▼起床は5時半だ。新聞は大見出しで【コロナ下政権選択】とある。我が選挙区は立憲民主と自民の一騎打ちだ。
▼この二人は今までに数回戦っている。今回も現職の立憲が優勢のようだ。選挙期間中、選挙違反と思われる事由も発見したが、これと言って騒ぎ立てる気持ちはない。今回の選挙に気持ちが奮い立たないからだ。
▼選挙のたびに思うのだが、是が非でも当選させたいという候補はいない。普段から議員と話しをする場がないからだろう。
▼候補者の考えや人柄がよく分からないというのが、選挙への関心が薄い最大の理由だ。選挙が済んでしまえば、顔も見せないという候補が多いからだ。
▼普段から議員を呼んで、話し合う機会があれば、選挙への関心も大きくなるとに違いない。東工大教授の中島岳志が【選挙以外の時にも、身近な社会の問題にかかわり、自分の住む地方自治体の行政に関心を持つことが大切だ】という。
▼先日ある議員に出会った時、今度町会長たちの勉強会に来てもらえるかと尋ねたら「スケジュールが合えば出席したい」と返ってきた。
▼「市民側のスケジュールに合わせろよ」と反論したかったが、参加してもいいという消極的意思だけは確認してきた。
▼中島教授は「選挙に行かなければならない」というお説教よりも【選挙に行くという動機づけの回路を、社会の中に構築していかなければならない】という。
▼そのためにも、普段から議員と住民の積極的関わり合いを持たせることが必要だと考える。だが、住民の最大組織である町会においても、議員を呼んでの対話集会を、避ける雰囲気がある。
▼なぜかといえば、その議員に反対する住民が,辛い質問を浴びせかねないという、そんな懸念を持っているようだ。そんなヒューマニティー溢れる町会長さんが多いからかもしれない。
▼今回の衆議院選挙と、核のごみ処分場をめぐる北海道寿都町の町長選挙で、候補者(人間)そのものを考えるということに気持ちを集中してみた。
▼といったもののどう考えたらいいか、手がかりもつかめないので、哲学の本を開くことにした。だが、今更哲学の本を読む能力など、失われていることに気づく。
▼そこで、白取晴彦監修の「哲学は図で考えると面白い」という、そんなに頭を酷使しなくもよさそうな本を開いてみた。
▼【政治の原理を解き明かしたのは哲学なのだ。“諸学の基礎は哲学にあり”と言われていた。文学と哲学のかかわりについては、文学とは人間を描き、人間関係を描き、社会と人間のかかわりを描き、というぐあいに人間を中心に据えた表現世界である。人間存在とは何か、かかわるとはどういうことか、社会とはなにか、こころとは、行動とはといった哲学的な思索を抜きには成立しえない】。
▼こんな言葉が印象的だった。コロナ禍で世界の理念は、大きく変わりそうだ。今まで構築された組織や考え方が実効性を持たなくなり、新たな組み立てや考えが創りだされるだろう。
▼だが、それらは生まれては消え、消えては生まれるという、混沌とした時代がしばらく続く、そんな感じがする。
▼つまりポスト、コロナは、新しい日本を創り出す、創成期のような気がする。今後すべてが混沌の世界に舞い込むだろう。そこで安定を求めるのに、新たな国家秩序をつくり上げるという機運が生じる。
▼というより、機運を国が醸し出すといった方が現実的かもしれない。そこでは国家的最大不安要素が生じる。【憲法改正】という、革命的な一大事事変だ。
▼憲法改正が国会に発議されると、衆参両院で3分の2以上の可決がされると、国民投票にかけられる。
▼国民が選んだ国会議員が賛成したとなれば、それは国民が了解したものとみなされる。そうであれば、国民投票は限りなく改正賛成へとなびくことになる。そのために国民投票は、過半数という規定にしている。
▼何度も繰り返すが、政権与党の自民党の改憲草案は【戦争ができる国】にすることだ。自民党の議席を増やすことは、憲法改正に賛同したということだ。
▼そのことが問われる今回の衆議院選挙なのだが、そんな争点にはなっていないので、危機感のない、関心も薄い選挙となっている。
▼候補者の人間性を徹底的に探る行動を、国民自らが構築しなければならない。コロナにより選挙の形まで変わるはずだったが、今回も古い形のままの選挙だった。
▼単純に言えば、普段から議員を市民の前に出頭させ【市民裁判】を行い、市民の公僕としての自覚を持たせるのが、必要なのではないか。
▼第49回衆議院総選挙の朝を迎え、こんなに鼻息を荒くさせたのは、我が家の庭の革命的に燃え盛る、紅葉を見たからだ。
▼若者よ武器(投票用紙)をとれ!。そして戦場(投票場)で、国を亡ぼす候補に、一発の弾をぶっ放してほしい!。
燃え盛る紅葉に戦意高揚
三等下
▼この二人は今までに数回戦っている。今回も現職の立憲が優勢のようだ。選挙期間中、選挙違反と思われる事由も発見したが、これと言って騒ぎ立てる気持ちはない。今回の選挙に気持ちが奮い立たないからだ。
▼選挙のたびに思うのだが、是が非でも当選させたいという候補はいない。普段から議員と話しをする場がないからだろう。
▼候補者の考えや人柄がよく分からないというのが、選挙への関心が薄い最大の理由だ。選挙が済んでしまえば、顔も見せないという候補が多いからだ。
▼普段から議員を呼んで、話し合う機会があれば、選挙への関心も大きくなるとに違いない。東工大教授の中島岳志が【選挙以外の時にも、身近な社会の問題にかかわり、自分の住む地方自治体の行政に関心を持つことが大切だ】という。
▼先日ある議員に出会った時、今度町会長たちの勉強会に来てもらえるかと尋ねたら「スケジュールが合えば出席したい」と返ってきた。
▼「市民側のスケジュールに合わせろよ」と反論したかったが、参加してもいいという消極的意思だけは確認してきた。
▼中島教授は「選挙に行かなければならない」というお説教よりも【選挙に行くという動機づけの回路を、社会の中に構築していかなければならない】という。
▼そのためにも、普段から議員と住民の積極的関わり合いを持たせることが必要だと考える。だが、住民の最大組織である町会においても、議員を呼んでの対話集会を、避ける雰囲気がある。
▼なぜかといえば、その議員に反対する住民が,辛い質問を浴びせかねないという、そんな懸念を持っているようだ。そんなヒューマニティー溢れる町会長さんが多いからかもしれない。
▼今回の衆議院選挙と、核のごみ処分場をめぐる北海道寿都町の町長選挙で、候補者(人間)そのものを考えるということに気持ちを集中してみた。
▼といったもののどう考えたらいいか、手がかりもつかめないので、哲学の本を開くことにした。だが、今更哲学の本を読む能力など、失われていることに気づく。
▼そこで、白取晴彦監修の「哲学は図で考えると面白い」という、そんなに頭を酷使しなくもよさそうな本を開いてみた。
▼【政治の原理を解き明かしたのは哲学なのだ。“諸学の基礎は哲学にあり”と言われていた。文学と哲学のかかわりについては、文学とは人間を描き、人間関係を描き、社会と人間のかかわりを描き、というぐあいに人間を中心に据えた表現世界である。人間存在とは何か、かかわるとはどういうことか、社会とはなにか、こころとは、行動とはといった哲学的な思索を抜きには成立しえない】。
▼こんな言葉が印象的だった。コロナ禍で世界の理念は、大きく変わりそうだ。今まで構築された組織や考え方が実効性を持たなくなり、新たな組み立てや考えが創りだされるだろう。
▼だが、それらは生まれては消え、消えては生まれるという、混沌とした時代がしばらく続く、そんな感じがする。
▼つまりポスト、コロナは、新しい日本を創り出す、創成期のような気がする。今後すべてが混沌の世界に舞い込むだろう。そこで安定を求めるのに、新たな国家秩序をつくり上げるという機運が生じる。
▼というより、機運を国が醸し出すといった方が現実的かもしれない。そこでは国家的最大不安要素が生じる。【憲法改正】という、革命的な一大事事変だ。
▼憲法改正が国会に発議されると、衆参両院で3分の2以上の可決がされると、国民投票にかけられる。
▼国民が選んだ国会議員が賛成したとなれば、それは国民が了解したものとみなされる。そうであれば、国民投票は限りなく改正賛成へとなびくことになる。そのために国民投票は、過半数という規定にしている。
▼何度も繰り返すが、政権与党の自民党の改憲草案は【戦争ができる国】にすることだ。自民党の議席を増やすことは、憲法改正に賛同したということだ。
▼そのことが問われる今回の衆議院選挙なのだが、そんな争点にはなっていないので、危機感のない、関心も薄い選挙となっている。
▼候補者の人間性を徹底的に探る行動を、国民自らが構築しなければならない。コロナにより選挙の形まで変わるはずだったが、今回も古い形のままの選挙だった。
▼単純に言えば、普段から議員を市民の前に出頭させ【市民裁判】を行い、市民の公僕としての自覚を持たせるのが、必要なのではないか。
▼第49回衆議院総選挙の朝を迎え、こんなに鼻息を荒くさせたのは、我が家の庭の革命的に燃え盛る、紅葉を見たからだ。
▼若者よ武器(投票用紙)をとれ!。そして戦場(投票場)で、国を亡ぼす候補に、一発の弾をぶっ放してほしい!。
燃え盛る紅葉に戦意高揚
三等下