我が村も人口が1,000名ほどになってしまった。
最後の生き残りをかけた、新たなまちづくり会議が6月から発足する。
今まで何度もそのような会議があったが、村議会の反対があれば、住民の声が掻き消される。役人も議員の顔色をうかがっているので、これといったマチづくりができなかったのも事実である。
そうこうしているうちに、市町村合併され、函館市の一町内会のようになってしまったのだ。
東日本大震災以来、国家への信頼はがた落ちだが、国も粋な計らいをするものである。平成の大合併をした町村には、まちが寂れないようにするために新たな補助制度を用意してくれたのだ。新過疎法の適用である。
もはや地元の議員も解散していない。住民の声が直接行政を動かすことができる環境になったのだ。
それに函館市は4月から「市民自治条例」が施行された。まちづくりは住民が主体となり参加すると謳ってあるのだ。
今まで村民だったが、今は函館市民になった。村民より市民と呼ばれると発言力が増したようで、なんだか気分が違う。
そんなことで、最後の知恵を振り絞り、我が故郷の復興にかけたいと思う。
東日本の復興に負けては、恥ずかしいからだ。
※東日本大震災以降、雲の形が気になる。細い長い雲が地震雲だ。私は何度も体験している。
先日も函館市内で、湾曲した虹ではなく、真っ直ぐの虹が新聞に掲載されていた。

昨日、夜遅くのテレビで、五島列島の小さな島でのまちおこしの状況を見た。
わずか7世帯しかいないが、すばらしい入り江を持った、まさに楽園と呼ぶにふさわしい美しい島である。
まず手始めに、住民の自慢を聞いて歩く。
自慢とは、人より秀でていることである。人間なら、長く生きていれば必ずそんなものが、一つや二つはあるはずだ。
例えば、味噌を手作りできるとか、魚のとりかたが名人といわれる、とかである。人は飲んでいるときなどは自慢話をするが、大勢の前で自慢話をすることはない。大勢の前で、自分はこれが自慢できるぞという話を集め、そこからマチづくりのヒントを見つければいいじゃないかと、昨夜ふとひらめいたのだ。
人に自慢できるものは、人が認めて誉めてくれるのである。
誉められれば、人は木でも登るのである?
「まちづくり、自慢・誉め殺し作戦」と、密かに名付けた。
アイディアを出せというと、そんなものでないというが、人はできれば人前で自慢話をしたいのだ。
「自慢話なら、あなた得意分野でしょう」と、妻も認めてくれた。
自慢話なら誰だって楽しく発言できるのだ。
そうだ、それでいこうと思ったら、なんだか気が楽になってきた。
自分の自慢がまちづくりに反映されたら、故郷にも恩返しができるというものである。
まちづくりって、そんなことから始めればいいのだ。
最後の生き残りをかけた、新たなまちづくり会議が6月から発足する。
今まで何度もそのような会議があったが、村議会の反対があれば、住民の声が掻き消される。役人も議員の顔色をうかがっているので、これといったマチづくりができなかったのも事実である。
そうこうしているうちに、市町村合併され、函館市の一町内会のようになってしまったのだ。
東日本大震災以来、国家への信頼はがた落ちだが、国も粋な計らいをするものである。平成の大合併をした町村には、まちが寂れないようにするために新たな補助制度を用意してくれたのだ。新過疎法の適用である。
もはや地元の議員も解散していない。住民の声が直接行政を動かすことができる環境になったのだ。
それに函館市は4月から「市民自治条例」が施行された。まちづくりは住民が主体となり参加すると謳ってあるのだ。
今まで村民だったが、今は函館市民になった。村民より市民と呼ばれると発言力が増したようで、なんだか気分が違う。
そんなことで、最後の知恵を振り絞り、我が故郷の復興にかけたいと思う。
東日本の復興に負けては、恥ずかしいからだ。
※東日本大震災以降、雲の形が気になる。細い長い雲が地震雲だ。私は何度も体験している。
先日も函館市内で、湾曲した虹ではなく、真っ直ぐの虹が新聞に掲載されていた。

昨日、夜遅くのテレビで、五島列島の小さな島でのまちおこしの状況を見た。
わずか7世帯しかいないが、すばらしい入り江を持った、まさに楽園と呼ぶにふさわしい美しい島である。
まず手始めに、住民の自慢を聞いて歩く。
自慢とは、人より秀でていることである。人間なら、長く生きていれば必ずそんなものが、一つや二つはあるはずだ。
例えば、味噌を手作りできるとか、魚のとりかたが名人といわれる、とかである。人は飲んでいるときなどは自慢話をするが、大勢の前で自慢話をすることはない。大勢の前で、自分はこれが自慢できるぞという話を集め、そこからマチづくりのヒントを見つければいいじゃないかと、昨夜ふとひらめいたのだ。
人に自慢できるものは、人が認めて誉めてくれるのである。
誉められれば、人は木でも登るのである?
「まちづくり、自慢・誉め殺し作戦」と、密かに名付けた。
アイディアを出せというと、そんなものでないというが、人はできれば人前で自慢話をしたいのだ。
「自慢話なら、あなた得意分野でしょう」と、妻も認めてくれた。
自慢話なら誰だって楽しく発言できるのだ。
そうだ、それでいこうと思ったら、なんだか気が楽になってきた。
自分の自慢がまちづくりに反映されたら、故郷にも恩返しができるというものである。
まちづくりって、そんなことから始めればいいのだ。