函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

国民よ武器を持ち選場に向かえ!

2021年10月31日 11時26分46秒 | えいこう語る
▼起床は5時半だ。新聞は大見出しで【コロナ下政権選択】とある。我が選挙区は立憲民主と自民の一騎打ちだ。

▼この二人は今までに数回戦っている。今回も現職の立憲が優勢のようだ。選挙期間中、選挙違反と思われる事由も発見したが、これと言って騒ぎ立てる気持ちはない。今回の選挙に気持ちが奮い立たないからだ。

▼選挙のたびに思うのだが、是が非でも当選させたいという候補はいない。普段から議員と話しをする場がないからだろう。

▼候補者の考えや人柄がよく分からないというのが、選挙への関心が薄い最大の理由だ。選挙が済んでしまえば、顔も見せないという候補が多いからだ。

▼普段から議員を呼んで、話し合う機会があれば、選挙への関心も大きくなるとに違いない。東工大教授の中島岳志が【選挙以外の時にも、身近な社会の問題にかかわり、自分の住む地方自治体の行政に関心を持つことが大切だ】という。

▼先日ある議員に出会った時、今度町会長たちの勉強会に来てもらえるかと尋ねたら「スケジュールが合えば出席したい」と返ってきた。

▼「市民側のスケジュールに合わせろよ」と反論したかったが、参加してもいいという消極的意思だけは確認してきた。

▼中島教授は「選挙に行かなければならない」というお説教よりも【選挙に行くという動機づけの回路を、社会の中に構築していかなければならない】という。

▼そのためにも、普段から議員と住民の積極的関わり合いを持たせることが必要だと考える。だが、住民の最大組織である町会においても、議員を呼んでの対話集会を、避ける雰囲気がある。

▼なぜかといえば、その議員に反対する住民が,辛い質問を浴びせかねないという、そんな懸念を持っているようだ。そんなヒューマニティー溢れる町会長さんが多いからかもしれない。

▼今回の衆議院選挙と、核のごみ処分場をめぐる北海道寿都町の町長選挙で、候補者(人間)そのものを考えるということに気持ちを集中してみた。

▼といったもののどう考えたらいいか、手がかりもつかめないので、哲学の本を開くことにした。だが、今更哲学の本を読む能力など、失われていることに気づく。

▼そこで、白取晴彦監修の「哲学は図で考えると面白い」という、そんなに頭を酷使しなくもよさそうな本を開いてみた。

▼【政治の原理を解き明かしたのは哲学なのだ。“諸学の基礎は哲学にあり”と言われていた。文学と哲学のかかわりについては、文学とは人間を描き、人間関係を描き、社会と人間のかかわりを描き、というぐあいに人間を中心に据えた表現世界である。人間存在とは何か、かかわるとはどういうことか、社会とはなにか、こころとは、行動とはといった哲学的な思索を抜きには成立しえない】。

▼こんな言葉が印象的だった。コロナ禍で世界の理念は、大きく変わりそうだ。今まで構築された組織や考え方が実効性を持たなくなり、新たな組み立てや考えが創りだされるだろう。

▼だが、それらは生まれては消え、消えては生まれるという、混沌とした時代がしばらく続く、そんな感じがする。

▼つまりポスト、コロナは、新しい日本を創り出す、創成期のような気がする。今後すべてが混沌の世界に舞い込むだろう。そこで安定を求めるのに、新たな国家秩序をつくり上げるという機運が生じる。

▼というより、機運を国が醸し出すといった方が現実的かもしれない。そこでは国家的最大不安要素が生じる。【憲法改正】という、革命的な一大事事変だ。

▼憲法改正が国会に発議されると、衆参両院で3分の2以上の可決がされると、国民投票にかけられる。

▼国民が選んだ国会議員が賛成したとなれば、それは国民が了解したものとみなされる。そうであれば、国民投票は限りなく改正賛成へとなびくことになる。そのために国民投票は、過半数という規定にしている。

▼何度も繰り返すが、政権与党の自民党の改憲草案は【戦争ができる国】にすることだ。自民党の議席を増やすことは、憲法改正に賛同したということだ。

▼そのことが問われる今回の衆議院選挙なのだが、そんな争点にはなっていないので、危機感のない、関心も薄い選挙となっている。

▼候補者の人間性を徹底的に探る行動を、国民自らが構築しなければならない。コロナにより選挙の形まで変わるはずだったが、今回も古い形のままの選挙だった。

▼単純に言えば、普段から議員を市民の前に出頭させ【市民裁判】を行い、市民の公僕としての自覚を持たせるのが、必要なのではないか。

▼第49回衆議院総選挙の朝を迎え、こんなに鼻息を荒くさせたのは、我が家の庭の革命的に燃え盛る、紅葉を見たからだ。

▼若者よ武器(投票用紙)をとれ!。そして戦場(投票場)で、国を亡ぼす候補に、一発の弾をぶっ放してほしい!。


     燃え盛る紅葉に戦意高揚
               三等下

寒い朝にあったかい話

2021年10月31日 00時00分00秒 | えいこう語る

▼午前5時起床。先日強風が吹き荒れたせいか、紅葉が自慢の我が家の庭も、すっかり晩秋の風情となった。

▼年齢で言えば我が家の庭は、私より(73歳)ちょっぴり年上のように見える。「石楠花」や「いちい」の葉の緑が、夏の若々しさは失ってはいるものの、庭の年齢をちょっぴり若く見せている。

▼マイルスやモンタンの♪「枯葉」が聴こえてきそうな、そんな景色の中にいる。妄想もこのくらい働かせれば、北海道の片田舎も、パリになる!?。

▼この頃の寒さは、灯油の高騰で骨身に沁みる。「日本側から原油の増産の要請がないから、増産しない」という、なんだか原油国側が怒っているような記者会見がテレビで放映されていた。

▼原油だっていずれは底をつくだろう。でもその前に、地球温暖化で人類が消滅するかもしれない。その陰では、それを防ぐにはCOs を出さない【原発】だという、政府の笑い声が聞こえてくるような気もする。

▼そんな寒い朝だが、北海道新聞読者のコラム欄【朝の食卓】に「闇鍋を照らす光」という文章があった。

▼作者は視力が「0,09」という極度の視覚障害の方だ。食事の時に料理が見えないので、非常に難儀するという。

▼野菜好きなので、寒くなると鍋料理が一番の楽しみだ。やけどをする恐れがあるので、顔を近づけて鍋の中を覗き込むこともできない。

▼そんな自分の「闇鍋を照らす光」があるという。共に食べる人たちのサポートだという。その光を頼りに、この身体を温めたい。そう、熱燗と共に。と筆を置く。

▼この人とその友人たちに、マイルスとモンタンの♪「枯葉」をプレゼントしたい。私より2時間ほど遅く起床した妻に「今夜は鍋にしよう」と言ったら「何を寝ぼけているの、昨日の夜は“しゃぶしゃぶ”だったでしょう」と一喝。

▼私は高知県産の馬路村のポン酢が大好きだ。だが、私は新婚旅行で歩いた、木曽路の妻籠と馬籠宿を思い出す。私の中では木曽路に馬路村がある。

▼鍋料理を囲むときは、馬路村のポン酢で温まりながら、心は妻と歩いた木曽路の山の中にいる。木曽路を歩いたのも11月だった。

▼木曽路はすべて山の中である。夕日を浴び銀色に輝くススキの中を、私は三度笠で妻は菅笠をかぶり次の宿へと急いだ。

▼宿場では囲炉裏を囲み、同宿した旅人たちに北海道の話をしたことなども。


▼小説「夜明け前」の作家・島崎藤村の最初の奥さんは函館の人です。私の妻も函館生まれです。木曽路から今でも一緒に歩いています。   三等下

漫才ブームで日本語の劣化?

2021年10月30日 11時15分25秒 | えいこう語る
▼昨今のテレビは、漫才家にジャックされている。今や政治解説までにも登場し、世論の形成に影響を与えている。

▼面白おかしく笑いを交えての解説は、政治を国民の側に引き寄せる役割を果たしている。その効果に乗っかかるように、政界でも上手なジョークではなく、下手なジョークを飛ばす【すべる議員】が目立つ。

▼「私と妻が関係しているというなら、議員を辞職する」と日本一下手なジョーク?を発したのはシンゾウだ。

▼関係しているのは明白なのに、それを堂々と言うのは、ジョークではなく、単なる“嘘”だ。国民から笑いが起きるが、それを自分は受けていると勘違いしているから、どうしようもない。

▼シンゾウは日本初の「マスターベーション・政治家」だ。私もつい調子にのって、品のないジョークを飛ばしてしまった。総理がこのレベルであれば、選ぶ国民もそれ以下という好例だ。

▼ダジャレというか、品のないジョークの政治家代表は、アソウタロウだ。地球温暖化問題は、今や世界の最重要課題なのにだ。

▼私はこんなコマーシャルの作成に着手した。タロウ=「北海道の米がうまくなったのは地球温暖化のおかげだ」と言い放つ。その直後、日本列島が大きく揺れる画像を流す。マツコデラックスが、口からご飯を吹き出し、ぶっ倒れるという設定だ。目覚めたマツコが「タロウちゃんそれは言い過ぎよ」という。そしてタロウとマツコが口調を合わせ【言い過ぎるほどうまい北海道米!】という。

▼「電通ヨシモト」という会社に私が勤めていたら、こんなコマーシャルを作成したに違いない。当然、農水省が許可しないだろうけれど。

▼先日読み終えた、松本清張の「現代官僚論」に書いてあったが、戦後補助金を多く持っていたのが農水省だ。国民生活に関係が深い役所だからだ。ずいぶん汚職事件があったという。

▼こんな記述があるので、ちょっぴり横道にそれるが引用したい。当時のマンチェスター・ガーディアン紙の記事だ。

▼【日本の農政改革は日本改革の第一歩であり、農民の解放だけが目的でなかった。そこには日本軍隊の徹底的的消滅を図るため、その兵士の供給源である農村組織を改革しようとしたところがある。農民生活を向上せしめることは、徴兵力を減ずることになり、一方農民の購買力の増加は国内の需要を増し、ひいては対外輸出と侵略とを緩和する効果がある】。

▼戦後の農地改革の真の目的は、日本兵の多数は、貧農から形成されているという、米国の分析結果によるという内容は、私も初めて知った。「神風」を吹かせば勝てる、などという発想は、ブラック・ジョークにもならないようだ。

▼さて当時の農水大臣だった河野一郎(キシダとの総裁選で負けたタロウのおじいさん)は、黙っていても懐があったまるような仕組みを作っていたようだ。

▼その一郎宅が放火された時、一郎を最も毛嫌いしていたある政治家がこう話した。【悪いことをして金をためた罰です。私のように親の遺産を使い果たした者のところなど、頼んでも火なんかつけてくれません】と言ったのは、アソウタロウのおじいちゃんの、吉田茂だ。

▼もう一つ吉田茂のエスプリの効いたジョークを。赤坂離宮での観菊会で、昭和天皇に「寒くないか?」とお声をかけられて【茂はフトコロが温かいので、少しも寒くはございません】と。

▼天皇が「お前の減らず口は相変わらず治らないな」といったかどうかはわからないが、さすがに吉田はすごいと思っていたら、今日の新聞だ。

▼全国市長会長の立谷秀清だ。【女性には悪いが、男性の所得を上げないと、人口(減少)問題は解決しない】と述べ、連合の女性新会長ついて【今度の美人会長も楽しみにしている】と述べたという。

▼総理も政治家も日本語の劣化がひどすぎると思っていたら、市町村長までこのレベルだ。だが私たちに身近な、北海道町会連合会の会長谷川敬二が、全国自治会連合会会長に就いた。何度か挨拶を聞いているが、立派な人物だと思っていた。

▼長谷川は根室で銭湯を経営し、地元の神社の奉賛会長も務めるという。そこで私は町会の歴史を思い出した。

▼1940年(昭和15年)の内務省特例第17号だ。「万民翼賛ノ本旨ニ則リ」町内会は「国策万般ノ円滑ナル運用」に利用されることになり、その後大臣通牒によれば「市町村ノ補助的下部組織トシ」となった。

▼昭和18年には、市制・町村制法の改正で【国家総動員体制の公的な末端戦争協力組織】となる。中田実著「地方分権時代の町会、自治会」自治体研究所より。

▼長谷川は79歳の戦前生まれだ。神社奉賛会会長も務めるといえば、銭湯が“戦闘”とも聞こえてくる。

▼全国自治連合会総会ともなれば、総務大臣の参加も考えられる。憲法改正の国民投票が近づけば、私も参加するこの組織は、十分利用される可能性もあるかもしれないと、心配の種はつきない。

▼さらに長谷川は【町会長職は報酬をもらわない仕事だからできるんです】と豪快に笑ったという。その言葉にはちょっぴり反論がある。

▼年金生活者の多い町会長は、ちょっぴり報酬が欲しいというのが本音だからだ。長谷川の豪快さに劣る、豪快さのちっちゃな発言だけど。

▼さらに頭に浮かぶのは、町会長職は叙勲の対象外だったが、それが数年前に対象となった。長谷川も近いうちに叙勲の対象となるに違いない。国家の繁栄を底辺で支えたという事由で。

▼数年前に函館八幡宮が、町会連合会に国旗の購入を要請したことがある。国民が意識しないように、あらゆる場面で【戦争ができる国】へとの種蒔きが行われているような気がしないでもない。

     温暖化戦争放棄も緩ませる
               三等下

なぜ今「憲法改正」なのか

2021年10月29日 05時39分08秒 | えいこう語る

▼私は日本が、気高く、強く、美しい国であってほしいと願っている。だが日本の未来に対する不安が脳裏をよぎることはないだろうか。そうした不安を生み出す要因は単純ではないが、戦後の日本が国家として迷走し、日本国民の願いとは別に、他国の要求や操作に屈して、本来の日本とは異なる姿を形成してきたからではないかと思うからだ。
そのような方向へと日本を引きずったのは、紛れもなく当時のGHQ(連合軍総司令部)である。占領政策の目的は日本国家の解体であった。日本国憲法は、日本人の社会や日本国の基盤としては異形異質なものと言わざるを得ない。敗戦の結果として与えられた憲法には「日本」の刻印はなく、木に接いだ竹のように、幾世代を経ても美しい花をつけ、果実を実らせる樹木にはなり得ない】。

▼ちょっぴり長い引用だったが、素直に美しい文章だと思う。2007年4月発行の「別冊・正論」の巻頭にある、極右のジャーナリスト桜井よしこの文章だ。

▼なぜこの文章が美しいと思ったか。それは自分の敵を見定め、一刀両断にする覚悟のようなものを感じるからだ。

▼この文章には「気高く、強く、美しい日本へ」というサブタイトルがついている。極右の思想には暴力の匂いが漂う。そして、それが極限の美という形で現れるが「軍隊」だ。

▼気高く、強く、美しい国にするには、世界一強い軍隊の存在は欠かせないというのが、桜井の主張なのだろう。

▼さらに天皇を戴く国であるというのも、その最大の条件であろう。桜井は帝国日本の女王的カリスマ性を、自ら発散しているようにみえる。

▼さて【美しい国へ】を上梓したのは、アベシンゾウだ。シンゾウはその中で、政治家には「戦う政治家」と「戦わない政治家」があると豪語し、自分は前者だとする。

▼軽蔑する「戦わない政治家」とは「あなたの言うことは正しい」と同調はするものの、決して批判の矢面に立とうとしない政治家だと切って捨てる。

▼さも潔よく聞こえる。だがシンゾウは「あなたの言うことは間違い」だとはっきり言うが「自分は間違っていない」と嘘ばかりついていた。

▼自分の都合の悪いことは、はぐらかし、答えないで逃げ回った。美しくも潔くもなかった“ふざけた政治家”だった。それを8年も政権に座らせた国民も、ふざけていたといわざるを得ない

▼だがシンゾウは、憲法改正へかなり多くの道筋をつけた。後に続くものはシンゾウを見習い、正面切って戦えば、悲願の憲法改正に近づくに違いない。

▼後継のスガとキシダは、傷口を自ら広げ、がむしゃらに戦うような玉ではない。そこで、女帝に目を付けたのかもしれない。キシダの次にタカイチサナエを待機させた。

▼戦後強くなったのは「女性」だ!。憲政史上初の女性総理は、なりふり構わず、憲法改正に踏み出すに違いない。そこが初の女性総理に付きまとう「きな臭さ」と「いやらしさ」のような気がする。

▼最近のタカイチサナエは「POW ER=権力」という、いやらしい匂いがする香水を、シンゾウからプレゼントされ、付け始めているような気がする。

▼右翼に属すると思われる女性政治家の顔を浮かべてみてほしい。やはり同じ香水をつけ、国会中に改憲のいやな匂いをまき散らしているように思える。

▼さてそのような香水が、世界にあるのだろうかと調べたら、ロシアに【赤いモスクワ】というのがあった。

▼ソビエト時代につくられ、日本語では【新しい夜明け】という意味だそうです。だが自民党が「赤い香水」をつけることはないだろう。

▼まさか、タカイチが共産党を抱き込んで、憲法改正を成し遂げるということは、いくら妄想でも妄想しきれないからだ。

▼ということで「自民党改憲草案」通りに事が運べば、我が国が【美しい国へ】などというのは、幻想にすぎないということが実証されるだろう。


    美しい国は地上の楽園か
              三等下

憲法改正と天皇制と眞子さんの結婚

2021年10月28日 07時20分10秒 | えいこう語る
▼眞子さんは結婚し、皇室から離脱した。記者会見では一方的に眞子さんと小室さんが話し、質問は遮られた。

▼一般人となった小室夫婦の言いなりになり、あまたの記者たちが発言を遮られる。メディア自からが、憲法第21条の「表現の自由」を放棄した場面ではないかと、ちょっぴり腹立たしくなった。

▼記者会見の場面はテレビで繰り返し観たが、会見席に上がる時、眞子さんの台を踏みつけるような、ドンドンという音が耳を離れない。

▼記者団に向かって「よくも今まであることないこと余計なことばかり言いやがって、私たちの結婚を邪魔したな」という、素朴な解釈をしてしまった。

▼ふと「憲法改正と天皇制」ということが、頭に浮かんできた。間違いなく米国の「押しつけ憲法」と言われる日本国憲法は、その成立の過程において、天皇の存続が要となっていたからだ。

▼天皇制維持のために「押しつけ憲法」を、受諾したといっても過言ではないようだ。そう考えたので、昨夜天皇と憲法について、関係する本を数冊読み漁った。

▼私の脳みそのキャパでは、文章にするのは無理なので、5・7・5の川柳というか戯言で、表現してみたい。

▼憲法制定時に、宴会の席で吉田茂が色紙に書いたものだ。【新憲法たなのだるまも赤面し】。この色紙は、憲法記念館に展示されているという。

▼この解釈には様々あるが「達磨のごとく動揺しているのは憲法ではなく日本国のほうであって、憲法の趣旨に添うように、国家を安定しなければならない」という解釈がある。それが的を得た、当時の吉田の心ではないかというような気がする。※達磨とは吉田本人をたとえている。

▼そこで眞子さんの会見で一句が浮かんだ。【床鳴らし眞子は圭の嫁になる】三等下。と書いて、ふと我が家の庭を眺めると、寒気が入っていたせいか、紅葉が鮮やかだ。

▼最近朝刊の川柳欄に目を通している。今日心に響いた一句だ。【もみじ出てトンボがとんで秋が来る】小学4年生男子とある。子供の心は私と違い「あかきこころ」だ。

▼私の世代、赤とんぼと言えば「ゼロ式戦闘機」を連想した。夕暮れ編隊飛行する赤トンボに、特攻の悲惨さを感じたものだ。

▼外に出てみると、すでに陽はのぼり水平線に、秋らしい雲が残っていた。なんと機関銃の形をした雲だった。

▼一昨日から、太平洋の波のうねりが大きい。先日津軽海峡を通過した、中ロ合同艦隊の余波かもしれない?。

▼海岸の消波ブロックに打ち寄せる波は、ドカンドカンと砲撃のようにも、そして眞子さんの足音にも。
  
▼憲法改正も近づいている。眞子さんの結婚は、天皇制についても考えてみるチャンスかもしれない。ちょっぴり肌寒いが、清々しい北海道の秋の朝だ。