原発立地の規則の中に、人口の密集地には建ててはならない、というのがあるらしい。
事故があったとき、人的被害を少なくするためだ。そのため過疎地が狙われる。
人もいない、産業もない、お金もない。ないないづくしの所に、見たこともない巨額な補助金が、ばら撒かれる。
私がCMクリエーターなら、国からの要請に対し、こんなコマーシャルを作る。
『過疎の町に、クリーン・エネルギー・・・補助金も』
原発は作る前から多額な資本投下が行われ、本体建設も巨額であるが、遠い都心部までの送電線施設も巨額だ。さらに原発事故での保障金額は、まさしく想定外の金額となる。
昨日のニュースでは、電気料金の値上げが検討されているという。
「電気の使用はやめられない。だから電気料金は払わなければならない」
国民を電気漬けにし、お金を絞りとるというやり方は、薬物売買の仕組みと、なんら代わりないのだ。
公共広告で流すとすれば『覚醒剤も原発も、命を失います』だ。
※山菜採りに出かけた谷川。

東京に原発を作ればいいじゃないかという考えは、以前から言われていたが、、そんな映画が実際に作られていたのだ。その題名も「東京原発」。
天罰発言知事らしきキャラクターの東京都知事が、突然「東京に原発を作る」発言をするところから、映画は始まる。
真意はこうだ。東京に作るといえば、都民が危険すぎると反対する。電力を多量に使用する都民の反対で世論を喚起し、我が国のエネルギー政策の転換を図ろうとするというものだ。つまり原発中止の国民的世論を、東京から起こそうという内容だ。
この映画を見て、私はこう考えた。
たぶんこれから、国と電力会社は原発利権を手放したくないため、安全基準を強化し原発の存続を訴える。
「電力なくして、我が国の発展は望めません。それでいいのですか」と。
それに対し、全国各地からこの言葉を発する。
「過疎地域は、風力や太陽光電力でいい。東京に原発を」
原発反対派から依頼されていた、CMが出来上がった。
『クリーン・エネルギーを東京に・・・死の灰も』
起用するのはもちろん、加藤清史郎君だ。BGMで流すのは、私が歌詞を作り、前川清さんに歌ってもらう。
「東京砂漠」の替え歌「東京原発」である。
※昭和30年代。村に車が少なかった時代、冬この坂道で大勢の子供がそり遊びを楽しんだ。

私は、実は田舎に戻らなければ、広告関係の企業に就職したかった。
北海道内で少しは広まった、私が作ったキャッチコピーにこんなのがある。
「小さな村から大きな夢を」「痴呆爺体」=地方自治体の現実。「しかたがない合併」=財政難を前面に出しただけの合併、などだ。
その思いが昨夜、やっと叶ったのだ。
原発推進派と反対派から同時にCMを頼まれ、検討会議を開いている夢だ。
だが、このコマーシャル、果たして決済が下りるのだろうか、と心配していたところで目が覚めた。
カーテンを開けると、眼前に広がる太平洋から、輝く春の光が差し込んできた。
事故があったとき、人的被害を少なくするためだ。そのため過疎地が狙われる。
人もいない、産業もない、お金もない。ないないづくしの所に、見たこともない巨額な補助金が、ばら撒かれる。
私がCMクリエーターなら、国からの要請に対し、こんなコマーシャルを作る。
『過疎の町に、クリーン・エネルギー・・・補助金も』
原発は作る前から多額な資本投下が行われ、本体建設も巨額であるが、遠い都心部までの送電線施設も巨額だ。さらに原発事故での保障金額は、まさしく想定外の金額となる。
昨日のニュースでは、電気料金の値上げが検討されているという。
「電気の使用はやめられない。だから電気料金は払わなければならない」
国民を電気漬けにし、お金を絞りとるというやり方は、薬物売買の仕組みと、なんら代わりないのだ。
公共広告で流すとすれば『覚醒剤も原発も、命を失います』だ。
※山菜採りに出かけた谷川。

東京に原発を作ればいいじゃないかという考えは、以前から言われていたが、、そんな映画が実際に作られていたのだ。その題名も「東京原発」。
天罰発言知事らしきキャラクターの東京都知事が、突然「東京に原発を作る」発言をするところから、映画は始まる。
真意はこうだ。東京に作るといえば、都民が危険すぎると反対する。電力を多量に使用する都民の反対で世論を喚起し、我が国のエネルギー政策の転換を図ろうとするというものだ。つまり原発中止の国民的世論を、東京から起こそうという内容だ。
この映画を見て、私はこう考えた。
たぶんこれから、国と電力会社は原発利権を手放したくないため、安全基準を強化し原発の存続を訴える。
「電力なくして、我が国の発展は望めません。それでいいのですか」と。
それに対し、全国各地からこの言葉を発する。
「過疎地域は、風力や太陽光電力でいい。東京に原発を」
原発反対派から依頼されていた、CMが出来上がった。
『クリーン・エネルギーを東京に・・・死の灰も』
起用するのはもちろん、加藤清史郎君だ。BGMで流すのは、私が歌詞を作り、前川清さんに歌ってもらう。
「東京砂漠」の替え歌「東京原発」である。
※昭和30年代。村に車が少なかった時代、冬この坂道で大勢の子供がそり遊びを楽しんだ。

私は、実は田舎に戻らなければ、広告関係の企業に就職したかった。
北海道内で少しは広まった、私が作ったキャッチコピーにこんなのがある。
「小さな村から大きな夢を」「痴呆爺体」=地方自治体の現実。「しかたがない合併」=財政難を前面に出しただけの合併、などだ。
その思いが昨夜、やっと叶ったのだ。
原発推進派と反対派から同時にCMを頼まれ、検討会議を開いている夢だ。
だが、このコマーシャル、果たして決済が下りるのだろうか、と心配していたところで目が覚めた。
カーテンを開けると、眼前に広がる太平洋から、輝く春の光が差し込んできた。