▼片岡春雄という名前が、今北海道では最注意人物だ。核のゴミの文献調査に応募した、日本海に面した寿都町という漁業が主体のまちの町長だ。
▼高齢化や人口減。それに加え近年の地球環境の変化による、一次産業の不振などの影響で、寿都町ばかりではなく、全国の地方自治体が財政難にあえいでいる。
▼核のゴミの誘致に手を上げれば、莫大な交付金が出るとなれば、全国各地で誘致活動に手を挙げる自治体が多発するだろう。さらに、調査だけで最終処分場の拒否をするのも可能だという。こんないい話は滅多にない。
▼「好事魔多し」という言葉が、私は好きだ。世の中、簡単に手に入るものなど、眉唾物が多いということを、何度か経験しているからだ。
▼核のゴミ地下埋設処分場が、安全になるのが10万年もかかるという。そこで未来社会に責任を持つべきだとする、寿都町の反対派が「住民投票」を求めるようだ。
▼それを受け議会が審議する。だが賛成が多い議会では否決されるだろう。そうであれば、反対派の住民による「町長のリコール請求」となるに違いない。
▼日本初の住民投票条例制定に動いたのが、高知県窪川町だ。四万十川が南北に貫く、当時人口2万人弱の町だ。
▼1980年に、町長が四国電力の原発誘致の発言をしたのをきっかけに、反対派は住民投票条例制定を議会に要求した。
▼それに対し町長は【住民投票制度は、議会制民主主義を破壊するもの。決着を直接住民に訊くのは卑怯な手段、執行者としてやるべきことではない】と、自己中心的な考えで一蹴し、提案はあっさり否決された。
▼そこで反対派の住民は、町長のリコールに出た。投票率91%を超え、町長の解職が成立した。だがその後の選挙に解職された町長が出馬し、返り咲いた。
▼原発誘致の意思決定は「住民投票で決める」と、選挙公約したからだ。町長は公約を守り、住民投票条例は本会議で可決された。その後町長は原発誘致が不可能と考え、辞職した。
▼住民投票を行えば、反対票が過半数を取る可能性が高いということになり、住民投票は行わないまま条例だけが残った。今井一著【住民投票】「観客民主主義を超えて」岩波新書より。
▼この窪川町の住民投票条例を参考に、新潟県巻町の原発誘致で、住民投票条例が出来た。その第3条第2項に注目したい。
▼【投票結果においては法的拘束力はないものの、町長は地方自治の本旨にもとづき、住民投票における賛否いずれかの過半数の意思を“尊重”しなければならない】とある。条例は議会が作る。
▼自民党改憲草案第3条第2項は【日本国民は、国旗及び国歌を“尊重”しなければならない】とある。この場合の尊重は、教育現場では“強制力”を発揮するだろう。
▼だが巻町の尊重は、ただ尊重するという文言だけで、強制力がないという意味だ。尊重するだけでは実効性が少ないが、尊重し過ぎれば強制力を持つ。法解釈も執行者の意のままのようだ。
▼だが、体制側の都合のいいように解釈されるのは、民主主義国家としては、あってはならないことだ。シンゾウやスガは、法解釈が国家主義的観点からの理解だ。それが最も危険な状況を生むことになる。
▼寿都町や隣の神恵内村の、核のゴミ文献調査の誘致は、単なるよその自治体の問題ではない
。自分もその町の住民の一人として捉えることが必要だろう。
▼住民投票は公職選挙法の縛りを受けない。戸別訪問もOKだ。東北電力は80人以上の社員を巻町に送り込み、全世帯にビラやパンフレットを配布したという。有名なスポーツ選手やタレントを使ってのテレビ宣伝も行なった。
▼沖縄県の普天間基地移設に関する住民投票の時のことだ。推進側は歌手の松山千春を呼んで、講演会を開いた。呼んだのは松山と同郷の、当時沖縄開発庁長官の鈴木宗男だ。
▼松山は【どこかに必要なものを、自分たちが嫌だからと言って、他に持って行けという無責任なことは言えないでしょう。国際平和を考えるなら感情論ではなく、賛否両派が話し合い妥協して結論を出してほしい。海上ヘリポートは国家的事業です。こうした国が望む重要な事業を蹴ったところの面倒を見る気は国にはない。それが政治の手法というものであって、そういう手法をおかしいということ自体がおかしい】と聴衆に語り掛けた。
▼寿都町の反対派は、脱原発の小泉純一郎を呼ぶという。賛成派は松山千春のこの沖縄での発言を知れば、彼を呼ぶかもしれない。人口約3000人の静かな田舎町は、核のゴミ問題で二分される。
▼住民投票は、直接民主主義を行使できる、民主主義の基本だ。寿都町民だけではなく、道民全体がこの問題を注視しなければならないようだ。