函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

心を打つ言葉

2012年04月29日 11時25分14秒 | えいこう語る
先日再放送の大岡越前の番組を観て、思わず涙した。
ラストの大岡裁きが、心を揺さぶったからだ。
「愛がなければどんな言葉も、人の心に響かない」とは、聖書の中の言葉だったと思うが、昨今の政治家の言葉には愛情の欠片さえないのを、いやというほど聞かされているから、越前の人情捌きに涙したのだ。
でも、単に歳を食いすぎて、涙腺がゆるくなったせいもあるのかも知れない。
※早朝からサーファーが集る、トドホッケ銚子ビーチ。


今朝テレビで、胸にぐいと食い込む言葉に出会った。
ロンドンオリンピックで、3回連続の金メダルを目指す、レスリング吉田沙保里選手の母親の言葉だ。
吉田選手は中学時代から、実に119連勝をしていたが、ちょっとした気の緩みから、無名の外国選手に敗れた。
レフリーが二人の手をとり、相手の手を上げた時の吉田選手の表情は、茫然自失そのものだった。本人も頭の中が真っ白だったという。
ただ泣き叫ぶ娘に向かい母親は「あなたは1度だけ泣いているが、今まで119人の選手があなたに泣かされたのよ」と言ったそうだ。
母親はいつかこんな日が訪れることを想定し、この言葉を考えていたのだろう。
吉田選手は良き母と、良き先輩を持っているようだ。
良き先輩とは、女子サッカーの澤穂希選手である。
悩んだ時は、的確にアドバイスをしてくれるという。
そんな環境が整っていれば、金メダルは確実だろう。


連合町会長初仕事

2012年04月28日 15時23分34秒 | えいこう語る
函館市町会連合会東部地区協議会総会という、やたら長い名称の会議が、昨日、開催された。
東部地区町連とは、8年前に函館市に吸収合併された、旧戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町の33町内会である。ちょうど改選期にあたり、椴法華町連の新会長である私が、この会の副会長に選出された。


会長は連続4期目のK氏である。以前から落ち着いて貫禄があり70歳を超えていると思ったが、なんと64歳ということが判明した。私より一つ上である。
同じ団塊世代なら話は早い。性格はどうやらあちらが長男で、私が次男という感じだ。兄弟と思いこれから2年間、楽しく付き合っていけそうだ。
この会の会長と副会長は、自動的に函館市長会連合会(187組織)の、会長は副会長に、副会長の私は常任理事に納まることになる。
今年度の函館市町連会長には、たぶん組織始まって以来と思われる、57歳の若い?!方が就任することになる。
昨年新市長になった工藤氏は62歳であり団塊世代だ。価値観の共有はできるはずである。ただ行政のトップとして、議会を重んじるか市民を重んじるかはこれからの見極めだ。前の市長は市民との集会の席で、私の質問に「議会制民主主義なので、市民より議会を重んじる」と、軽口を叩いた。
しかし、現市長、市民との対話集会には自ら足を運ばず「話があるなら、役所に来てほしい」という姿勢だ。
私は先日の町連の会議で「市長ばかりではなく市会議員も町会連合会に招き、まちづくりについての意見交換をしたい」と述べたが、議長を務めていたのは元市会議員である。「市長はいいが、市会議員まではいらないのではないか」という、なんとも意味不明の答弁だった。
なんとなく、冷凍保存の組織に見える函館市町会連合会、五月には総会が開催される。その時分は桜も満開を終えているとおもうが、57歳の新会長の下、函館市に新種の桜を、ぱっと咲かせてほしいものである。
そして蕾のような会長に開花を促すのは、私たち常任理事の役目に思える。
高齢者の多い町会連合会、どうせなら“花咲爺い”の集まりといわれたいものである。


小沢一郎と日本社会

2012年04月27日 11時40分16秒 | えいこう語る
戦後、政治資金問題で最も杜撰な政党といえば、自由民主党だろう。
政治には多額な金が必要のようだ。したがって、将来有望視される政治家には、金の方が近づいてくるようだ。その筆頭はなんといっても田中角栄だ。
しかし、角栄には情があり人気がある。
清水の次郎長・国定忠治・越後の角栄、そんな感じだ。
その田中の手下で、政治資金の手法を若い頃から真近で見ていたのが、田中の裁判を欠かさずに傍聴したといわれている、小沢一郎だ。
総理の椅子に座るには、まず資金確保だ。いずれ検察との対決を予想して、学んでいたのであろうか。
自分の大番頭3人が有罪になっても、親分の小沢は、知らぬ存ぜずで、無罪となった。
遠山の金さんの裁きであれば「手下に罪をかぶせるのはもってのほか。市中引き回しの上、獄門、打ち首」というところで、庶民の多くは金さんに喝采を浴びせただろう。
それにしてもふてぶてしい顔つきだ。片岡珠子さんが生きていたら「面構シリーズ」に、彼を描いただろうか、などと考えてしまう。
※今朝の海。


そんな夢を見ていたら、グラット家が揺さぶられ目が醒めた。
2度ほど揺れたが小さな地震だ。もう一度眠ると、もっと後味の悪い夢を見かねないので布団から出たら、午前4時だった。
選挙違反には連座制が適用されて、選挙応援隊の違反でも当選者が失格となる。
そこまで厳しい国会議員も、政治資金問題はあまりにもゆる過ぎるのではないか。
政治家が金にゆる過ぎるので、我が国は世界一の借金国になったのだろう。
妙に納得した、昨日の小沢裁判である。


故郷について考える

2012年04月26日 10時59分07秒 | えいこう語る
母の胎内にいる胎児のように、最も休まり鋭気を養ってくれる場所が故郷なのだろう。
それゆえ「郷愁」とは絶ち難い思いなのだろう。
昨日テレビで、福島原発の20キロ圏内にある川内村が、帰村を解除した様子が放映された。
放射能汚染が基準値より下回ったのが解除の大きな理由だが、まだ原発事故はは収束していないし、依然メルトダウン状態で予断を許さない。
村長の決断は、避難場所からの不便な生活から戻り、故郷の早期の復興を願うものだが、果たしてその判断は住民の「身体・生命・財産」の、真の保全につながるものだろうかと、考えさせられる。
役場としては、戻らなければ復興拠点としての使命を果たせないのだろうが、職員の生命の安全は、公僕として目をつむろうという結論なのだろうか。
学校の生徒もまだ1割しか戻っていない。子供の将来を考えれば、親として戻る決断はつかないだろう。
村長はこのように言う。「故郷の復興は自分たちの使命だ。理屈ではない、故郷はかけがえのない土地だから」と。
「理屈ではない」という言葉が心にひっかかる。
過疎の村に原発がやってくる。原発が来れば地域経済がうるおう。原発に頼るしかこの村の活性化はないのだ。
こんな言葉で、役場が国や電力会社の営業マンと化し、率先推進した事実はなかったのだろうか。
今度は、危険地帯に自らが戻り安全を訴え、帰村を勧める。
「理屈ではない。故郷とは離れがたいものなのだ」というが、この事故に至った原因に目をつぶっては、故郷を真に愛しているといえるのだろうか。
私の村は、函館市に吸収合併された。役所や議会は、財政難だから函館市と合併するのが最善最良と、旗を振った。住民はその決定に抵抗ができなかったのだ。私は「しかたがない合併」と、位置づけた。
※函館駅前周辺の今の状況だ。


8年後の役場は、本庁の下部機関となり自治権を失った。地域のアイデンティーは、放射能に汚染された地域と同じように、拡散してしまったような気がする。
被災地や周辺地域も、国や電力会社の遅い対応ばかりを攻めるが、自らの責任に蓋を閉じては、真の復興は土台の揺らぐものにはなりはしないだろうか。
住民が愛する故郷づくりとは、地方自治の真の確立にある。
行政や議会ばかりではなく、住民一体の対話の場を設け、直接民主主義に立ち返り、新しい故郷づくりに邁進してもらいたいものである。
民主党がマニフェストに掲げたが、最近鳴りを潜める「地域主権」とは、みんなでつくりあげる「故郷」ということではないだろうか。


函館バル街

2012年04月24日 15時58分18秒 | えいこう語る
寒く長い冬がようやく開け、港函館も桜前線の北上を待ち、心が浮き立つこの頃だ。
そんな心を後押しするイベントがある。今や前売り券は早々にソールドアウトし、当日券も儘ならぬほど好評のバル街だ。
バルとはスペインの居酒屋で、チケットを購入しピンチョスという、イベント参加店工夫のおつまみを食べながら、はしご酒を楽しむという趣向だ。
函館山の麓で歴史的建築物が保存されている、西部地区一帯がその舞台となる。最近はこのイベントに参加する観光客も多くなっている。
お昼から始まってるが、私たちが参加したのは、外灯がつき始めた午後6時からだ。
ほとんどが相席になるので、隣の人との会話も楽しい。市内の人たちとはどこのピンチョスがうまいかの情報交換、観光客には函館の観光スポットなどを紹介する。みんなが盛り上がり函館人であることを誇りに思うイベントだ。
被災地の石巻からの、石巻バルも出店していた。


今回最高のピンチョスはたぶん石巻だろう。持参した桜の花が添えられていたのが、とてもうれしく感じた。地酒の日本酒も深い味わいだった。東日本の早期の復興に乾杯。


バル街恒例のフラメンコも盛況で、そのパッションと赤ワインに酔いしれた。


参加店の中には甘いものの店もある。その店名も「オールドミス菊」という。店名のままというママは、この地区の景観を守る闘士で、私とは妙に気が合う。お汁粉で気分を一新し、二十間坂を下った。


思い出して振り返ると、坂の上に景観問題で物議をかもしている「二十間坂の自由の女神」が、まだ立っていた。
カニの卸業者が広告塔として建てたものだが、景観にそぐわないと市にも撤去を要請されたが、かたくなに撤去を拒んでいた。店舗は営業を中止したようだが「自由の女神」は不自由な思いをして、いまだに函館港を見下ろしているのだ。
「自由の女神」は気の毒だ。カニ屋の店主が「自由」という概念を、個人の自由という狭義で理解しているだけなのだ。いずれは撤去となるだろうこの女神も、バル街に参加したいのか私たちが手にグラスを持っているが、女神は松明を持って函館の未来を照らしてくれているように思えた。


開港都市函館、歴史と文化の入り混じる西部地区での、知的感動を呼び起こしてくれるイベント「函館バル街」。
このイベントは、まちづくりのあり方を学ぶ「函館学講座」の一授業ではないかと私は思っている。
「よく遊びよく学べ」という、言葉そのもののイベントである。