▼人間が侵す犯罪で、地上最悪なものは戦争だというのを知ることが出来るのは、第2次世界大戦だ。ナチスと大日本帝国の行為は、悪魔そのものだったのではないかと、世界は認識している。だが、白旗寸前の我が国に、原爆を2発も落とした米国こそ『キング・オブ・悪魔』に違いない。だが米国は勝者だ。同じ戦いでも、スポーツは終了すれば平等になるが、戦争はそうはいかない。敗者には、制限された人権ぐらいは保障されるが、属国として生きることを強要されるのが落ちだ。
▼だが、いつまでも属国としての不名誉に甘んじてはならいと思う感情が、愛国心なのだろう。愛国心といえば右翼の方の専売特許と思われがちだが、愛国心は誰にでもある。国を愛する心は、故郷の自然やそこに住む人間の営みにより醸成されるもので、誰かに強制されて生ずるものではない。
▼海や山や川との会話で、子供の心に故郷を、そして、日本を愛する心を育んできたというのは、戦前そして戦後を過ぎて、どのくらいの間、国民に共有されていた、愛国の感情なのだろうか。団塊世代の私の感覚では、1964年(昭和39年)に東京五輪が開催され、国民全員が新幹線に乗って、故郷の原風景を置き去りにしたあの頃が、国民の自然発生的愛国心の喪失が始まったのではないかと考えている。
▼それとは別に、占領下での「民主主義」「人権主義」「平等主義」「平和主義」の4大主義の徹底により、愛国精神まで骨抜きにされたという見方もある。白川敬裕著「憲法がヤバイ」には、自民党改正草案にも「個人主義」の助長を抑えるための条文が記載されているという。改正草案の本質は「国民が自助、共助の精神を持ち、基本的人権を尊重し、和を尊び、社会全体で互いに助けあうこと」だと解説し、愛国精神の復活をめざしているのも伺える。
▼属国からの自立が、自民党の改正草案ならまだしも理解を示すことができるが「属国から同化」へという「日米国」の建設に向け、準備がなされているのではないかと感じてくるこの頃だ。日米国とは、日本と米国が軍事力で合体し、世界の経済まで支配しようというのが、私が推測する「日米国」だ。
▼2月29日北海道新聞「言葉で読む」欄からだ。2014年、武器輸出を原則禁じた「武器輸出三原則」を撤廃し「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。防衛装備なる言葉は、武器という言葉を捨て多様に見せかける、まやかしだろう。当時、極端に野党の反対が無いように感じたのは、武器の輸出は我が国の経済を活性化するという与野党の共通した考えが根底にあったからだろう。その後、アベ総理が豪州へ外遊し、日豪共同の潜水艦開発を発表したのは驚いた。それも12隻を新造し、総額4兆円というから世界最高のセールスマンだ。
▼そこに米国が開発する戦闘システムを搭載する予定だという。中国が東シナ海にに軍事基地を構築しているので、日米豪による、中国封鎖作戦だろう。それに、先日、ゼロ戦の三菱が、ステレス型戦闘機を発表した。中東情勢の悪化で、フランスの戦闘機が売れ始め、雇用も増えているという報告もある。次は外遊と称し「零式ステレス戦闘機」を、武器産業界のトップと共に、中東にセールスに行くアベ総理の日程が、計画されているのかもしれない。
▼保坂正康と半藤利一共著「昭和を点検する」に、第1次大戦後の戦争を分析した次の言葉がある。「戦争とは軍隊だけの戦いではない。勝利のためには軍事力という以上の総合的な生産力、科学技術力、ひいては教育や文化力による、国民の士気の向上にいたるまで、国家の総力を動員する必要がある」という。アベ総理の安保関連法案の真意は、そこにあるのではないだろうか。教育現場での「道徳の教科化」や、総務大臣の「政府批判の放送会社の電波を止める」発言は、その特質が表面化したものだろう。
▼さらに、軍隊の本質というものに触れ、軍部自らが「統帥権干犯」をなす存在だとも指摘する。満州に勢力を拡大する軍部を諌めようとしていた天皇に対し、石原莞爾、板垣征四郎の関東軍幹部は、天皇を意見を無視したのだ。軍の刑法に照らせば死刑に値するが、新しい満州国という国家を、あっという間につくってしまう大成功を収めたので、国民はバンザイで彼らの凱旋を歓迎した。結果オーライという感じだ。
▼アベ総理も関東軍幹部と同じ考えにあるのではないだろうか。原発も潜水艦も、戦闘機も海外に売り込む。結果・日本経済が立て直れば、オーライだろうと。世界一優秀な種子島ロケットだって、売り込めば最高性能のミサイルだ。外貨を稼ぐには軍事産業の育成が今後ますます必要になる。高額なセールスに対する対価は、豊富な政治献金となって戻ってくる。アベ総理の顔にはそう書いているような気がしてならない。
▼明治維新の大立役者といわれる、山岡鉄舟の言葉だ。維新後華族に列せられると「食ふて寝て働きせぬ後褒美に蚊族(華族)となりて、亦も血を吸ふ」と詠んだという。今の政治家(蚊)にきかせたい言葉だ。
▼「思慮浅き総理の下に思慮浅き我れあり」。アベ政権の独裁的政治手法を憂う、今日も変わらぬ私だ。