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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

とどほっけ村大復興計画始動

2011年05月13日 11時41分01秒 | えいこう語る
旧椴法華村が函館市に吸収合併されてから、7年目を向かえた。
昭和30年代の人口は4,000人近くいたが、現在は1,000人ほどに減少してしまった。
戦後の高度経済成長政策は、都市部集中の民族大移動により、日本各地の地域社会は、少子高齢化と過疎化の大津波を受け、道を歩くのは狐か狸、そんな日本昔話のような里が増えてきた。
※朝から銚子ビーチは、大荒れに荒れている。
 海の向こうのカリフォルニアに、ハリケーンでも来襲しているのだろうか?


我が村も、限界集落などというような言葉が普段の会話の中に出てくる、そんな雰囲気になってきたのだ。
昨夜、我が村の7つの町内会が集まり、役員会が開かれた。
地域存続に危機感を持った役場職員(正式には函館市職員)も、ついに立ち上がった。
「集落維持対策事業」という、おどろおどろしい計画を提案したのである。
ところが町会役員たちから、この事業に誰が参加するのだとの、人材不足を嘆く発言が出る。
7年前までは、北海道椴法華村という小さくても胸を張って生きてきた、地方自治体であったのだ。
これが過疎の村なのと、訪れる人が驚くような立派な役場庁舎、住民から選ばれた村会議員もいて、村の存続に知恵を絞っていたはずである。
財政が底をついたのではない、国の市町村合併計画と多額の補助金(合併特例債)
に自治権を放棄しただけである。
言い換えれば、原発と補助金の前に、国策だからと受け入れを決めたようなものだ。
とはいえ、後10年後の村の人口が大激減する予測は、誰の眼にも見えてきた。
平成23年5月、故郷大復興計画に、待望の「背水の陣」がひかれたのだ。
明治9年、我がとどほっけ村は、隣町の旧南茅部町から、一村独立を果たした。
その時の戸数、なんと70戸だったという。
山を切り開き道を作り橋を架け、水道を引き発電所を作り、日露・日中・太平洋戦争にも兵士を送り、故郷や国家繁栄のため汗を流したと、村の歴史は先人たちの偉業を熱く語る。
さて現在に生きる私たちの双肩に、とどほっけ村の存亡がかかっているのだ。
人生最後の仕事としては、あまりにも名誉な仕事ではないかと、身震いを覚える。
山に登り頂上から、漁に出て沖から、この自然に囲まれた美しい村を眺める時、先人たちがこの地に居を構えてくれたことに、私は感謝する。
ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな   
石川啄木
ガンバレ日本!そして、ガンバレとどほっけ!と、大きな声で叫びたい。