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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

.ありがとうございました

2011年12月31日 11時45分47秒 | えいこう語る

今年はなんといっても、東日本大災害で本当に目が覚めました。

新年は『政治の年』になりそうです。

有権者全員が積極的に国政に参加することで、国は復興に向かいそうな気がし

ます。

『住民投票条例』。そんな国民の権利を行使する、時代に入ったようです。

そういう意味では、期待できる年になりそうです。

ブログは少し休ませていただき、お正月充電してまた再開させていただきます。


閑話休題

2011年12月28日 15時19分06秒 | えいこう語る
外出したくない寒さが続いている。
外気の寒さばかりでない。政治が国民に対しあたたかな政策を採っていないのが、大きな原因だ。
我が国は水を浴びせられ「冷温停止状態」になってしまったのではないだろうか。自然災害ならすでに瓦礫の処理は終わり、復興への目途は立っていたに違いない。
「福島原発廃炉は40年」。この発表で、日本経済が「氷河期」に入ったことを印象付けたのではないだろうか。
出迎えるフアンに、振り向きもせず通り抜けるスターがいるとする。フアンあってのスターではないかと思うだろう。
総理とは我が国の大スターなのである。記者たちのぶら下がりを無視するのをテレビで見せ付けられては、普段スタ-を観ることができない、大勢のフアンをも無視することになりはしないだろうか。
いくらアニメの国といわれても、ドジョウが総理では、世界中からの渡り鳥の餌になりはしないだろうか。TPP参加や武器輸出三原則緩和なども、そんな心配の内であるが。
閑話休題。
※昔は水平線に、所狭しとイカ釣り船が並んでいた。村にも漁火銀座と呼ばれる場所があったのだ。


我が母校、椴法華中学校からの学校便りが届いた。全校児童は50名弱である。私が在籍していた時は、300名を越えていた。
後輩たちの俳句である。
「いさり火が 小さな町を 照らしてる」
※人口1,000人。村の灯りも寂しい。イカ漁の漁船の灯りが煌々と小さな村を照らしていた。子供たちには、いさり火が都会のイルミネーションに思えたのかもしれない。
「新緑の 匂いに誘われ 山へ行く」
※ゲーム機で遊ぶ子供たち。春の匂いを感じようと、機械を置き山に向かう。村の子供たちの感性が生き生きしている。
「虫たちの 鳴く声聞いて ねむりゆく」
※過疎の村も、子供たちの情操教育に役立っているのだろう。
こんな句も思い出した。
「朝早く 00のラッパ 鳴りひびく」
※00は村に昔しあった豆腐屋さんの名前である。この句は私が小学校時代(昭和30年代)の同級生の誰かの作である。
当時の村の情景と共にラッパの鳴りひびく音が今でも浮かんでくる。
私にとっては「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と同質の、一句である。
野田総理、今の日本の風景、なんと読むのだろうか。


小さな楽しさ発見

2011年12月27日 14時25分42秒 | えいこう語る
若い頃は映画が好きだった。
同じ映画を観た友人と、印象的なシーンについて、様々な感想を語り合ったものだ。そんな昔が懐かしかったのか、50代後半になって文系のサークルに所属したことがある。
学ぶというより、田舎生活で大勢の人と話す機会がないので、話し相手が欲しかったというのが大きな理由だ。
指定された作品を読み感想を述べあったり、テーマを設けて参加者全員が短い文章を書き、その合評をしあったりした。
参加者の平均年齢が高かったので、それぞれの人生の重み深みが強烈に出て、時には疲労感を覚えるほどのこともあったが、個性を発揮できる場としては、なかなか楽しいサークルだった。
サラーリーマン生活では職場の利益などがからみ、自分が思うことを主張するのが憚られることも多かったが、それがなければ、人間というのは実に多様な考えを持っているということを実感できるものだった。
そのサークルに参加していた時、講師から薦められたある作家の本をほとんど読んだことがある。
先日、村の教育委員会にある図書室で、まだ読んでいなかったその作家の作品を見つけたので、昨日借りに出かけた。
人口1,000人の村である。この本は誰も読んでいないだろうと高をくくっていたが、図書貸し出しカードに7人ほどの名が書かれていた。一人は私が知っている名前だが後は知らない名である。しかし、こんなに読んでいる人がいたのは、とてもうれしく感じた。
地域に住んでいると、社会教育の必要性を特に感じる。担当者から言わせれば、何をやっても参加者が少ないという。でも、図書室の利用状況の中からも、新たな繋がりと組み立てができるのではないかと思う。
本を借りてから、役場内で開催される連合町会の会議に向かった。
※村の海岸に打ち寄せられていた冷蔵庫。」この災害の収束は程遠い。


今日はPTAのお母さんたちから、今後の町づくり関する率直な意見を聞くという会議である。
その会議で、印象的だったことがある。
私たちの小学校時代、全校生徒は500人程いたが、今は60人程度だそうだ。
子供の通学はほとんどの両親が、車で送り迎えをするという。
私も感じるのだが、人口1,000人では家から外に出ても、人がほとんど歩いていないそんな感じだ。車で子供が連れ去られるのではないかという心配があるという。過疎というのはそんな危険性も孕んでいるのだと、若いお母さんたちから知らされた。
夜も更けて会議は終了した。
「村の中は真っ暗なので、皆さんも“拉致”されないように気をつけて帰ってください」と、私が言うと、普段から笑顔を絶やさぬある女性がこう答えた。
「拉致されたくても、誰も拉致してくれないの」・・・みんなの顔が和らいだ。
ちょっとした会話と、ちょっとした図書室での発見。
よく探すと、まだまだ村の活性化の要素は、無数に点在しているのかもしれない。
小説に出てきそうな粋な台詞を聞いて、借りてきた本を読むのが無性に楽しくなってきた。
それに村の図書館は、読んだら返してくださいという期限がないのも、市立図書館よりは優れている要素なのかもしれない。


新幹線とゴミ処分場

2011年12月26日 15時03分56秒 | えいこう語る
北海道幌延町、炭鉱跡地に高レベル廃棄物の処分場問題が起きたのは、30年近くも前だ。
地元民の反発で頓挫したが、その後、町と道と核燃料開発機構で、核廃棄物抜きの研究施設との協定を結び「深層基礎研究センター」を設置した。
以後20年以上にわたり、町は補助金をもらってきた。過疎地にあり、補助金は住民の生活資金である。生活資金を削られると生活は極めて困難になる。
町は約束をさせたが、いずれは国家の大事である、持ち込まれることもあるのではないかという気持ちは、どこかになかっただろうか。

今朝の北海道新聞である。
この幌延問題について、当時の原子力保安員の発言をまとめた報告書が出てきた。「建設する施設は、廃棄が目的なのに研究施設というのは、地元をだますようなものだ」という発言である。
現在日本には原発が54機ある。そこから出る夥しい放射性廃棄物が処理されないまま、下北半島六ヶ所村に積み重なっているというのは、理解しがたい。「原発はトイレのないマンション」といわれるのはこんな状態にあるからだ。
中間貯蔵施設で50年ほど冷却してから、ガラス固化体に詰め地下深く埋設するというのが、放射能のゴミの処理方法らしい。
※津軽海峡が低気圧に挟まれ荒れている。 鯨ではないかと思った岩があった。


最近の北海道の出来事で不思議に思うことがある。
財政難にさらに震災の復興費で、消費税UPも浮上してきた中で、道選出の民主党国会議員が立ち上がり、札幌までの新幹線延伸の工事を来年度から開始する、予算を取り付けたことだ。
そのメンバーには元総理や元経産大臣もいる。
上記の新聞記事を読み、ふとひらめいた事がある。
震災後の放射能汚染の瓦礫処理と原発のゴミの処分場を、新幹線延伸と引き換えにしてはいないかということである。
民主党議員の活躍には、道知事も賛意を示す。二つのゴミ処理は与党民主党の責任である。新幹線工事開始で道民も喜んでいるに違いない。ここは道とさらに協力にタッグを組み、広い大地北海道こそ、震災のゴミを受け入れなければならないというコンセンサスを形成しよう。補助金を長い間貰っている幌延も、北海道全体のためなら致し方ないという気分になりそうだ。
さらに元気のある鈴木宗男さんにも参加してもらおうではないかという考えが、水面下で起きてやしないだろうか。
厳しい新年度予算の中、北海道開発庁の防災関係の予算が増えたというのも、なんだか気になってくる。
『道新幹線札幌延伸』という言葉に『幌延』という文字が見える。
妄想好きの私には、何らかの“サイン”ではないかと勘ぐってしまう。
「土壌汚染内閣」に「疑心暗鬼内閣」という言葉が、加わったようなこの頃、真面目そうに見えたドジョウ総理の顔も、なんだか仮面を被った人物に思えて来る。
仮面を剥いだら、いったい誰の顔が出てくるのか剥いで見たくもなるが、その気配を感じ取ったのか、そそくさと中国に出かけてしまった。
北朝鮮問題の早期決着のお願いのようだが、実は、政権を長く維持するため“京劇”を学びに出かけたという噂もあるらしい。
仮面を剥いでも次の仮面が現れ実体がわからないという、あの演技を学びに行ったという噂である。
今夜もなんだか、悪い夢を見そうな気がしてきた。


今日の朝刊から

2011年12月24日 14時41分40秒 | えいこう語る
北海道新聞1面トップは「米、30年ぶり原発新設へ」である。
軍事大国米国の原発といえば、核の保有と一体化していると思っている人が多いだろう。この記事を見て眉を顰めている読者もいるに違いない。
「世界の警察」を自認する米国だが、私にはまた新しい核を所有するぞという「世界の暴れん坊」にしか見えない。
さらに見逃せないのは、許可される原発「AP1000」は、東芝の子会社で米原発大手ウェスチングハウス・エレクトリックの、新型原子炉だという。
日本の技術が、米国の原発産業をリードしているのだ。
さらに中国でも「AP1000」が建設されているという。米国・中国、世界最大の軍事大国に、核保有を可能にする原発を売り込んでいるのは、日本企業の東芝ということではないか。
東芝は以前から「武器輸出三原則」の御旗を食いちぎっている子ねずみと思っていたが、原発開発中に放射能を浴び、随分大きく成長したものである。
※椴法華港の朝。


ここでふと思い出したことがある。
函館市連合町内会で、福島原発事故後の安心・安全な街づくりを目指した「原発勉強会」を開催した。
その講師に来たのが、民主党の某衆議員である。
彼が講演の最後に放った言葉が、私の心にとげの様にひかかっていたのだ。
「隣の中国が経済発展を加速するため、原子力発電所を必要としている。我が国はこれから世界最高の原子力技術を学び、中国の原発が安全であることを指導することが必要だ」というようなことを述べたのだ。
この発言はどんな意味を持っているのかと疑問を持っていたが、今朝の新聞でようやく解明されたのだ。
別の紙面にこんな記事があった。
「今なぜ武器輸出三原則見直し」「国内産業育成 紛争助長の懸念」。
我が国には「非核三原則」「武器輸出三原則」がある。憲法第九条の下に自らが制限している事項である。しかし、時代と共になしくずしにされていく現状がある。
自民党のような政治をして欲しくないと、国民が「政権交代」させたはずの民主党。野田総理が27日にも「武器輸出三原則の緩和」を発表するという。
武器輸出とは経済政策の一環でしかないのだろうか。
私が推測する、新年度の民主党の政治理念である。
災害復興費の捻出、財政赤字の解消には「倫理なき政治と倫理なき経済」、そのテーマが浮上してきたのだ。
対する自民党。次期総裁選に色気を出しているのは、元総理の安倍さんだという。彼の「美しい国」という、美しいの意味、私には「潔く強い国家」と聞こえてくる。
政権交代後の失望感に、自民党でもない民主党でもない、第3極を期待する傾向もある。
今のような官僚主導ではないリーダーシップを持った政党が誕生したとする。
私の世代は、ジェット戦闘機が低空飛行してくると、恐怖以外何ものもないが、
若い政治家は、それを“カッコイイ”と思う世代ではないかと、危惧もする。さらに注意深く耳を澄ませば、雪道をさくさくと進む軍靴の音さえ聞こえてくるような気配さえ感じる。
というような状態で、私はといえば「節度なき疑念」が、常態化しているようである。
朝から胃痛に加え、軽い眩暈で頭痛薬も欲しい気がする、今朝の新聞である。