函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

燃料の値上げで庶民はねを上げている

2007年10月31日 08時28分06秒 | えいこう語る
ガソリンも灯油も別におだてた訳ではないのだが、上がるにいいだけ上がっている。
北国はすでに灯油無しでは過ごせない季節に入ってきた。北海道の灯油平均価格は1リットルあたり82円位になっている。5年間で2倍になり、1家庭では、昨年と比べ1万3千円の出費になるそうだ。
お寺参りで一人暮らしの女性が、「灯油高いから、7時頃には蒲団に入ってるんです」と力の無い笑顔を見せていた。。
札幌市内では灯油泥棒が現われ、屋外に設置しているホームタンクに、鍵をかける人が出始めているようだ。
我家でもホームタンク(490リットル)が空状態になり補給すると、4万円近くなり、妻と二人で溜息をついているが、溜息をいくらついても部屋は温まらない。
道路特定財源である揮発税を、財源不足の補充のため一般財源にすると言う案が出ているが、それより灯油の値下げをしてもらいたいものだ。
米軍への燃料補給など、もってのほかだ。灯油泥棒も、今室蘭に寄港している、米空母キティホークの燃料を全部抜き取るぐらいの、愉快な話題を提供してもらいたいものだ。やる事があまりに情けない。
燃料、補給と続いたら昨日の証人喚問を思い出した。
役人ははぐらかしの上手い者が出世するのに、突っ込む方が、躊躇していてはなんとも歯がゆい。大阪のおばちゃんたちから、攻めの仕方を教えてもらった方がいい。
こんな時の民主党の攻め上手は、なんと言っても石井一議員に限る。相手の喉を噛み切るような鋭い舌鋒で、土佐犬にも負けぬ強さがある!!
石井氏なら守屋氏をゴルフ場に連れ出し、ドライバーで頭を思いっきりひっぱたいてやるに違いない。
思い出すのは石井氏VS野中広務氏の論戦である。議場で刺し違えるのではないかと思うほどの迫力だった。
これからの証人喚問は、全部石井氏にやってもらいたい。
石井氏激怒。「誰が、只で飲み食い、ゴルフをやらせる馬鹿がいるか。見返りを期待するから接待するんだ。接待に夫婦同伴とは常識が無い。接待には銀座のクラブのホステスを連れて行くもんだ。ゴルフの後に、そのホステスの店に飲むに行くのを、同伴と言うんだ。こんなことも知らないで高級官僚といえるのか。この馬鹿たれが」
守屋氏淡々と。「防衛省では、米艦船への給油も只でやっていますが、見返りを期待したことは一度もありません。見返りを期待すると、米国が付き合ってくれなくなるからです」・・・???
こんな程度で、肝心の所には手が届かず、またうやむやになってしまうのでしょうね。
今朝我が家に、灯油を入れに来た社長が言ってました。
「一度民主党に政権を渡さないと。世の中めちゃくちゃになる」と、外は寒いけど社長は熱かったです。


コンサートでの拍手のタイミング

2007年10月30日 08時34分57秒 | えいこう語る
これがなかなか難しい。特にクラッシクの演奏だと、どこで拍手をしていいか困ってしまう。
函館市の芸術ホールで、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した、バイオリニストの演奏会にあたり、主催者側が観客の拍手の仕方などについての、マナー用紙を配布した。
演奏が終わったと思い拍手をすると、まもなく演奏を始め、慌てて拍手を止めたという経験は何度もある。それは楽章間といい、その時には拍手がいらないと言うのも始めて知った。演奏者が楽器を降ろし、聴衆に向かい微笑んだ時拍手をするものらしい。
演歌や、ポップスのコンサートでは、曲目や歌の内容を知っているので、どこのタイミングで拍手や口笛を挟んでいいか知っているが、クラッシックは誰かにつられて拍手をし、演奏者の集中力をそいでしまっていたらしい。
マナーの悪い田舎者と思われていたのかもしれない。
私は拍手派ではない。口笛派だ。
以前、中島みゆきが函館に来て、コンサートに出かけた。
函館の観客は比較的大人しいと言われている。次次にヒット曲が歌われるが、拍手だけで盛り上がりに欠けていた。私はピーピーと要所要所で?口笛を吹き鳴らした。仲間が違反行為だが、会場で内緒に録音していたのを後から聞いたら、口笛はほとんど私のものだった。
中島も今日の会場には、一人極端な田舎者がいると思ったに違いない。
口笛もタイミングさえはずさなければ、観客の演奏者に対する感謝の気持だと思っている。
しかし私には、完全なマナー違反がある。それは必ずコンサートにはウイスキーの小瓶を忍ばせる事である。小瓶1本が2時間の演奏をより楽しめる、私だけのマナーなのだ?
中島の時、演奏が終わり立ち上がった友達が転びそうになった。身体の具合が悪いのかと聞いたら、小瓶2本を飲んでしまったと言う事だった。2本は私の規定では、ルール違反だ!
サントリーホルでは、バーカウンターがあり、そこで軽く飲んでから演奏会場に入ると言うのを聞いている。札幌では「キタラ」と言う新しいホールでビールを飲めるが、ウイスキーは飲ませてくれなかった。
ビールではおしっこが出て、出入りを繰り返せば、マナーが問われる。
コンサートはウイスキーに限ると言うのが、コンサートを何倍も楽しくさせる私の極めつけのマナーである。?!


101歳の世界新記録

2007年10月29日 08時33分15秒 | えいこう語る
岩手県釜石市に住む下川原孝さん(101歳)は、先日行われた全日本マスターズ陸上で12メートル42を投げ、自らが持つ世界記録を、なんと17センチも超え優勝した。
40歳も下回る私は、その半分も投げられるか自信がない。
下川原さんはやり投げを始めたのが98歳の時だと言うから、驚きも驚きだ。スーパーマンとはこの人のことを言うのではないかと思う。
来年の試合では、あのS字のロゴマークが入った、スーパンマン・コスチュームを着て投げてみたら、絶対様になると思う。
やり投げと円盤投げをやるそうだが、円盤投げも世界新記録を持っているという。この二つの競技を選んだ理由を聞くと「走って転んで骨折してはいけないから」と言う。・・・なかなかのジョークも兼ね備えたスーパーマンだ。
毎日40分、鼻歌交じりでウオーキングしていると言うのも洒落ている。
特に私が気に入ったのは、この歳になっても晩酌も欠かさず、一人でこっそり居酒屋にも行くと言う。
さらに気に入ったのは「他のお客さんから酒を継がれ、金を払った事はありません」と言う。
お客さんたちもスーパーマンの精神と体力にあやかりたいと思い、進んで酒を注がせてもらっているのだろう。
こんなスーパーおじいさんは、年配のご夫人からも若い子からも幅広くもてる。
「キャッ!スパおじだ。(スーパーおじいさんの意味)」「Tシャツにサインして」と女の子たちが群がる。
「背中でいいのかい」「胸に書いてよ~ん」と健康的な笑声が飛び交う。
10月27日の朝日新聞の記事から、勝手にそんな場面を想像してしまった。
新聞に掲載されていた、下川原さんの投擲の瞬間を捕らえた写真は、世界記録を射止める目の輝きが印象的だった。
サミエル・ウルマンの「青春」の詩の一説を思い出した。
「理想を失った時に人は老いる」まさしくこの精神そのものである。
     
やり投げに 投げやりな心 ぶち抜かれ

もし満席の居酒屋に下川原さんが見えたら、席を譲り酒を注がせていただきたいものです。


過疎の村に秋は深まり

2007年10月28日 16時51分10秒 | えいこう語る
私の家のすぐ近くに、1人暮らしのおじさんがいる。若い頃、様々な国の海で魚を捕っていた人だ。
子供の頃に母親に死に別れ、中学校を出てから他所で働き、東北のある港町で所帯を持った。一年のほとんどを船上で暮らす生活だったので、子供も出来たが離婚したそうだ。
60歳過ぎた頃に故郷に戻ってきて、父親が残していった家を改修し、住んでいる。船乗りは、危険業務なので、年金は一般の人より多いと話していた。
このおじさんの趣味は骨董品の収集である。海外の港に上陸する度に買い集め、今でも函館市にバスで行き、何やら購入してくる。
故郷を離れていたのが長く、離婚していて1人暮らしをしているなどのこともあるせいか、近所とはほとんど付き合いがない。父親の後添いの子が、私と同じ歳なので、3回ほど骨董品を拝見させてもらった。
家中、足の踏み場もないほど置かれ、ちょっとした骨董品店よりたくさんある。
購入した金額も相当に思える。
集め始めた理由を聞くと、一人で淋しいから、自分の好きな骨董品に囲まれているのが楽しいからと言った。
買う時の心構えも聞いた。これはいいなと思ったら、先に手付け金を払う。良い物だと目を付け、店を一回りして来たら、後から来た人に買われていたと言う悔しさを、何度も味わった事があったからだという。
一言で言うと「決断力だな」と、胸を張った。
このおじさん、近所で只1人心を許せる女性がいる。近くのガソリンスタンドの奥さんだ。この奥さんのご主人とおじさんは同級生だ。
奥さんは「お節介クラブ会長」と私が名付けたくらい、誰にでも平等に親切な人だ。だから、そのおじさんにも食事が偏らないようにとか、身の周りのこととを、がみがみ注意する。
おじさんは「みっちゃん」には勝てないな、と何時も笑っている。
そのみっちゃん奥さんが、ある時私にこんなことを話してくれた。
おじさんが、みっちゃんに生命保険の受取人になって欲しいと、言って来たそうだ。あんたに親切にしてもらうから、死亡保険金を受け取って欲しいと言う。
そんな事は他人がする事ではないと、丁寧に断ったと言う。
家族の愛情に恵まれず、骨董品に愛情を傾けているおじさんが一人。
今日も骨董品に逢いに、過疎の村からバスに乗り、片道1時間半の函館市に出かけた。
バスの走る山道は、紅葉も深まりを見せていた。


闇市を彷彿させる食品加工業界

2007年10月27日 09時23分17秒 | えいこう語る
偽装牛肉ミンチ事件のミートホープ、比内地鶏、白い恋人、赤福、等々、この先何が出てくるのか、食への信頼が揺らいでいる。
朝4時に目覚め、随分前に読んだ、直木賞作家立原正秋の「夢は枯野を」を読み返した。
内容を簡単に言えば、作庭家の主人公とハム加工会社社長の奥さんとの、不倫物語であるが、直木賞作家の筆にかかると、上質な文芸作品に出来上がっている。
昭和52年の作品であるが、その中にこのような描写があった。
「工場では作業が始まっていた。豚の枝肉を解体して骨を抜きとっていた。昔は東京と横浜の食肉市場から丸のままの豚が入ってきたが、今は枝肉になって運び込まれてきた。肉の半分以上が台湾からの輸入肉で、冷凍して送られてくるのを使用していた。ソーセージ用は雑肉が多く、羊と兎が主だった。犬肉をハムやソーセージに使っているハム会社もあるという話を聞いていたが、志田は犬だけは使わなかった。機械が便利になってくるにつれ、肉までがなんの肉でもよい、という風潮になっていた。犬の肉をハムに混ぜてわるいということはなかった。馬肉は堂々と使われていた。」
私は犬の肉は食した事が無いが、私の周囲では、60歳以上の人がほとんど食した経験があると話している。「赤犬が美味い」と、酒を飲むたびに聞かされた。
ミートホープの社長67歳は、北海道の奥深い山村で生まれた。
年齢から察すると、犬や兎、熊や鹿、蝮なども食べた経験があると思う。それに食べ物を大切にする時代に育っている。
中学校を終え食肉業界に入った時は、たぶん様々な肉を混ぜて使っていたのが、当たり前であった時代だと推測される。
食べられるものはなんでも食べると言う、闇市スタイルがこの業界には以前残っていたに違いない。
社長自ら肉のブレンドに熱心で、加工する機械も発明し農水大臣賞を受賞したと言う。無一文から年商30億円に這い上がった、根っからの職人である。
社員の慰安旅行は、全員を海外旅行に連れて行ったという。
戦後の食糧難、貧乏からの脱出、死に物狂いで働き、家族を守り経済成長の荒波を乗り越えて来たに違いない。
この社長は、自分を振り返ることなく、戦後社会の闇を引き摺ったまま生きてきたようだ。この業界の問題は歴史的な経緯に中に、農水官僚と政治が絡む問題でもあるような気がする。
小説の中でハム工場の社長が「肉挽機で細かく妻の肉を挽き、そこに調味料と香辛料をたっぷり入れて練り上げソーセージに仕上げたら・・・。」と想像する場面がある。
新聞では兎の肉が混入としか報道されていないが、報道してはならないものもあったのではないかと、疑心暗鬼に陥ってしまう。