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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

私がなりたかった職業

2011年05月06日 10時52分22秒 | えいこう語る
原発立地の規則の中に、人口の密集地には建ててはならない、というのがあるらしい。
事故があったとき、人的被害を少なくするためだ。そのため過疎地が狙われる。
人もいない、産業もない、お金もない。ないないづくしの所に、見たこともない巨額な補助金が、ばら撒かれる。
私がCMクリエーターなら、国からの要請に対し、こんなコマーシャルを作る。
『過疎の町に、クリーン・エネルギー・・・補助金も』
原発は作る前から多額な資本投下が行われ、本体建設も巨額であるが、遠い都心部までの送電線施設も巨額だ。さらに原発事故での保障金額は、まさしく想定外の金額となる。
昨日のニュースでは、電気料金の値上げが検討されているという。
「電気の使用はやめられない。だから電気料金は払わなければならない」
国民を電気漬けにし、お金を絞りとるというやり方は、薬物売買の仕組みと、なんら代わりないのだ。
公共広告で流すとすれば『覚醒剤も原発も、命を失います』だ。
※山菜採りに出かけた谷川。


東京に原発を作ればいいじゃないかという考えは、以前から言われていたが、、そんな映画が実際に作られていたのだ。その題名も「東京原発」。
天罰発言知事らしきキャラクターの東京都知事が、突然「東京に原発を作る」発言をするところから、映画は始まる。
真意はこうだ。東京に作るといえば、都民が危険すぎると反対する。電力を多量に使用する都民の反対で世論を喚起し、我が国のエネルギー政策の転換を図ろうとするというものだ。つまり原発中止の国民的世論を、東京から起こそうという内容だ。
この映画を見て、私はこう考えた。
たぶんこれから、国と電力会社は原発利権を手放したくないため、安全基準を強化し原発の存続を訴える。
「電力なくして、我が国の発展は望めません。それでいいのですか」と。
それに対し、全国各地からこの言葉を発する。
「過疎地域は、風力や太陽光電力でいい。東京に原発を」
原発反対派から依頼されていた、CMが出来上がった。
『クリーン・エネルギーを東京に・・・死の灰も』
起用するのはもちろん、加藤清史郎君だ。BGMで流すのは、私が歌詞を作り、前川清さんに歌ってもらう。
「東京砂漠」の替え歌「東京原発」である。
※昭和30年代。村に車が少なかった時代、冬この坂道で大勢の子供がそり遊びを楽しんだ。


私は、実は田舎に戻らなければ、広告関係の企業に就職したかった。
北海道内で少しは広まった、私が作ったキャッチコピーにこんなのがある。
「小さな村から大きな夢を」「痴呆爺体」=地方自治体の現実。「しかたがない合併」=財政難を前面に出しただけの合併、などだ。
その思いが昨夜、やっと叶ったのだ。
原発推進派と反対派から同時にCMを頼まれ、検討会議を開いている夢だ。
だが、このコマーシャル、果たして決済が下りるのだろうか、と心配していたところで目が覚めた。
カーテンを開けると、眼前に広がる太平洋から、輝く春の光が差し込んできた。


黄金週間

2011年05月05日 11時37分14秒 | えいこう語る
東日本大震災で自粛ムードの日本列島。
ゴールデンウィークに入り、ようやく人の動きが活発になってきたようである。
我慢し続けた後は、内に閉じ込めたエネルギーを発散しなければ、精神衛生上バランスを崩すことになるからだろう。
被災地では伝統的な祭りの中止も考えられているだろうが、突然命を失った多くの方々の供養のためにも、生き残った人々の復興の決意を、祭りの中で見せてほしいものである。
祭りとは、みんなが力をあわせ、その地で生きていこうとの、魂の叫びだからだ。それは故郷を守り続けてくれた先人たちへの、感謝の表現でもある。
さらに、心から復興を願う日本や世界中の人々への、メーセージにもなるだろう。そして反原発の誓いも、この地から発信されることであろう。
さて大型連休、店を始めてからは、お客様を待つ身になる。
いつもと違い、遠くのお客様が来店するのが楽しみである。
※ゴールデンウィーク初日、職人でなじみのお客様が、テーブルを無料で張り替えてくれた。
 うれしすぎる出来事だ。


昨日は冷たい雨が降るとどほっけ村であった。
苫小牧市から、車に寝泊りしながら、目的地では自転車に乗り、地域を駆け巡るという、旅慣れた若いご夫婦が開店準備中に来店した。
次のお客様が来店されるまで、様々なお話ができた。
東京生まれのご主人は、学生時代バイクで北海道を旅行し、卒業後北海道に移住、札幌出身の奥様と結婚する。北海道の大地のすばらしさを、地元の人以上に熱く語った。奥様は身体が丈夫でないので、ご主人に自転車を勧められたと、私の妻と、女性は女性同士で会話を楽しんでいた。
4月に札幌から函館に転勤してきたと言う男性には、函館の印象をうかがう。
「潜在的な街の魅力は、札幌よりあると思う。でも元気が感じられない。市長が変わったので、期待したい」。
接客見習いの私であるが、最も得意とする分野の会話である。
新米の函館人には、この部分をしっかり押さえておいてほしいと、函館の歴史と街の魅力について語ってしまった。
黄金週間。私たちは外出ができないけれど、遠くからのお客様と会話ができ、自分たちも旅行に出かけた雰囲気に、浸ることができる。
これで我が夫婦は、外出できないストレスが発散され、精神の安定を保てるのである。
そして、お帰りになるお客様の、最後の言葉がうれしいのだ。
「また寄らしてもらいます」・・・「お待ちしています」。
今年も楽しい黄金週間である。


都会の雑踏で偶然出逢ったような

2011年05月04日 13時36分12秒 | えいこう語る
昨年のことである。
妻が突然「あなたの大好きな人が、元気でいるようだわよ」と、意味深なことを言う。
何かばれてしまったのかと、思わずドキッとする。
私の驚く様子を見て、したり顔をし「桂銀淑さんが、韓国のアパートで母親と元気に暮らし、前よりも美しくなっていた」と言う。
こんな時は主婦暦ベテランの妻に、心のうちを見透かされ、動揺したところを一本勝ちされたようで、ぐうの音も出ない。
桂さんとは、2007年11月、覚醒剤事件で国外追放になった、私が最も好きな演歌歌手の桂銀淑さんのことである。
始めてその歌声を聴いた時の衝撃は、いまだに忘れない。名前がわからないので曲名だけメモし、すぐにCD を購入するのにでかけたものである。
歌詞の内容、歌唱力、美しさの中にも少女のようなあどけなさを残し、時々見せる憂い顔、たちまちフアンになってしまったのだ。
昨日は憲法記念日だった。以前はよく講演会などには参加していたが、この頃は遠のいている。
以前付き合っていた女性とも、しばらく逢っていないな、などと、ふと思うように、憲法と女性を一緒に考えてしまう、この頃の私がいた。
昨夜も妻が一番嫌う、次々チャンネルを変えるクセでテレビを見ていたら、偶然にも圭銀淑さんが映っていたのだ。
「あなた、桂さんだわよ」と妻も声を上げた。
元恋人同士、数年後に都会の雑踏の中で、偶然彼女らしき人を見つける。
「あれは、00さんではないだろうか、そうに違いない」そんな偶然の出逢いだった。
人生は、まさしくルーレットのようなものだ、神様がチャンネルを誘導し引き合わせてくれたのである。
今年1月4日に、執行猶予がとれたという。早速日本大使館に、渡航申請に出かけたが、許可は下りなかった。早く日本のフアンに逢いたいという。
妻が相変わらずきれいだと言ってくれたが「少し歳をとったみたいだね」と私は、一応そういっておいた。
※♪もし今度生まれてくるなら、孔雀よりすずめ♪と歌う「すずめの涙」という曲が好きだ。


今朝は、小雨交じりで海が時化ている。
サーフサイドの閉店後、スピーカーから桂さんの艶やかな歌声が銚子ビーチに流れるのだ。
歌手、桂銀淑さんの一日も早い再出発に乾杯したい。


北海道民主主義復興宣言

2011年05月03日 12時33分14秒 | えいこう語る
統一地方選挙が終った。美酒をあびた人、ほろ苦い酒になった人、様々だろう。
酒を愛する私にとって、今回の選挙で、酒に対し失礼ではないかと思ったことがある。
我が北海道、36市町村で立候補者が定数を上回らず、無投票当選。その他の2町では、定数に満たず欠員を生じたという。
さらに首長選30市町村が無競争だという。
過疎・高齢化、さらに地方財政の縮減、大震災による国家財源の見通しのなさなどが、地域活性化という「希望」を打ち砕いてしまったのだろうか。
2011年の北海道は、民主主義の大災害の年として、心に刻まなければならない。
※昨日は強風が吹き、波が押さえつけられたようになった。


特に高橋はるみ知事の3選は、全市町村完全制覇の偉業を許し、圧勝に終った。対する民主党候補、はるみ知事のパンチに、遥かシベリアの地まで吹き飛ばされた感じである。
はるみ知事、美酒に酔いしれてはいけない。「北海道民主主義復興宣言」をしていただきたい。
仕事を終えた後の、夜間議会を開催してほしい。議員報酬も下げていい。多くの人が議会を傍聴するシステムを構築してほしい。
とにかく政治を楽しくしてほしいのだ。
議員に権威や権力は必要ない。そんなものを与える現行のシステムだから、故郷が壊れていくのである。
無投票や定数割れで当選した地域の首長や議員は、次もまた安泰などと思っていやしないか。
選挙の洗礼も受けず、当選の美酒など飲んでもいけない。第一清らかで神聖な酒に失礼である。
「民主主義の危機」であり「故郷崩壊の前兆」であるとの認識を高めていただきたい。
こんな結果になったのは、あなた方の不熱心さに、有権者の失望がさらに高まったのだと自覚してほしい。
さあ、初議会のテーマは、選挙結果を踏まえた自らの改革である。
新たに挑戦する人が出馬しやすい環境の整備について、討論すべきである。
そして何よりも反省するのは私たち有権者である。
民主主義崩壊の最大の原因は、有権者にあるという自覚を持つことである。
民主主義復興には「住民参加」が最も有効な武器になる。
大勢の市民の声が、民主主義の原点だからだ。


旅人も市民である

2011年05月02日 09時58分32秒 | えいこう語る
東日本大震災以来、各自治体で防災計画の見直しが図られているようだ。
北海道にある泊原発周辺の自治体では、この震災後、自治体トップの会議を開き、警戒区域を拡大した避難訓練を早々に実施をした。
私の地域でも防災会議が3月に行われる予定が、この度の大震災で函館市も防災計画の見直しを図っているのだろうが、いまだに会議が開かれない。
統一地方選挙があり、市長が交代したというのも理由にあるのだろうが、市民の生命・財産を守らなければならない防災計画など、予算(選挙の年は首長が変わると施策が変わるので骨格予算とする)には関係なく、速やかに実施しなければならない。
役所が作った防災計画を市民に提示するのではなく、そこで生活している市民の声を聞いてから、計画を作り直すべきだ。
役所というのは「イノベーション」という言葉が、もっともふさわしくない場所のようだ。
函館市の地形は、海にぽつんと浮かんだ函館山と陸地の間に砂が集積し、そこに街並みが形成された。街の左右を海に囲まれた陸繋島といわれる地形だ。
津波にはまったくの無防備都市であるということは、市民の誰もが自覚している。
かといって、町を囲む城壁のような高い防波堤を築いてしまったら「魅力ある街全国一位」に選ばれるというのは、今後不可能であろう。
私も考えあぐねていたが、昨日ある方と話していて、こんなアイディアを聞いた。
『函館は観光都市だ、市民ばかりではなく、観光客も守らなければならない。津波の被害を受けるのは、いつも観光客が集まる地番が低いベイ・エリアである。ここは函館山がすぐ近くにある。街中に非難方向の道標を立てていたら、それに沿って非難できる』というものである。
住んでいる人は非難場所を知っているが、観光客のことまで考えていたというのには脱帽させられた。
※早朝、やさしく押し寄せる波。


近年、観光ホスピタリティーという言葉が喧伝されるが、この言葉の真髄を知らされた気持ちになる。
しかし、石材の墓標のようなものがたくさん立ち並べば、景観にもそぐわないだろう。
函館市は「パブリックアート」という政策があり、街中にはたくさんの心が和む、動物や少女の像などが立ち並んでいる。
その指が非難方向を指していたら、と、ふと考えた。
『旅人も市民である』そんな思いが、函館の街をより魅力的にしていくのだろう。
役所の決まりごとを市民に伝達するのではなく、まず市民の声を聞き、そこから計画を作り上げるという姿勢が必要である。
『住民参加』とは、そのようなことであると「函館市自治基本条例」は謳っている。