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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

自分らしく生きれるか

2011年05月18日 12時55分47秒 | えいこう語る
たわいもない話だけれど、これだけは守り通したいというものが誰にもあるはずだ。
「あの人らしいね」といわれる、一種のこだわりのようなものだ。かといって生き様というほどの、カッコよいものでもない。ただの頑固さのようなものだ。
皆と同じことをしては、没個性になる。しかし、世間の中で生きていく以上、自分の主張ばかり通しては、頑固を通り越して変人といわれかねない。
ただ、いざ鎌倉という時、自分が納得した言動ができるかというので、その人の価値のようなものが決まるような気がする。
その時のための訓練のようなもので、自分の日常行動の中で、自己規制をしていることがある。
1年に数回だが回転寿司にいく。回転寿司が登場したのは、私の記憶では40年ぐらい前だと思う。当時、百円寿司といっていた。そのうち高価な食材が出てきて値段が上がり、それなら普通の寿司屋と変わらないのではないかと思うようになった。
それに抵抗し、私は、百円(今120円)の品しか食べないことに決めた。
開店寿司などは家族でしか行かないので、私の行動は家族の中では変だといわれた。しかし40年の歳月の中で、業界も様々に進化する。
黙っていても回ってくるのが回転寿司なのに、注文を受けるようになった。
そこで注文など一切しないでいたが、最近では注文しなければ、自分の好きなものが回ってこなくなったのだ。ここまで来れば、お金を払うお客がお客らしくできない。
そんなわけで、回転寿司に関しては、長いこと付き合った好きな女性だけど、そろそろ別れようかと思う、そんな感じになってきた。
そんな私を「馬鹿じゃないの」と横目で見ている、妻の視線を感じる。
※昨日取り付けた看板。


回転寿司が登場し、そのずっと後から世に出た牛丼チェーン。
♪夜明け間際の吉野屋では・・・♪
中島みゆきが歌うこの歌に魅かれ、年数回通っている。
ところが最近函館に、すき屋という競争店が進出した。吉野家は私の行動範囲からは遠いところにあり、すき屋が近い。そこで、意外と簡単に心を曲げてしまったのだ。私としては、みゆきさんを裏切ったようで、結構心苦しい気持ちが残る。
しかし、すき屋もなかなかの味である。
つい先日妻と入った。なんと、牛丼・並み盛¥250円。二人でワンコインだ。
このよし屋、最近ファミレスチェーンで、売り上げがトップに輝いた。
それは結構だが、私が行った時は従業員が一人で、厨房へ入って手伝いたいぐらいの忙しさだった。従業員を酷使しては「すき」にはなれない。「きらい屋」といわれぬように、労働条件を改善してほしいものだ。
話はそれたが、私の牛丼店でのこだわりは、並み盛しか注文しない。
「ご注文はそれでよかったでしょうか」という、他のメニューを進める言葉が嫌いだからだ。「これでいいのだ」と、叫びたくなるのだ。
牛丼は並みでいい。庶民は並みでいいのだ。
私は20代の頃痩せていた。大盛りを注文するのは、下品だと考えていた。それでいまだに、並み盛が上品だと思っている。
というわけで、回転寿司は40年という付き合いの仲で、多少の歩み寄りを見せたが、牛丼店は付き合いが浅いので、自分らしさを保っている。
たまに妻が「安すぎて気の毒だから、味噌汁か何か別なものも」というが、私のこの店に対する姿勢は、これからも変わらない。
そこまでしなくてもと、自分でも思うが、例えば、自分の故郷に原発立地の話が持ち込まれたとする。
多額の電源三法交付金と、個人にばら撒かれる原発マネー。
そんな時、自分が耐えられるかという、私なりの防災訓練なのかもしれない。