函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

「漁師見習13」 海の男とは

2009年01月31日 15時11分16秒 | えいこう語る
ウニには「ムラサキウニ」と「バフンウニ」の2種類がある。
名前が悪いがおいしさも値段も高いのが、バフンウニである。
海の中ではムラサキウニのほうが、とげが長く黒い色をしているので、発見しやすい。バフンウニのほうは、岩と同系色の茶色い色をしているので、発見しにくい。
今は、浜値で殻付きのムラサキウニは1kg800円台。バフンウニは600円台と差がある。
30歳代後半から50代前半にかけての漁師は、馬力も視力も経験も充実しているので、バフンウニを集中して採取する。視力や体力が落ち始めた人は、見つけやすいムラサキウニを採取する。当然捕獲量と値段にも差がつく。
私の船頭さんは60代後半だが、船着き場が隣の40歳ほどの、村でもトップクラスのお兄さんは、私たちの2倍の漁をする。
私の船頭さんだって、若いときは名前をとどろかせた漁師さんだったらしい。
私の船の操り方がまだ熟練していないので、迷惑をかけているのではないかと、隣の船いっぱいのウニを見て悔しくなる。
なんといっても経験と、上手になろうという意識を、絶えず持ち続けなければならないようだ。
漁の最中は、「あっち、こっち」と声を荒げられることもある。終了後の船頭さんはとても優しい顔に戻る。
船頭さんと接して気がついたことがある。
船頭さんは「私はそのように希望します」という、やさしい言葉遣いをする。
「希望します」は、昭和天皇がよく使った言葉である。そんな言葉を使い、漁師見習の私を、リラックスさせてくれているのだ。
来週のウニ漁が無い時、サクラマス釣りに行こうと私を誘ってくれた。
行く前の晩は「大漁祈願祭」?!をするそうだ。
天気に恵まれ、波のコンディションが良いことを祈り、前夜祭は御神酒を供えなければならないと、今から楽しみにしている。


丸井今井百貨店・経営破綻

2009年01月30日 13時13分49秒 | えいこう語る
明治5年創業、北海道の老舗百貨店丸井今井が経営破綻した。
私たち道民にとっては、拓銀の破綻以来の大ショックである。
函館支店は「丸井さん」と親しまれ、市民の生活の向上をプレゼンしたきた、市の物流や文化面においてのシンボル的存在だった。
数日前、永年この店に勤務する友人と話したばかりである。
最近の経済の低迷により、アパレル関係の売れ行きが急激に落ち込んでいたという。
数年前からは本州大手百貨店の傘下に入り、経営の立て直しをしてきた。
彼が言うには、大手は地元の経営感覚を無視するところがあり、経営方針を一方的に押し付けるという。地元あっての商売と言う基本を無視し、東京ナイズした経営を押し付けてきたのだろう。
市町村合併でもそうだが、吸収したところの考えに従うというのも、やむを得ないところはある。
大手の手法が必ずしも地域に当てはまるわけではない。地元あっての商売という言葉があるが、地元消費者の空気をよめなかったのだろう。
函館丸井は、市の最大繁華街五稜郭の中心部に位置する。すでに近くにあった西武デパートが撤退し、丸井前のダイエイ系の大型店もまもなく閉店する。
繁華街での待合場所がまったくなくなるのだ。
例えて言えば、ローマ市内からトレビの泉がなくなるのと、同じ状態のような気がする。
地方都市にとってはカルチャーの発信場所であり、知的感動の集合場所といっても過言ではなかった。
函館市民にとっては一百貨店の閉鎖というより、市民の集合場所がなくなるというのが悲しいのだ。
今年函館市は開港150年を迎える。市主導の催し物が計画されているが、市民にはどんなメッセージを発信するのか、いささかも届いてこない。
明治25年創業の「はこだて丸井さん」
市民に夢を与えてきた存在が、なぜ時代に乗り遅れたのか、そんなシンポジュームから、函館の新しいマチづくりのヒントが見えてくるような気がする。


朝青龍とどう向き合うか

2009年01月27日 12時32分56秒 | えいこう語る
初場所の朝青龍の大活躍には素直に脱帽する。
反面横綱の品格を問う声もあるが、相撲フアンの一人として、朝青龍とどう向き合っていくか考えてみた。
鳥越俊太郎さんの言葉。
「朝青龍には、日本人が考える横綱の品格を期待しても無理である。彼は日本に帰化しないし、モンゴル人の横綱である」
引退したらモンゴルに帰る人であり、モンゴル人の横綱が、日本の土俵に上がり、日本人を楽しませているのである。そう思えば私と朝青龍の立ち位置は、はっきりするのである。
私としては、千秋楽の「白鵬対朝青龍」の対決は、「大鵬対柏戸」戦を、身体の中に蘇えさせてもらい、停滞した血液が一気に流れ、元気を取り戻させてもらった。
また、戦後日本人が忘れ去った「日本人魂」のようなものを、朝青龍が持ち続けていたのを感じることができた。
今の低迷する日本社会にあって、朝青龍こそ「国民栄誉賞特別賞」を授与させたいものである。
相撲協会にもお願いしたいことがある。
相撲の決まり手に「ナメ切り」という技を付け加えてもらいたい。
初場所は相撲協会や関係者、本人を中傷するマスコミすべてに対し「ナメ切りで、朝青龍の勝ち」だからである。
誰かが、朝青龍の笑顔には「なんか文句があるか」と書いてあると言っていた。
優勝後の記者会見でも、言いたい放題の横綱を、許してしまいそうな傾向にある。
マスコミにも苦言を申したい。朝青龍の「ナメ切り」には「うっちゃり」で徹底抗戦してほしいものだ。
「勝てばすべてよし」という風潮は、世の中にはあまり流布させて貰いたくない言葉だからだ。


久しぶりの結婚式

2009年01月26日 12時34分58秒 | えいこう語る
「30対1」最近の私の葬式と結婚式の、出席数の対比である。
昨夜、中学校時代の友人の息子さんの結婚式に出席してきた。
私のテーブルは、私の村の顔なじみのオジサン・オバサンたちである。
宴会に入り若者の歌が続く。3人~4人のグループで歌い、素人なのに抜群のハーモニーだ。私たちの時代は、集まりは喫茶店だったが、今、若者の集まる場所は、カラオケルームなのだろう。実に上手だ。
私たちのテーブルでは「なんだが、わげのわがらない歌ばっかりだな」と、諦め顔である。
そこについに漁師のオジサン登場し「ド演歌」の渋いのどを披露する。まるでバックに北の荒海を背負うが如くの、大迫力である。
「やっぱり演歌だね」と、私たちのテーブルは、生き返る。
新郎の父より、挨拶があった。
私の友人である彼は、中学卒業以来、北洋や南氷洋を渡り歩いた、海の男である
長らく家を空け、子供たちに寂しい思いをさせたことや、新郎が、H自動車会社の中古車販売で、全道一の売り上げ実績をあげた事を誇りに思うと、静かな口調で、男親の心情を語った。
帰りに「今日の挨拶は感動したよ」と伝えると「ずいぶん練習したんだ」と、安堵の顔で微笑んだ。
小・中学校を共にした真面目なお父さんは、60歳になってもなんら変わりなく、
真面目だったのがうれしかった。


チェ・ゲバラ

2009年01月24日 10時44分01秒 | えいこう語る
21日22日と、ウニ漁が続いた。
巨大なオレンジ色の朝日を浴びて、150隻もの磯舟が一斉に漁場に向かい出港する光景は、馬に乗り戦場にはせ参じる武将にも似て、胸踊り血が騒ぐ勇ましさだ。
そんな漁の合間に、映画「チェ・ゲバラ」を妻と観賞した。
シニア料金と言うので、一人1,000円は、・・・まあ、うれしいことに違いない。
ゲバラはアルゼンチンの富裕層生まれで、自らも医師である。
旅行中カストロと出会い、キューバ革命を戦う。
当時無学が多かった農民に、革命の意味を理解させるために、学問を奨励する。
「なぜ学ぶか。無学だと敵にだまされやすい」という。それは味方まで混乱させるからだ。
圧政と戦うのは、市民の自由と権利を、自らの手で取り戻すためと言う考えを叩き込む。いわゆる扇動者ではない。ゲバラも一般市民なのだ。
オバマ大統領の就任演説で「国民一人ひとりが責任を持ち、国を再生させる」と言った、言葉と同質に思える。
革命が成功した時、自分が称賛されると、市民自らが勝ちとったと、けっしておごり高ぶらない。
ゲバラは後に原爆を投下された広島を訪れて、原爆病院も訪問している。
医師として武器を持って戦った革命家は、そこで何を思ったのであろう。
その後キューバの教科書には、広島の原爆が掲載されている。日本の8月6日を、キューバ国民の誰もが知っている。
キューバは、革命後教育や医療に力を入れた。チェリノブイリ原発事故では、多くの被爆者を自国に受け入れ、治療した。
第1部は、革命成功で終わり2月から第2部が始まる。
タイトルは「チェ・ゲバラ39歳、最後の手紙」である。
盟友カストロに、そして愛するキューバ国民に、さらに世界中の人々に、どんなメッセージを書いたか、是非見届けてみたい。
「英雄のいない時代はさびしい。しかし、英雄を望む時代も悲しい」
誰の言葉か忘れたが「市民自らの手で」と言うのは、民主主義の原点であることは間違いない。