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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

日本学術会議の存在意義

2025年05月15日 07時39分09秒 | えいこう語る

▼学問とは真理を発見しようとすることを目的とするものだ。学問は既存の価値や真理とされるものを疑い批判して、新たな価値や真理を生み出すものだ。しかし既存の価値や考えに疑問を抱いたり、批判を行たりすることに対しては、支配権力からすれば危険なものと意識されることもある。

▼「表現の自由」とは国家の干渉を排除することによって、思想・言論の発達を促進するということにある。『国家からの自由』という点に表現の自由の本質がある。・・・東京リーガルマインド(憲法解釈)による。

▼菅元総理が学術会議の6名の任命を拒否した。その中には政府の改憲を批判する学者がいる。中でも東大教授の加藤陽子は徹底して批判する。

▼日本学術会議は、戦前科学者たちが戦争に加担したことを踏まえ、二度と再びそんなんことをしてはならないと、戦後につくられた
「国の特別機関」だ。

▼改憲を党是とする自民党は、それに反対する候補者の任命拒否をした。拒否の理由は話さない。任命拒否の理由を言えば、憲法に保障された「検閲」行為になるからだろう。

▼理由なき拒否は問題外だ。後々自由に拒否できるという事実を意味するからだ。さらに政府は「特殊法人化」する法案を衆議院で通過させた。

▼そこには業務を監視する「監事」や「評価委員会」を設置し、政府の関与を強めるというものだ。

▼「学問の自由」や「表現の自由」を著しく制限するものだ。ましてや学者の最高峰の学術会議が、政府の言いなりになってはならない。

▼そうであれば末端の地方自治体など、政府の意のままになるからだ。最近も地方自治法の改正を来ない「国の指示権」を強めたばかりだ。国と地方自治体は、対等関係にあるというのにだ。

▼トランプ政権になり、日米安保条約も双務的な動きが要求されている。一朝有事には日米軍が共に戦うという姿勢だ。

▼この機にイシバ総理が、独自の防衛論を掲げ、改憲を強行する恐れが出てきている。それの一環が、日本学術会議の口封じ作戦にちがいない。

▼改憲は着々と外堀を固めているようだ。学術会議の次は「緊急事態条項」の成立に向け、国民に国防の必要性を、熱心に丁寧に説くに違いない。

▼国防費の増額には、消費税の減額など絶対にあってはならないからだ。防衛費確保のための消費税の維持だからだ。

▼軍備拡張のための学術会議の「特殊法人化」だ。そんな言論に自由を封殺する政府は、もはや「軍国主義国家」への歩みを始めていると言っても過言ではない。

▼もしこの法案が参議院を通過するなら、野党も「解散総選挙」に打って出なければならない問題だ。

▼学問の最高機関が政府に言いなりになるということは、戦前回帰にも匹敵する事項だ。マスコミも注意喚起を怠ってはならない。

▼「学問の自由」が侵されて「表現の自由」が制限されれば、これほど息苦しい国家はないからだ。

▼「トランプ関税」は、日本を軍事大国にしようとする米国の目論見かもしれない。極東の最大の軍事拠点化だ。

▼日本は自分の力で国を守れという「米国第一主義」のメッセージなのかもしれない。

山下清生誕100年大回想展

2025年05月12日 17時25分42秒 | えいこう語る

▼今年は昭和100年で、戦争が終わり80年目の節目を迎える。放浪の画家山下清、生誕100年展が函館美術館で開催されている。

▼鉛筆画、油彩画、水彩画、貼り絵画、陶芸など、幼い頃からの画風が190点も展示され、山下清の実像に迫る作品展となっている。

▼私たちは映画やテレビでの、山下清がスケッチブックを持っての全国放浪は馴染み深い。実際はスケッチ・ブックは持参しておらず、印象をしっかり焼き付けて、後から作品にしたということが分かった。

▼出来上がった作品と場所を比べると、想像以上の正確さだという。印象を焼き付ける目が、人並み以上に優れていたのだろう。

▼感動した風景を詳細に観察すること、物事の本質を見極める目が強かったのではないかと思われる。

▼放浪の旅に出たのは、兵役を逃れるためだという。あの抑圧された軍隊生活での自由のなさは、山下には耐えられぬものと映っていたのだろう。

▼施設内の不自由さも、自由な心を持つ山下には、耐えられぬ環境だったに違いない。山下は自由奔放に生きたかったのだ。

▼その自由を一番妨げるのは戦争だ。戦争に行くぐらいなら、逃亡生活しかなかったのだろう。

▼戦前の日本は全国各地に、日本のいい風景が点在していた。それは人間が住む土地だった。戦後急速に田舎の風景が失われていた。

▼変わりゆく日本の原風景にある種の「不自由さ」を感じていたのかもしれない。山下にとって自由であるということは、あるがままの風景や人間関係だったのかもしれない。

▼山下はただ「自由」が欲しかっただけだ。人々に先生と言われる環境は「不自由」そのものだったに違いない。

▼山下は昭和元年に生まれ、43歳まで昭和を生きた。昭和の初めは戦争の時期だった。その「不自由」な時代に、山下は「自由」を求め続けた。

▼山下の画風は国家統制と何一つも交わらない、自由な生活を送った。その自由さが昭和の最後の姿を画材に写し取っていた。

▼今年は戦後80年だ。この間日本は戦争のない自由な国家を維持してきた。山下清展は自由であることの意義を、見るものに問いかける。

▼山下の画風には、日本人が失ってきたものが何かを問いかける、そんな思いがたくさんちりばめられている。

▼戦後80年。日本はまたぞろ「不自由」な国を目指しているのではないかと思う。そんな問いかけを聞かせてくれた、山下清生誕100年の大回想展だ。

北海道のプライド

2025年05月08日 19時58分31秒 | えいこう語る

▼札幌農学校の初代教頭に赴任したクラーク博士。8カ月間の講義は生徒たちの心を揺さぶったようだ。
 
▼広大な大地には農業発展が必要だとし教鞭に立つが、その教えは北海道開拓精神に満ち溢れていたに違いない。

▼最後に生徒に残した言葉は「Boys be  ambitious」だ。当時50歳と言えば高齢者の域に入っていた。

▼「青年よ大志を抱け」この言葉の意味は、北海道は偉大な農業の大地にせよとの、クラーク博士の意志だ。農業王国北海道の未来を切り開く言葉だ。

▼額に汗しまっとうな生き方をせよとの教えだ。だが農業人口は減少し、食料自給率も落ちている。主食の米もままならぬ現状だ。

▼観光北海道という姿も、観光客が農地に勝手に入り込む、そんな常識はずれが目立っている。リゾート地は外国資本であふれ、まちの姿も激変している。

▼半導体の世界規模の工場が押し寄せ、市民が住んでいるまちが一変しようとしている。そんな北海道の大地が、外部資本により買いあさりされている。

▼そんな最中政府は、27年度内に大阪府に次ぐIR(カジノを中心とした総合型リゾート)の二候補の選定に着手したという。

▼有力なのが「北海道」と東京だ。また北の大地が狙われる。東京には原発がつくらないが、電力を大量に使用するIRをつくろうという魂胆だ。

▼クラーク博士が残した言葉を思い出してほしい。「青年よ大志を抱け」だ。クラーク博士が、広大な大地に「カジノ」をつくれとおっしゃったのか。額に汗して大地を耕す『農業立国』を目指していたに違いない。

▼食糧自給率を増やし、食に瀕することがない健全な国家像を目指せと、後輩たちに託したのではないか。

▼北海道は明治の開拓政策で、アイヌ民族の土地を摂取した。もともと住んでいた土地ではないところに移住してきた。

▼土地感が希薄な道民が多い。土地に対する愛着や帰属意識が薄いように見える。さらに広大な大地という概念が、土地の所有にこだわらない。気持ちもでっかいというところがあるのではないか。

▼土地に対する執着心が希薄だというところに、外部資本が参入しやすい土地柄があるのではないか。

▼道民的に見れば、IR(賭博場)は、外部資本が入ってきて、外国人や観光客が行い、それで地域に資金が還元されればいいという、考え方の人が多いのではないか。

▼つまり土地が広いゆえに、なんでも可能性がある大地という、イメージがあるのではないか。「青年よ大志を抱け」というのも、何事にもこだわらずに、挑戦せよとに考えでいるのかもしれない。

▼「青年よ大志を抱け」。もう一度考えてほしい。農業立国北海道が日本人の食糧基地として生きる、そんな北海道を目指すということではないだろうか。

▼以前北海道には「ジャパン・ヘルシー・ゾーン」という計画があった。その精神を忘れず新たな農業のための土地を耕す、それがカルチャー(文化)の本来の意義ではないか

沖縄と北海道の地位

2025年05月06日 07時49分41秒 | えいこう語る

▼沖縄は琉球時代に薩摩藩が侵略し、明治に沖縄県として日本領土となった。北海道は明治時代に北方開発と警備のために、屯田兵を送り込み、アイヌ民族の土地を摂取し領土にした。

▼どちらも江戸時代までは、日本の領土としての認識が薄かったということだ。この意識が南と北の土地が、日本の中心から見れば辺境の地としての、意識があったのではないか。

▼地政学的見地から見れば、沖縄は軍事基地としては最適な位置にある。島国として本土とは離れた地にあるからだ。

▼だが多くの島があり自然が豊かに残っている。神々の存在が近い島だ。住民も神との共生で生きてきた。

▼北海道の開拓は自然を切り開き畑作地に変えた。そして広大な森林を切り開き、製紙工場と化した。

▼アイヌ民族は神との共生をする場所を奪われ、祈りの場が破壊された。アイヌ民族は少数ゆえに同化政策を強いられ、日本人化された。

▼沖縄も北海道も共に日本人に同化されたが、沖縄は島国だったので、独特に自然観があり自然との共生が保たれたが、北海道はアイヌ民族の聖地を奪われ、広大な大地が広がった。

▼沖縄は守るものがある。それぞれの島には神が宿っている。北海道は守るべきものを奪われ、神が宿る場所が破壊された。

▼北海道は神々がいなくなったといっても過言ではない。神々が住みにくくなった大地というのが、北海道に住んでいて実感する。

▼寿都町や神恵内村の、地下埋設高レベル廃棄物の実験場。神々が住む大地の地下にも、平気で埋設しようとする精神が、神の存在を希薄に感じているように思う。

▼活断層の懸念をぬぐえないのに、原発再稼働を容認しそうな地域。人間が住む大地には神々が存在していたということが、希薄な道民が多いような気がする。

▼それは明治以降アイヌ民族の大地を奪ったからだ。奪った大地に神の存在は、希薄にならざるを得ないからだ。

▼北方警備に必要性が迫れば、広大な大地を利用し、日米軍事合同訓練の最適な場所として提供される。

▼IR(賭博場)の誘致も進もうとしている。北海道は開拓(侵略)により奪った土地なので、どのようにしてもいいという考えが、道民にはあるのではないか。

▼沖縄のように、神々と共生する大地に住んでいるという、自覚が足りないにではないかと、最近ふと思ったりもする。

▼『神々が大勢住んでいた偉大な大地、北海道』を、今後道民が自覚しなければ、北海道は中央政府の意のままの政策で、神々の大地が汚染されていくのではないかと心配する。

▼アイヌ民族の神話には、多くの神々が住んでいたのが理解できる。川にも海にも山にも空にも、広大な大地には多くの神々が住んでいた。

▼神々は大地を守るために存在した。そんな神々がたくさん住んでいたという自覚を持つことが、北海道の未来に一番必要な要素ではないかと思うのだが。

泊原発再稼働にみる北海道民の矜持

2025年05月02日 20時12分29秒 | えいこう語る

▼泊原発再稼働が、原子力規制委員会の審査を合格した。実に11年9カ月もの審査だった。この長さは果たして合格と言えるのだろうか。

▼原子力施設は、当初耐用年数が40年と言われた。福島原発事故で全施設が停止した。だが電力不足を理由に、耐用年数を60年と変更した。

▼40年を60年にした意味が分からない。原子力施設は劣化が激しいからだ。それを20年に延長するというのは、人間でいえば高齢者の命を勝手に伸ばしたということだ。

▼そんな原発が安全だとは到底言えない。だが規制委員会が、規制を緩和し安全・安心であることを国民に勝手に示した。

▼泊原発は停止中に冷却の要である非常電源の不具合が、運転開始時から放置されていた。これはあってはならないことだ。死を招く行為だ。

▼さらに大気中に放出する放射性物質の量を、31年間過少報告していた。これも人体に及ぼす影響を完全に無視している。

▼さらに点検報告を偽り、他の原発と同じ点検報告をしていた。これって完全に原発を危険なものとは、理解していないということだ。

▼もしこんな杜撰な点検が、東京都内に設置された原発だったら、誰もが差し止めを要求するはずだ。

▼だがこんなでたらめな報告を行っているのにかかわらず、北海道民は声を上げない。上げないのをいいことに、北海道電力は再稼働に向け着々と準備を進めた。

▼北海道民は原発事故に対する甘さが露見している。そんな道民だから電力が必要だといえば、従順に従う国民だと思われているのだ。

▼それに過疎化現象は激しく、そこに補助金をつらつかせれば、容易に乗ってくるという土地柄だと思われている。

▼北海道はまだまだ未開の土地だ。アイヌ民族がすむ北の大地だと思っている、中央からの意識がある。補助金を積みさえすれば、何でも引き受けるという下目に見られている。

▼泊原発は老朽化して、再稼働には最も危険な原発だということを、道民が理解しなければならない。

▼国家プロジェクトの半導体会社ラピダスが突然進出してきた。それには大量の電力の消費が見込まれている。

▼見込まれているのに、工場だけが稼働し始めた。電力は泊原発再稼働を必要とする。工場には電力を送らなければ、稼働できない体制に追い込んでいる。

▼もし東京の原発が、このような状況で再稼働やむなしだとしたら、東京都民は黙っていないだろう。だが都民はそういうことを考えていないだろうが。

▼こんな不条理な原発再稼働はあってはならない。泊原発は完全に老朽化が進んでいる。活断層の懸念もある。こんな原発に再稼働を許すことはできない。

▼第二の福島原発事故が予想されるからだ。後志地方の自治体が原発事故で消滅しても、国にとっては一過疎地域が、補助金目当てに受け入れたとしか考えない。

▼泊再稼働しなくても自然エネルギーの開発など、北海道の大自然は、脱原発の可能性を持っている。

▼北海道道民がNOと言えば、原発の再稼働は消滅する。そんな北海道であってほしいものだ。