生きる』。そこに確かな北海道の未来が待っているような気がする。