5時前に眼を覚ましたら、朝日はすでに水平線の上にあった。
ということは、日の出は4時半頃だろうか。雲の間から陽が差し込み、その下を貨物船が行く。
終日、前浜を様々な船が行き交う。磯舟、大きな漁船、フェリーや客船、そして大小の貨物船などだ。
その中で私は貨物船が好きだ。いつもたくさんの荷物を背負い、愚痴もこぼさず働いている、そんな印象を受けるからだ。
でも汗をかきながら、必死で働いているという姿ではない。船体は決してスマートではないが、ゆったりと航行する様が好きなのだ。
落ち着きがあるというか、頼もしい感じがする。

今朝の「とどほっけ村日の出美術館」。現在道立函館美術館で開催されている平山郁夫展にも劣らぬ、見事な展示である。
写真を撮ってから家に戻ったら、テレビで俳優の草刈正雄さんが出演している「美の壷」という番組が再放送されていた。
今日は、江戸情緒あふれる「手ぬぐい」についてである。
昔の人は手ぬぐい一枚で、いろんな使い方をしている。
使い古して肌触りが良くなったものを、赤ちゃんのおしめに使ったりしていた。
大正の終わりに生まれた、母のことを思い出した。
私が母を一枚の絵に描くとしたら、着物に割烹着、手ぬぐいをかぶり、はたきを持つ姿であろう。
母の若い頃の写真には洋服姿もあるが、近所の人たちも母のことは、着物姿で手ぬぐいをかぶり、掃除をしているというイメージが強よかったようだ。
とにかく掃除好きな母だった。
その母の部屋が、今、私の部屋になっている。
「あなたはお母さんの子供と思えないわね」と妻にいわれるほど、部屋の中は雑然としている。
そろそろ部屋を整理整頓しなければと、内心思っていたところである。
今日のすがすがしい日の出と手ぬぐいは「部屋を掃除しなさい」との、母からの小言に違いないと、素直に反省する。
今日は日曜日だ。
こざっぱりと掃除した母の部屋で、生け花の本でも読みながら、晩酌を楽しもうかと思っている。
天井から「飲みすぎるな」という、懐かしい母の声も聞こえたりして。
ということは、日の出は4時半頃だろうか。雲の間から陽が差し込み、その下を貨物船が行く。
終日、前浜を様々な船が行き交う。磯舟、大きな漁船、フェリーや客船、そして大小の貨物船などだ。
その中で私は貨物船が好きだ。いつもたくさんの荷物を背負い、愚痴もこぼさず働いている、そんな印象を受けるからだ。
でも汗をかきながら、必死で働いているという姿ではない。船体は決してスマートではないが、ゆったりと航行する様が好きなのだ。
落ち着きがあるというか、頼もしい感じがする。

今朝の「とどほっけ村日の出美術館」。現在道立函館美術館で開催されている平山郁夫展にも劣らぬ、見事な展示である。
写真を撮ってから家に戻ったら、テレビで俳優の草刈正雄さんが出演している「美の壷」という番組が再放送されていた。
今日は、江戸情緒あふれる「手ぬぐい」についてである。
昔の人は手ぬぐい一枚で、いろんな使い方をしている。
使い古して肌触りが良くなったものを、赤ちゃんのおしめに使ったりしていた。
大正の終わりに生まれた、母のことを思い出した。
私が母を一枚の絵に描くとしたら、着物に割烹着、手ぬぐいをかぶり、はたきを持つ姿であろう。
母の若い頃の写真には洋服姿もあるが、近所の人たちも母のことは、着物姿で手ぬぐいをかぶり、掃除をしているというイメージが強よかったようだ。
とにかく掃除好きな母だった。
その母の部屋が、今、私の部屋になっている。
「あなたはお母さんの子供と思えないわね」と妻にいわれるほど、部屋の中は雑然としている。
そろそろ部屋を整理整頓しなければと、内心思っていたところである。
今日のすがすがしい日の出と手ぬぐいは「部屋を掃除しなさい」との、母からの小言に違いないと、素直に反省する。
今日は日曜日だ。
こざっぱりと掃除した母の部屋で、生け花の本でも読みながら、晩酌を楽しもうかと思っている。
天井から「飲みすぎるな」という、懐かしい母の声も聞こえたりして。